小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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夜遅くに、家に帰ると携帯電話に着信が入っているのに気付いた。着信履歴は午後八時三十七分で、相手は母の文江からだ。今日は夜遅いので、明日の朝に連絡することにした。

 携帯電話を見るたび、私の家はとことん貧しかったのを思い出してしまう。悲壮感を漂わせてしまうアイテムだ。

 彼女が自分の携帯電話を持つことができたのは、高校でアルバイトを始めてからだった。携帯電話を一人一台が当たり前となりつつある御時世において、佳代は持つことができなかった。使用量の四千円前後が重くのしかかり、家計を逼迫していた。

 文江の携帯電話代のために、毎月四万円の家賃が払えなくなったことも一度や二度ではない。それくらい私の家は余裕がなかった。
 
 携帯電話の請求書を手にした母は、仕事のために嫌々、無理矢理、しょうがなく携帯電話を所持させられたことへの怨念を自分に言い聞かせるように独り言を口走っていた。こんなものを開発しなければ、子供に一日一つ好きなお菓子を買ってやれるもしくは一ランク上の食事を作ってあげられるのに、とぼやきながら、携帯画面を叩きつけたくなる衝動をこらえていた。母の後ろ姿は文明の進歩に犯されてしまっている人類の哀れさを嘆いているようでもあった。息子の成績が悪くて、教師の教え方に問題があると苦情をだすモンスターピアレントをさながらイメージさせる。携帯代の請求書が届くたび、母の態度はいつも豹変し、家庭内に重苦しい空気が流れた。請求書の届く日は母と極力顔を合わせないように、我が家のキャッチフレーズであった。

 父が死んでからというもの、生きるために物欲を殺して貧乏魂を完全に身に着けざるをえなかった家庭は、物欲に対して無の世界を貫くため、車、テレビゲーム、DVDプレイヤーなどを可能な限り処分した。物欲に負けていては生きられなかった。弟は大好きなテレビゲームや漫画などを処分することに泣きながら抵抗していたが、家族三人の生活を守るためと、時間をかけて話し合った結果、納得してくれた。父が実在していた頃は遊んでいたカードゲームなども店で全部買い取らせて処分するなど、趣味も完全に没収された。

 テレビや扇風機なども使わないときは電源を切るのを、目に見えるところに表示して徹底した。生きるために節約できることは研究し、実行していった。

 食事とて節約の対象であった。佳代はとある漫画で書かれている、黄金伝説並みの食事に三人耐えていた。耐えていたというのは失礼だろう。三食、食べさせていただけるのは、すごくありがたいことである。成長期の弟と私は文句一ついわず、与えられた食事をかみしめながら、口に運んでいたのを覚えている。貧しくて三色食べられないだけでなく、生活していくのに必要な水すら確保できない、世界中の貧しい国々の子供を思えば、塩がゆの食事に感謝しなければならない。水されあれば、何も食べなくとも一週間は生きていける。母がご近所から消費期限すれすれのカップラーメンや、インスタントスープをもらってくると大切にそれを口にしていた。中学校時代まではそういった生活を送っていた。

 彼女が高校に入学してアルバイトするようになってからは、三色塩がゆは回避され、冷凍食品のから揚げや白身フライも食卓に並ぶようになった。彼女は授業料を払った余りの一部を、母親に家計の足しにしてくださいと渡したのだ。母はとても親孝行な実の娘に恐縮しながらも、受け取って食事に使ったり、弟にこれまで満足に勝てやれなかったお菓子などを食べさせていた。彼女のアルバイトは貧困の危機を脱出するのに大いに貢献した。

 佳代は学生時代、勉強はほとんどせず、休日や学校の授業が終わると、いろいろなところであるバイトした。学歴を確保しながらお金を得るために、高校に通っていたようなものだ。毎日、バイト付けの日々だった。学校の勉強より、社会の仕組みの方をたくさん学んだのだから。就職率の芳しくない高卒で就職できたのは、学生時代のアルバイトが大きかった。

 現在は一家で一番の稼ぎ頭の佳代が、母の分もまとめて携帯電話の代金を支払っている。苦しい生活をしている弟に一ランク上の生活をさせてやりたいとの一心だ。彼女は自ら失った時間を弟には失わせないよう、高校の学費も肩代わりしている。三人で一番経済的に余裕のある佳代が、貧しくてとても苦しい生活をしている母と弟を支える。強者が弱者を支える構図をしっかりと作りあげている。彼女は幼い頃から高校時代において貧しさのなかで、優しさや助けあう心をしっかりと学んだ。他人視点で人を支える、これだけは負けない自信を持っている。

 現在の仕事を三年間、続けているのは本音をいえば家族を守るためである。仕事のために一人暮らしをすることを許してくれた恩返しである。貧しかった佳代の初めていったであろう我侭を母は叶えてくれた。

 だけど弟も来年には就職する。そろそろ自分の歩みたい人生を進んでもいいのではないか。彼女はその想いがどんどん強くなっていった。敷かれたレールではなく、自分で敷いたレールを走りたい。二十一年間、耐えに耐えてきた。一つくらいはやりたいようにやって死にたい。

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