小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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文江の身体は一ヶ月間で別人のように弱っていった。食べられるものは少なくなっていく。声も力強さがなくなる。顔に覇気もない。老化の超早送りを見ているかのようだ。
 
 病室で痛み止めの点滴をうっているが、点滴の効果も徐々に薄れていっているようだ。痛み止めが効かなくなると、文江が注射針を同時に三十本刺されたかのように、顔をしかめながら痛い痛いと苦しみ出す。それを見ると、佳代は思わず顔を逸らしてしまう。病気と闘っている文江がかわいそうすぎる。

 安楽死させてあげた方がよかったのかな。佳代のわがままは文江を苦しませただけ。死に行くものに追加攻撃を加えてしまった。

 文江は苦しさについて文句一ついわない。不満をいいたいはずなのに、胸の内で消化している。死ぬ直前に我侭をいったって天罰はくだらないにもかかわらず。

 普段の行いが悪かったのかな。迷惑そうに電話応対したために、一番打ち明けてほしい部分で心を閉ざされてしまうのはさみしい。このまま離ればなれになったら悔やんでも悔やみきれない。切っても切れない本当の絆で結ばれたい。

 文江の人生は常に苦しいものだった。父の死亡以降、人生プランの変更を余儀なくされ、我慢の日々を重ねてきた。一円も無駄にできない生活は、肉体以上に精神に多大な負担をかけた。骨身を削るような思いで頑張った。

 博の就職が決まり、真冬しかなかった、文江の心に春の兆しが見えた瞬間、膵臓癌にかかって命を落とす。天は文江が幸せになることすら許さないのか。あまりにむごすぎる。

 父が死んでから何一つ幸せな人生を送れなかったのに、彼女は自分の人生を呪うどころか、佳代にこう言った。
 
「苦労ばかりしてきた人生だったからこそ真の幸せを味わえたと思ってる。欲望と無縁の世界で生きてきたからこそ、純粋で優しい心、助け合いの精神は養える。何も与えられない人生は最高だよ。与えられると欲望が芽生え、争いに発展する。そんな人生は嫌だよ」

 息を一度整えてから、文江は続ける。声から真実の想いが伝わってくる。

「心は失わないでおくれ。欲望に負けない強い子でいてちょうだい。利害関係で行動するようになったら、天国で泣くからね」 

 胸を強く打たれた佳代は、文江の手を握り分かったと小さく呟く。彼女のためにも、道を踏み外すような行動は避け、全うな人生を生き続けたい。

「もう一つだけ。あたしと佳代は永遠の絆で結ばれたい。口うるさいだけの母親だったかもしれないけど、あたしはずっと大事に思っ・・・・」

 文江は話の途中でぐったりとなった。痛みと闘っている彼女は、痛みで夜に何度も起きてしまうことがあるらしい。その疲れが今になって現れた。ゆっくりと休ませてあげたい。眠れる時に休んでもらいたい。

 佳代は手を離してから、何度も文江の言葉を復唱した。文江の本心を知ることは完全にはできなくとも、きっと本心だろう。ここまで大切に思っていてくれた母親に、これまで育ててくれてありがとうと囁いた。

 死ぬ直前の母親と一緒にいるとより優しい心になれる。短くとも、母と一緒にいる時間を大切にしよう。

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