小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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 預金通帳を見ていて、こんなことに使うために貯金したのではないと唇を噛みしめた。こんなことになるとわかっていたのなら家族旅行したり、おいしいものを食べたりしたかった。苦労場狩の人生を積み重ねてきた母にほんの幸せの一時を感じてほしかった。

 我が家はお金にとことん見放されているのかな。父親が早くして死亡し貧乏生活、コツコツと貯金をすれば、母が膵臓癌にかかり入院費として消えていく。金運がまるでない。

 それはそれでありかな。お金は人間の心の闇を映し出すだけで、メリットはほとんどない。遺産争い、殺人事件、利権争いなどのいざこざを引き起こしてしまう。人間を泥沼激に陥れる一番の諸悪はお金だ。

 佳代は死ぬまで心を一番大事にして生きたい。昔のように、お金がなくても支えあって、励ましあって、鼓舞しあう人生がいい。傍目から見るといい人を演じていると思われてるだろうけど本心だ。苦しんだからこそ他人に優しくしようと思える。

 文江に生きてほしいと励ましたものの、入院は長引けば長引くほど財政事情が苦しくなる。一月の入院代の上限は決められていて、払いすぎたお金は返ってきても、原則は前払いだ。前払いの時点でお金がなくなってしまわないだろうか。

 佳代の財政状況を見透かしたかのように、同僚が金銭の援助を申し込んでくる。どこで母が入院したという情報をかぎつけたのかは知らないが、ここそとばかりにアピール合戦が始まった。

 心から助けたいのであれば凄くありがたい。だがそういった部類の人間は極めて少ないのが現実。今回の件で借りを作り、恋愛に発展させようとする意図がありありと感じ取れた。もはや援助ではなく買収だ。

 買収の仕方はいろいろあった。一日一万円でデートしてほしいというものから、百万円で彼女になってくれというものまで、それぞれの金銭に見合った買収をしてきた。

 差し出された汚い金に対して、好意に感謝しますという心にもない社交辞令をいい、愛想笑いも浮かべながら断った。腐った金を母の入院費に充てたくない。育ててもらった母に対する最大の冒涜だ。

 ろくでもない人生を送ってきたからこういった発想になるのだろうな。心を買収するのではなく、勝ち取ろうとは考えないのか。男性も女性も本当に好きになればお金はなくても交際する。逆に一億円持っていたとしても心を道具のように扱うのであれば交際しない。

 他人の弱みに付け込んで、心の買収を目論む行為は許せない。佳代は二度と心を許さないと決めた。普段はどうであれ、肝心なときに野生的な本性を見せるなんて最低以外の表現のしようがない。

 陰で悪口をいうのなら理解できる。買収に失敗した同僚が、本人の目の前で舌打ちをしたり眉間に皺を寄せたりするのを目の当たりにしていると、心はとことんまで廃れるなと思える。

 ろくでなし連中は影でも動く。買収に失敗した一部の男が腹いせとして、貧乏人のくせに、一人前のフリをするなと書いた紙を、佳代の机の中に入れるなどの嫌がらせをしてきた。

 自分の思い通りにならないだけで、こんなことをするなんて。佳代の心はオモチャではないのもわからないらしい。女性を交際するための道具としてしか見ないのは断じて許せない。

 こういった奴らは、殺人や金を騙し取るのを遊び感覚でやるんだろうな。他人をどれだけ蹴落としても自分さえよければいい、間違った考えが根本にあるから心の買収を目論める。悪い意味で納得だ。 

 心を買収しようとした、男性との交流は仕事のみに限定した。職場では仕事と言い聞かせて、無理に笑顔を振る舞うものの、職場から一歩外に出た瞬間、露骨なまでに冷遇した。こいつらに好かれるくらいなら嫌われたほうがあとあとの身のためだ。嫌われていれば悪口や差別ですむが、好かれるとストーカーまがいの行為をされたり、下手すると命まで取られかねない。佳代は母から授かった命を守るのを最優先した。命が助かるのならある程度の屈辱は許容範囲としなければならない。我慢、我慢。

 まともな心ではない同僚が数多くいた中で、心からお金を差し出してくれた人もいた。すごいなと佳代は思った。返してもらえないかもしれないお金を、本気で差し出すなんて佳代にはできない。真の心を持っているのだなと思った。私もこういった人に近づきたい。
 
 結果だけいうと断った。優しい人とは何もない状態でお付き合いしたい。後々に何かを返す必要が生じてしまう関係になりたくない。相手は見返りを求めていなくとも、貸し借りは後々に気まずい空気を醸しだす。毎日会う必要がある人に、貸し借りを作ったという事実は残るのだから。

 佳代は今回の件で一つ反省した。相手に優しくしようとするあまり、やりすぎていたかもしれない点だ。自分の好意を相手はありがたく受け取っている、そういった間違った考えで行動していたように思えてならない。

 何もいってこなかったものの、さぞやりにくかっただろう。好意もやりすぎると恩を売ってしまうことにつながる。好意のつもりでも、他人がおせっかいだと感じればマイナス評価になるという認識が欠如していた。

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