小説『 「俺は死んでいない」』
作者:ドリーム(ドリーム王国)

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 後編

 『五年前に北岳で雪崩に巻き込まれ消息不明になって死亡したと見られていた横田一夫さんが、
生きていた事が分かりました』
 それを訊いた啓子は絶句した。自分も周りも誰もが死んだと思っていたのに……。
 忘れようにも忘れられず、やっとの事で区切りをつけ過去の苦しさから立ち直ったのに今、彼の元に
飛んで行きたい……しかし二人の子持ちの私を救ってくれた下園の愛を裏切る訳にも行かない。

 そんな苦悩とは関係なく、マスコミが押し寄せた。
 ニュースを観て下園も同じく驚く。テレビ放送には自分の、家の前から中継されていた。
 下園は会社を早退して家に帰った。待っていましたとばかり報道陣に取り囲まれる。
 それを振り切って下園は家の中に入った。啓子は顔面蒼白で強張っている。
 下園はなんと声を掛けて良いか分からない。

 一方の横田は北岳で奇跡的に助かったが、記憶喪失になり何故か人に合う事に怯えて山を出る事はなかった。
 しかし山男である横田は、本能的に生きる術を知っていた。
 洞窟に住家を作り、うさぎや猪、川魚を捕り山菜や果物などを食料にしていた。
 山を知り尽くした横田には食料には困らなかったが、記憶喪失に陥った時点から人との接触を極端に怖がっていた。
 その理由として後に臨床心理士が以下のように述べている。
 パーティーのリーダーとしての責任を果せなく、みんなを遭難させたと云う罪意識が、そうさせたのでは
ないか、記憶は喪失してもそれだけは心の奥底にあったに違いない、と。
 そんなサバイバル生活が5年続いた所を、猪狩りに来ていた猟師に見つかった。
 その時は人間と言うより、野生化した動物のように逃げまくったが総動員でやっと保護した。
 横田は病院に収容され、現在治療を受けている。
 少し時間は掛かるが、キチンと治療しれば記憶が戻る可能性があるそうだ。

 下園は頭を抱えてしまった。
 横田は命の恩人である。そして今の妻と連れ子は横田にとってもかけがえのない家族である。
 記憶が戻って人の妻となっていたら、どんなに悲しむだろうか。
 しかし今の自分にも宝物のような存在の妻と子である。
 悩んだ末、啓子の判断に任せる事にした。しかし啓子も同じ気持ちだった。
 神様はなんて酷な運命を与えたのか…………
 取り敢えず会わなくてはならない。そう決めた啓子は病院に向かった。
 だが横田は愛する妻を前に、キョトンとした顔で啓子を見るばかりだった。
 啓子もショックだった。でもほって置けない。私の力で甦らせたいと祈る啓子。 

 それから三ヶ月、医師と啓子の努力が実り、ついに横田の記憶は戻った。
 精神的なケアも受け、やっと野生から目覚め、過去の記憶を取り戻した。
 横田の、最初の言葉は「啓子……ごめんな。約束を破って」だった。
 その言葉に啓子の心は急激に、横田に傾いた。
 それを知った下園は黙って身を引いた。命を救ってくたれ横田への恩返し……
 下園は会社を辞めて啓子に置手紙を残し海外に行ってしまった。本来なら横田に、おめでとうと、
言葉を掛けるべきだろうが、今は黙って去る事が精一杯だった。
 それが横田への恩返しであり、啓子が一番幸せな道だと、下園が選択した答えだ。
 啓子は涙を流し下園に感謝した。啓子は気持ちを整理し以前住んでいた家へ戻った。
 そんな事を誰からも知らされていない横田は、退院して5年ぶりに我が家に帰った。

 しかし、その事は何時か知れる事になるだうろ。その時はその時で考えれば良い。
 啓子はきっと分かってくれると信じていた。

 了


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