善き出会いも、悪い出会いも、
愛し合った思い出も、傷ついた思い出も、
すべてにきっと意味がある。
求めているものが手に入っても入らなくても、
やっていることが意味のあることのように思えても思えなくても、
すべての行動が未来を動かす。
人は時に、
それがなんのためなのか分からないまま行動だけを起こす。
行先を決定し、そこに意味をなすのは神の業なのか。
私たちは渡り鳥のように、
神の意志に翻弄されて生きているに過ぎないのかもしれない。