「ほらっ。愛ちゃんのチューリップだよ!」
見れば桜の木の脇に、突拍子もなく赤いチューリップが咲いている。
タンポポや蓮華草が咲き乱れる中、ぴょこんと一本だけ背伸びをしたその花は、「私は愛ちゃんのチューリップよっ。」と主張しているように誇らしげで、どことなく愛子にそっくりで可愛らしかった。
レジャーシートを受け取った雄也は、愛子の希望通り、そのチューリップの傍の桜の枝が張り出して木陰を造ってくれている場所に陣取る。
「ほら、美咲。ここに座って。」
蝶々を追いかけて駆け回る愛子を見やりながら、美咲を座らせてやる雄也。
罪悪感と焦燥感が胸の中でぐるぐると回り、美咲とまともに顔を合わせられなかったのだが、一週間ぶりに自然と美咲と触れ合えた事に、少し気恥ずかしくなってしまう。 けれど、美咲が傍にいるだけで、気持ちが穏やかになっていくのも確かだった。
一方美咲も似たようなもので、愛子のはしゃぎ声と春の穏やかな日差しの中、そこにいる雄也の存在を感じると、交わす言葉はなくとも、満たされてゆくこの時間を心地よく思う。
(でも、雄君はどう思ってるのかな…。)
むくむくとわきあがる不安。
共に同じものを見て、その感動を分かち合うことの出来ない美咲は、ずっと恋愛なんて出来ないんだと思っていた。
だけど今、目の前にいる雄也は美咲の恋人なのだ。 その事はとても嬉しいのだが、その恋人がいつ、こんな自分に愛想を尽かしてしまうのかという不安も同居してしまう。
好きだから嫌われたくない。
生まれて初めて恋をする美咲は、そんな少女のような切ない恋心を抱き始めていた。
「ゆーやっ!ちょーちょさん、そっち行ったよ!」
愛子の声にふわりと風が動く。
「わぁ… すごい! ゆーやの指にちょーちょさんが止まった。」
蝶の飛ぶ方向を指ですっとなぞらえるだけで、その指を止まり木としてしまった雄也は、「シーッ。」と人差し指を口に当てて愛子にゼスチャーを送る。 愛子も慌てて雄也の真似をしながら、雄也がそっと美咲の髪へ蝶を移してやるのを見守った。
「えっ!?」
美咲はドキッとなりながらも、雄也が撫でるように髪に触れた事で、和らぐ不安。
「あはっ♪ 美咲、ちょーちょさんの髪飾り、すっごく似合ってる。」
楽しげな愛子の賛辞。しかし、美咲の表情は微かに曇ってしまう。
雄也は女の子は虫が苦手であると聞いた事があったのを思い出し慌てて謝った。
「あ、すまない。 蝶とか苦手だったか?」
「…ううん。」
美咲が首を横に振った拍子に蝶はひらひらと飛び立ち、愛子もまたその蝶を追いかけて駆けて行った。
「ねえ、雄君。」
「ん?」
「私と居て、…その、 …つまらないとか思わない?」
「…どうして?」
美咲は不安な胸のうちを、思い切って雄也に問いかけてみた。
「私はみんなと同じ世界を見られない。 今もお花見といっても私には桜が見えるわけでもないし、楽しいお話とかも出来るわけじゃ、ないから…。」
雄也はきっとこの不安を振り払ってくれる。 そんな期待が美咲にはあった。
「美咲は、桜が見たいのか?」
「 !! 」
美咲は思わずカッとなって唇を噛んだ。
それはどんなに望んでも叶えられない事を美咲が一番よくわかっている。 だからこそ、望む事すら諦めている事を聞いてくる雄也に、期待が手の平から指の間を滑り落ちていくような思いだった。
「俺と一緒に、同じ桜を見たいのか?」
うつむいた美咲に、なおも問いかけてくる雄也の声に、なぜか不思議な響きを感じて口ごもる。
さらさらとこぼれ落ちる期待という名の一握の砂が、美咲の手に残っている。 それをこぼさないように握り締めた美咲はこくりと肯いた。