小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第9話 〜 そして二人は永遠に(5)

 東京ドームに静かな夜が帰ってきた。
 それは、嵐の過ぎ去った後のように、異様なほど静かであった。
 会場内を埋め尽くした観客達は、スッキリとした表情で家路へと戻っていった。
 潤太は一人、関係者側入口付近へとやって来ていた。
 次々と関係者が出てくる様を、彼は目を凝らして見つめ続けていた。
「...!」
 ようやく彼のお目当てが姿を現した。
 大仕事を終えたスーパーアイドルは、警備員の大男達に挟まれて、軽やかな足取りで入口から出てきた。
 彼女は達成感からか、この上なく明るい表情をしている。
「はぁ、気持ちよかったぁ。コンサートがこんなに楽しいものだなんて。これはやってみないとわからない感覚なんだなぁ。」
 疲れた素振りをまったく見せない香稟。
 そんな彼女に歩み寄ってくる人物、マネージャーである新羅は、暖かい声で彼女を出迎える。
「お疲れさま...。今日は最高によかったわ。この勢いで、セカンド、サードとがんばって行きましょう。」
「はい!」
 新羅は少し間を置いて、横にいる香稟にそっと問いかける。
「...ねぇ香稟。一つだけ聞いてもいいかな?」
「はい?」
「どうして、引退を撤回したの?あなた、あんなに引退するって聞かなかったのに...。それに、ステージで話してたかけがえのない人って...?」
 香稟は満面の笑みで答える。
「あたしは、もう迷いません。だって、迷ったところで何も前進しないし。それに、やりたいことやってる方が、あたしにとっても、あたしを応援してくれるファンのためにもいいと思ったから...。」
「そう...。フフ、あなたらしいわ。決めるときはキッパリ決めるんだもの。ありがとう、香稟...。これからもよろしくね。」
「こちらこそ、今日子さん。」
 そんな会話の中、何かの気配を感じた新羅はふっと立ち止まる。
「あら、誰かいるの...!?」
「え!?」
 身構える香稟と新羅の目に飛び込んだ男。
 彼は少しずつ、二人の側へと歩み寄ってきた。
「潤太クン...!」
 香稟がその人物に気付いた瞬間、待機していた警備員達が、ものすごいスピードで彼に詰め寄った。
「ま、待って!!」
 警備員達は鍛えぬいた肉体を武器に、潤太の体をあっという間に押さえつけていた。
「やめてっ!彼はあたしの知り合いよっ!!」
 夜闇に響かんばかりの大声を張り上げた香稟。
 その声に、警備員達は忠実に従い、素早く強靱な腕を振りほどいた。
「潤太クン!」
 香稟は慌てふためき、尻餅をついた潤太の元へ駆けつけた。
「や、やあ、か、香稟ちゃん...。きょ、今日はご苦労さま...。ははは...。」
「来てくれたんだね。ありがとう。すごくうれしい...。」
 香稟の潤んだ瞳は、まさにかけがえのない人物を直視する瞳であった。
 新羅は、この二人がただの知り合い同士ではないと悟ってか、二人に向かって声を掛ける。
「二人とも、すぐ車に乗って!こんなとこマスコミに見られたら大変だわ!」
 新羅の指示により、香稟と潤太は素早く社用車へと乗り込んだ。
 そして社用車は、激しいエンジン音を響かせながら、夜の街へと走り出した。


 社用車は夜の東京をひた走り、香稟の希望の場所へと辿り着いた。そこは、彼女と潤太にとって思い出深い場所でもあった。
 香稟と潤太の二人は、社用車のドアを開けて外へ出る。
「香稟、悪いけどあまり時間は取れないわ。10分よ。10分経ったら戻って来てね。」
「...はい。」
 香稟は、マネージャーの新羅とそう約束してその場から離れた。
 外へ出た二人は、水銀灯の明かりに照らされた公園内へと進む。
「...どうしてここへ?」
 潤太の問いかけに、香稟はきれいな星空を見上げた。
「何でかな...。何となく...。ううん。きっと、ここには何かがあると思う。」
 彼女は、ハンドバッグの中から一枚の紙きれを取り出すと、潤太に手渡すように差し出した。
 不思議そうな顔で、その紙きれを受け取った潤太。
「これ、ボクが描いた...!」
「そう。あなたが、あたしに送ってくれた風景画よ。」
「ははは。まだ持っててくれたのかぁ。」
「当たり前よ。あたしにとっては、とっても大事なものだよ。あなたからの最高のプレゼントだもん。」
「ありがとう。そういってもらえるとうれしいよ。」
 潤太は照れくさそうに頬を赤らめた。
「潤太クン...。この絵には何かがあると思わない?」
「え?う〜ん、何だろう...?」
 自分の書いた絵画を見ながら、首を捻っている潤太。その絵画を、彼と一緒に眺めている香稟。
「あたし達が初めて出会ったあの日。そして、最初にデートした日。 そして今日...。あたし達ってさ、気付くとここにいるような気がするの。」
「ああ。言われてみるとそうだね。ボク達、気付いたらここに来てるんだ。」
「あたしね。あなたに電話で応援されたあと、自分なりにいろいろ考えた。これからの将来やお仕事のこと...。もちろん、あなたのことも...。」
 知らず知らずのうちに、彼女の温かい手が潤太の手を触れる。
 潤太は気持ちを伝えるように、彼女のやわらかい手を握りしめていた。
「そして、この絵を眺めたの...。そうしたら、不思議と心が和んできたわ。この絵の景色に、なぜか描かれていないあたし達がいるような気がしたの。」
 香稟の熱意が、彼女の手を通して潤太の心へと伝わる。
「あなたが人を励ます絵を描くように、このあたしも、ファンの人達を励ます歌を歌うことが、本当のあたしのこれからなんじゃないかって...。」
 彼女のつぶらな瞳が、潤太の赤ら顔へ向けられる。
「だから、あたしはもう迷わないよ。あなたが一緒にいれば...。あなたがあたしを応援してくれる限り、あたしは夢や希望を捨てたりしない。決して引退なんてしないわ。」
 香稟は流されるまま、潤太の胸の中へともたれかかった。
「由里ちゃん...。」
「...お願い。これからは“ちゃん”付けじゃなく、由里って呼んで...。」


 社用車の側には、不安そうな顔の運転手と、香稟が戻ってくるのを待つ新羅がいた。
「しかし...。新羅さん、誰何スか、あの少年は!?どうも香稟ちゃんの友達みたいだけど...。」
「そんなこと、詮索することじゃないわ。若い二人のことだもの。わたし達が口を出すことじゃないでしょ。」
「ふ〜ん、そうなんスかねぇ。でも、これがきっかけで、彼女にまた変な噂が流れたらどうするんです?」
 新羅今日子はクスッと愛らしく微笑んだ。
「フフ、その心配はないわ。公表されたことが間違ってなければ、あの子も素直に認めるでしょうね。だましたり、嘘付いたりしない本当の彼女の真実をね...。」
 彼女は心の中でつぶやいていた。
「これからの人生、すべてはあなたのものよ...。仕事を愛して、そして人を愛して。あなたはわたしと違った道を辿る。それもすべてはこれから...。がんばってね、香稟...。そして、ありがとう...。」

* ◇ *
 あれから5年の歳月が過ぎた。
 とあるマンションの一室には、ソファーベッドに横たわる一人の男性の姿があった。
 その男性は、テーブルの上にあるお菓子をつまみながら、35型のテレビを眺めている。
 ちょうどテレビには、新世紀の最初のアイドルと謳われる少女のCMが放映されていた。
「へぇ...。この子かわいいじゃないか。」
 その男性がニヤニヤしながら微笑んでいると、彼の側へ一人の女性がやって来た。
「もう、だらしない格好ね!ほら、キチッと座りなさいよ。」
「お、おいおい、足を掴むなって...。」
 その女性は、男性の両足を払いのけると、空いたソファーベッドへと腰を下ろした。
「何見てたの?鼻の下のばしちゃって。」
「あ、いやね。CMで今売り出し中のアイドルが映ってたんだ。」
「ふ〜ん。で、かわいかったの?」
「ああ、まぁね。ボクの気に入った子は、きっと芸能界で活躍していけるよ。」
 その女性はクスッと微笑んで、男性の頬をちょんとつついた。
「それって、実例があるからって言いたいの?」
「もちろん。キミはまだまだ活躍中じゃないか。結婚して数ヶ月。未だに忙しい忙しいってさ、仕事がぜんぜん尽きないんだもんな。正直、もう少し主婦業に専念してもらいたいのに。」
「ごめ〜ん。だってさ、今日子さん躍起になって仕事取ってくるんだもん。さすがは事務所で一番の敏腕マネージャーよね。」
 苦笑いを浮かべながら、そんな愚痴をこぼす女性。
「でも、昔よりはいいでしょ?今はアイドルじゃなくて、女優なんだもん。これでも昔よりは仕事減らしてるんだからね。」
「わかってる。キミは納得できるまで、この世界でやっていくんだもんな。ボクだって、無理を承知でまだ画家を目指してるわけだし...。」
「お互い、少しの妥協は仕方がないってとこかしら?」
「そーいうこと。ははははは。」
「フフフフフ。」
 和やかな雰囲気の中、テレビからイベント告知のCMが流れる。
「あら、風景画の奇才、飛龍影。絵画展...。あ、ここの近くみたいよ。」
「おお、ボク知ってるぞ、この飛龍影っていう画家。結構いい絵描くんだよな。」
 二人はクルッと向き合って、仲睦ましく声を揃える。
「見に行こうか!」
 二人は寄り添い合って、明るく晴れた空の元へと飛び出した。
 そして、お互いの夢と希望を見届けるまで、一歩、そしてまた一歩前進していく。
 その日の心地よい陽射しは、まるで二人にとって明るい未来の道しるべのようであった。

〜 おわり 〜

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