小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第9話 〜 そして二人は永遠に(4)

 一方会場では、プロ野球で盛り上がるスタジアム内は、溢れんばかりの人々で埋め尽くされていた。
 こういった雰囲気に慣れていない潤太は、あたふたとしながら、チケットに書いてあった座席番号を探している。
 彼はファースト側の内野席へ足を運ぶと、チケットを辿りながら座席番号と照合する。
「あ、ここか...。」
 会場入り後10分ほど、潤太はようやく自分の座席を発見した。
 何万人と収容できるこのスタジアムは、この上ないほどの盛り上がりを見せている。
 会場が慌ただしく沸き立つ中、潤太はちょこんと座席に腰掛けた。
 もうすぐなのだ。もうすぐ、あの香稟がスタジアム内の大きなステージへと現れる。
 潤太は周りのざわつきに飲まれてか、心なしか興奮を抑えきれないようだった。
 やがて、会場内にアナウンスが流れ始めた。
 いよいよである。いよいよ、あのスーパーアイドルのコンサートの幕開けである。


 その頃、キラキラしたドレスを身にまとった香稟は、長い通路を歩いていた。
 彼女の目指す先には、スポットライトに照らされた光り輝く空間がある。
 彼女は一歩一歩、今日という日を少しずつ前進させている。
 彼女のすぐ横には、彼女を暖かく見守るマネージャーの新羅がいた。
「香稟、いよいよね。気合い入れてがんばってね!」
「はい!」
 香稟は物怖じなく元気に答えた。
 もう迷いはない...。彼女は、それだけを新羅に伝えようとしたのだろうか?
 小さかったスポットライトの明かりが、徐々に大きくなっていく。
 スタッフに見送られながら、香稟は初めてのコンサートの第一歩を踏み出したのだった。


 会場内にどよめきと歓声が沸き起こる。
 会場内にいる誰もが、スポットライトに映し出されたスーパーアイドルに釘付けになった。
 潤太は座ったまま呆然としている。なぜなら、目の前や横にいるファン達が一斉に立ち上がったからだ。
 彼はこの状況に戸惑うばかりで、辺りをキョロキョロ見渡しながら、ファン達と同じ行動をとるしかなかった。
 彼女の新曲のイントロダクションが会場内に鳴り響く。
 ファン達はみんな、そのイントロダクションに合わせて手拍子を始める。
 そして、彼女の透き通るような美声が、どよめく会場内にこだました。
 潤太はただ、そんな彼女の新曲を聴き入っている。
 今まで、テレビの中でしか聴けなかった彼女の曲、そして彼女の姿。
 潤太は応援することも忘れて、遠くのステージに立つ彼女を見つめるだけだった。


 一曲、また一曲と、彼女の歌が次々と披露されていく。
 曲が進むに連れて、ファン達の応援はさらにヒートアップしていった。
 潤太も無意識の内に、ミーハー小僧のように手を叩いて、自分の歌声を彼女の歌声にハーモニーさせていた。
 舞台照明がカラフルに変わっていく。
 彼女の衣装も、曲が替わるたびに変わっていく。
 見る者を引きつける彼女は、一言で言うならまさに女神、地上に舞い降りたヴィーナスそのものだった。


 時は瞬く間に流れた...。
 怒涛のごとく盛り上がった東京ドームは、少しずつヒートダウンしていく。
 スポットライトの下に立つアイドルの夢百合香稟は、ハンドマイクを両手で握りしめたまま、何かをつぶやく姿勢を見せた。
 そんな彼女を見つめる観客達も、自然と応援を止めて押し黙る。
 会場内に、今までには感じなかった緊張感が漂う。
 潤太は心の中で囁く。
「ついにこの時が来た...。ついに彼女のこれからがハッキリする...。」
 彼は固唾を飲み込み、鼓動を激しく高鳴らせる。
 会場にいる観客達、そしてスタッフ達も、ステージ上のただならぬ雰囲気を察してか、一斉に静かになった。
 瞳を閉じたまま、香稟は握りしめたマイクに声を伝わせる。
「...みなさん。今日は本当にありがとうございました。こんなあたしのために、遠くからはるばる来ていただいたみなさんに、心から感謝しています。」
 マイクを通じて流れる彼女の声。
 会場にいる観客達は、反響する彼女のセリフに耳を傾けている。無論、潤太もその内の一人だった。
「今日のこのコンサートは、あたしにとって、初めてのコンサートです。初めてだったから、みなさんに楽しんでもらえなかったかもしれなかったけど...。」
 そんな彼女の言葉に、会場内のファン達は、彼女に向かって励ましの声を張り上げていた。
「ありがとうございます。あたしは、精一杯がんばりました。みなさん、応援してくれて、本当に、本当にありがとうございました!」
 会場内は、割れんばかりの拍手の渦に包まれた。
 その拍手の大きさは、ここに集まった観客達の、彼女に向けての感謝の気持ちを物語っていた。
「...みなさんもご存じだと思いますが。あたしは、あるテレビ番組の中で。」
 途切れ途切れに語られる彼女の言葉。
 彼女の次に続く言葉に、観客達はゴクッと息を飲み込む。
「...あたしは、引退を表明しました。」
 会場内のファン達は、嘆くようなどよめきの声を轟かせる。会場内に反響するほどの大声で、“やめるなー!”や“どうしてだー!?”といった心の叫びがこだまする。
 香稟はうつむき加減で、小刻みに体を震わせる。
「この芸能界は、みなさんが思っているほど、華々しく夢見る世界じゃありませんでした...。恨みや妬み、噂に嘘、そして疑惑...。あたしが憧れた舞台など、この世界には存在しませんでした。」
 予期もしない香稟の発言に、ステージ奥に控えていたスタッフ達は、慌ただしく騒然としている。
 ましてや所属事務所の社長など、冷や汗をかきながらうろたえ始めた。
「お、おい、何を言ってるんだ!?きょ、今日子!早くアイツを引っ込ませるんだっ!」
「...社長。今、あの子を止めても無駄ですわ。彼女は今、一生分の勇気を振り絞って打ち明けているんです。あの子にとって、本当の気持ちを...。」
 新羅今日子は穏やかな目で、ステージ上のアイドルを見守っている。
 静けさと騒がしさが交錯する会場内で、香稟はさらに自分の想いを語り続ける。
「だけど、それが芸能界の現実だったら...。それが生きていくためのルールだとしたら...。あたしは、単なるわがままを言ってるだけかも知れません...。」
 会場内にいる観客達は、彼女の悲痛な想いを黙って聞くだけだった。
「...あたしは、かけがえのない友達、いいえ、それ以上の人に、元気を分けてもらいました...。」
 その瞬間、潤太の緊張がピークに達した。
「彼はあたしにいいました。一番、好きなことをしている時、それが一番楽しい時だって...。そして、どんなに辛くても、自分の抱いた希望、そして夢を決して捨ててほしくないと。」
 会場内が大きくざわつき始めた。
 彼女にとって、そのかけがえのない友達以上の彼とは何者だ!?
 ざわつく観客など気にも留めず、その人物である男は呆然と立ちつくしている。そして、見つめている。そして、聞いている。
「あたしは...。小さい頃からの夢を、捨てないことを決意しました!」
 その人物である潤太は、目を見開いて彼女を見た。
「ま、まさか由里ちゃん...!」
 彼を含むすべての観客たちに、香稟は最高級のスマイルと一緒に、その心のこもった気持ちを送り届ける。
「あたしは引退しません!!」
 その一言に、東京ドームが壊れんばかりに沸き上がった。
 ファン達は踊るに踊り、握り拳を振り上げて大声で叫びまくる。
 潤太は呆気にとられたまま、崩れるように座席へと腰掛けた。
「由里ちゃんはやっぱり、今も、これからも、スーパーアイドル夢百合香稟なんだね!」
 潤太は、周りなど気にせずそう叫んでいた。
 しかしそんな叫び声は、観客たちの興奮したいななきにかき消されていた。
 沸きに沸く会場内に水を差すように、香稟はマイク越しで語り続ける。
「みなさん!今日のコンサートは、あたしにとって最高のコンサートです!あたしを勇気づけてくれたファンの人達と、そして、あたしの大切な人のために...。本日最後の曲を歌います!」
 会場内はやんややんやの大騒ぎだ。
「この曲の歌詞は、あたしが心を込めて作りました。聴いてください。タイトルは“夢を諦めないで”。」
 香稟はいよいよ、ファーストコンサート最後の曲を歌い始める。
 可憐にポーズを決めて、彼女はハンドマイク片手に踊り続ける。
 会場内のファン達すべてが、スターのように輝く彼女に大きな声援を送っている。
 潤太も、周りのファン達に負けないよう、精一杯の大声で応援していた。
 そして、その曲をもって、彼女のファーストコンサートは閉幕した。

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