小説『とくべつの夏 〈改稿版〉』
作者:sanpo()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 そう言って葵里子は、少年の足下をじろっと見た。まさにその、海中から引き上げられた女神の名を刻んだスニーカーを履いていたからだ。
 今度も二人とも特別なコメントはせず押し黙ったままやり過ごした。
 「さて、アンブローズ・リンクィストは、有名になり過ぎたサントリーニ島は避けてそれ以外の適当な島を選ぶの。そうして幸運にもミロス島の海中から埋もれた傑作を幾体か発見した。それらが今、私達の目の前にあるクーロスなのよ!」
 葵里子は再び視線を居並ぶ静かな若者達に向けた。
 「リンクィストはこれら彫像を、彼等の故郷の海からこっそりと持ち出したんだわ!」
 「こっそりと持ち出した、だって?」
 今まで口を噤んできたクレイだったが流石に我慢できなくなった。
 「おいおい、いい加減なこと言うのはよせよ!その推理はあまりにも突飛過ぎる。遺物はギリシャ本国のものだぞ。となりゃ、その手の行為は?密輸?、いや、もっと大それた?略奪?ってことになる」
 「美の前、愛の前、求めて止まない至宝の前で、完全に己の欲望を制御できる〈安全金〉なんて人間には無いわ。忘れたの、クレイ?」
 腕を組んで、そして明らかにホクソ笑んで、葵里子は真っ黒い瞳でクレイを凝視した。
 「あんただって、自分の欲しい男の子のために〈美術品〉どころか、よりによって〈死体〉を運んだじゃない。こっそりと?」
 「クソッ!」
 クレイ・バントリーがどれほど傷ついたかなど一向に気にする風もなく写真家は続けた。
 「アンブローズ・リンクィストの場合はこっそりと〈人類の貴重な遺産〉を運んだの。自分だけのものにするべく解体し梱包して。尤も──実質的な意味で言うと?運んだ?のは」
 「俺のパパと、パパのヨットだった……」
 少年は吐き捨てるように言った。
 「船で教授が俺に言った?こそ泥?って意味がこれでよぉくわかったよ」 
 「私は?キクラデス諸島?という新しい鍵を見つけて、それでもう一度振り出しに戻って、あんたの足の裏の刺青の謎解きをやり直すべくこの島へ帰って来たのよ。先にクレイのコテージに寄ったんだけど鍵が閉まってた。それで、プレローズ屋敷に廻ったら、鍵は開いてるもののあんた達の姿はない。見張り台のテーブルには素敵ななカクテルがほとんど手もつけずに放置してある有様……」
 勿論、葵里子はカクテルを飲み干しながら周囲を見回した。
 そして、眼下遙か、夕陽の中を鯨岩目指してひた走る二人の姿を発見したのだ。
 にこやかに微笑んで写真家は締め括った。
 「ほんと!〈見張り台〉って便利な代物よねえ……!」

-72-
Copyright ©sanpo All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える