小説『【短編集】BARD Song』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

【Citrus Cocktail】


 ふらりと立ち寄ったバーは、人気も少なく落ち着いた雰囲気だった。居酒屋の騒がしい雰囲気は、どうも好きじゃない。結局今日も二次会は遠慮する事となった。
 落ち着いて呑めないから、一次会ですら酒が進まない。だから、飲み会がある度にこうやって飲み直すハメになる。出費も正直馬鹿にならない。人並みの給料なのだ。
 だったら飲まなければ良いと言ったのは、当時付き合っていた恋人だったか。もう顔も忘れてしまったが。
 小ぢんまりとした店内には、若い女性が一人居るだけだった。常連なのだろう、カウンターで優雅にカクテルをあおる様は、まるで映画から飛び出してきたようだった。
 私は彼女から離れた席に座り、モスコミュールを頼んだ。バーテンがカクテルを準備する間、そっと横目で彼女を伺う。
 流れる髪はベルベットの様に滑らかだ。まとったドレスから覗く肢体は、星をつかむ程に美しい。艶やかに微笑む唇は、幻惑する蝶の様に揺らめく。
 私は、彼女のグラスが空になったのを見計らい、バーテンに言った。
「彼女に、シルバー・ブレットを」
 バーテンは静かに微笑み、首を振った。気障な行為は受けられないという事だろうか。
「あの方は……」
「ごめんなさいね。お誘いを断って申し訳ないのだけど、レモンのカクテルは合わないの」
 彼より早く彼女が答え、月光の様に微笑んだ。
「そう、でしたか。それは申し訳ない」
「いいえ。でも、お気持ちは頂くわ」
 そして彼女は椅子から舞う様に降り立ち、ドアベルの音だけ残して夜の闇に消えていった。


 彼女の残り香は白昼夢の様に私に纏いつき、私はそれを追うように夜の街を彷徨っていた。仕事柄、出歩く事は珍しくないし、同僚に怪しまれる事も無い。彼女の姿を追うついでに良いネタでも見つけられれば儲け物だ。それでなくとも、今はちょっとした事件が起こっているのだ。出歩くには好都合とも言える。
 奇妙な銃撃事件。私の所属するチームは、それを追っている。何とかして他社よりも良いネタを見つけてスクープにしたい、とリーダーは息巻いていた。彼女と出会った夜の飲み会も、それの決起大会みたいなものだったのだ。ここで何か掴めれば、リーダーにも少しはいい顔が出来る。
 と、何かを感じて立ち止まる。記者の勘というよりは、本能的な何かだ。どちらかと言えば危険、逃げるべきだという感じだ。だが、そういう時こそスクープを得られるチャンスだ。私は一歩踏み出し、それへ向かっていく。
 辿り着いた先は、雑居ビルだった。「テナント募集中」と貼られている。当然ながら人の気配は無い。
「ん?」
 こういう所は頑丈に施錠されているものだが、その鍵が壊されていた。若者が壊したにしては、鮮やかなものだ。意を決して中へと入る。
 ビルの中は埃っぽく、灯りも点いていないから暗かった。薄く入る街灯の光が、私の影を薄く伸ばしている。
 歩きまわるうちに階段を見つけた。どうしようと逡巡する間もなく、引き寄せられる様に上っていく。
 その先にはドアがあった。勿論、鍵は開いている。ノブをひねる。
 目の前に居たのは、バーで出会った彼女だった。


 やっと見つけたわ、と歌う様に彼女は言う。
「そんなに逃げまわるくらいなら、最初から出て来なければいいのに」
 視線の先に居るのは、壮年の男。とはいえ、様子がおかしい。背を丸めて彼女と対峙する様は、まるで獣の様だ。
「面倒な事はあまり起こしたくないの。大人しくしててくれない?」
「ふざけるな。貴様が勝手にやっている事だろうが」
 男の声は、地の底から這い寄る如く、低く恐ろしいものだった。同じ人間とは思えない。私に向けられているものではないと解っていても、身体が震える。
 だが、彼女はそよ風の様にそれを流しただけでなく、妖艶に微笑んでみせた。
「それじゃ、遠慮なく勝手にさせてもらうわ」
 以前とは違う、ドレスではなくスーツを纏った彼女。羽織った外套が羽の様に広がる。私がそれに目を奪われている間に、彼女の両手には鈍く光るものが握られていた。
(あれは、銃?)
 現行のものとは違う、装飾の施された古めかしい雰囲気だ。カスタムメイドなのだろう。リボルバーではなく、オートマチックだ。
(彼女が銃撃事件を起こしていたのか)
 被害者には共通点があった。それが確認できれば、スクープとして報じられる。私は胸ポケットに挿したペンを取り出す。このペンには、小型カメラが仕込んである。普通のカメラでは目立つ場合に使うものだ。私はペンを手の中に握りこみ、シャッターを押し続けた。
 破裂音が鳴り響くが、男は倒れない。弾が当たっていないのだ。常人では避ける事は不可能だろうに、男はそれをやってのけているのだ。何という事だ。これではまるで、化物だ。
 だが、彼女は全く動じていない。それどころか、余裕すら見える。
「それでおしまい?」
「ほざけ!」
「あら、まだそんな元気が残っていたのね」
 男の突撃を避ける様は、ダンスを踊っている様だった。翻る外套がドレスの如く広がり、弾丸が跳ねる住んだ音がステップを踏む。
 そして、舞踏会は終幕を迎えた。
「終わりにしましょ。……じゃあね」
 男の突撃を真正面から捉え、彼女は引き金を引いた。頭と胸に弾丸を受け、男の身体は派手に吹き飛んだ。
 揺らめく硝煙。
 彼女の足元には、流れているはずの血が無かった。やはり、と私は確信する。
 被害者の共通点。それは、絶命していないどころか、ほぼ無傷に等しい事なのだ。頭と胸に銃撃を受けた形跡はあるものの、怪我はしていないのだ。そして記憶が無く、銃撃を受けたらしい事すら知らない。恐らく、あの男の様子と何か関係があるのだろう。
「……で? どうするつもりなのかしら?」
 その問いが私に向けられていると気付くまで、少し時間がかかった。
「あら、あなたは確か……そう、お店で会ったわね。こんなとこで何をしているのかしら」
「え? 天体観測が趣味でね。良いスポットを探していただけだよ」
「そう。うふふ……それで、良い写真は撮れたのかしら?」
 彼女の視線は、握りこんだ私の手に注がれている。気づいているのだ。
「口外は、しない」
 私はペンを落とし、両手を挙げる。
「そうね。でも」
 ナイフに似た瞳が私を見据え、彼女は腕を上げた。
「やっぱり都合が悪いの。ごめんなさいね」
 私のカクテルを断った時と同じ微笑を向け、そして彼女は、ゆっくりと引き金を引いた。


 今日も今日とて飲み会だった。リーダーの飲み会好きには困ったものだった。しかも、毎度居酒屋でやるものだから、全く落ち着いて飲めない。嫌な気分を引きずったまま帰りたくはなかった。
 ぼんやりとした目に、バーの看板が映る。少しは静かに飲めるだろう、と私は店に入った。
 静かな店内に居たのは、若い女性が一人だった。彼女は私の姿を認めると、艶やかに微笑んだ。
「カクテルを一つ、あの方に。……シルバー・ブレットを」
「え? でも」
「良いのよ。それとも、レモンのカクテルは苦手かしら」
「いえ、そんな事はありませんが……」
 それなら良かった、と彼女は私に背を向けた。
 その姿に何処かで出会った様な気がしたが、私は思い出す事が出来なかった。

-6-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える