第1話 離脱
まだ土煙の収まりきらない真っ白な瓦礫の中で。
彼は、大切なその人をしっかりと抱きとめた。
満身創痍になり果てたのその身体から、今にも解放されようとしている、命。
そして彼自身も。
大きく引き裂かれた傷口から絶えることなく流れ出る血。
流れ出ていく力と熱。
それでも彼は、立っていた。
大切な人を抱きしめたままで。
もうとっくに限界は越えているはず。
どうしたって、助かりはしないだろう。
そう思うと、自然に、口元に笑みが浮かんだ。
身体の自由は失われつつあっても、意識だけはこの上なく鮮明だ。
「そいつを殺せ。でなくばこちらに渡せ」
「従わぬのなら、お前もろとも処断することになるぞ」
無数の刃が取り囲んでいる。
逃れる術は、既に無い。
それがどうした。
今更ではないか。
もうずっと前に、滅んでいたはずの命だ。
そうでなければ、かつてのあの日に、共に終えるはずの命だった。
それでも今まで、自分の意に反してまで生にしがみつき、あがきき続けたのは、お前らのためでも、お前らの語る”世界”を救うためでも、崇高な使命とやらのためでもない。
どこに居るのか判らない大切な人を、大切な人が存在しているかも知れない世界を、守りたかった。
ただ、それだけのために戦い続けた。
探し続けた大切な人は、今ここに、腕の中に存在する。
消えていこうとする命とともに。
ならば。
この世界には、もう、何の意味もない。
留まる理由など、何もない。
やっとだ。
これでようやく、あの優しい闇の中に眠ることができる。
この時をどれだけ待ち望んだことだろう。
「何だ、それ!」
そんなことを背後で叫ぶのは。
もちろん、あのバカしかいないだろう。
「君は! ずっとずっと探していた大切な人に、今やっと出会えて! なのにここで終わりって! それで幸せだなんて! 一体それのどこに、満足するトコがあるってんだよ!!!」
バカな奴。
お前、俺のことを嫌っていただろう。
無理やり相棒にされて数ヶ月。
そりが合ったことなど、一度だってないだろう。
なのに嫌いな奴のために、そんなに本気で怒るなんて、どれだけバカなんだ、お前は。
そんなところに居たら、お前だって巻き添えを食うだろうに。
「本当に、僕は君が嫌いだよ」
激昂から一転して、低く押し殺したような声。
「だから、君の気持ちなんて、知ったこっちゃない。僕は僕の好きなようにする。そう決めた!」
背後でゆらりと、あのバカが立ち上がった。
転がった瓦礫の粒が、カラカラと乾いた音を立てる。
何をする気だ、お前。
取り囲んでいる天軍の軍勢より、よほどただならぬ気配を全身から立ち上らせて。
あまりにも不穏な様子に、動くはずがない身体が緊張し、全身があわ立つ。
次の瞬間、足元の地面が完全に消失し、強烈な浮遊感が襲ってきた。
すごい勢いで、落下している!?
一瞬にして遠ざかる、瓦礫に埋め尽くされた真っ白な空間。
そして最後に目に入ったのは、瓦礫を背にして立つあのバカの、「ザマミロ」と嘲笑う憎ったらしい顔だった。