小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第2話 歌う天使の神殿


 天使は恋をしないなんて、誰が言ったんだろう?
 坂道を上った先に白い石造りの建物が見えてきた時、そんなフレーズが、少女の心に浮かんだ。

 そこは村を見下ろすように建っている、大昔の白い神殿だ。
 あまりに大昔の物すぎて、今では誰も寄りつきさえしないのだから、本当は遺跡と呼ぶべきなのだろう。
 実際、天井も壁も崩れ放題の荒れ放題で、明日にでも岩と砂だけに成り果ててしまうのではと心配になるほどだから、村のみんなの感覚ではただの廃墟なのかも知れない。
 そもそも本当に神殿だったのか、だとしたらどんな神様を祭っていたのか、今となっては誰にも判らない。
 探検好きの子供たちに、村の大人は言う。
 あそこで遊んでは危ないよ。
 魔物に連れて行かれてしまうよ。
 あそこは天使が飛び去ったところ。
 誰も、足を踏み入れてはいけない。

 だけど私は知っている。
 山に沿って階段状になっている神殿の最上段に、砂に埋もれかけた小さなホールがある。
 小さいと言っても神殿の中では多分一番広い空間で、にもかかわらずそこだけが、天井が抜けたり壁が落ちたりしていない唯一の部屋だった。
 ホールの中央には、10人くらいが余裕で立って歌える程の円形の舞台があって、人間の背丈の倍ほどの高さの柱が5本、等間隔に舞台を取り囲んで立っている。
 ただし先端まで残っているのはこれまた1本だけで、その天辺には大分輪郭を失いかけた少女の石像が、舞台を見守るように腰かけている。
 以前はきっと美しかっただろう少女像。
 それでも微笑を浮かべた目元や、微かに開かれた口元は、長い年月を経た今でも優美で穏やかな雰囲気を漂わせている。

 一目見て判った。
 彼女は天使に違いない。
 そして、ずっとずっと、歌を歌い続けている。
 彼女の最愛の人のために。

 なのに、それを勇んで報告しに帰った、まだ小さかった頃の私に、お母さんは怪訝な顔を向けた。
『ああ、あの像のことだね。だけど翼も無いのに、どうして天使だと判るんだい? それにね、天使だったら、恋の歌なんか歌わないよ。天使は人々に等しく慈悲を垂れるものだから、たった一人に恋したりなんかしないんだよ。さあ、もうあんな危ない所に行ってはいけない、分かったね』
 信じないのなら、それでもいい。
 だって、私はちゃんと、知っている。

 私はその天使の少女が大好きで、今でも内緒で会いに行く。
 そして、彼女に私の歌を聴いてもらうのだ。
 ああ、今日は何の歌がいいだろう。
 明後日の春分祭で歌う歌とか・・・・・・



「イーリィーっ!」
「きゃあ!」
 いきなり背後から抱きつかれて、ぼーっと歩いていたイリィは、思わず大きな悲鳴を上げる。
 背中から白いエプロンの上に回されたのは、小麦色に日焼けした悪戯っ子の手だ。
「もう、ジーロってば、いきなり何するのよ!」
 うっかり独り言のように呟いていたわけではなかったので、何を考えていたのか聞かれたはずはないのだが、それでも何となく顔が赤くなっている気がする。ので、照れ隠しと、びっくりさせられた分のお返しに、軽く手の甲をつねってやる。
「痛って! 何すんだよ!」
 ジーロは慌てて手を解いて、わざとらしくふーふーと息を吹きかけた。
「それはこっちの台詞です! 急に抱きつくなんて失礼だし、びっくりするでしょ!」
「いいじゃん、オレとイリィの仲なんだしさ」
 そう言ってにかっと笑うと、やんちゃそうな顔いっぱいに、元気な白い歯がこぼれる。
「どういう理屈よ、それ」
 一応反論はしてみたものの、確かにジーロの屈託ない笑顔には、何でも許してしまいたい気分にさせられるものがある。

 ジーロは鳶色の短い髪と、焦茶色の瞳を持つ、10歳の男の子だ。
 日焼けした手足には常に生傷が絶えないような、やんちゃで生意気な性格をしている。
 そして、ジーロはこの村で唯一の、イリィの友達だ。

「でも、どうして私がここに来るって分かったの?」
 村からずっと後をつけてきたとか、遠くに見かけて慌てて走って来たとかいうのなら、こんなに見通しのいい場所で気がつかなかったはずがない。
 いくらイリィが妄想力全開でボンヤリ歩いていたとしても。
 ということは、もっと前からジーロはこの辺りに一人でいたということになる。
「だってさ、もうすぐ春祭りなんだぜ。イリィだったら絶対、ここに歌いに来ると思ってさ! どーだ、図星だろ?」
「・・・ええ、まあ」
「やっぱりなー。オレ、イリィの歌好きなんだ! ほらアレ歌ってよ、”愛しい花”!」
「ジーロったら! それは恋人に捧げる歌でしょ!」
「えーいーじゃん! オレら、恋人みたいなもんだしさ!」
「5つも年下のくせに、何言ってるのかしらね、おマセさん!」
「何でさ! ロッゾの親父なんて、8つも年上のカミさんゲットしたんだぜ!」
「・・・・・・それは大人の話なの! それに、ジーロにはマリエッタがいるじゃない」
「マリィぃぃぃー? じょーだんだろー? 年下のくせにえらそうぶって、すっげナマイキなんだぞアイツ」
 鼻に皺が寄るほど顔をしかめて話すところがおかしい。
「お似合いじゃない、それ」
「やーめーろー!」

 そんな風に話しながら歩いていたせいか、二人はあっという間に神殿の入り口まで辿り着いた。
 本来の入り口は、道なりにもう少し登らなくてはならないが、お目当てのホールに行くのなら、ここの崩れかけた壁の破れ目から入るのが近道だ。
 イリィには、もう何度となく通いなれた道。
 壁の破れ目を潜るのにだって、銀色のおさげ髪や長いスカートを引っ掛けるようなことはしない。
 続いてジーロも、身軽にひょこんと壁を潜る。
「じゃあさー、”春の風”はー? それかさー」
「だからそーゆう歌はまだジーロには早いわよ。そうねえ、これなんかどう? おやすみ わたしの 愛しい子〜」
「何だよそれ、子守唄じゃん。ガキ扱いかよ」
「あら、いい歌よ? それとも聴くのやめて帰る?」
「うー」
 ふくれっ面で、それでも素直に着いて来るジーロである。

 通路を進んでホールに入ったイリィは、いつもそうするように天使像に丁寧なお辞儀をし、それから目を閉じて息を整える。
 歌を紡ぐ前の一瞬の静寂。
 イリィが一番好きな瞬間だ。



 おやすみ わたしの 愛しい子
 輝く面に 祈りを重ね
 歌う天使の まなざしに 
 導かれしは 夢の通い路
 まばゆき炎が おまえを照らす
 白き腕に 抱かれつ
 今ひとときは 安らぎて
 おやすみ わたしの 愛しい子



 何故だろう。
 子守唄なんて、ずいぶん長いこと忘れていた。
 ジーロに会わなければ、きっと歌おうなんて思いもしなかった。
 懐かしくて、ちょっと切ないメロディ。

 ああ、そうだったんだ・・・。
 天使が歌っているのはきっと、子守唄。
 愛しい人に捧げる安息の歌だ。

 静かな空間に、イリィの歌だけが満ちていく。
(ああ、そうじゃない。これは私の声を借りた、天使の歌・・・)



 その時。
 どさっと、派手に何かを放り出したような音が、妙に大きくホールに響き渡った。

「痛っー・・・・・・ったくあのバカ! どこに放り出しやがる!」
 それは、さほど大声ではなかったが、不思議な響きを伴ってイリィの耳に届いた。

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