小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第31話 それぞれの一歩  



 振り向けばそこにはいつも、冷たい暗闇が優しい腕を広げながら、そっと静かに佇んでいる。
 迷うことなくその手を取ることが出来たなら、どんなにか・・・・・・。



「うっわあぁぁ!」
「・・・・・・キレイ!」
 黄色い花で埋め尽くされた一面の花畑に、フェグダとイリィは同時に歓声を上げる。
「こりゃ絶景だなー。なんつーかこー、疲れも吹っ飛ぶ光景だよなあ」
「ええ。・・・・・・だけど、ここの花が咲く時期はもっと先だった気がするんですけど・・・・・・?」
 イリィが首を傾げた、ちょうどその時。黄色い花が一斉にもこもこっと揺れて、花の間からどばっと白っぽい点々が飛び出す。
 蝶だ。
 しかも、ものすごい数の。
 それが群れをなして飛び立つ様は、壮観というか、一種異様な光景ではある。
 蝶の大群は、そのひらひらした飛び方からは想像もつかないような速さで舞い上がると、たちまち散り散りになってどこかへ飛び去って行く。まるで、嵐の前触れのように。
「あれ?」
 不意に、ぱらぱらぱらっと大粒の雨が二人を襲う。
「嘘だろっ!」
「こんないいお天気なのにどうして急に! ・・・・・・あら?」
 マントを被る暇も無く、雨は降り始めたのと同じくらい唐突に、ぴたっと呆気なく止んだ。
「何がどーなってんだ?」
 呆然とする二人の耳に、聞き覚えのある笑い声が飛び込んで来た。
「あーあ、また失敗!」
「・・・・・・だから、こういう細かいコントロールは苦手だって言ってる」
「あははははっ! もっと練習すれば? 体術くらい熱心にさ」
「簡単に言ってくれる」
 花畑の中で、冠や首飾りや腕輪など大小様々な黄色い花輪を量産している真っ最中なのは、赤い髪の小さな妖精さん。
 そのすぐ傍で、頭の下に腕を組んで寝転んでいるのは、長い髪の少年。
「アシェル! カリムさん・・・・・・!」
「お、お前ら、何でこんなとこにいんだよっ!? てか、このふざけた騒ぎはお前らの仕業かっ!?」
「騒々しい奴だな」
 いかにもかったるそうな態度で、カリムが半身を起こす。
「わあイリィちゃん久しぶりっ! 元気だった?」
 ピョンと飛び上がったアシェルが、再会の感激もあらわにイリィの首に抱きついてぶら下がる。
「あ、はい、元気です。アシェルちゃんも元気そう」
「ふふふ、モッチロン!」
「おーい?」
「で、その格好どしたの? どっか行くの?」
「実はちょっと色々あって、村を出て来たところなんです。それより私、二人にお礼を言いたくて」
「お礼? ボクたちお礼なんか言われるようなこと、何かしたっけ?」
「さあ?」
「お前らー?」
「でも、私はすっごくお世話になったと思ってるし、どうしてもお礼を言いたいんだから、お願いです、言わせてくれませんか?」
「そういうお願いって初めてされちゃったよ。何だか照れるなー」
「もしもしー?」
「何かここ、うるさいね。あっち行こっか、イリィちゃん!」
「あ、はい!」
「じゃあ、それまで寝てる」
「って、お前ら無視すんなよな!」
 一人取り残されたフェグダが空しく吠える。



「ふーん、それで黙って出てきちゃったのかー」
 例によって少し離れた所に引っ張って行かれたイリィは、興味津々のアシェルによって、村を出て来た顛末を根掘り葉掘り質問された。
「ええ。お母さんは許してくれましたし、他のみんな宛てには置手紙して来ましたけど」
「そっかー。ジーロ君なんて、手紙読んだら置いてきぼりにされたって怒るかもなー。でも、面と向かってサヨナラ言ったら、ついて行くって駄々こねられそうだしなー」
「ホント、そうかも」
 想像するまでもなく、その光景が目に浮かぶ。
「だけどいいの? あんなのと一緒でさ」
 アシェルは思いっきり胡散臭そうな目で、今正にカリムに向かって食って掛かろうとしているフェグダを見やる。
(彼が、例の・・・・・・)



『・・・・・・あの番人の男のことを覚えているか?』
 三度目の失敗の後で、カリムはぽつりとそんなことを聞いてきた。
 珍しい気がする。カリムが話を蒸し返すことは。
『あー、キミ付きの番人だった? 大して知らないヒトをどーこー言うのもアレだけど、はっきし言って、見るからに陰険っぽいカンジで、いっつもむすっとして不機嫌で無駄にえらそーで、何考えてるかさっぱり判んないヤな奴! あんなのとはお近づきにならない方が身のためだとボクは思うねっ! カリムもいつまでも気にしてないで、さっさと忘れちゃった方がいいよ絶対!』
『残念ながら、それは手遅れだな。・・・・・・離宮が燃え落ちたあの日、俺は奴と契約した。互いの立場を利用して塔での地位を確立するために。だからどちらかに利用価値がなくなれば、解除していい条件だった。例えば俺が塔を去れば、奴にとって俺には価値がなくなるどころか、逆に足を引っ張ることになる』
『だからキミの契約はとっくに解除されてなければならない。けど?』
『奴の魔術師としての力量があれば、この地に結界が張られた状態だったとしても、ある程度は俺の居場所の見当はついただろう。ましてや今は守護者の結界も消えて、お前があの母親を解放した時点で黒翼の結界も消滅している。俺たちを始末しに天使狩りが送られたなら、もうとっくに遭遇しているはずなんだ』
 事実上、天使狩りの所属する第五軍管理部隊は、番人の傘下にある。番人の長が派遣に無関係なはずがない。どころか、さっさとカタを付けて手柄にすれば、それだけ発言権も増すというのに。
『・・・・・・ったく腹立たしい! この期に及んで、まだ何か企んでやがるのか? しかも、どうして俺が奴の思惑なんて下らないことを気にしなけりゃならない!?』
 カリムは険しい目を、この場にいないはずの相手に向ける。
『要するに、彼には契約を解くつもりがない。ひょっとしたらカリムを脱走天使扱いすらしてない可能性が高い? ・・・・・・実際、ボクらは転移門に落っことされて聖都を離れたわけで、自分の意志で出て行ったんじゃないって主張も出来なくはない。すっごく苦しい言い訳だけど』
『ったく、わけが解らん!』
『単にカリムのことを眺めてたいって理由だったとしても、別に驚かないけどね』などという不用意な発言は差し控えることにする。
『番人の長って、派閥だらけの塔の中で、そんなに影響力あったっけ?』
 アシェルの知る塔の組織図は、過去のうろ覚え程度のものでしかないが。
『ここ数年で、かなり上層部にまで食い込んでいる。やり手だよ、奴は。それに・・・・・・』
 カリムは思案気に目を細める。
『偶然みたいな顔をして現れた、あの天使・・・・・・』
『ああ、そんなのもいたっけ。すっかり忘れてた。ええと・・・・・・フェグダってったっけ、結局何しに来たんだろ? ボクらを追ってだったら、タイミングが良過ぎと言うか、現れるのが早過ぎと言うか。ホントに偶然じゃないのかな』
『この近くをうろついていたのは、偶然だったかも知れない。だが、何かが腑に落ちない・・・・・・』
『そう言えばさ、彼、金色の耳飾りしてたよね、三角の。それ、番人のあいつもじゃなかった?』
『そうか、通りで見覚えがあるはずだ! 最近は付けているのを見ていないが、以前は、そうだ・・・・・・』
『じゃあ、フェグダは番人の一族? それとも彼の個人的な身内!? いや、でも、あの陰険男に同族意識や身内意識って、ちょっと想像つかない・・・・・・』
『そうか? 隠している顔がどんなのだって、今更驚かないと思うが』
『冗談! 実はお茶目なマイホームパパだったとか、絶対に考えたくないね!』
 自分で言っておきながら、うっかり想像してしまったアシェルは、本気で青くなって身震いする。
『けど冗談抜きでさ。素性がどうあれ、あんなのがそこらをウロウロしてたんじゃ、ボクたちのことは塔に筒抜けになっちゃうよね? さっさとどうにかした方が良くない?』
『・・・・・・それなんだが。考えようによっては、奴が俺たちの動向を把握したいなら、敢えて乗ってやるのも悪くないと思う。奴がどういうつもりか知らないが、』
 カリムは一瞬、心底嫌そうに顔を顰める。
『それで天使狩りに煩わされる心配は格段に減ると思う』
『そうかな? いくら何でも見通しが甘過ぎない? 下手したら派手に足元すくわれちゃうよ?』
『その時はその時だ』
『・・・・・・言うと思った』
 実際、試してみないことには何も判らないことも確かである。
『アシェル』
 打って変わった真剣な声に、アシェルははっとしてカリムを振り向く。
『俺はもう一度、塔に行くべきなのかも知れない。行って、色々とカタを付けなきゃならないのかも知れない・・・・・・。アシェル、頼みがある。もう少しだけ、俺に付き合ってくれないか?』
 カリムの目が、真っ直ぐにアシェルを見ている。
『それなら聞くけど、キミはボクの望みを覚える?』
『ああ、覚えている。俺はお前と、ずっと一緒にいる。塔だろうが、黒翼の居城だろうが、魔物の包囲網の真っ只中だろうが、どんな危険な所だろうが、もう二度と、絶対に置いて行ったりしない』
 深く蒼い瞳の中に、アシェルの緑色の瞳が映る。
『なら、改まって聞く必要なんか無いよ!』
 アシェルはくるりと背を向ける。上気した頬に、気付かれたくなくて。
(い、今更ハズカシイとか、何やってるかなボク。どうせカリムのことだから、深いイミなんてあるハズないんだからっ・・・・・・)
 どこどこ跳ねまくっている鼓動を必死に宥めながら、アシェルは首を少しだけ傾けてカリムを窺う。
『・・・・・・そ、それにしても、肝心のフェグダ君はちゃんと追いついて来れるのかな?』
『さてね。あれにもあれなりに思うところがありそうだが・・・・・・自分がスパイにされてるとしても、その自覚があるかは怪しいものだな』



「ち、違いますっ! フェグダさんと一緒だなんて、誤解ですよ!」
 思いがけないイリィのうろたえっぷりに、アシェルは思わずたじろいでしまう。
「その、フェグダさんとは次の街まで行くだけで、その後のことは全然!」
 自分でも思いがけなく、的確な質問をしてしまったらしい。アシェルは、口元に人の悪いにまにま笑いを浮かべる。
「だよねー。だってイリィちゃんのお目当ては・・・・・・」
「違います違います違いますっ!」
 アシェルの言わんとすることを瞬時に察したイリィが、全力で否定する。
「えー? ボクまだ何も言ってないけどー? 一体何が違うのかなー?」
「やめて下さいよぉ・・・・・・」 
「だ、け、ど! 他にどんな理由があったら、後先考えずに村飛び出して追っかけようなんて思って実行出来るのさ? それ、好きだからってことでしょ? スナオに認めちゃいなよ、気が楽になるよぉ」
「えっと、えっと、えっと・・・・・・」
「んー? どうしたのかなー?」
 進退窮まるイリィに、追い打ちをかけるアシェルだったが。
「・・・・・・私! アシェルのことも大好きよ? これからもずっと仲良く出来たら最高なんだけど、それじゃダメ?」
「・・・・・・」
 開き直ったらしいイリィに正面きって真顔で言われて、アシェルは一気に脱力する。
 清純派の破壊力、恐るべし。
「あーもー! 分かった、降参! 十歩、いや百歩、でも足りないか。ええい! 百万歩譲って! カリムのこと見てるだけなら許す!」
「え? ええ? でも、ありがとう。それって、みんなで仲良くしようって意味よね!」
「ま、まあねっ!」
(イリィちゃんってばカワイイ! けど、完全に恋する乙女モード、しかも無自覚って・・・・・・もしかしたらすっごい強敵かも・・・・・・?)
 内心フクザツなアシェルである。

 一方、フェグダは。
「お前! あの時はよくもやってくれたよな!」
「ああ? 何かあったか?」
「ンのやろー! 忘れたとは言わせねーぞ! 俺がちょっと大人しくしてりゃ、チョーシ乗っていいように利用しやがって! 何様のつもりだ、ええっ!?」
「済んだことを、細かいヤツだ」
 フェグダの啖呵は、完全に不発に終わる。
 が、ここであっさり引き下がるわけにはいかない。同道するつもりはないにしても目を離すつもりがない以上、このまま付け上がらせては後々苦労するのは目に見えている。それに相手が何者だろうと、少しは敬意を持って接することを覚えて然るべきだ。
 フェグダは脳みそフル回転で、糸口を探す。
「お、お前こそ! 女みてーにズルズル髪伸ばしやがって、鬱陶しい!」
「・・・・・・何だと?」
 蒼い瞳がすっと細められ、思わず及び腰になりかけたフェグダは、ありったけの根性を総動員して耐える。
「おう! 見たまんま、本当のこと言っただけだろ! 何か文句あんのかよ!」
 下らないイチャモンもいいところなのだが、こうなっては撤回もままならない。が、
「そういうものか?」
「は!?」
 売り言葉に買い言葉と思いきや、カリムはフェグダから目を離して、思案するような素振りを見せる。
「今まで言われたことは無かったが・・・・・・そうだな。考えてみれば、確かに邪魔だ」
「え、あ?」
 面食らうフェグダの横を、す、とカリムが通り過ぎる。
「借りるぞ」
 その手には、フェグダの短刀が抜き身で握られている。
「あー、お前また勝手に! てかちょっと待て!」
 思い立ったら即実行。カリムは片手で束ねた髪を掴み、無造作に短刀を押し当てる。
 寸前で。
「キャーっ!」
「ダメーっ!」
 短刀を構えたカリムの腕に、超スピードで飛び込んで来たアシェルがしがみつく。
 その背後には、今まさに殺人事件を目撃する瞬間のような顔をしたイリィが。
「ああ、別に何でもない。ちょっと髪切ろうと思っただけだから」
「それがダメだってのーっ!」
「あ?」
「あ、じゃないでしょ! そんなキレイなの、切るなんてもったいない! てか絶対ダメ! そんなのボクが許さない!」
 実力行使とばかり、アシェルは短刀をもぎ取りにかかる。
「まあ、お前がそう言うんなら」
 されるに任せて、カリムは短刀を手放した。
「はーっ」
「良かったー」
 奪い取った短刀を即座に投げ捨てたアシェルと、微動だにせず成り行きを見守っていたイリィが、揃って大きな息をつく。
「何を大げさな、てか、俺の短刀に何しやがる・・・・・・」
「うるさい! そもそもカリムに余計な事言ったのは誰!?」
 アシェルはぎっと凶悪な目つきでフェグダを睨む。
「え、俺!?」
「そうだよ! 覚悟はいいね!」
「いいわけないだろっ! あいつが自分でやったんだぞ! 俺に何の責任があるってんだよ!?」
「問答無用!」
「ねえアシェル、もうその辺りで許してあげて」
 今にも噛みつきそうな勢いのアシェルを、見かねたイリィがやんわりと制止する。
「おお、イリィちゃん! キミは天使だ!」
「えー? 何で止めるのさー?」
 勢いを削がれたアシェルは、あからさまにホッとしているフェグダを睨み付けたまま、不満げな声を上げる。
「だってほら、最悪の凶行は防げたんだし、フェグダさんだってもう十分懲りたでしょうし・・・・・・懲りましたよね?」
 おっとり声にも関わらず、内容は意外に辛辣だったりする。
「イ、イリィちゃんまでそんな・・・・・・」
「ごめんなさいフェグダさん、こればっかりは譲れませんから」
「勘弁しろよ・・・・・・」
 多勢に無勢。諦めるしかないフェグダは、のん気に明るい空を恨めしそうに仰ぐ。
「んーじゃあ許してあげるとしてー・・・・・・ボク、そろそろお腹空いちゃったなっ! 街まで行ったら、何かおいしいものが食べたいなー」
「それなら酒もな」
「うん! それからねー、泊まるなら浴場付きの豪華な宿がいいなー。この国は有名な温泉地がいっぱいあるんだよねっ?」
「そうですね、一番近くて有名なのは・・・・・・」
「待て、ちょっと待て! それ全部俺にたかる気かよ!?」
「え? まだ反省が足りないって?」
「だから何でそうなるんだよぉ」
 三者三様の視線の集中砲火を受けて深い深いため息をついたフェグダの頭上に、青白い蝶がひらりと舞って止まる。
(蝶にまで慰められてりゃ世話ないぜ・・・・・・。まあ、何だ、これで怪しまれずに同行する言い訳が立つんだったら、渡りに舟って言えなくもない、か?)
 釈然としない気持ちは大いに残るが。
 フェグダの新たな受難は、まだ始まったばかりである。



 今も闇はすぐ傍に寄り添っていて、変わらずに優しい手を差し伸べている。 
 甘美な誘惑を振り切るのは苦しい。
、なのに何故、何を求めて、灼けつく光の中に立ち続けるのか。
 それでも、もう少しだけ、闇から目を背けていよう。
 心配することはない。それはほんの束の間のこと。闇はきっと、変わらず待っていてくれる。
 永遠にも等しい束の間の一瞬を、儚く確かなこの手を取って、今は共に光を歩こう。



 


                  了




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