矢木矢さんの家からあたしの住んでる周辺はそれほど遠くはなかった。
驚きだ。
ブンブンと、バイクの音が鳴っている。
早くて早すぎてまるで風になったみたいだった。
怖いけど、ちょっと寒いけど、スースーして気持ちいい。
『いっその事、風になりたいわね…』
ずっと前にあの人が言った言葉が頭をかすった。
この感じ、あの人にも味わせたいな。
…無理な話だろうけど。当分は。
「ここでおります」
バイクがラーメン屋のそばで止まる。
「もしかして君ん家ってここなわけ?」
ラーメンをすする音が聞こえた気がした。
「…違いますよ。ほら、左側にあるマンションがあたしの家です」
「んー 朝と何か違う気がするんだけど」
「そうですか? …あ」
「どうしたの?」
そういった矢木矢さんの顔は『だから言っただろ?』とでも言いそうな得意げな笑みを浮かべていた。
少しイラッとした。
「違う、ここ。本当はこのマンションの少し奥のほうのマンションだ」
「やっぱりね」
…この人、記憶力半端ないな。
そういえばあの和室にあった本は全部あの人の物なんだろうか。
あの家には一人で住んでるんだろうか。でも家族と一緒に住んでるとも思えない。
「矢木矢さん」
「…次は何?」
少しめんどくさそうにバイクのヘルメットをかぶりながら問う矢木矢さん。
「一人暮らし?」
「……」
沈黙が流れた。
でもすぐに口は開かれた。
「だれが?」
「矢木矢さん」
「そんなことべつにどうだっていいだろ?」
…予想もしてない切り替えしだ。
「じゃあ、あの難しそうな本は全部矢木矢さんの?」
「見たな」
「…矢木矢さんって頭いいんですね!」
「俺一応、大学で心理学受けてるからいろいろ読んどかないと授業全然わかんないんだよねぇー」
へー、頑張ってるんだ。すごいよ
「授業なのにわかんないって矢木矢さん頭悪いん…」
ピチッ
「ッ痛ううぅ」
でこピンが飛んできた。見事にクリーンヒット! 前見てるのにクリーンヒットしたよ。背中に目があるみたい。
「うるさい。専門用語すぐ忘れるから読んでんのっ!」
「はいはい。でもすぐ忘れるって事はやっぱバ…」
「またでこピンするよ?」
うあぁぁ、バカって言う前にまた…!!!
怖いよ矢木矢さん。勘鋭いよ。この人なめちゃいけない気がする。絶対いけないな。うん。
「すみません。忘れてください」
「そうしたいねぇ でも俺案外記憶は残るほうだからさぁ。ねぇ?」
意味深な問いかけだ… 矢木矢さんはお得意の
゛笑いながら少し相手を脅す゛
をあたしに向けてやっている。
どう答えればいいんだよ。彼の背中から威圧感を感じる。
幻ではない。現実に。キャー! 絶叫だ。
「はい、ついたよ」
「あ、ありがとうございました」
気づけばマンションの前。意味深な問いかけには回答不可なままである。
(…別にどうでも良いけど)
「いつでも来なよ」
「…まぁ、気が向けば」
「来ないとズル休みしたの学校に教えちゃうよ〜?いいの?」
今わかった。
この人絶対Sだ。
Sでしょ。
「行きますよ!行けばいいんでしょっ」
「別に来なくても良いけどねぇ。ベーつーにー」
…このS男めっ!