小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【プロローグ】

 その日も文句無しの晴天だった。あまりにも気持ちのいい朝なので、洗濯物を干しているとつい鼻歌が出てしまう。ひととおりの家事を終え、ひととおり剣の素振りをしたフリッツは、いつものように師匠の使いで近くのフラン村に足を運ぶ。近いとはいっても片道三時間の辺鄙な道を行かなければならばいが、それはいつものことだった。慣れたサンダルに、腰には木刀と水筒袋を吊って出かけた。

 フラン村に付く頃には、すっかり陽も高く昇っていた。木を組んで作られた村の門をくぐったフリッツは、小さな人だかりに気がついた。正確に言えば、小さな人の人だかりである。大人達はもう農作業に出かけてしまっており、子供たちが自然と外に集まってきていた。しかし、今日は少しいつもと様子が違うようだ。

「どうしたの、みんな」

 フリッツは子供たちに声をかけた。群がっていた子供たちは、一斉に顔をあげる。フリッツは彼らに視線を合わせるためにすこししゃがんでやった。子供たちはフリッツだとわかると、少しにやっと笑った。

「あっ、泣き虫フリッツだ!」
「泣き虫フリッツだぁ」

 子供たちの言葉を聞き、フリッツは呆れるやら虚しいやらでため息をつく。

「あのねえ。もう泣かないよ、子供じゃないんだから」

 いい加減に昔の話を引きずるのはやめて欲しいとフリッツは肩を落とした。仮にも年上である自分に対して、朝っぱらからこの言い草はどうだろうか。子供たちは口々に勝手なことを言い出した。やんややんやと、次第に騒がしくなってくる。

「デコっぱちは黙っててよ」
「余所者のお前なんかにゃ関係ないよーだ!」

 そのうちの一人が生意気にあっかんべえをして見せる。フリッツは苦笑いを浮かべた。

「ほんと、きみたちひどいよね。いい加減にしないとぼくだって」

 怒るよ、と言葉を続けようとしてフリッツは目を見開いた。フリッツはそこで初めて、子供達が何を囲んでいるのかを知った。その隙をついて一人の子供がフリッツの額を指で弾く。不意を突かれたフリッツは驚いて額を押さえ、バランスを崩して尻から地面に落ちるという滑稽な芸当を一瞬でやってのけた。

「あ痛っ!」
「やーい、ひっかかったー!」

 地面に膝をついたフリッツを尻目に、子供たちは互いに顔を見合わせて一斉に逃げて行った。

「…もう。最近の子供は」

 フリッツは立ち上がって、子供達が散って行く様子を恨めしく眺めた。

 フリッツは村外れに住む見習い剣士だ。眉がいつも気弱そうに垂れ下がっていることと、やや額が広いことから、村の子供たちには始終ナメられっぱなしである。子供たちはフリッツを見つけ、隙をついてはわれ先にデコピンしようと飛びついてくるのだ。額が広い人は頭をよく使う人だというジンクスを信じ、ありがたそうにおばあさんに額をなでられたこともある。多感な年頃の少年にとってこれは重大な問題だ。

 ここは大陸最南端の小さな村、フラン。大半の村人は農業で生計を立てている。モンスターの出現率は低いが、それでも冒険者ギルド(冒険者のための組合)はひっそりと存在していた。北で戦いに疲れた冒険者達が、時折下ってきては滋味の豊かなこの土地で身体を休める。ごくたまに山賊が現れたり、冒険者どうしが喧嘩を始めることもある。しかしそれらも一時のことで、すぐに事態に収拾はつき、再び穏やかな日常が始まるのだった。

 いつものことだとフリッツはため息をつく。そして視線を落としたその先、つまり先ほどまで子供達が囲んでいた場所に落ちているものを見た。







【第一章 日常への乱入者】

 落し物、というにはちょっと大きすぎるものだった。

 そこにとり残されていたのは間違いなく行き倒れ人だった。髪の毛が顔にかかっており、表情は読み取れない。道なき道を突っ切ってきたのだろうか、ひどく出血している様子はないが、小枝で引っかいたような小さな傷がいくつも目立つ。服や装備はくたびれており、泥汚れが激しい。かなり長い道のりをやって来たようだ。

「…もしもし」

 フリッツは肩を軽く叩いた。反応はない。

「もしもーし」

 肩が動いているので呼吸をしているのだと知れる。生きているのだ。フリッツはほっとしたが、同時に複雑な気持ちになった。どうしよう、と考える。

 行き倒れ人など、どの村でもよくあることだ。モンスターや山賊に襲われたのか、はたまた路銀と体力がつきてしまったのか。どっちにしろ、行き倒れ人の世話をするだなんて真っ平だった。ある意味、目の前で死なれるよりもタチが悪い。村人いわく、死人は穴を掘って埋めてやればそれで済むが、行き倒れ人は違う。さらにフリッツの場合、足元を見られてたかられてしまうに決まっている。

 逃げようかどうしようか、人を呼ぼうかと迷っていると足元で音がした。見ると行き倒れ人がフリッツのズボンのすそをしっかりと握り締めている。身体は地面に倒れたままだが、顔だけをなんとか上げてフリッツを見つめている。

「……助けてください」

 今にも消えてしまいそうな儚げな声とは裏腹に、その目はぎらぎらと光って血走っている。埃にまみれ薄汚れた顔も凄みを増すのに一役買っていた。フリッツは恐れをなして逃げようとしたが、掴んだ手は離れない。

「……助けろ、って言ってんのがわかんないのかお前は!!」
「ひッ!」

 フリッツは思わずひるんだが、行き倒れ人はすぐにまた力尽きた。その勢いで頭を地面にぶつけてしまったらしい。しばらく様子を見ても動かなかったので、今度こそ本当に気を失ったかなと思った。置いて逃げようとしたが、遠くで畑仕事をしていた数人の村人の目はフリッツに向けられている。その迷惑そうな視線は「通りの邪魔だからはやく退かしてくれ」という意思表示だった。

「しかたがないなぁ」

どうして自分ばかりがこうも貧乏籤を引くのだろうと、フリッツは肩を落として行き倒れ人を負ぶった。





 村の一角に佇むフラン食堂では、つい先ほどまで女主人が食事時でもないのに忙しく働いていた。一仕事終えた今は、カウンターの椅子に収まって、だるそうに背中を壁に預けている。
 客は二人。正確には、たった一人だった。

「食べた食べた! 美味しかったあ。ごちそうさま!!」

 そう言って行き倒れ人はあっという間に大きくなった腹部を満足そうにさする。一方、フリッツは空っぽになってしまった自分の財布と、テーブルに延々と積み上げられた皿を見て哀しそうに溜息を漏らした。天井まで届いてしまいそうなほど高い皿の塔は四つほど出来ていた。いつもは持っていないことの多い財布が、なぜか今日に限ってポケットに入っていることが恨めしい。一方フリッツの正面に座っている息倒れ人は、腹を満たして満足そうに笑っている。

「いや、実際ほんとに助かっちゃった! どこぞの間抜けでも脅そうかと思ってたんだけど、なんせあの体力じゃさあ。助けてもらおうにも旅の汚れとか染みついちゃって、だあれも相手になんかしてくれないのよ、これが!」
「ぼくも脅されたようなもんなんだけどね」

 その呟きを耳聡く聞きつけた行き倒れ人はフリッツをぎろりと睨む。しかし口にくわえた骨付き肉はそのままだ。

「なんか言った?」
「……なんにもないです」

 行き倒れ人は、細身の身体でよくもまあそんなにと言いたくなるほど食べた。右胸に金属の胸当て、背中に矢筒。たったひとつの荷物である粗末な袋の中には、おそらく得手であろう弓が入っている。

「それにしても、まさか女の子だったとは」

 フリッツは、満腹で幸せそうにしている少女を見た。大きくて丸い瞳はかわいらしいが、吐き出される言葉の辛らつさの前にはそれも意味をなさない。短い前髪に、後ろで高く結ったピンクの髪が肩にかかっており、いかにも活発そうな少女だ。

「なにじろじろ見てんのよ。あんまり見ると金とるわよ」
「もうお金なんてないよ」

 負ぶってここまで連れてきてやって、ついでに食事まで奢っているというのにこの扱い。実に不本意だ。しかしそんなことを口に出せるフリッツではなかった。

「なによ。女が一人で旅して、行き倒れてちゃなんか文句でもあるの?」
「……なんにもないです」

 少女は自分と同じくらいの年齢らしく、15か16といったところだった。若い女性がたった一人で旅をするなど、南下する旅とはいえ狂気の沙汰だ。普通はギルドで冒険者を雇って同行させる。このフランから最寄りの集落までには少なくとも三日ほどかかるから、お供をつけて当然のはずだ。

 しかしこの様子では、最初から一人で来たようだった。家出かとも思ったが、その線はおそらく薄い。彼女のブーツは酷くくたびれており、ちょっとやそっとの時間ではここまで履き慣らすことは出来ないだろう。フリッツが考えていると、少女は不意に笑った。

「あんたが通りかかってくれて良かったわ。気が弱そうでちょっと脅したら絶対助けてくれそうなタイプだったもんだから大助かり。初めて神様ってやつに感謝したわ。パーリアの女神様も案外捨てたもんじゃないわね」

 お礼を言うべきは神様にじゃなくて自分にじゃないかとフリッツは思ったが、口にするのはやめておいた。そしてわかってはいるが、悩みの種である人相を他人に指摘されるのは複雑な気分だ。

「じゃあ、ぼくもうそろそろ行くよ。お使いの途中なんだ」

 窓から日の傾き具合をちらりと見、フリッツはおもむろに立ち上がる。この場から逃げ出したいことがばれたら困るなあと思ったが、意外に彼女はあっさりと承諾した。

「あらそう。引き止めて悪かったわね」

 少女は食後のお茶を啜る。やすやすと逃がしてくれるのは、もはや一銭も残っていない自分には用がないということだろうか。完全に少女のペースに飲まれ、すっかり萎縮していたフリッツは一刻も早くこの場から逃げ出したかった。少女は空になったコップをコンとテーブルに置いた。

「一応名前教えてよ。いつになるかわからないけど、もしもお金の余裕が出来たら返しに行くわ」
「いいや、とっといてよ。それじゃあ、ぼくはこのへんで」

 いったいなにがこのへんなのだろうかと、フリッツは自分のぎこちない言葉につっこんだ。そして「今だ!」と思い、逃げるように食堂から出ていった。後に残された少女は一人つぶやく。

「ありゃ、これ以上関わり合いたくないって顔だったわね。一応感謝してたんだけどなあ」

ふとコップの中身が空になったことに気がついて、少女はカウンターに向かって元気良く手を挙げた。

「おばちゃん、これと同じのもう一杯。お代はあの子にツケといて!」





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