【第二話 ギルド潰し、現る】
少女から逃げだせたことにほっとしつつ、フリッツはギルドへの道を急ぐ。自分より年長の男にならまだしも、同い年くらいの女の子にカツアゲされたとなっては、さすがのフリッツも落ち込むより他なかった。
フランの村は畑ばかりで見通しがよく、家々が点々と佇んでいる。のどかであるという点以外に何の魅力もないこの村には若者が少なかった。皆それなりの年齢になると、仕事や出会いや夢を求めて都市のほうへと出て行ってしまうのだ。しかし村にはまだまだ元気なお年寄りの姿が目立つ。いつもの見慣れた光景を目にしながら、なじみの道を通ってフリッツは目的地に辿り着いた。
一見、他の民家と同じように見えるその建物の傍らには、申し訳程度に「フラン冒険者ギルド組合」と書かれた看板が立っている。扉を開けると、こもっていた空気が押し寄せてきた。
「こんにちは」
薄暗い室内で、慣らすために目をしばたかせる。フリッツがカウンターに向かって声をかけると、ギルドの管理人は顔を上げた。若い頃に冒険者として旅に出ていた彼は、現役を退いた今でもなかなか逞しい体つきをしている。なじみの少年の顔を見て管理人は立ち上がった。
「おおフリッツか。例のもの、ちゃんと届いているぞ」
そう言ってしばらく奥へ姿を消すと、腕に荷物を抱えて戻ってきた。
「ほらよ、大事にするんだな」
「ありがとう、っと。少し重たいね」
カウンター越しに大きな包みを渡される。すべてがフリッツの腕に収まると、ずっしりとした重みを感じた。それは剣だった。覆っている布越しに、柄や鞘の感触がかすかにわかる。
「どうだフリッツ、ちょっとだけ見せちゃくれないか」
「うん、いいよ」
椅子に腰掛け、カウンターにその荷物を置く。しばらくごそごそと触って包みを解くと、出てきたものはなかなかの業物だった。思わず管理人がため息をつく。
「ほう、こりゃあ凄い!」
古い型だが幅の広いものではなく、諸刃でまっすぐなソードだった。柄の部分には小さいながらも美しい石がいくつか埋め込まれている。観賞用かとも思ったが、刃がやや黒ずんでいるところをみると実戦に使われたらしい。しかしそこにはさびも浮いており、長く前線に赴いていなかったことを物語っている。
「あの師匠さんが買ったってわけじゃないんだろう?」
管理人がフリッツの顔を覗きこみ、フリッツは首をすくめた。
「師匠にそんなお金、あるわけないよ。ぼくたちだってほとんど自給自足生活なんだから。たまにぼくがここへきて手伝いするくらいだしね」
「まあフリッツちゃん! こっちへ来てお茶でもどうぞ」
管理人の母親であるおばあさんが奥から顔をのぞかせた。しわだらけの顔にいっぱいの笑みを浮かべている。フリッツは出してもらった茶に息を吹きかけて冷ました。
フリッツはこのギルドが好きだった。秘密めいた雰囲気や、冒険者が情報を交換するささやく声や、息抜きにカードゲームに興じるのを眺めていた。神棚にはちょっとした彫像が奉られていた。戦いの女神パーリアである。壁に立てかけられた重そうな剣や斧、脱いでカウンターに積まれている兜や鎧。男たちの汗臭さや葉巻の香り。冒険者達は束の間の安息をここで過ごすのだ。フリッツはカップを片手に、彼らのたわいもないおしゃべりに耳を傾けた。
「そういえば最近、このあたりで山賊が盛んにでるらしいな」
「なにが凄いって、二人ともが弓使いなんだぜ! 普通ならバランス悪くてやってられねえよ」
「聞いた? 北のほうの堤防、決壊しちゃったみたいよ」
年季の入ったコルクボードには数枚の紙切れが挿されている。その中の一つにグラッセル公国のものがあった。どうやら先日の大雨で堤防が決壊してしまったらしい。修繕作業を行うので労働者を募る、とのことだ。一通り目を通す。なかなかいい値で雇ってくれるらしいが、フリッツには無理な相談だった。現場までは距離があるし、向こうに何日か滞在しなければならない。そんなことをしたら、あの出不精の師匠の世話をいったい誰がするというのだろう。洗濯物と食器を放置した末の惨状は目に見えている。
「どうだ? 師匠さんは元気にしてるのかい?」
管理人に話しかけられ、フリッツはカップから口を離した。
「相変わらずです。食えないひとだよ」
「はっはっは! あんな偏屈じいさんにつかまっちまって、お前さんも大変だねえ」
フリッツは自分でもそう思っていた。本当に、自分は大変な変人に捕まってしまったものだ。冒険者たちの噂話に耳を傾け、ついまどろみそうになった。朝早くから起きていたので、薄暗い場所にいるとどうもまぶたが緩んでくる。
「じゃあね、ぼく行かなくちゃ」
「おう、気をつけてな」
フリッツはまだ半人前で、修練所の終了証も手に入れていない。当然、腰に下がっているのは木製の偽者である。しかし今は背中に、先ほど受け取った剣を背負っている。自分の身長ほどもある剣を背負うのは違和感があるが、まんざらでもない。
出入り口に、磨かれた盾が無造作に置かれている。その盾に映った自分の姿を見て、フリッツはため息をついた。フリッツが剣を背負っているのではなく、剣がフリッツを抱きかかえているようだった。
フリッツはギルドの戸を開けた。薄暗い店内から外へ出たので目が眩む。一歩踏み出して、フリッツはなにかにぶつかった。あまりに突然のことに受身も取れず、本日二回目のしりもちをつく。
「あ痛っ」
ようやく外の明るさに慣れてきたフリッツの目に映ったのは、三人の冒険者だった。見ない顔だ。丸坊主の体格のいい男に、角刈りのやせた男、それに化粧の濃い女だ。見るからに悪そうな雰囲気を出している。
「ちょっと坊や。いきなりなにすんのよ」
「出入り口に突っ立っている方も悪いじゃないか!」とはとうてい言えなかった。丸坊主の男がフリッツの襟首を掴んで無理やり立たせた。
「おい坊主、管理人に伝えろ。おれたちゃいま流行のギルド潰しだ。一応形式にのっとって決闘を申し込むぜ」
フリッツは息を呑む。まさかこのギルドが襲われるなどとは夢にも思っていなかったのだ。ギルド潰しと聞いて、フリッツは覚えのある名を思い出し、つい口にしていた。
「ひょっとして、あの、ギルド潰しのダンテ?」
フリッツの問いに三人は一瞬お互いに顔を見合わせる。女がおかしそうにぷっと吹き出すと、男たちは下品な笑い声を響かせた。角刈りの男がフリッツの顔の前で唾を吐き散らしながら言う。
「ああ、そうとも! おれたちゃ有名なダンテの一味だよ。ほら、さっさと戦える奴を呼んでくるんだな」
そう言うと丸刈りの男は、フリッツの背を思い切り突き飛ばした。
こんなに天気がいいのに、今日は人生一番の厄日だ。行き倒れにカツアゲされ、おまけに今から目の前でギルドを賭けた決闘が始まろうとしているのだ。
フリッツが顔色を変えギルド潰しが現れたことを告げると、管理人も青くなった。一方、彼の母親である老婆はびくともしないでお茶をすすっていた。ギルド内の冒険者たちに助けを呼びかけるが、皆逃げ腰である。それもそのはず、いまその場にいるのは負傷し傷を癒しに来た冒険者たちが大半であったし、なにより相手がギルド潰しのダンテの一味であることが一同を弱気にさせていた。
「あまたギルド潰しはいるけど、名前が知られているのは奴だけだからねえ。よほど強いんだろうよ」
老婆はなんでもないように言った。
結局、すったもんだの討論の末に地元の冒険者三人が名乗りを上げた。しかしうち一人は高齢、もう一人は負傷中、最後の砦である大男は昼間から酒の匂いを漂わせている。昨日の悪酒のせいで二日酔いの真っ最中なのだ。そういうわけで、ギルドの前には松葉杖をつく老人、腕を包帯で吊っている男、真っ白な顔で口元に桶を当てている大男の三人が並んだ。
正直なところ、どう見ても頼りない。小さな子供が見たって、勝負の行方は一目瞭然だろう。
「よし、交渉しよう」
実力行使では勝てる見込みがないと踏んだ管理人は、意を決したように面を上げた。その表情はこわばっている。
「看板が欲しいなら持っていってくれ。ただし、ギルドの家屋に手を出すことはやめて欲しい」
やや声が上ずっているが、無理もない。こんな経験は後にも先にも二度とないだろう。フリッツは心の中で、管理人の精一杯の勇気を褒め称えた。なぜかフリッツは管理人の横に立っていた。心細いからついていてくれと懇願されたのだ。なんの助けにもならないことはわかりきっていたが、フリッツには大の大人の願いを断る根性はなかった。
「こんな薄汚い看板なんて、誰が欲しがるかよ。頼まれても願い下げだぜ」
交渉はあっさり決裂した。看板に向かって、ギルド潰しの男はつばを吐きかける。
「なっ、なにをするんですか!」
さすがのフリッツも狼狽した。いかにも悪役といった容姿の女が腕を組んで吐き棄てた。
「炊きつけにくらい使ってやってもいいけどねえ。あたしらは騒ぎを起こせりゃ、それでいいんだよ」
普通ギルド潰しはこんな田舎へはやってこない。こんな名も知られない村のギルドを襲っていったいなんになるというのだ。しかしそれでも、何年に一度かはこちらの説得にも応じないばか者がやってくる。要は、質より量を重視する者たちだ。
管理人の母親が、そろそろと椅子を持ってきてフリッツの横に座った。決闘を見届けようというのだ。フリッツはいざという時のため、おばあさんをかばうようにして立った。自分にはそれぐらいしかできない。「おや、頼もしいこと」とおばあさんは微笑んだ。
ギルドでくつろいでいた全員が外に出て見守る中、三対三の、ギルドの看板をかけた勝負が今まさにはじまろうとしていた。フリッツはごくりとつばを飲む。どう転んでも勝てる見込みはない。もしこちらが負けても、おとなしく看板を持って帰ってくれるような相手ではない。勝負あって、このならず者たちが暴れだしたら、自分はどうしたらいいのだろうか。フリッツは頭の中でぐるぐると考えていた。
「そっちから来ないんなら、おれたちから行かせてもらうぞ。覚悟しな!」
角刈り男が斧を振り上げ、フランギルドの面々は身構えた。皆いっせいに息を飲む。ついに始まった!とフリッツが全身に力を込めた。
その時だった。ギルドの壁に一本の矢が刺さった。張り詰めた空気に、ビィインという振動音だけが響く。目の前の角刈り男の頬に、一筋の朱が走った。
「あたしをおびき出すだけにしては、ずいぶんとしち面倒くさいことやってくれるじゃない。人様に迷惑かけて、いい大人が恥ずかしいわね」
村人はざわめいた。当の角刈り男は目を見開いたが、次の瞬間にはニヤリといやらしい笑いが浮かんでいるのをフリッツは見た。まるで獲物を見つけたといわんばかりだ。
「よく言うぜ。お前にそんなセリフを言う資格はねえよ」
「それもそうね」
不敵に笑って現れたのは、小柄な弓使いの少女だった。
「あっ、さっきの!」
フリッツは思わず声を上げた。見間違えるはずもない、あの行き倒れの少女だ。空っぽだった腹が満たされ体力が回復したのだろう、すっかり元気を取り戻した彼女は堂々と立っている。左手で弓を握り、右手はすでに矢筒に伸ばされていた。突然の暴挙といい、その雰囲気といい、彼女が只者ではないことはその場にいる誰もが一瞬で理解した。
「ずいぶんとお出ましが遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
女が紅い唇を舐めながら言った。
「腹が減っては戦は出来ぬ、って言うでしょ。悪かったわね、ご飯食べてたのよ。あんたたちみたいなザコは、腹ごなしにちょうどよさそう」
「なんだと…!」
少女の挑発に丸刈り男が怒りをあらわにする。まさに一触即発の空気が流れた。少女を一人で戦わせていいはずがないのだが、誰もどうすることもできなかった。フリッツも固唾を呑んでその場を見ているしかない。少女は口を開いた。
「かかってきなさい」
物凄い形相をしたと思ったら、少女は正面にいた角刈り男の個間を蹴り上げた。男はその場に崩れ落ち、断末魔の悲鳴を上げる。驚いた丸刈り男は反撃に出ようとしたが、時すでに遅く同じように急所を狙われた。続いて女の丸出しになっている腹部を肘で強打し、少女は見事三人のならず者をうずくまらせた。同じ男として、フリッツは少女よりむしろ蹴られた相手に同情した。フリッツも例にも漏れず、その場にいた男性陣のほとんどは、思わず股間に両手をやって内股になった。
しかし少女は何を思ったのか、突然方向を変えて脱兎のごとく駆け出した。
「てめえ! 逃げる気か」
罵倒する丸刈り男に、少女は一瞬だけ振り返る。
「場所を変えるだけ! 悔しかったら捕まえてみなさい」
起き上がった女が、怒りで目をぎらつかせながら残忍な笑みを浮かべた。
「狩の始まりってわけか。面白くなりそうだねえ」
三人はのそりと起き上がると、少女が消えていった方に向かって走り出した。
この展開に度肝を抜き、取り残されたギルドの衆と村人たちはぽかんとしていた。まるで嵐が去っていったかのように、村にはいつものような静けさが戻ってきた。少しの間の出来事に、フリッツも開いた口がふさがらないでいた。
「…行っちまったぞ」
誰かがそう呟いて、村人はやっとざわめきはじめた。
「静かに! もう二度と戻ってこない保証はないんだ。若い衆を畑から呼び戻してくれ! 今度やつらがやって来たら鍬で返り討ちにしてやる。農民魂ナメるなよ!!」
平静を取り戻し、自分のやるべきことを思い出したギルドの管理人は意気込んだ。「おーっ!」という掛け声がそこここで聞こえ、村人たちは活気を取り戻したようだ。少しすれば腕っ節の強い者たちが離れた畑から帰ってくる。全員でかかれば、ならず者とはいえ三人ほどなら追い返せるだろう。
ことの成り行きを見、フリッツは深々とため息をついた。張り詰めていた空気から開放され、糸の切れた人形のようにその場にへたりこむ。木刀を使うようなことがなくって本当に良かった。
「お疲れ様」
おばあさんが労わるようにフリッツに声をかける。木刀を支えにして、フリッツは気の抜けた笑みを浮かべた。
「なんにもしてないよ、ぼくは。ただ見てただけで」
そう、傍観していただけなのだ。それなのにこの疲労感ときたら、自分はいったいどこまで臆病者なのだろうと恥ずかしくなる。
「あの娘、無事ならええがのう」
おばあさんの呟きをしっかりと耳にしてしまって、フリッツはぎくりとする。
ならず者と行き倒れ少女、どちらが悪いにせよこのまま放っておくわけにはいかない。このままでは、少女はひどい目に遭うだろう。三対一で体格差もある。確かに彼女は強そうだし、あんな風に強気な態度をとっていたが、長期戦になったら少女が優勢に転ぶことはまずないと考えていい。
しかし、厄介ごとにこれ以上首を突っ込みたくはなかった。自分はいつものようにお使いに来た。もともとはただそれだけだったのだから。
まったく自分には関係のないことだ。フリッツは自分にそう言い聞かせ、回れ右をして走り出した。