小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第4章】

【第九話 試合中断】

 フリッツのトーナメント第四回戦目。今まさに試合が始まろうとしている時に、それはなんの前触れも無く起こった。

「な、なんだ!」
「地震か!」

 人々はざわめいた。突然の振動。不気味な揺れ。
 皆その場に伏せるか逃げ出すかで迷っているようだが、観客席が横一列に延々と並んでいる会場である、すぐに逃げ出すことは叶わなかった。しかし立っていられなくなるほどの強い揺れが来て、観客たちはその場にしゃがみこんだ。ルーウィンたち三人も、その場に大人しく待機する。ルーウィンとラクトスは身を低く保ちながら辺りを警戒し、ティアラは不安げな表情で揺れが静まるのを待った。

 しばらくすると、大地の揺れは次第に収まっていった。「なんだったんだ?」「怖かったあ」など、人々は安堵するために口々に話し始める。慌てて怖がってしまった自分たちを恥じ、なんでもなかったかのように笑顔で取り繕う者が多数いる中、ルーウィンはその警戒態勢を解いてはいなかった。ティアラがほっとしてルーウィンの顔を見ると、彼女はまだ厳しい顔つきをしている。

「…来る!」

 再び大きな揺れが起こった。同時に、闘技場の建物の一部にヒビが走り、音を立てて崩れ落ちる。続いてとんでもない崩壊音をさせ、闘技場の中心、リングのあたりからもうもうと砂埃が舞い上がる。人々は何が起こったのかわからず、悲鳴と混乱の中思い思いに走り出した。
 人の波にもみくちゃにされ、三人はしばらくなされるままに押し流されるしかなかったが、ルーウィンが近場にあった柵に捕まり、ティアラを見失う前に抱きとめた。ラクトスも自力で、二人の近くに踏みとどまっていた。五つほどしかない出入り口が人でいっぱいになると、やっと三人は身動きがとれるようになった。入り口から逆流するのは困難だったが、少しそこから離れれば身体は自由になる。

「リングの方からだったな、フリッツは!」
「ちゃんといるわ、あそこ!」

 ラクトスが叫び、ルーウィンは視界の悪いリングを指差した。砂埃に咽こんでいる様子のフリッツがおぼろげに確認できる。

「あれは…!」

 砂埃の中の揺らめく影に、ティアラは息を呑んだ。







 フリッツは突然舞い起こった砂埃に咽こんでいた。足元もまだゆらゆらと揺れているような気がする。平衡感覚を保ちながら、フリッツはなんとかその場に踏みとどまった。
 やっと視界が確保できる状態になり、反射的に浮かんだ涙を拭いながら、フリッツはあたりを見回す。おかしなことに、何も見えない。いや、見えないのではない、すでに見えているのだ。ただ、目の前にあるのは壁だった。端と端がわずかに見えるが、見上げてもてっぺんは見えない。フリッツの目の前、手を伸ばせば触れてしまうほど近くに、それはそそりたっていた。

 一歩退いても、その全景を把握することは出来なかった。でもなんとなく、壁には毛が生えていると思われた。もう一歩下がってみる。よりわからなくなった。十歩下がってみる。闘技場の壁が背中に突き当たった。そしてフリッツは唖然としてその場に立ち尽くした。

『し、試合中止です! 巨大モールが現れました!』 

 今更ながらの実況者の言葉に、フリッツは瞬間的に事態を把握し、そして青くなった。

『みなさん、落ちついて。押さないで、走らないでください…って出来るか! 逃げろー!』

 実況者がマイクを投げ捨て、身の保身に走ったのがわかった。それも仕方ない。目の前の巨大なモンスターは、人がどうこうできるような大きさではなかった。

「…どうしよう」

 目の前の圧倒的な大きさのモールに、フリッツは途方に暮れた。その高さは観覧席にまで及ぶ。おそらく闘技場の外からはモールの頭が見えているだろう。周りにはだれもいない。対戦相手はとっくの昔に逃げてしまったようだ。

(応援頼もうかと思ったけど、無理だよね。ぼくだって逃げたいし…)

 フリッツは後ろの選手出入り口に視線をやる。扉の向こうは、外へ逃げる人々でごったがえしている。すさまじい勢いで逃げ惑う人々。とても出て行けそうにはないし、逃げ惑う丸腰の人々を掻き分けることなどフリッツには出来なかった。
 幸いモールはまだ現れただけで、灯台元暮らし、フリッツの存在には気がついていない。何かの間違いで迷い込んでしまったのだろうか。モールがそれに気づいて大人しく帰ってくれないかなあと、フリッツは甘いことを考えた。しかし、その期待は見事に裏切られた。

 モールが突然動き出したのだ。

 不規則にうねり、頭部を観覧席にぶつけては破壊しはじめた。客席はただの瓦礫と化し、もうもうと埃が立ち上る。その動きと破壊力に飲まれ、フリッツは圧倒された。
 しかし観客席に逃げ遅れた親子の姿があった。うねるモールの身体は親子を直撃しようとする。親子は絶望的な悲鳴を上げた。

「危ない!」

 フリッツは走り、反射的に剣をモールに突き立てた。モールは一声鳴き、身を捩じらせるとフリッツの方に向き直る。フリッツは後ろ向きのままステップを踏んで体勢を立て直す。
 モールと目があった。全身をまっすぐな短い毛で覆われ、長いひげが五本ほどあり、それはまわりを探るように上下に動いた。顔が大きく、近い。モールは鼻先をフリッツに向けている。その鼻先からは生臭い息が漏れ、この巨大モンスターが残念ながら目の前に生きて存在しているのだということを示している。

 完全にモールを怒らせ、そしてこちらに注意を向けさせてしまった。しまったと思ったが、やってしまったことはどうしようもない。観客席で親子は手をとり、走りさっていったのが見えた。無事でよかった。
 だが、自分はこれからどうなるのだろう。

「…あぁ。なにやってるんだろう、ぼく」

 剣を構えてみるが、かなわないのは目に見えている。いったいどのようにしてこんな大きな相手を倒せというのだろうか。
 モールはフリッツのほうに顔を勢いよく突っ込んだ。その攻撃は、なんの心構えもできていなかったフリッツに直撃する。大きすぎて、避けようのないものだった。闘技場の壁は音を立てて崩れ、大きな穴が開いた。 
 フリッツは奇跡的に無傷で、べっこりとへこんだ壁を見て身の毛がよだった。安堵のため深く息を吐いたのもつかの間、自分が横になっている地面の不安定さに気がつく。
 そこはモールの鼻の上だった。
 フリッツが自分の失態に気がついたときにはもう遅く、頭を低くしていたモールは、鼻先の異物を感じながら顔を本来の高さに戻した。フリッツはあっという間に持ち上げられてしまった。

(落ちる!)

 フリッツは絶体絶命の危機に陥った。なぜすぐに地面へと転げ落ちておかなかったのかと、今更ながらに悔やまれた。必死だった。今は不安定な指先でなんとか掴まっているだけで、少しでも動かれればすぐ振り落とされてしまう。
 その高さは相当なもので、建物の四五階立てくらいのものに相当する。フリッツは下を見まいと、懸命に鼻にぶら下がった。この高さでは、落ちたら間違いなく命を落とす。鼻の違和感を振りほどきたい一心で、モールは勢いよく身を捩った。そんな力に、震えるフリッツの指先が耐えられるわけもない。

「うわ! ちょ、まって!」

 ついにフリッツの手は滑り落ちた。反動をつけて吹き飛ばされる。頭が真っ白になった。経験したことのない落下感と勢いに、フリッツはもうダメだと思った。そしてそのまま客席に突っ込んだ。
 痛い。確かに痛いが、座席や石材に思い切り身体をぶつけた感じではない。打撲に痛む身体をさすりながら起き上がると、そこにはラクトスが伸びていた。

「…ったく、危ね」
「ラクトス! 逃げてなかったの」

 受け止めようとしてくれたかは別として、ラクトスは飛んできたフリッツとぶつかったようだ。双方かなりのダメージがあったが、フリッツがなにもないところに身体を打ち付けるよりはましだったろう。地に足が着いているということはこんなにも心地が良いものなのかと、フリッツは深くため息をつく。正確には、しりもちをついているのだが。

「痛てて、頭打ったな」
「うわ、ごめん。背骨折って死んじゃうかと思った。助かったよ」

 ラクトスは頭を抱えながら、ゆっくりと身体を起こした。

「ミチルの言ったこと、覚えてるか。多分こいつは、守護鉱石の地層を突き破ってここへ来たんだ。それだけに、かなり手ごわい相手と見ていい。まあ、そんなことは見てわかるけどな」

 こんなに大きなモールは見たことが無かった。モールといえば田畑に現れて作物の根を食いちぎるような、そんなレベルのモンスターだ。闘技場にすっぽり収まってしまうほど、大きなモールなど理解しがたい存在だった。突然変異か、それともモールの成人はここまでの大きさを誇るものなのか。しかし、今はそのようなことに考えを巡らせている場合ではない。

「それに相当、怒ってるね?」

 フリッツはごくりと唾を飲んだ。巨大モールは、ただ迷い込んできょとんとしている様子ではなかった。
明らかに、怒っているのだ。今こうしている間にも、闘技場の観客席に頭突きをかまし、客席がただの瓦礫の塊になってしまったばかりだった。
 幸いにも人が逃げてしまった後で良かったが、意図的に人のいる方を狙われれば、かなりの犠牲者がでてしまう。

「しっかしこれだけ大会の選手が集まってるっていうのに、誰一人としてモールを打ち倒そうってやつはいないのか。情けねえなあ、おい」

 そう言いながらきょろきょろと出口を探しているラクトスに向かって、フリッツは苦笑いを浮かべる。

「そういうラクトスだって、逃げる気満々じゃないか」
「当たり前だ。誰があんなのと戦うかよ」
「フリッツさん!」

 ティアラが向こうから息を切らして駆けてきた。

「フリッツさん! モールさんとわたくしがお話できるよう、協力してください!」
「はあ? 正気か、この女」

 逃げようと言っていたところへ、ティアラが無謀な提案を持ってきた。ラクトスは当然、嫌な顔をして目を細める。しかしそんなラクトスの様子にもティアラはめげない。

「失礼ですね! 正気も何も、大真面目ですわ! わたくしは召喚士です、モールさんとの対話も不可能ではないかもしれません」
「いや、不可能だろ、どう考えても。なんかの話の読みすぎだ」

 ラクトスは呆れ返っているが、ティアラの瞳は真剣そのものだ。フリッツは一応ティアラに尋ねてみる。

「ティアラ、ちなみにきみがロートルと契約したのは?」
「かれこれ十年ほど前になりますわね」
「ブランク酷いな、おい」

 ラクトスがそう言うのも無理はなかった。確かに、召喚士のモンスターと対話するスキルが今も健在しているかの確証はない。第一、ロートルとの契約はある程度手はずの整った上での契約だったはずだ。ロートル自体大人しく、対話も出来る。
 しかし目の前の怒り狂ったモールは、とても対話ができる状態とは思えない。

「大丈夫です、わたくしを信じてください!」

 ティアラはフリッツとラクトスを交互に見た。ラクトスはその視線を睨み返した。

「信じられる要素がどこにもねえ! 却下だ!」
「じゃあ、いったいどうするのです?」
「どうするって、そもそもこれをどうにかしようとするのがおかしいだろ」
「ではこの事態をほうっておくのですか? いつかはケガ人が出てしまいますよ!」
「そんなのは、逃げ遅れたやつが悪い!」

 この非常時に二人はぎゃあぎゃあと口論を始めた。遠目にモールが暴れまわっているのを見て、フリッツは冷静に口を開く。

「…でもぼくたち、今まさに逃げ遅れてるんだけど」

 フリッツの遠慮がちな言葉に、ラクトスはぴたっと言い返すのをやめた。
 しばし沈黙があった。相変わらず、出入り口は人々が詰まっている。とても自分たちが逃げ出せる状況ではない。
 ラクトスはしばらく唸ったが、一つ舌打ちをすると頭を掻いた。どうやらティアラのとんでもない提案を否定することで頭がいっぱいだったようだ。

「ティアラに賭けてみようよ。この大きさじゃ、倒すことはできないし、このままじゃぼくたちも危険だ」

 ラクトスは色んなものを一気に飲み込んだような複雑な表情を浮かべたが、やがてティアラに視線を向けた。

「で、言いだしっぺ。どうやって話を聞かせるんだ?」

 自分の主張が通り、ティアラは意気揚々と答えた。

「呼びかけます! 大声で!」
「却下!」

 無情にもラクトスは即答した。

「まずはモールを落ち着かせろ。頭に血が上ってるなら、水でも被せて冷やせばいいんじゃねえの」
「なるほど。ではロートルちゃんを召喚しますね」

 ラクトスがふうと息を吐いた。実はラクトスは今、何も持っていない。観客の杖などの武器は、受付で預けることになっており、彼の手元には頼りに出来る武器が何一つ無いのだ。自分が戦力としてフォローに回れない分、自分たちが行動を起こすのを反対し続けていたということに、フリッツが気がついていた。
 ラクトスの魔法がない今、頼れるのはティアラのロートルしかない。

「詠唱時間は」
「少しかかります。援護をお願いしますわ」

 援護といわれて、ラクトスはばつが悪そうに苦笑いする。

「胸を張って言うことじゃないが、おれは今丸腰なんだが」
「ルーウィンさんが受付に預けてある杖と弓を取りに行ってくれています。ラクトスさんは、それを待ってください」
「援護ならぼくがするよ。ティアラが最後まで詠唱できたらいいんだよね。ティアラを護るよ」

 フリッツは自ら名乗りを上げた。それが今できるのは、残念ながらフリッツしかいない。ラクトスはその言葉を聞いて、にやりと笑った。

「お前、こいつの前で剣を構えてて、それで本当に大丈夫だと思うか?」
「え、どういうこと?」

 フリッツは首をかしげる。

「モールが万が一突っ込んできたら、あの壁みたいに大穴があく。そんな相手にお前の剣で太刀打ちできるとは思えない。ティアラを護るんじゃなく、ティアラに注意を向けさせないことが肝心だ。言ってる意味、わかるな?」
「フリッツさん。少しの間、頑張ってくださいね」

 ティアラは真面目な顔をしてフリッツを見つめた。ラクトスは声を張り上げる。

「お前がどれだけモールを引き付けるか。それがこの事態を収められるかどうかのカギになる!」

 ラクトスは力をこめてモールを指差した。要は言いようだ。フリッツは肩を落とす。
 フリッツはモールを見、ラクトスとティアラの顔を交互に見た。フリッツは二人の瞳に迷いがないことを悟り、乾いた笑いを浮かべた。

「…ははは。じゃあ、頑張って行ってきます」

 オトリになれ。
 ラクトスが言いたいのは、つまりそういうことだった。
 



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