小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第4章】

【第十話 怒りのモール】

 フリッツは自分のとっている行動が信じられずにいた。
 まさかこの巨大モールの目の前に好き好んで戻ってくるとは思いも寄らなかった。ついさっき鼻先で救い上げられ、かなり高い位置から振り落とされたばかりだというのに。
 モールの視界に、フリッツが映る。ゆっくりと、その大きな顔がフリッツのほうへ向けられた。

「…あはは。どうも」

 再び目があって、フリッツは愛想笑いを浮かべてみる。効果は無い。まるで無い。

 モールはフリッツを敵だと認識したようだ。鼻をひくひくと動かし、ヒゲを揺らす。その揺れ方は酷く神経質なもので、モールがフリッツに対して威嚇しているのがわかった。フリッツは剣を構える。しかし、いざとなったら逃げの一手しかないことはわかっていた。大きな頭で突っ込まれて、その広い範囲から逃れられる自信は無い。しかし、これもティアラの時間稼ぎのため。ティアラがなんとかしてくれることを信じて、なにがなんでもモールの注意をこちらに引き付けておかなければ。

 今までのモールの様子を見ていて、攻撃のパターンはだいたい読めた。頭突き。これだけである。
 シンプルであるからこそ、大きな図体による攻撃の威力は圧倒的だ。モールが大きいことで範囲が広く、攻撃がわかっても避けられない。

 モールが動いた。頭突きをしようと、わずかに身を後ろに退く。これが攻撃時の前兆だ。しかし避けるのはまた別の話で、剣で防げるようなものでもない。モールはフリッツしかいない観客席に向かって、ゆらりと頭を打ちつけた。ドォンという轟音と、瓦礫の砂埃が舞う。予測を立てていたのでなんとか避けたフリッツだったが、その威力に圧倒される。今さっきまで自分のいた場所は大きなくぼみとなっており、備え付けられていたたくさんの椅子は木っ端微塵になった。

 ティアラの笛の音が聞こえてきた。詠唱とは違い、こちらは音が離れていてもわかるので術の進み具合の目安がつけやすい。フリッツはしばらくモールとにらめっこをしていた。モールは低く唸っている。フリッツは剣を構え続けた。ティアラの召喚術は、あと数小節を残すのみとなった。

(…いいぞ、その調子だ。このまま、あと少し)

 ティアラの笛の音が止んだ。

「ロートル、召喚!」

 ティアラのロートルによる攻撃が始まった。モールの頭上に水の塊が浮かび、くるくると回りながら大きくなる。そしてその成長が止まると、水の塊はモールの頭に叩きつけられた。
 しかし、あまりモールに効いてはいない。丈夫な毛皮が、水を弾き返してしまったようだ。水の質量としてはなかなかの重さのはずだったが、それも巨体の前には無意味だった。頭から水を浴びたモールは不審そうに身を捻ってティアラのほうを見た。敵だと認識し、モールはティアラの方へと向かっていく。

「ちょ、ちょっと待った!」

 フリッツは観客席の柵から身を乗り出した。モールはゆっくりと移動を始めようとしている。迷っている暇はなかった。フリッツは覚悟を決め、二階部分の観客席から一階部分にあたるフロアに飛び降りた。

「バカ野郎! 地面はだめだ!」

 ラクトスが向こうから制止したが、間に合わなかった。
 フリッツはその忠告が叫ばれたとき、すでに落下していた。両足で着地し、骨に電気が走るような痺れを感じたが、こらえてそのまま駆け出した。効かないとわかっていても、やるしかない。
 フリッツは木製の剣をモールにぶつける。狙い通り、モールはゆらりと振り返った。そしてフリッツにじりじりとにじり寄る。標的をティアラから、再びフリッツへと移した。

 そして、モールは消えた。
 その場で、穴を掘って地中に身を隠したのだ。

(…まずい)

 フリッツは後悔した。額を嫌な汗が伝っていく。
 足元の地面の底で、なにかが蠢いている気配を感じる。モールだ。街の外へと逃げられれば、大惨事になる。しかしこれは、そういう動きではない。地上の獲物を追い詰める動きだ。かつてリングのあった場所は、モールのもぐった穴がぽっかりと開き、底知れない暗闇を抱えている。
 フリッツは悟った、降りてきたのは完全に失敗だったと。地中を縄張りとするモールに、地上で対戦してはいけなかったのだ。

(どこからか不意に現れるか、それともぼくの足元を崩す気か)

 フリッツは襲い掛かる恐怖をこらえながら、じりじりと待った。予想の後者では、もうフリッツに手立てはない。土に埋もれて死んでしまう。しかし前者なら、まだ望みはある。
 全神経を足元に集中させ、なんとかモールの出現場所を予測できないものか。しかしモールは地中を行ったりきたりしている。フリッツにプレッシャーを与えて、楽しんでいるのだろうか。フリッツはごくりと唾を飲んだ。

 下からだった。

 丁度フリッツの真下の地面が盛り上がると、あっという間に轟音と共にモールが現れた。フリッツは避けられず、巻き込まれた。モールが地上に勢いよく顔を出すと共に、弾き飛ばされたフリッツの身体は宙を舞う。モールの打撃で、フリッツは身体を酷く打ちつけられている。着地など、とてもできない。

 放物線の頂点に達し、フリッツの身体は空を切って落下を始めた。その時、水の塊がフリッツを包み込み、そのまま地面に叩き突けられる。水のクッションのおかげでダメージはかなり緩衝され、フリッツは無事だった。
 水の塊が地面にぶつかった瞬間に、それはロートルになり、くるくると目を回して姿を消した。ロートルは召喚術を介して呼び出されているため、ある程度のダメージを受けると一旦戻らざるを得なくなる。

 フリッツがロートルに感謝し、地面に足をつけてほっとしたのは一瞬のことだった。
 目の前には、大きな穴が五つほど開けられていた。フリッツは凍りつく。
 これではモールがどこに身を隠し、どこから出てくるのかわからない。ひょっとすれば、また先ほどのようにフリッツの真下から現れるかもしれない。
 あれは、怖い。フリッツは早鐘のように打つ心臓を押さえて、モールがどこからでてくるのか目を見張った。
 モールが地中から現れた。

「そこか!」

 フリッツは確実に当てるつもりで剣を振るった。しかし、モールはフリッツの背後から現れた。モールの頭突きが早く、フリッツは腹部にまともにくらって吹き飛ばされた。
 フリッツの体が地面に落ちると、今度はその近くの穴からモールがすかさず顔を出しまた頭突く。
 フリッツはまた飛ばされる。着地地点では、またモールが別の穴からフリッツを待ち伏せている。

「フリッツ! 気を失うなよ!」

 上からラクトスの声が降ってきた。かなり焦っている。その呼びかけで、フリッツは飛んでしまいそうな意識を自分の身に引き止めた。

 その光景は、さながらモール叩きのようだった。しかし、モールがなぶられるのではない。モールが張った穴だらけの地面という罠の中に、人間のフリッツがかかってしまったのだ。フリッツは何度も頭突きで吹き飛ばされ、落下し、また吹き飛ばされ。それを繰り返し、意識もだんだん朦朧としてきた。

 その時、モールが一瞬動きを止めた。モールの背中には矢が何本か刺さっている。ルーウィンが弓を構えて、選手出入り口の手前に立っていた。人でごったがえすロビーからなんとか抜け出し、階下から攻撃を仕掛けたのだ。ルーウィンはラクトスに向かって声を張り上げた。

「待たせたわね! あんたのよ、受け取って!」
「悪いな!」

 ラクトスは下から投げられた杖を受け取った。

「モールのくせに、ずいぶん立派な毛皮じゃない」

 ルーウィンは不敵な笑みを浮かべる。
 杖がラクトス本人の手に渡るや否や、ルーウィンはすぐに弓を引き絞った。ラクトスも杖を構え、詠唱を始める。ルーウィンが鏃を地面に一瞬擦って、そのまま流れるような動きで番える。ラクトスの足元には赤々とした魔法陣が浮かび上がる。ルーウィンが矢を放ち、モールにぐんぐん近づきながら矢はめらめらと燃え盛る。ラクトスが口を閉じ、にやりと笑って杖を掲げると、幾つもの火の塊がモールへ向かって飛び散る。
 ルーウィンからファイアテイルが放たれ、ラクトスからフレイムダガーが降り注いだ。モールの身体を覆っている毛に着火し、モールは熱そうに身を捩った。

「ちっ、意外に火にも水にも耐性あるな。あの毛皮か」
「外側からじゃ効かないわ。どうする?」

 ラクトスとルーウィンが上と下とで舌打ちをする。モールは再び地中へと潜っていった。このままでは、またフリッツが攻撃を受けてしまう。ラクトスは思い付きを、そのまま叫んだ。

「ティアラ! 今だ、水を地面の穴へ!」
「わかりました!」

 ティアラは反射的に、呼び出したばかりの三度目のロートルをうねる渦に変え、モールの潜む暗い穴へと叩き込んだ。

 しばしの沈黙があった。やがて、大地が揺れた。

 泥水にまみれたモールが、激しい勢いで地表へと這い出てきた。危うく窒息するところだったのだろう。近くにいたフリッツに、モールの撒き散らした泥水がびしゃびしゃと降り注ぐ。

 モールは先ほどまでの勢いはどこへいったのか、ぐったりと息も絶え絶えに、穴だらけの地面にズシンと音と振動を立てて倒れこんだ。それを柵から身を乗り出すようにして見ていたティアラは、モールが倒れこんだのと同時に階下に身を投げた。それを見たフリッツはあわてて受け止めに走ったが、案の定、衝突事故になってフリッツはティアラに押しつぶされる。

「ぐえっ」

 フリッツは潰れたカエルのように鳴いた。尊いフリッツの犠牲により無傷であったティアラは、そのままぐったりとしたモールに駆け寄った。白い法衣が泥だらけになるのもかまわず、ぬかるみの中を駆けていく。
 驚くべきことに、ティアラは治癒魔法をモールに施し始めた。

「あの子、また性懲りも無く!」
「待ってルーウィン」

 ルーウィンはそれを止めようと駆け出したが、泥だらけのフリッツにそれを止められた。

「ティアラなりに、考えがあると思う。もう少し、様子を見よう」







 ティアラはモールを撫でた。艶のあった毛並みは、今は泥ですっかり汚れてしまっている。
 ラクトスの言うとおりにしていなければ、フリッツがやられてしまっていただろう。しかし地中で水攻めとは、咄嗟のことであったとはいえかなり残酷な手だ。大きな体が力なく転がっていることに、ティアラは胸を痛めた。痛めつけたのは自分だ。
 ティアラは弱ったモールに向かって語りかけた。

「酷い目に遭わせて、本当にごめんなさい。でも少しだけ、わたくしの話に耳を傾けていただけないでしょうか」

 モールのくぐもった鳴き声が聞こえた。モールはまだ息がある。
 ルーウィンとラクトスは、モールに向かってそれぞれの武器を構えた。しかしティアラが振り返り、二人に視線をやって首を横に振る。ルーウィンは腑に落ちないといった表情ながらも、しぶしぶ弓を下ろした。上にいるラクトスも同様に、杖を掲げるのをやめたようだった。

「お子さんたちを奪われて、人間のいいように痛めつけられて。さぞかしお辛い思いをしたことでしょう」

 フリッツは驚いた。ティアラはこの巨大モールが、数日前にモール叩きの中から逃がしたモールの親だという設定で話を進めているのだ。隣に立っているルーウィンがフリッツに目配せし、フリッツも頷く。
 真実かどうかは定かではないが、とにもかくにもティアラに任せるより他ない。

「今回このようなことがあって、もうモールで悪事を働こうとは思う人間はいませんわ。あなたの怒りは、  よくわかりました。とても許されることだとは思っていません。
 それでも、ここは人間の住処で、心優しい人間もたくさん暮らしているのです。ここはどうか、お引取りい ただけないでしょうか。

 本当に、ごめんなさい」

 ティアラは治癒術を発動させた。ティアラの両手から、暖かな光がゆっくりと滲み出し、モールを癒していく。ティアラを中心に光の円が描かれ、それは波のように押しては引き、押しては引きを繰り返した。

 やがてモールは、身体をゆっくりと起こした。フリッツ、ルーウィン、ラクトスが再び身構える。モールはその身をきゅるきゅると左に捻ると、今度は力を緩めて逆方向に勢いよく回転した。モールの毛に付着していた泥が回りに飛び散って、モール自身はすっきりとした様子だったが、近くにいたティアラは泥だらけになって目をぱちぱちさせている。ルーウィンは嫌な予感を感じてフリッツの後ろに隠れたので、結局フリッツが盾となって泥汚れは食い止められた。
 ティアラは声を立てて笑うと、ポケットから取り出したハンカチで自分の額をぬぐった。そしてモールの大きな鼻先に自分の額をくっつけた。モールも大人しく、されるがままになっていた。
 モールの瞳は、澄んだ黒色をしていた。その大きな瞳にティアラの顔を映す。ティアラもその大きな瞳を覗き込んだ。

「もう二度と、人間には捕まらないように守ってあげてください。ご自分とお子さんを、大事になさってください」

 ティアラはそうして、人間相手かのごとく語りかけた。
 しばらくするとモールは、大人しく地中へと戻っていった。後には穴だらけの闘技場と、幾つもの瓦礫の山と、泥まみれのフリッツとティアラ、呆然とするルーウィンとラクトスが取り残された。

「うそだろ」

 ラクトスは信じられないといった顔で、ぽかんと口を開けていた。思わずその場に杖を落としてしまったほどだ。ティアラは本当に、怒れるモンスターとの対話を成功させたのだ。モールが完全に行ってしまったのを見届けて、ティアラはやっと振り返った。

「フリッツさん。わたくし、出来ました!」

 嬉しさと達成感でいっぱいになったティアラは、にこにこと笑顔を振りまきながら倒れているフリッツに近寄ってきた。フリッツは泥だらけになって伸びており、深く息を吐いた。

「…終わったあ」

 フリッツはなんの抵抗も無く、泥の中に頭を突っ込んで倒れてしまった。そのまま目を閉じて眠ってしまいたい気分だ。

「あんた…」

 ルーウィンはフリッツを見つめた。そして、ぷっと吹き出した。

「ひっどい有様ね」
「うん、自分でそう思う」

 頑張ってるんだけどなあと、フリッツは肩を落とした。しかし、笑った。

 クーヘンバウムの街に突如として起こった、モールの出現という災害は鎮まった。そして同時に今回のトーナメントも、闘技場が半壊とあっては進行されるはずもなく、あっけない終わりを迎えた。
 フリッツの初トーナメントは、巨大モール出現というアクシデントにより中断を余儀なくされた。
 第三回戦までの勝ち残りという結果で、彼の大会は幕を下ろしたのだ。

 そして街の混乱に乗じ、四人はまんまとクーヘンバウムの街から逃げおおせたのだった。





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