【第5章】
【第十三話 決着】
早朝、フリッツはルーウィンを伴ってカーソンの家へと出掛けた。ルーウィンが見つかり、カーソンと話したがっている旨を伝えると、カーソンは慌てて寝床から飛び出した。身支度を整えるべきか、早く会うことを優先すべきか、カーソンは判断しかねておろおろと廊下を彷徨う。
メアリが何事かと起きだしてきて、眠い目をこすった。フリッツが事情を話すと、メアリはうろうろしているカーソンを捕まえた。
「しゃきっとしなさい!」
カーソンの両腕を叩いて、活を入れる。するとカーソンはぴたっと落ち着いた。メアリはカーソンの瞳を見つめた。
「危ないことはしないでね。頑張って、いってらっしゃい。朝食作って、待ってるわ」
「…ああ。楽しみにしてる」
カーソンはとりあえず顔だけは洗うことに決めたらしく、水場へと向かっていった。ルーウィンは外に待たせ、フリッツは家の扉を持ったままその場に立っていた。メアリももう、腹を据えたようだった。カーソンよりもどっしりと構え、落ち着いている。
メアリはフリッツに向かって微笑んだ。
「探していた子、見つかって良かったわ」
「色々とご迷惑おかけしました」
フリッツは頭を下げた。メアリはくすりと笑った。
「その様子だと、信じてるのね。あの子のこと」
「はい」
フリッツは即答した。
「この数日間、ありがとうね」
「はい、メアリさんもお元気で」
ルーウィンを探す毎日だったが、旅を始めてから最も心安らぐ空間を提供してくれたメアリだった。カーソン家での暮らしが少々名残惜しいが、この日に旅立つことはすでにもう決まっていた。
「待たせたね。では、行こうか」
カーソンはやや声が上ずっていた。数日間自分を付けねらい、あわよくば命を狙おうとしていた人物と話をしようというのだ。いい気分ではないだろう。どんな視線を向けられるか、どんな感情をぶつけられるかわからないのだ。
フリッツは何か声を掛けようとしたが、何も言えなかった。安心させるのも、不安がらせるのもいけない。それにルーウィンの気持ちを勝手に代弁して、あらかじめカーソンに教えてしまってはいけない気がしていた。そこには必ず、誤差が出る。
ありのままのルーウィンの気持ちを、カーソンに受け止めてもらうより、手立てはなかった。
「行きましょう」
フリッツは扉を開けた。朝の光に、カーソンはやや目を細めた。
そこに立っていたのは、小柄な弓使いの少女だった。カーソンは唇を引き結んだ。表情がこわばっているのを、フリッツは見た。
「ここじゃ話づらいよね。少し、歩こう」
フリッツはルーウィンとカーソンを連れて、森の中を少し歩いた。カーソンの小屋や他の家々のない場所がいい。そこで数日前カーソンときのこや山菜を取りに出かけた空き地へと向かった。案の定人気はなく、落ち着いて話ができそうだった。
フリッツは足を止めた。続いてルーウィンも。二人がきびすを返すと、それに向き合うようにカーソンが立っていた。
ルーウィンを見るなり、カーソンは地に頭をつけ土下座した。
「すまなかった!!」
突然のことにも、ルーウィンは何も言わない。無感動な目でそれを眺めていた。フリッツは慌ててカーソンの身を起こさせた。
「妻にはすべて話した。怒られたよ、なぜもっとはやくに打ち明けてくれなかったのかと」
「あたしも怒られたわ」
カーソンの前で、初めてルーウィンは口を開いた。
「ほんとうに自分のことを考えてくれてるやつは、たいていバカやらかすと怒ってくれるもんなのよ。あんたにもそんなひとがいるなんて、癪だわね。ダンテを見殺しにしたあんたに」
フリッツを振り払い、カーソンは再び頭を下げた。
「本当にすまなかった。この通りだ! どうか妻と娘には手を出さないでやってくれ。おれはどうしてくれてもかまわない。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
「カーソンさん!」
それでは話が違う。フリッツは思わず叫んだ。
しかしルーウィンは、眉一つ動かさなかった。
「あんたとサシで話がしたい」
ルーウィンは横目でフリッツに言った。
「フリッツは来ないで。あんたには散々迷惑かけた、昨日謝った通りよ。でもこれはあくまであたしの問題だから。ひとりで片付けるわ」
「わたしからも頼む。二人だけで、話がしたい」
カーソンにもそう言われ、フリッツは頷いた。
「うん。わかった」
フリッツはそう言うしかなかった。フリッツは去り際に、ルーウィンを見た。ルーウィンの瞳に中に、揺るがない意思が燃えていた。
フリッツは二人を残して、もと来た道を一人で戻っていった。
ルーウィンが帰ってくることを、信じて。
ステラッカの門でフリッツ、ラクトス、ティアラは各々荷物をまとめて待っていた。いよいよ長く滞在してしまったこの街ともお別れだ。
前の晩にフリッツとルーウィンが話していた場所で、三人は待っていた。ラクトスは柵に身を預け、片手をポケットに突っ込み魔法書を読んでいた。ティアラは落ち着かないらしく、門からステラッカの方を覗いては気にしている。フリッツは柵に腰掛け、ぼうっと空を眺めていた。
「あいつが前あんなに荒れたの、自分を重ねたのかもしれないな」
突然に隣にいたラクトスに話を振られて、フリッツは一瞬なんのことだかわからなかった。しばらく考えて、その事柄に思い当たった。
「ロブの復讐のときのこと?」
フリッツが答えると、ラクトスは頷いた。
「今思えば、復讐って聞いたとたんにあの荒れようだったもんな。子供相手に、さすがにあれはビビった」
「うん。あれはぼくも怖かった」
ただの逆恨み。自分一人じゃなんにも出来ない無力な子供。
ロブの胸をえぐるようなあの言葉の数々は、ひょっとしたらルーウィン自身にも向けられていたのではないだろうかと、フリッツは思った。
「ま、考えたところでなんにもならないけどな。ところでお前は、口をバカみたいに開けて何を考えてたんだ?」
「え、開いてた?」
フリッツは少し恥じ入ったが、すぐにその表情は真面目なものになった。
「ダンテさんってさ、一体どんなひとだったんだろうと思って」
フリッツは呟いた。ずっとそのことを考えていた。
ラクトスは言った。
「さあな。あのじゃじゃ馬を飼いならすほどには強いんだろうよ。あとは、バカなんじゃないか」
フリッツは首をかしげる。
「どうしてそう思うの」
「弓使い二人なんて偏ったパーティ、普通やってけると思うか? まあそれで乗り切れてたんだから、よほどタフなやつなんだろうなとは予想がつくが」
「タフ、ねえ」
強さ。フリッツが欲しいのは、それだった。
強くなれば、ルーウィンを手助けできる。彼女が一人で押し潰されなくとも済む。
しかし、その『強さ』とは一体なんだろう。なにをどうしたら得られて、どこからやってくるのだろう。
「おっ、戻ってきたぞ」
ラクトスはティアラの反応でそれを察し、読んでいた本にしおりを挟んだ。ティアラは主人を待つ子犬のように、ルーウィンがこちらへやってくるのを今か今かと待ち構えている。本当は走り出したいところなのだろうが、それを必死にこらえていた。フリッツも立ち上がって、ズボンのほこりを払った。
ルーウィンがこっちへ向かってくるのが見えた。カーソンも一緒だ。
『カーソンには手を出さない』。
それがルーウィンの出した答えだった。
ラクトスとルーウィンの目が合い、ラクトスは意地悪くにやついた。
「今度は逃げなかったな」
「うっさい」
ルーウィンは軽く受け流した。フリッツはその、いつもの当たり前のやりとりになぜかほっとしていた。
「ルーウィンさん!」
ティアラはラクトスとルーウィンの間を割って入り、ラクトスは弾き飛ばされる。ティアラはルーウィンの手をとった。
「戻ってきてくれるのですね?」
「うん」
ルーウィンの返事に、ティアラは瞳を輝かせた。
「本当ですね? これからもまた、ルーウィンさんとご一緒できるんですね?」
「うん。これからも、よろしくね」
ルーウィンがそう言うと、ティアラは気持ちの昂ぶりが極限に達したようだった。
「お帰りなさい!」
そう言ってティアラはルーウィンに飛びついた。自分より背の高いティアラに突然抱きしめられて、ルーウィンは驚いた顔をしていたが、まんざらでもない様子だった。感極まったティアラはしばらくルーウィンに抱きついていたが、やがてゆっくりとその身を離して、ルーウィンの顔を見た。
「ルーウィンさんがいらっしゃらない間、わたくし本当に寂しくて寂しくて。もっとたくさん、色々なことを教えてください。わたくしもお役に立てるよう、努力しますから」
そう言葉にするうちに、ティアラの瞳にはじわじわと涙がたまっていった。ルーウィンはやれやれと、ポケットからハンカチを取り出してティアラに差し出した。
「勝手にいなくなって、悪かったわ」
「いいんです。だって戻ってきてくれたんですもの」
ティアラは涙をぬぐいながら、心底嬉しそうに笑った。
「お前が居るとたまに食費が浮くんだよ。財布預かる身としては、まあいないより、いてくれたほうが少しはマシだな」
「あんたも相変わらずね」
ルーウィンはラクトスの言葉に口元をひくつかせる。しかしラクトスは、ルーウィンがいると食費がかかって仕方ないと言っていた。だからルーウィンにも、ラクトスがあえていつもと逆のことを言っている真意はわかっていた。どっちも素直じゃないなあと、フリッツは苦笑する。
「でもなんだかんだで、今回一番働いたのはラクトスだよね」
フリッツがそう言うと、ラクトスに睨まれた。フリッツは肩をすくめた。
カーソンは一歩下がったところでその様子を見ていた。フリッツはカーソンに駆け寄った。カーソンは話し合いの後、ルーウィンをここまで送り届けてくれたのだ。
「カーソンさん」
カーソンの顔色は悪くなかった。怯えてもいないし、慌ててもいない。いつもの優しげな目で、フリッツを見返した。
「あなたがいい人で、本当によかった。ルーウィンが人を殺めることがなくて、良かったです。ありがとうございました」
フリッツが頭を下げると、カーソンも深々とお辞儀した。
「お礼を言いたいのはこちらのほうだ。妻にも本当のことが言えたしね。それにお連れさんをずっと悩ませてしまっていた。もっとわたしに勇気があれば、こんなこじれたことにはならなかっただろうに。すまなかったね」
フリッツとカーソンはお互いに顔を上げた。
「これからもお元気で。お体に気をつけて、お仕事を続けてください」
「ああ、そうするよ。きみたちも、道中気をつけて」
ティアラがルーウィンから離れたのを見計らって、カーソンはルーウィンの方へと向かった。
カーソンはルーウィンに向き直った。
「…武運を祈る」
「ええ」
ルーウィンとカーソンは、その一言だけを交わした。
「さて、そろそろ戻るよ。朝食が冷めると、メアリに怒られてしまう」
そう言ってカーソンは手を振りながら、街への道を戻っていった。
「そろそろ発つわね、あの子たち」
カーソンが街へ向かって歩いていると、まだ眠そうに目をこするマリィを抱いたメアリが立っていた。やはりじっとしていられなくて、ついここまで来てしまったのだろう。
「ちゃんと腕がついてる。耳も両方。鼻だって。あの子、あなたを無事に帰してくれたのね。本当に良かった」
メアリはカーソンに微笑んだ。それは心底安堵したという表情だった。明るく振舞ってはいたが、相当な心配をかけさせていたのだと、カーソンは改めて妻に感謝の念を抱いた。
「ちゃんとお話できた? 若い娘さんと二人きりなんて、妬けちゃうわね」
メアリは茶化すように言った。カーソンが笑い返すのを待っていたのだ。しかしカーソンの表情はみるみる曇り、太い眉は情けなく垂れ、その目には涙が浮かんでいた。
「ありがとうと、言われたんだ」
カーソンは年甲斐もなく、その場でぼろぼろと涙を落とし始めた。どこか具合が悪いのではないかと、メアリは一瞬ぎくりとした。
しかし、そうではない。いつもの発作とも違う。
カーソンはただ、純粋に泣いているだけなのだ。
「これから生きてく希望をくれたのだと、そう言われた。あんな、笑顔で」
「あなた、もしかして」
カーソンはゆっくりとメアリに近づき、その肩にもたれかかった。すやすやと眠っているマリィの顔が目に入る。あの子だって同じだ。自分の娘と何一つ変わらない、ただの少女だったはずだ。
「希望なんかじゃない。わたしは彼女に、希望の皮を被った絶望を与えたんだ」
少女に哀願され、カーソンはある一人の仇の存在を教えてしまった。
最初は断った。少女が復讐を続けることは、何も生み出さない。彼女自身を危険に晒し、ダンテを悲しませる結果になるだけだと説き伏せた。しかしそんな安っぽい言葉は、少女の耳には入らなかった。
教えられないと言ったときの、少女のあの表情を思い出しただけで、カーソンは今でもぞっとする。
目の前で小さな火が今にも吹き消されてしまうようだった。あのまま口を閉ざしていては、その場で少女が絶望に取り込まれるところだった。しかし自分はそれを、ただ先送りにしただけなのだ。
そしてカーソンは口を開いた。
殺しても構わない相手。不幸のどん底に突き落としても、なんの感慨も湧かない相手。
確実に憎めて、彼女が手を下すことに躊躇うことのない相手。
かつて仲間であった彼は、ダンテの一件に大きく加担し、その後は悪の道に堕ちたという。
「漆黒竜団幹部にいるあいつの存在を、わたしは教えてしまったんだ」
どう転んでも、罪の意識は消えず、また生みだされるものなのか。
メアリは深くため息をついた。右腕でマリィを抱え、左肩でカーソンを支えている。空いた左手をなんとか持ち上げ、情けなく鼻をすするカーソンの眉間を指で突いた。
「それがあの子の絶望になるか、本当に希望になるかどうかは、もうあの子たち次第よ。自分の弱さを責めても、なんにもならないわ。それにそのことを、あなたが絶望する逃げ道にする必要もないでしょう」
メアリは頬を膨らませ、指でカーソンの眉間を吊り上げた。カーソンはおかしな顔になって、メアリはぷっと吹き出した。
「今は見守りましょう。困ってここへ帰ってきたら、そのときは一緒に考えましょう。大丈夫。あなたが間違ったことをしても、わたしはちゃんとついていてあげますから」
カーソンは身体を起こし、自分の足で立った。そしてメアリからマリィを受け取ると、その腕に抱き、慈しむように額と額を合わせた。そして隣に身を寄せてきたメアリの額に、頬を寄せた。
「わたしはなんという果報者だろう」
カーソンは言って、涙をこらえる為に空を見上げた。
高く高く、澄み切った空だった。
そして目を閉じて、少女の旅路の終着点が安息に満ちていることを願った。
ティアラが落ち着いたのを見計らって、ラクトスは腰を上げた。ティアラときたら、嬉しすぎて過呼吸になってしまいそうなほどはしゃいだのだ。しょっぱなから体力を削ったティアラにラクトスは目くじらを立てたが、ティアラにはあまり応えていないようだった。
「さあ、こんな木しかないような街にはもううんざりだ。次行くぞ、次。忘れ物ないな?」
「「はーい」」
フリッツとティアラが言って、顔を見合わせて笑った。その様子にラクトスは舌打ちをする。
「ったく。朝っぱらから妙にテンションあげやがって。浮かれてケガすんなよ」
こうして一行はステラッカの門から離れた。
しばらく歩くと、ルーウィンは立ち止まり、振り返った。
ダンテとともに旅をした、最後の街。
かつてこの街を出たときは、たった一人だった。言いようのない感情の渦を抱えて、ぎらぎらと目を光らせて。ダンテはいないのだから、一人でやっていくしかない。誰も頼ったりしない。
そう自分に言い聞かせて。
「ルーウィン、何してるの? 早くおいでよー!」
少し先で、フリッツたちが足を止めて待っていた。手を口元に当てて、フリッツがこちらに向かって叫んでいる。三人は昇った陽を背にしていて眩しかった。逆光に、思わずルーウィンは目を細める。
あの時は、一人だった。
でも、今は違う。
「今、行くー!」
ルーウィンは声を上げた。そしてきびすを返し、三人のもとへと駆けていった。
空は高く、澄み切った蒼だった。時折白い雲が、悠々と泳いでいく。
日差しは穏やかで、風も気持ち良い。晴れ渡った空は、旅人には嬉しい天気だった。
四人はステラッカを後にし、次の街へと向かうのだった。
【第5章 ルーウィンの目的】
ページの最後になって、失礼いたします。
作者のとしよしと申します。いつも『不揃いな勇者たち』を読んでいただき、ありがとうございます。
彼らの冒険はまだまだ続く…!のですが、ルーウィンの過去に触れたところで一旦区切りになり、少しだけご挨拶をさせていただきたいと思いました。
少しだけでも読んでいただいた方、ありがとうございます!
途中まで読んでいただいた方、もっとありがとうございます!
さらに続けてここまで読んでいただいている方、本当にありがとうございます!
本文を投稿した後、これで良かったのかといつもどきどきしています。
今まであらすじ詐欺をしているのではないかとヒヤヒヤものだったのですが、やっと次章から解消されます。あらすじの後半に書かれているところまで、やっと辿り着くことができました。ここまで続けられたのも、ひとえに読んでくださる皆様のおかげです。
こうして自分の文章を読んでいただけるということは、とても素晴らしいことだと思います。アットノベルス様にも、皆様にも感謝しています。
もう少し先がある話ですが、続けて読んでいただければ光栄です。そして続きを読みたくなるような作品にすべく、努力をしていきたいと思います。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします!