小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第6章】

【第二話 謁見の間にて】

「シェリア様。少しお休みになられては」

 滑らかに磨かれた白い石の廊下を、紅く長い髪を背中に流した女性が足早に行く。その後を、やや腰の曲がった老人が付き従っていた。老人の言葉に、女性は前を向いたまま答える。

「いいのよ。こうしている間にも、国を脅かす輩が暗躍しているかもしれないというのに、暢気に休んでなどいられません」
「しかしそれではお身体に障ります。昼食も召し上がっておられません。せっかくの料理がシェリア様の口に入らないとなれば、料理人が気の毒です」

 そこまで言われて、女性はようやく足をとめた。

「…そうね。すこし休憩するわ」

 シェリアはふと足を止めた。渡り廊下の大きく切り取られたアーチから、自分の国を、グラッセルの都を見つめた。青い空に映える石畳の街並みは、人々が安楽と平和を願って一つ一つ積み重ねてきたものだ。それと同じように、歴史も同じ分だけ積み重ねられ、この街に刻まれている。並木道の整然とした緑は美しく、風に優しく揺れている。清閑で豊かな住宅街と、活気溢れる市場の通り。人々は今日も日々の営みを繰り返す。
 しかし一見豊かで幸福に見えるこの街には、不気味な事件が影を潜めていた。人々の不安は、シェリアの細い肩に重くのしかかってくる。

「一刻も早くなんとかしなければ。このグラッセルの危機を」
「シェリア様!」

 馴染みの伝令がやってきて、慌しく敬礼をした。物思いに耽っていたシェリアは思わず顔をしかめる。

「なんですか、騒々しい。わたくしは今疲れているのですよ」
「将軍が戻られました! その、例の女性を連れて」

 シェリアは眉を一つ動かすと、欄干にもたせ掛けていた身体を離した。

「わかりました。一応、顔くらいは見ておきましょう。謁見の間に通して、すぐに向かいます」

 シェリアがそう言いつけると、伝令の青年は風のように去っていった。








 王宮付の兵士たちに連れられて、フリッツたちは道を進んだ。街の人々は連行されているフリッツたちを見ると、まあ何をしたのかしらと小声でひそひそ囁きあっている。何も悪いことはしていないのに、酷くばつが悪かった。しかし兵士たちは人目の多い通りではなく、裏路地のような場所を進んだので、周囲の好奇の目に晒された時間はそう長くはなかった。

 ティアラがいつもと違う格好をしていたこと。そして彼女が兵士に追われ、今こうして自分たちも連行されているという事実がどうしても飲み込めず、フリッツは道中ずっとその経緯や理由を考えてみた。しかし、残念ながらそれらしい答えが思いつくことはなかった。
 隣の二人を見ると、ルーウィンはイライラしているようだが意外に大人しくしており、ラクトスは何か考えている。話をしても兵士に見咎められるだろうと、フリッツは黙って歩いた。

 しばらく進むと、一行はどこかの裏口に行き当たった。高い生垣がぐるりと広大な敷地をめぐっているのだろう、外から中の様子は窺うことができない。しかしその生垣に沿って一定間隔で兵士が配置されていることもあり、物々しい警備だった。しかし国の施設であることは間違いないだろう。

 ティアラは男に中に入るように促された。ティアラはフードを被せられてはいるが、彼女は両手を縛られているわけでも兵士にせっつかれているわけでもなく、特別な待遇であることは間違いなかった。彼女がどう取り計らうかによって、フリッツたちの今後が左右されるかもしれない。
 フリッツはティアラと一瞬目が合い、頼んだよというふうに目配せしたが、彼女はにこりと微笑むだけだった。本当に大丈夫だろうかと、フリッツは不安になってため息をついた。

 ティアラだけが中に通され、フリッツたちは生垣に沿って別の牢屋へ連れて行かれる、という最悪のパターンを想定していたが、それは違った。どうやらフリッツたちも中に入れてくれるらしかった。中に入ると、そこには緑豊かな庭が広がっていた。そして古めかしくも荘厳な建物があった。
 まるで王宮のようだった。広さも高さもある、立派な豪邸だ。こんな豪勢な屋敷など、普通に暮らしていれば足を踏み入れることなく一生を終えるだろう。
 しかし今は、そのような場所に入れたことを喜んでいる場合ではなかった。グラッセルの兵士は民にも評判がよく、権力を振りかざしたり、横暴を働いたりはしないとのことだったが、フリッツたちは今まさに理由もなく捉えられてしまったのだ。ことの発端らしきティアラが悪事を働くわけがなく、この状況は理解しがたい。

 中庭を横切り、渡り廊下から建物内へと入る。一行はさらに奥へと連れて行かれた。両開きの、ひときわ美しく古めかしい扉の前で兵たちは足を止めた。屋敷に入ったあたりで、フリッツたちの警備は半分に減らされており、今では兵士三人がそれぞれを見張っているだけだった。
 しかし警備が手薄になっているからといって、ここまで来て力づくで逃げようとはさすがに誰も思わない。ルーウィンもラクトスも同じ考えらしく、なるようになれといった様子だった。

 男が重々しいドアノッカーを叩いた。
 中から返事があったようで、男は静々と扉を開ける。ティアラを入れ、続いて自分も中に入った。扉の様子から、その部屋が特別であることは容易に想像がついた。しかしティアラは、そんな部屋に呼ばれてなにをしているというのだろう。自分たちは、ここで待てばいいのだろうか。
 不意に、扉から手がにゅっと伸びてきて、フリッツは声を上げそうになった。先ほどの男が、フリッツたちを手招きしている。最初は兵を呼んでいるのかと思っていたが、自分たちだとわかると、フリッツは首をかしげた。男はうんと頷いて、兵士たちには下がっていいと目配せする。その際、男が口元に指を立てて「しーっ」と言うと、三人の兵士たちも同じように「しーっ」と言って、足並み揃えて去っていった。
 わけのわからないまま、男に呼ばれるままにフリッツたち三人は部屋の中へと足を踏み入れた。

「遅かったではないですか。いったい、なにをてこずっていたのです?」
「はっ、申し訳ありません」

 中に入ると、女性の声がし、男は改まった様子でそれに答えた。広々とした室内は、両側にガラス窓が設けられているが、今は薄布のカーテンがかけられており外からは見えないようになっている。床は磨かれた石が敷き詰められており、その中心には年季の入った見事な絨毯が敷かれている。
 部屋の奥に段差があり、二三段ほど高い位置に立派な椅子があった。そしてそこに優雅に腰掛けている女性がいる。しかし悪い言い方をすれば、偉そうに腰掛けている女性がいる、だった。
 声の主は彼女だった。歳は二十代半ばほど、若さと艶やかさとを持つ、美しい女性だ。
 葡萄酒のような深みのある紅色の長い髪を流している。首から肩にかけてのラインがあらわになるが、しかしそれでいて上品な青いドレスに身を包んでいた。フリッツはそこで気がついた。ティアラと同じ格好をしている。というよりも、ティアラが目の前の女性と同じ格好をさせられているのだ。

「で、もう一人のわたくしというのは?」
「こちらにお連れしました」

 男はティアラに前に出るように促すと、ティアラは静々と進み出た。
 女性の前で足を止め、片足を少し引き、スカートの両端を軽く持ち、腰を折って深々と頭を下げる。それはこの南大陸における最高礼だった。普段のやり取りや挨拶の中で、ここまで深く腰を折ることはない。ティアラの礼は優雅なもので、女性の脇に控えていた老人が「ほう」と声を上げたほどだ。
 偉そうな女性は、段を下がってきた。それを見てティアラは硬く唇を引き結び、その場で跪いた。

「面を上げよ」

 女性はティアラの顔を上げさせて、まじまじと見つめた。

「却下」

 女性はそう言うと、自分の座っていた椅子へと戻っていった。ティアラはどうしていいのかわからずきょとんとしている。

「まるで似ていないではないですか。わたくしはこんな腑抜けた小動物のような目はしておりませんよ」
「隊長め。願望が入ったな。確かにわしも、ちょっと前のかわいらしかった頃のシェリア様をもう一度拝みたいというのはあるが」

 老人が言うと、隊長と呼ばれた男は嬉々とした。

「ほら、わからんでもないでしょう? あの頃のシェリア様に面差しがそっくりで」
「もう、よい。で、その者たちは何です?」

 隊長の言葉を遮って、女性が訪ねた。

「申し訳ございません、ついうっかりここまで連れてきてしまいました。彼女のおまけです」

 さすがのフリッツもむっとした。おまけにしても、この扱いは酷すぎるだろう。せめてもう少しましな待遇はないものか。
 女性は隊長の言葉を聞くと、深くため息をついた。

「そのへんのご令嬢が使えないのはわかりますが、こんなどこの馬の骨とも知れぬ娘をよくも連れてきましたね。お前の趣味には感心させられますよ」

 さっきから黙って聞いていれば、目の前の女性は思ったことを空き放題に言ってくれる。突然わけのわからない状況で追い立てられ、挙句ティアラに失礼なことを言い始めた女性に対してフリッツはだんだん腹が立ってきた。
 ついにラクトスが口を開いた。

「おい、黙って聴いてりゃ好き勝手言ってくれるな」

 ラクトスがそう言うなり、今まで飄々としていた老人は大きく声を張り上げた。

「口を慎め無礼者! お前たち、この方をどなただと心得る!」
「あたしたち、あんたらに自己紹介された覚えないんだけど?」

 耐えかねたルーウィンも気だるげに口を出した。とは言っても、だいたいのところは察しがついている。
 人を捕まえた挙句名乗りもしないでいる人間は、大概が金持ちかお偉いさんだ。そしてここはグラッセルの、いかにも由緒ありそうな建物だ。おそらく王家ゆかりの貴族かなにかだろう。
 ルーウィンの言葉に、女性はわざとらしく首をかしげた。

「あら。名乗りもしない人間に教えて差し上げる名などなくてよ?」

 すかさずラクトスが口を挟む。

「名乗る機会も与えないで、よく言うぜ」
「ちょ、ちょっとラクトス」

 ラクトスもルーウィンも怖いもの知らずで、ぽんぽんと物を言う。一方、フリッツははらはらし通しだった。腹が立っていたのはフリッツも同じだったが、胸が空くような気持ちよりも、二人の不遜な態度が気にかかった。
 彼らは地位のある人間にも屈しない勇気ある人物なのか、はたまた後先考えないただの愚か者なのか。ルーウィンも、ことさらラクトスなどは頭が悪いはずがないのだが、それよりも二人の性格が問題だった。売られたケンカは衝動的に買うタイプだ。
 立て付く二人を見て、女性は脚を組み直した。

「あの、ルーウィンさん、ラクトスさん。このお方は」
 心配したティアラが二人を振り返ったが、女性はその言葉を遮った。

「まあ、よい。出で立ちからして旅の者でしょう。わたくしの顔を知らなくとも、仕方のないことです」
「しかし、姫様」
「女、王、陛、下! まったく、そなたらがそれではいつまで経っても民に示しがつかない」

 そのやりとりを聞いて、フリッツは背中に氷を流し入れられたかのような感覚に陥った。

「…もしかして、グラッセルのシェリア女王陛下でいらっしゃる?」

 フリッツは目を丸くして恐る恐る尋ねる。
 女性は艶やかな笑みを浮かべて、座ったまま答えた。

「いかにも。わたくしがグラッセル十七代国王、シェリア=フェルナンド=グラッセルです」

 フリッツは理解の出来ない展開に、急激な眩暈に襲われた。




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