小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第6章】

【第七話 白昼の騒動】

 当初の予定通り、つつがなく女王の視察は行われた。
 視察という堅苦しい言葉を使ってはいるが、要は民衆に定期的に顔を見せておこうという趣旨のものだ。女王自身も街の様子を見ることができ、その空気を肌で感じることができる。
 一方、街の人々はわざわざ女王が自分たちの場所まで足を運んでくれたことに喜び、歓迎する。グラッセルでは古くから続けられてきた慣習で、この慣習があってこその平安だとも言われているほどだ。

 街の目抜き通り、中心の広場に一際大きな人だかりがあった。
 「女王様だ!」「シェリア様だ!」と何人もの人々が口々に叫んでいる。女王はその声一つ一つに反応し、足を止め微笑み、手を振り返す。女性たちからは「きゃー!」という黄色い悲鳴が、男性からは「おぉ…」という感嘆のため息が漏れる。
 女王の周りには選りすぐりの精鋭の兵士たちが警護にあたり、重々しい鎧をカシャカシャいわせながら行進していた。

 その少し後ろで、女王の一団に金魚のフンのようにくっついていく三人がいた。フリッツ、ルーウィン、ラクトスの三人である。
 警護の中に混ざるのかと思いきや、それは無理だと隊長にきっぱり断られた。よそ者が突然入っては隊の連携に乱れが生まれるとのことだったが、それは建前のような気がしてならない。フリッツは低身長と貫禄のなさ、ルーウィンは小柄な女性で、ラクトスは目つきと態度が悪い。これらのことは王宮兵の鎧を被っても、隠しきれないと隊長は判断したのだろう。
 それに、警護はエリート兵士たちが固めている。ならば至近距離ではなく、別の視点から警戒して欲しいとのことだった。

「絶対体よくあしらわれたかんじよねえ」
「まあ、仕方がないよ」

 ルーウィンはぶつぶつ言っているが、フリッツはすでに諦めがついていた。しばらく王宮に閉じこもっていたため、フリッツたちにも街へと出ることは気分転換になった。昨晩も街にいたとはいえ、真っ暗な中で男たちと立ち回りしていたのでは、せっかくのグラッセルの城下も楽しむことは出来なかったのだ。

「それにしても、女王様の人気はすごいね」
「あんなツンケンした女でも、ちゃんとやることはやってるんだな」

 フリッツが言って、ラクトスは呟いた。
 シェリア女王はもちろん実務もこなしているが、国の象徴であり、偶像(アイドル)であった。女王が店の前を通り過ぎると、にわかに辺りが活気づく。店を営む者は自慢の商品を持って慌てて駆け寄り、そうでないものは花やら菓子やらを持って押し寄せてくる。
 グラッセルに辿り着いた最初の日に見た、ギルドの者たちが有志を募っている集会がまだ行われていた。彼らは夜の見回りも自主的に行っているそうだが、王宮の兵が不審者かどうかを見極めるのが困難になるため、見回り中に見つかれば解散を促される。その日も集会が見つかって、王宮の兵士たちは解散を呼びかけに向かった。
 しかし、この日は違った。視察に来ていた女王が直々に現れたのだ。

「みなさん、ごきげんよう。元気があってなによりですね」
「女王様! このようなむさくるしいところに」

 女王は冒険者ギルドの面々に優しく微笑んだ。ギルドの男たちは慌てて身なりを整え始める。

「あなたがたのような方がいると、街のみなさんも心強いでしょう。でも、無理はなさらないで。あなたがたになにかあるようでしたら、わたくしは悲しくなってしまいますから」
「は、はい! ありがたきお言葉です!」

 シェリア女王、もとい、女王に扮装したティアラはにこりと微笑んだ。実は今日の女王は本物ではなく、最初からティアラが影武者を務めているのだった。
その微笑みは、ギルドの者や冒険者たちの心を一瞬で射抜くのには十分だった。骨抜きにされてしまった男たちを見て、ラクトスは呆れた。

「あーあ。好き勝手やってるぜ、あのド天然」
「あれが素なんだから、すごいよね」

さすがのフリッツも、たった今初めて会ったばかりの人間の安否を気遣うことはない。ティアラの口から出る言葉だからこそ、違和感はないのだろう。

「あのピリピリした女王様より、よっぽどらしいっちゃらしいわね。温室育ちっぽくて」

 ルーウィンも腕を組んで同意した。周りの人々もざわつき始める。

「今日のシェリア様、なんだかすごく雰囲気が軟らかくないか?」
「ああ。まるで姫様だった頃のようだね」

 あちらこちらでそう言っているのが聞こえたが、フリッツたちは聞こえないふりをした。話をしている若い男に、ラクトスは尋ねた。

「すごいな。いつもこんななのか」
「いや、今回は特別さ。なんだかんだで、皆強がっちゃいるが、心の中では怯えてるんだよ。女王様を拝顔して、みんなほっとしているんだ。女王様はこの国の象徴だからね」

 それは目の前の状況がすべてを物語っていた。
 これだけ女王に皆が皆群がるのは、素直に嬉しい反面、やはり一連の事件への不安が影を落としているのだろう。その不安を振り払おうとすべく、人々は王家を盛り立てようとしているのだ。

「しっかし、案外誰も気づかないもんだな。あのおっさんの目利きも大したもんだ」
「女って化粧でずいぶん雰囲気変わるのね」
「それを女性であるきみが言うかな」

 三人は好き勝手に話していたが、そうもしていられなくなった。
 ティアラ扮するシェリア女王が現れたことで、グラッセルの雰囲気は確かに明るくなった。未だに女王様だ、という声があちらこちらで上がり、皆その姿を一目見ようと群がってくる。最初は遠巻きに一団を見守っていた三人も、さすがにこの人ごみには狼狽した。このままでは、ティアラの様子が見えなくなってしまう。

「フリッツ、あんたもっと前に行きなさい。最前列に入り込んで、ティアラのことちゃんと見てて」
「わかった」

 とは言ったものの、この押し合い圧し合いの人の中を掻き分けていくのはかなり大変だった。フリッツはもみくちゃにされながらなんとが人の中心部へと向かう。たくさんの人を掻き分けて、舌打ちされたり睨まれたりしながら先を進んだ。やっとティアラの紅い髪がちらりと見えるほどに近づく。ティアラの周りを兵士たちが輪になって取り囲み、人々を押さないように注意している。
 フリッツは最前列には届かなかったものの、なんとかティアラの視界に入る程までには近づくことができた。ティアラはフリッツを見つけると、にこりと微笑んだ。フリッツも小さく手を振った。
 子供が近くにやってきて、女王に扮したティアラのドレスの裾を引っ張った。兵士の股の間をくぐってきたらしく、それに気がついた兵士は声を上げる。

「まあ、よろしいではないですか」

 ティアラがやんわり制止すると、兵士は少女を追い返すのをやめた。

「これ、女王様にあげます」

 少女はティアラに丸い、磨かれた玉を差し出した。手のひらに収まるほどの、ガラスで出来たような不思議な色合いの玉だ。ティアラは少女に視線を合わせるためにしゃがみこんだ。

「まあ、きれいですね。ありがとうございます。これは何ですの?」
「えっと、魔法の玉だって言ってたよ」
「魔法の、玉?」

 ティアラは思わず繰り返し呟いた。
 その時、ティアラの手の中で突然玉が光を放った。あまりの眩しさに、思わずティアラも目を瞑る。

「しまった!」

 ラクトスは遠くで声を上げたが、もう遅かった。
 ティアラの手から転がり落ちた玉は、閃光を放ち、地面の上でもうもうと煙を生み出し始めた。突然のことに、人々は悲鳴を上げた。ティアラに玉を渡した少女は、顔を青くして立ちすくんでしまっていた。
 普通の煙とは違い、もくもくと立ち込めるそれは人々の視界を奪い、広場を恐怖と混乱に陥れた。人攫いのこともあり、街の異変に人々はいち早く反応した。

 そして理性より、恐怖が上回った。人々は煙の広がる広場から逃げようと走り出す。広場の周りを取り囲むようにして出されていた露店の商品が踏み荒らされる。物が転がり、それに足をとられて転んでしまう人もいた。兵士たちは口々に慌てるな、落ち着いてくれと叫んでいるが、わが身を護ろうとする人々には聞こえていなかった。

 ティアラもその場に座り込み、目の中に煙が入ってしまって視界を確保することができなかった。口元を押さえ、ごほごほと咽こむ。トス、と音がして、ティアラは身体をすくめた。聞き覚えのある、子気味良い音。 恐る恐る、ティアラは真っ白な視界の中、音のした方を手で探る。
 矢だ。
 ティアラは顔を青くした。自分が目の見えない状況に陥っている中、自分の命を弓矢で狙う人間がいる。矢の角度から考えて、おそらく相手は高い位置に控え、煙の収まるのを待ちきれなかったのだろう。あるいは、上からはもう見えているのかもしれない。いつ命中させられても、おかしくない状況である可能性もある。

「ティアラ! 大丈夫?」

 聞き慣れた声を聞いて、ティアラはほっと胸を撫で下ろした。

「フリッツさん! 矢が」
「どうしよう。これじゃあ分が悪い。とりあえず、視界を確保することが先決だ!」

 フリッツはティアラの手を引いて走った。次第に明るくなり、視界が開けてくる。
 しかし、煙から出たのは間違いだった。煙からティアラの紅い髪が現れると、狙撃手はまたしても打ちこんできた。足元に矢が刺さり、フリッツは慌てて煙の中へと引き返した。

「この髪では目立ってしまいます! フリッツさん、わたくしを置いて逃げてください!」
「そんなことしないよ! それ、なんとか取れないの?」
「だめです! ここでわたくしが偽者だと明かすわけにはいきません! 煙の外には、街の人々もいます。彼らは女王様を信じている。ここでわたくしが姿を明かせば、皆さんは裏切られたと思ってしまいます。やむ終えない事情を、全員がわかってくれるわけではありません!」

 再度煙に逃げ込むと、狙撃の手は緩んだ。この煙は騒ぎを起こすため、かく乱させるためのこけおどしに過ぎない。この煙が晴れれば、今は紅い髪をしているティアラは、女王だと見なされて間違いなく標的にされるだろう。
 しかし、ここは広場の真ん中だった。逃げ込めるような植え込みは、煙から出てしばらく走らなければならない。その間に、ティアラを護りきれるか。フリッツには自信がなかった。
 相手が一流の弓使いで、ティアラか自分の脚を狙えば、そこで決着は着いてしまう。フリッツは、足元に何かが転がっているのに気がついた。盾だった。露店の商品がこの騒ぎで転がってきてしまったのだろうか。フリッツはとりあえず、盾を手に取った。
 煙が晴れれば、攻撃される。外にいるルーウィンとラクトスを頼りたいところだったが、おそらくこの騒ぎの中では人々にもみくちゃにされ、その場に留まるだけで精一杯だろう。

「フリッツ! 聞こえてるか!」

 しかし、絶望的な予想とは裏腹に、ラクトスの声が聞こえた。フリッツは騒ぎの音に負けないよう、息を吸い込んで大きく叫ぶ。

「聞こえてるよ! どうしよう、矢で狙われてる」
「迎え撃つ。一旦煙を晴らす。最初の一矢、なんとか避けろよ!」
「えっ、ちょっとまって!」

 煙を晴らすと言われ、フリッツは狼狽した。しかし、ラクトスは魔法を発動させたようだ。ウインドアームの小さな竜巻が起こり、今まで煙っていたのが嘘のように、みるみるうちに煙は飛ばされていった。
 煙が晴れて、フリッツは盾を構える。視界が確保される。
 しかし相手にもこちらの姿は丸見えで、そして好都合だろう。矢はおそらく、上方から。フリッツはとっさにあたりを見回した。二時の方角に見張り台だろうか、堅牢な塔が立っている。フリッツはそちらの方向にあたりをつけた。
 その時、塔の方向からきらりと光る物体が飛んできた。弓矢だ。ティアラを突き飛ばして、なんとか避けさせる。

「見えた!」

 近くからルーウィンの声がした。いつの間にか、後ろに控えていたのだ。矢の飛んできた方角から相手の居場所の目星をつけたルーウィンは、目にも留まらぬ速さで弓を構えて打った。
 しかし、フリッツとティアラのもとには早くも第二の矢が飛んできた。矢はフリッツのブーツのつま先を掠めた。

「もういっちょ!」

 ルーウィンは再び、射た。しかし、相手の狙撃はまた止まない。ルーウィンの矢が当たっていないのではない。おそらく塔の上には複数の人間が控えているのだ。
 フリッツは盾を構えたままティアラに駆け寄った。矢は狙い違わず飛んできて、なんと構えていたフリッツの盾に刺さった。さすがにフリッツも顔を青くする。しかし、ティアラ目掛けて集中的に三本ほど矢が放たれた。トストストス、と連続的な振動が盾越しに伝わる。
 すると、なんと盾は割れてしまった。向こうの弓使いはなかなかの使い手のようで、盾の縦方向に矢を放つことで一つの割れ目を作り、木製の盾をぱっくりと割ってしまった。もう身を護れるものは何もない。
 フリッツはティアラの前に出て背中の錆びた真剣を抜いた。
 次の矢は容赦なく二人めがけて襲い掛かる。

「はあっ!」

 フリッツは声を上げて、真剣を振った。ティアラは思わず目を瞑った。
 ガチンと金属と金属の擦れあう嫌な高音が響いた。
 剣で矢を相殺したのだ。一か八かの賭けだった。

「フリッツ、よくやったわ!」

 ルーウィンは弓使いの三人目に狙いをつけた。そして矢を放った。
 それが、終わりだった。
 上方からの矢による襲撃は止み、フリッツとティアラは顔を見合わせてお互いほっとした表情を浮かべた。

「飛んできた矢を払いましたね! フリッツさん、すごいですわ」

 実際、飛んでくる矢を見つめ続けることはとても勇気の要ることだった。すぐにでも身を翻して避けたかったが、自分が避ければティアラに当たってしまう。それでとっさにとった行動だった。

「今更ながら、心臓がバクバクしてるよ」

 フリッツはその場にいた見物人から拍手喝采を受けた。気の抜けた口元に、顔を赤くしてどうもどうもと頭を下げる。もちろん、これが本物のシェリア女王であればここまで身体を張ることはなく、仲間のティアラであったからこそなのだが、街の人々はそんな事情を知る由もない。
 兵士たちは自分たちの身体をバリケードにして、民衆を広場から遠ざけた。

「…あの女。ずいぶん危ねえ橋渡らせやがって」

 盛り上がる広場の空気をよそに、ラクトスはこの場にはいない女王に舌打ちした。
 広場の隅のほうに、先ほどの少女が取り残されていた。しりもちをついて、動けないようだった。自分が渡した物のために広場に混乱が起こったことに驚き、そして戸惑っている。フリッツは少女に声を掛けようと思った。不安を取り除くためと、あの玉を少女に渡した者の話を聞けないかと思ったのだ。
 
 しかし、襲撃はまだ終わってはいなかった。
 少女目掛けて、ふわふわと光の玉が飛んできた。

「危ない!」

 近くにいたティアラが、動けない少女の上に覆いかぶさった。
 ティアラの悲鳴が上がった。光の玉はティアラの背中に直撃し、スパークした。丸いバリアの張られたような球体がティアラを中心に形成され、その中で小さな稲妻が幾本か走る。
 一瞬の出来事だった。
 ティアラは力なく崩れ落ちた。受身も取れず、石畳に落ちた。女の子は倒れたティアラを見て、悲鳴を上げる。

「ティアラ!」

 フリッツが叫んだ時には、もう遅かった。
 ティアラの周りを、再び球状のバリアが覆った。それが完成するや否や、球体は浮かび上がり、その中心にあるティアラの身体も宙に浮いている。まばゆい光を放ち、フリッツは思わず腕で目を覆った。
 次に目を開けると、そこには泣きじゃくる女の子が一人取り残され、ティアラの姿はなくなっていた。
 ラクトスが駆け寄ってきた。フリッツは訴えた。

「どうしよう! ティアラが消えた!」
「落ち着け! あれは攻撃魔法の後、転移魔法を使っている。だが、人一人の重さでどこか遠くへ行けるほど、あの魔法は出来ちゃいねえ。まだこの近くにいるはずだ!」

 戦闘時、普段は冷静なルーウィンも今度ばかりは焦りの色が浮かんでいる。ルーウィンはラクトスに詰め寄った。

「ねえ、何とかならないの? あんたの魔法で、どこに連れて行かれたか探せない?」
「出来るならやってる! 同時に魔法の痕跡をちゃんと消してやがる、どこに行ったかはわからねえ」

 ラクトスは怒鳴るようにして答えた。その場にいる三人が皆、いまだかつてない焦燥感に取り付かれていた。
 こんなにもあっさり、ティアラが連れ去られてしまうとは思っても見なかった。鮮やかにといっていいほど一瞬のうちの出来事だった。三人の様子を見て、隊長が駆けつけた。

「一度王宮に引き返し、体勢を立て直す」
「でも!」

 フリッツは食い下がった。しかし隊長は渋い顔をして、フリッツの肩に手を置き、首を横に振った。

「ここに残っても、ティアラ殿を見つけ出す手がかりはあまりないだろう。今はわたしの言うことを聞いてくれ」

 兵士たちは広場から民衆を追いやってはいるが、自分たちの身の安全が確保できた今では、人々は女王の安否を気にし始めていた。攫われたのはティアラだが、影武者だとも明かすわけにいかず、そうなれば女王本人が攫われたということになりかねない。この事態を悟られるわけにはいかなかった。
 それに人々を抑えておくのは、そろそろ限界がきているようだ。兵士たちの身体を張ったバリケードは、今にも人の波に破られようとしている。

「…わかった。ここは言うとおりにする」

 意外にもラクトスが返事をして、三人は隊長と共に王宮へと引き返した。








 女王との話し合いの場が整うまで、フリッツたちは待った。フリッツは王宮の渡り廊下の壁に身をもたれかけて、石で出来たアーチ状の枠に肘を付いて立ち尽くした。
 久々の敗北感だった。悔しさと歯がゆさがこみ上げてくる。自分がいけなかったのだろうか。弓使いの奇襲からティアラを護ることが出来て、それで油断してしまった。あの時自分がまだ気を抜いていなければ、今頃ティアラは自分たちの傍にいて笑っていただろう。
 フリッツはぎり、と奥歯を強く噛んだ。

「少なくとも、魔法使いは二人いると見ていい」

 隣にいるラクトスの言葉に、フリッツは現実に引き戻された。

「どうして?」
「これは本当にカンなんだが、使っている魔法のセンスが違う。この前の夜の襲撃と、今回の弓での襲撃、これはくぐつを使った魔法で、同一人物がかけていると思う。陰湿で根性の腐ったやつの仕業だ。
 一方、ティアラをさらった魔法。あれは敵ながらあっぱれだった。攻撃と転移を同時にやってのける発想といい、それを実行に移す実力といい。あんなの見たのは初めてで、つい息を呑んじまった。あんなに完璧な術は滅多にない。いや、見たことがなかった。あんな状況じゃなかったら、おれはずいぶん興奮していただろうな」

 ラクトスは続けた。

「それと、今回の襲撃の弓使いはおそらくくぐつではなく、生身の人間だ。あの距離から狙いを定めるには精度が要る。さすがに魔法で操ってあの精度はないだろうからな。とすると、相手は最低でも五人以上ということになる。最も、今は二人以上だが」
「…よくそんなに淡々と分析していられるね」

 半分嫌味のつもりでフリッツは言った。ラクトスは少し目を見開いた。

「お前みたいに落ち込んでても、ティアラを助けられるわけじゃないからな。嫌味なんて、お前にしちゃ珍しいな」

 フリッツの言葉に対して、ラクトスはさして腹を立てた様子もなかった。それを見て、フリッツはだんだん申し訳なく思えてきた。

「ごめん。自分のふがいなさに嫌気がさしてるのに。八つ当たりした」
「たまにだから許してやるよ」

 ラクトスは壁に背中を預けてため息をついた。
 そうだ、落ち込んでいてはいけない。本当に辛いのはティアラなのだから。フリッツは自分の頭を叩き起こした。フリッツにはずっとひっかかっていることがあった。
 クリーヴのことだ。
 ラクトスには、王宮でクリーヴに会ったことをまだ伝えていない。しかし、状況は変わってきた。敵は複数犯と分かり、そのうちに魔法使いがいることもわかっている。なんの証拠もなく、フリッツはクリーヴを疑うことがまれにあった。しかし、その考えは憶測に過ぎず、ただの杞憂に過ぎない。再会したクリーヴはすっかり元に戻っており、危険な人物とは思えなかった。
 それにラクトスにこのことを伝えれば、彼は犯人をクリーヴに絞り込むだろう。因縁があったのだから無理もない。しかしそれでは視野は狭くなり、ラクトスの思考も鈍る。ラクトスも人間である以上、私怨がからめばまともな判断ができる保証はない。
 しかし、フリッツは意を決した。

「あの、ラクトス。実はクリー…」
「あぁ?」

 ラクトスは物凄い形相でフリッツを睨み付けた。一緒に旅を始めてから睨まれる数は減っていたので、久々に見せられた表情にフリッツは思わず恐れおののく。ラクトスの額に青筋が浮かび、眉は神経質そうにピクピクしていた。フリッツは表情を強張らせた。

「クリ、そう、栗! この街栗の砂糖漬けが名物なんだよ、知ってた?」
「なんだ栗か。悪ぃ、条件反射で嫌なやつ思い出しちまった」

 ちっと舌打ちをして、ラクトスはポケットに手を突っ込んだ。フリッツは凍った笑みを顔に貼り付けて不器用に笑った。
 やはり、言うべきではない。今教えれば、ラクトスはクリーヴが犯人だと決め付けてかかってもおかしくない。それに万が一本当にクリーブが一枚噛んでいたとしたら、いずれその答えに辿り着くだろう。今のラクトスは一生懸命だ。自分のために、攫われたティアラのために。それをフリッツの発言で、いたずらに動揺させることはない。
 どこに行っていたのか、向こうからルーウィンがやってきた。フリッツたちの手前で止まるかと思いきや、その勢いは止まらずラクトスのまん前で足を止めた。

「あんた、王宮で働かないかって話が出てるそうじゃない?」

 ラクトスはフリッツに視線をやった。フリッツは慌てて首を横に振る。

「今そこで、大臣たちが話してるのを聞いたの。まあ、あんたの今後の身の振り方はどうだっていいわ」

 ラクトスの就職の話を言わなかったことをルーウィンは怒っているのではなかった。それは目の色を見ればすぐにわかる。自分より背の低いルーウィンに至近距離から上目遣いで睨まれて、ラクトスも見下す格好でその視線を受け止める。その瞳には、非難めいた色が浮かんでいた。

「あんた、知ってたんじゃないの? 今回の視察で、この騒動が起きること。知ってて自分の願望を叶えるために、ティアラの身に危険が迫ってることを言わなかったんじゃないの?」

 ラクトスは口を閉ざした。

「何も言わないってことは、そうだってことよね?」

ルーウィンはラクトスの襟首を掴んだ。それを見てフリッツは慌てる。

「ルーウィン! 何を」
「とんだ腐れ野郎ね。がっかりしたわ」

 ルーウィンはさらに左手に力をこめた。ラクトスは極めて冷静で、ルーウィンの手を自分の手で掴んだ。

「離せ。ティアラを護りきれなかった八つ当たりを、おれにするな」
「何ですって!」

 ラクトスはたった一言で見事にルーウィンの逆鱗に触れた。湧き上がる感情に任せ、ルーウィンは右の拳をラクトス目掛けて繰り出した。反射的にラクトスは目を瞑った。なにかに突き飛ばされて、しかし顔面に覚悟していた痛みはやってこない。
 見るとなぜか、フリッツが顔を抑えて床に座り込んでいた。フリッツは二人の間に割り込んで、ルーウィンの拳を顔面で受け止めたのだ。殴った本人であるルーウィンも驚きに目を見開いて、ラクトスもしばらく呆然と突っ立っていた。

「…痛たぁ」

 フリッツのうめき声に、二人は我に返った。フリッツは涙目で痛そうに頬をさすり、顔を上げて二人に言った。

「二人ともやめなよ! 仲間割れなんてしてる場合じゃないんだよ」
「その通りです」

 向こうからシェリア女王を筆頭に、大臣と隊長がやってきた。女王は口を開いた。

「あなたがたに、お話があります」









 フリッツたちとシェリア女王らは謁見室へと集まった。

「まず、わたくしは謝らなければなりません。今回のこと、ティアラさんが連れさらわれてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。わたくしのせいです。ごめんなさい」

 シェリア女王は三人の前で初めて玉座を立った。そして段を降り、腰を折った。大臣が声を上げて止めようとしたが、隊長にそれを片腕で遮られる。

「謝って済むことじゃねえし、ティアラは連れ戻すからいい。それより、悪いと思ってるんなら、知っていることを話せよ」

 一国の女王に頭を下げられても、ラクトスは快く「いいよ」という返事をしなかった。それは女王もわかっているのだろう。頭を上げて、女王は言った。

「この一連の事件の裏には、恐らくある組織が糸を引いています。脅迫状を送られたのは、これで三度目です。一つ目は、街の娘たちを攫うという予告。二つ目は、今回の視察を取り止めにしろという脅し。そして三通目は、このわたくしの身を差し出せというもの」
「女王様を、ですか」

 フリッツは思わず聞き返す。シェリア女王は頷いた。

「彼らの目的や要求はまだわかりません。しかしこのグラッセルに仕掛けてくるからには、なにか必ず目的があるはずです」
「一国が賊の手玉に取られるとは、情けない話だな。で、目星はついてるんだろ。なんなんだ、その組織ってのは?」

 ラクトスは物怖じもせずに尋ねた。隊長と大臣は思わず顔を見合わせる。

「シェリア様。よろしいのですか」
「今更隠していても良いことなど一つもありません」

 シェリア女王は重々しく口を開いた。

「あなた方も、風の噂で耳にしたことくらいはあるはずです。文章の最後はこう締めくくられています。闇に潜む漆黒の竜より、と」

 その言葉を耳にして、ルーウィンは目線を上げた。重々しい空気が謁見室を支配する。

「漆黒竜団(ブラックドラゴン)」

 それが今、フリッツたちが相手にしている敵だった。



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