小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第6章】

【第六話 危険な夜道】

 城下には生ぬるい風が吹いていた。雲に月が隠され、暗くなった細い道を娘は足早に歩いていた。薄手のスカートが揺れ、羽織っているショールをぎゅっと握り締める。街灯もここまでくれば設置される間隔は広くなり、ぽつぽつと心細い明かりだけが頼りだった。
 娘はふと足を止めた。振り向くが誰も居ない。気のせいだろうと思い直し、頭を振って歩き出した。だがしかし、一度持った違和感を振り切ることは出来なかった。娘は再び歩みを止める。少し遅れて、ひた、と足音がやんだ。この状況を理解できないほど娘は愚かではなかった。

―――後をつけられている。

 娘は走った。今度は明らかに何者かが追いかけてくる。途中ショールがはらりと落ちたが、気にしている余裕はなかった。スカートの裾が乱れるのもかまわず、娘は石畳の上を駆け抜ける。背後で何者かがにやりと笑う気配がした。捕まったら最後、良くないことが起こるのは目に見えている。
 これが最近、古都グラッセルの夜を脅かす魔物の正体であることに、娘は気づいてしまっていた。魔性のものとも賊とも知れない。なぜなら襲われた娘は皆、今も姿を消したままだからだ。
 グラッセル王宮から、夜の見回りの兵士は当然のように派遣されている。先ほども、ついそこの門でご苦労様と言葉を交わしたばかりだ。それがものの数分後にこんなことになってしまうとは、思いもよらなかった。

 叫んで助けを呼ぶことも出来ずに、娘はただひたすらに走った。気配はまだ消えない。角を左に曲がる。細い路地をまた左に曲がった。細い壁と壁との隙間に身を潜め、ほっと息をつく。
背後の暗闇から手が伸びた。

「…捕まえたぁ」

 そう言ったのは、何者かではない。
 娘の方だった。
 瞬間、その腕を掴んだ娘は身をかがめた。強い力で引き寄せられ、暗闇から黒装束の男の姿があらわになる。そのまま勢いをつけて男は投げ飛ばされた。その先のゴミ箱にぶつかって、無様に悲鳴を上げる。いったい何が起こったのかわからないまま通りのほうへ這い出した男の前に、娘が腕を組んで立ちはだかった。男の背中に足を乗せて重心をかけ、あっという間に片腕をひねりあげる。

「う、うぅ…」

 男の唸り声を聞き、娘は勝利を確信した。
 しかし、娘は捕らえた獲物を諦めて飛び退いた。たった今娘がいた場所に、手投げナイフが幾本も飛んできたのだ。娘は無傷だったが、その下敷きになっていた男に突き刺さった。男はギャアと悲鳴を上げた。  
 娘は袋小路に置かれた樽の後ろにとっさに身を隠した。テンポのいい音を立てて、容赦なくナイフが樽に突き刺さる。娘が小柄であったためなんとか樽が盾になった。ナイフが切れた気配を感じて、娘はスカートの中から弓を取り出し、すかさず打ち込む。狙いたがわずナイフ男の両手に矢が刺さる。これでナイフが飛んでくることはない。
 しかしそこで、ナイフ男を押しのけて別の男がゆらりと立ちはだかった。身の丈が屋根ほどまである大男だ。その手には棍棒を持っている。娘一人分と変わらないほどの大きさの棍棒だった。これで殴られればさすがにひとたまりもない。娘は後退した。しかし、踵が壁に当たって道の終わりを知る。大男に追い詰められ、その攻撃を避けきるほどのスペースは残されていなかった。

「危ない!」

 背後からの声に大男は思わず振り返る。しかし、それと同時に沈み込んだ。大男の後ろでは、小柄な剣士がすでに着地しているところだった。大男は後頭部を木刀にやられたのだ。大男は気を失い、狭い袋小路にゆっくりと倒れこむ。
 娘はかぶさり倒れてくる大男の肩に器用に足を掛け、倒れ行く男の背を足蹴にして軽やかに反対側へと駆け下りた。猫のような身のこなしで着地を決めると、娘は頭に巻いていたスカーフをさらりと解いた。娘は剣士に、冷たい一瞥をくれてやる。

「別に危なくなんかなかったけど」
「え、そうだった? なんか、ごめん」

 街娘の扮装をしたルーウィンに迷惑そうに言われ、フリッツは眉を下げた。

「いや、何も謝ることはないだろう。よくやってくれたよ、フリッツくん。ルーウィンくんもご苦労だった」

 油断していた相手の背後をとるという、常套手段ではあるが正々堂々とはいえない方法だ。しかしこれだけの大男をたった一撃で静めるというのは、なかなか出来ることではない。にも関わらず、褒められもせずうっとうしそうに扱われるフリッツを、隊長はついつい不憫に思った。

「おい、無駄口叩くな。まだ仕事は終わりじゃねえぞ」
「その通りだ。さあ、こいつらの正体を見極めなければな」

 ラクトスが言い、隊長が頷いた。ラクトスは杖の先に光を灯し、倒れている男の顔に近づける。黒い覆面を剥いで、隊長は声を上げた。

「…驚いた。こいつは、どういうことだ」
「なんだ、知り合いか?」

 ラクトスの問いに、隊長は声を潜めた。

「こいつは一月前に刑を執行されたはずの死刑囚だ。どうしてこんなところに。いや、それよりもなぜ生きている?」
「なにが都に巣食う魔物よ。バッカみたい、ただのおっさんじゃないの」

 すっかり町娘の格好を解いたルーウィンが鼻を鳴らした。角からひょこっと顔を出したティアラがルーウィンに駆け寄った。

「さすがルーウィンさん! お見事でしたわ」
「まあね。こんなのわけないわ」

 ティアラの賞賛に、ルーウィンはまんざらでもない様子だった。
 袋小路には全部で三人の男が倒れていた。最初にルーウィンを襲った男は、ナイフが刺さって低く呻いている。二人目のナイフ男は、ルーウィンの矢で射止められている。そして大男は、まだ気を失っていた。

「さて、とりあえずこいつら起こして口を割らせるか」

 ラクトスはしゃがんでナイフ男を見た。

「フリッツ。こいつ、おかしいと思わないか」
「うん、なんだか気味が悪いよ。矢が刺さってたら、もっと痛がるはずなのに。ナイフが刺さってる人もそうだ」

 フリッツは思わず目を細めた。男は低く呻いている。悪態をつくとか、命乞いをするとか、生身の人間ならもっとリアクションがあってもいいはずだ。男たちは、確かに生きている。息をしている。フリッツはその目を覗き込んでぞっとした。まるで生気のない瞳だった。隊長も大男を掻き分けて、ナイフ男のもとへやってきた。

「まるで、なにかに無理やり操られているようだな」
「これ、もしかすると、魔法?」

 フリッツは呟いて、ラクトスを見上げた。
 突然、男たちは苦しみだした。ラクトスは思わず舌打ちをする。

「しまった、口封じか! ティアラ!」
「はい!」

 ラクトスが言って、ティアラは一番近くの大男に駆け寄った。ティアラは男の身体に両手をかざす。
 暗闇の中、柔らかな光がティアラの手の中に生まれて、治癒術が始まった。しかし、この場で治癒術が使えるのはティアラ一人だけだった。最初の男が、続いてナイフ男がもだえ苦しみ、口から泡を吐いて死んでいった。大男もなにかに縛られたかのように痙攣を始める。ティアラは必死になって、大男を死の淵へと引きずり込もうとする悪意と戦った。しかし彼女の努力もむなしく、しばらくして大男は動かなくなった。
 事切れたのだ。

「…だめです、もう」

 ティアラは首を横に振った。

「ちょっと下がってろ」

 ラクトスは杖をかざした。隊長が口を挟んだ。

「なにをしてるんだい?」
「魔力の気配を探っているのです。この方に魔法がかけられていないか、調べているのですわ」

 今の事切れ方は、三人ともが明らかにおかしかった。不自然で、不気味だ。ラクトスは杖を構えて、紫色の光が明暗を繰り返した。しばらくして、ラクトスは杖を下ろした。

「呪いがかかってるな。失敗したら殺されるようになっていたんだろう」
「そんな…」

 ティアラは悲痛な声を上げた。

「ルーウィン、あそこ!」

 フリッツの声に、反射的にルーウィンは弓を構える。フリッツは屋根の上を指差した。それと同時に、ルーウィンの手は弦から離れ、標的は屋根の上に崩れ落ちる。

「猫とか、ではないわよね」
「下ろすぞ」

 ラクトスは呪文を唱えた。ウインドアームという風の魔法で、屋根の上に小さな竜巻が現れる。やがてそれはルーウィンの射止めた標的の形を保ったまま、ゆっくりと五人のいる袋小路に下りてきた。下ろされた物体を見て、ルーウィンは怪訝そうに眉根を寄せる。

「なに、これ」
「くぐつだな。泥人形だ。となると、その中にコアが埋め込んであるはずだ」

 ラクトスはかがんで、泥人形の塊の中を探った。中から手のひら大の、紫色に怪しく光る球体が出てきた。しかしラクトスがそれをよく見ようと顔に近づけると、球体は光るのをやめ、粉々に砕け散った。そして風化したように一瞬のうちに色をなくして砂になり、夜風にさらさらと流れていってしまった。隊長は悔しそうに唇を噛む。

「せっかくの手がかりが」
「いや、おそらくこいつを調べたところで犯人には辿り着かない。こいつが監視役で、実際の犯行は人間のほうにやらせてるんだ」

 それを聞いて、ルーウィンとティアラは表情を曇らせた。

「胸クソ悪い話ね」
「本当です。いったいひとの命を、何だと思っているのか…」

 フリッツは何も言わず、死んだ三人を前に両手を合わせた。
 悪人とはいえ、操られていたのだ。事情を吐かせるためだったとはいえ、目の前で三つの命を救えなかったのは事実だった。ティアラ同様、フリッツもショックだった。フリッツは、人の死を見るのが初めてだった。 しかし大男の命を繋ぎとめるために力を尽くしたティアラのほうが悔しい思いをしているに違いない。フリッツはティアラを気遣わしげに見た。目が合って、ティアラは無理に微笑んだ。

「大丈夫です。こういうことは、初めてではありませんから。でも、許せません。生きているひとを、まるで人形のように」

 ティアラは悔しそうに唇を引き結んだ。

「こいつらが死んでしまった以上、今晩は向こうも動かないだろう。念のため、警備の兵は増やし、民には出歩かないよう連絡を回す。なにもわからないかもしれないが、こいつらを回収して、一度引き上げるとしよう」

 隊長がそう言い、四人は頷いた。フリッツはラクトスに声を掛けた。

「ラクトス」
「最初から上手く行くとは思ってねえ。本番はここからだ」

 ラクトスはそう笑って見せた。しかし、彼の拳は悔しそうに握り締められているのを、フリッツは知っていた。






 近くを見回りしていた兵士たちに死んだ男たちの収容を手伝ってもらい、フリッツたちは城下から王宮へと引き上げた。オトリ作戦自体は上手くいったものの、男たちが呪いによって死んだことで結局は失敗に終わってしまった。
 一行には重苦しい雰囲気が流れていた。見ず知らずの赤の他人でも、続けざまに死ぬのを見るのはいい気分ではない。ルーウィンはあまりいつもと変わらない様子で、ラクトスは考え込み、ティアラは沈んでいた。フリッツもなんとなく気持ちが塞いで、会話もなく引き上げたのだった。
 隊長に続いて謁見の間に入ると、シェリア女王と大臣が待っていた。

「作戦は失敗しました。申し訳ございません、女王陛下」
「ご苦労でしたね。話は大臣からも聞いています。顔を上げなさい」

 隊長がフリッツたちの前に進み出てシェリア女王に膝をついた。フリッツたちはその後ろで大人しく控える。女王は口を開いた。

「もう同じ手は通用しないでしょう。オトリは、これ一回きりですね」
「しかし、また間を空けてやってみるという手も」

 食い下がる隊長に、ラクトスは言った。

「無駄だと思うぜ。向こうもバカじゃない。監視役の泥人形がいるし、ああやって呪いをかけられてちゃどうにもならねえ。捕まえた先から死なれちゃあな」
「しかし、ではこれからどうやって奴らを引きずり出せというのだ」
「それを考えるのがそなたの仕事じゃ、隊長。これ以上奴らをこのグラッセルにのさばらせるようなことがあってはならぬ」

 大臣に言われて、隊長は口を閉ざした。

「ティアラさん、あなたの出番です。別件ですが」

 大臣は女王に視線をやった。女王はそれを見て頷く。

「明後日は毎月恒例の、わたくしが城下を視察する日です。あなたには、わたくしに成り代わって街に出てもらいます」
「はい。かしこまりました、女王陛下」

 ティアラはシェリア女王に礼をとった。もともとそのために王宮にいるのだ。ティアラはなんなくその申し出を受け入れた。

「さて、今日は遅くまでご苦労様でした。視察は明後日。あなたがたの、次の仕事です。それまでに身体をゆっくりと休めてください」

 シェリア女王は労いの言葉を掛けると、その日の話し合いに区切りをつけた。
 その日の作戦の細部は隊長から話をするということで、フリッツたちはそれぞれの部屋に戻るよう促された。あれこれ尋ねられず、すぐに次の視察の話になったことを、いつもの状態であればフリッツたちも不自然に思ったかもしれない。
 しかしルーウィンもティアラも夜中ということもあり、すぐにでも身体を休めたいといった雰囲気だった。それはフリッツも同じで、部屋に戻ったら一目散にベッドに身を沈めようと思っていた。
 ラクトスだけが、その不自然さを感じ取っていた。











 彼女の紅い髪は、南大陸を統べるグラッセル王国王族の血統である。御歳二十四。シェリア・フェルナンド・グラッセルがこの国を治める女王となってはや三年。父である先代国王が亡くなっての、若くしての戴冠であったが、優秀な臣下たちに支えられてなんとかここまでやってきた。
しかし今、シェリアの表情には陰りがあった。

「恒例の視察をとりやめろ、ですって。何を馬鹿なことを。わたくしを脅そうというのですか」

 フリッツたちのいなくなった謁見室で、女王は歯がゆさに思わず唇を噛んだ。
 今視察を取りやめれば、グラッセル王家がこの不気味な事件を恐れていると民衆に思われかねない。こんな時だからこそ、街に赴いて民衆を励ますのが自分の役割だと、シェリアは考えていた。
 しかしその矢先に、この脅迫文だった。そして手紙を握りつぶした。

「ふざけたマネを!」

 らしくもなく、シェリアは声を荒げた。
 よりによって自分の代で目をつけられるとは。だが、それも当然の流れなのかもしれなかった。まだ国を治める勝手もわからないような小娘が即位したとあっては、付け入る隙があってもおかしくはない。しかしこれでも、必死になって見様見真似でやってきた。民衆はもともと自分のことを好いていてくれたようだが、王として認められてはいなかった。
 なんとか形になって、これからだという、その時だった。

「わたくしに、どうしろと言うのよ…」

 激昂した後、シェリアは玉座に崩れ落ちた。

「おいたわしや、姫様」

 大臣が気遣わしげにシェリアを見た。シェリアが幼少の頃から、孫同然のように可愛がってきた姫君だった。そのシェリアの肩に、今やグラッセルの未来がのしかかっている。細い身体は悲鳴を上げて、今にも軋んでしまいそうなことだろう。

「良いですか。このことは、決して外部には漏らしてはなりません」
「影武者をしていただく、ティアラ殿やそのお仲間にもですか」

 隊長は目を見開いた。シェリアではなく、大臣が隊長に言った。

「当然だ。彼らだって、例外ではない。なんとしてでも、この事態を切り抜けるのです。一介の賊になめられるなど、このグラッセル王国始まって以来の屈辱! このグラッセルに手を出したことを後悔させてやるのだ」
「ええ、そうね。本当に」

 シェリアはこめかみを押さえながら、ふらふらと立ち上がった。

「姫様?」
「少し夜風に当たってきます。平気よ、心配しないで」

 大臣と隊長が見守る中、シェリアは重たい足取りで謁見室の扉を開いた。







 シェリアは松明の明かりが灯る渡り廊下で、切り取られた半円形の枠に身を預けていた。紅い髪が夜風に揺れる。階下の暗い庭園では、兵士たちが夜も眠らず見張りをしているのが見えた。グラッセルの街が見える。 以前は夜でも賑わいを見せていた。しかし今、街はしんと静まり返っている。少し前なら、屋台や広場に明かりがきらめき、旅芸人の奏でる笛や太鼓の音色や、若者たちのはしゃぐ声が風に乗って聞こえていたのに。
 人の気配を感じて、シェリアは考えに耽るのをやめた。

「いいのか? こんな時間に、姫さんが一人でふらふらして」
「何の用ですか?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな」

 暗闇から現れたのはラクトスだった。普通、王宮内を夜に歩き回れば、客人であろうと捕まっても文句は言えない。あろうことか、間に人も通さず女王に会いに来るとは。しかしラクトスはそんなことにはお構いなしに話し始めた。

「視察のことだが、実際のところ、ティアラの身に降りかかると予想される危険はどの程度なんだ」
「…わかりません。万が一に備えて、彼女に身代わりを頼んでいるまでのこと。なにか起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。そんなことより、あなたはその万が一の非常時に備えて、悪党を捕まえることだけを考えなさい。あなたの今後が懸かっているのだから」

 シェリアの物言いに、ラクトスは眉根を寄せる。

「もう一度聞くが、本当にこの一連の事件の犯人の目星は、まったくついていないんだな?」

 シェリアは黙った。ラクトスは続ける。

「一国相手にこんなことしておいて、何も要求がないのはおかしい。グラッセルを恐怖のどん底に陥れたいだけのイカれた連中なら話は別だが。じわじわと首を絞めるのを楽しんでやがる。娘を一気にさらわず、一人一人、一定の間隔をあけて攫っているからな。こちらの様子を、出方を窺っている。まるでグラッセルが、自分に屈するのを待っているみたいに」

 ラクトスが自分の表情を窺っているのに気づいて、シェリアは顔を背けた。

「今回であの男たちが魔法で操られていただけだとわかっても、あんたたちの見解は変わらず、複数犯だ。魔法を使った、個人一人の犯行の可能性があるにも関わらず。
 そしてあの男たちは囚人だった。それは誰かが刑を執行する前に流したってことだ。内通者がいる可能性も、あんたは疑っているな? じゃなきゃおれたちみたいなどこの馬の骨とも知れない輩を使うわけがないからな。
 あるいは、敵の非道さ冷徹さを知っての上で、城の者ではなく見ず知らずのおれたちをエサにしようとしているか」

 シェリアは内心、驚いていた。顔に出さないよう、何食わぬふうを装うのに必死だった。全てが、当たっている。まるですべて見てきたかのように。

「犯人の目星などありません。同じことを、何度も言わせないで」

 シェリアはそう言い放つと、ラクトスに向き直った。出来るだけ上から、威圧的に。この青年の未来は自分が握っているのだ、堂々としていればよい。

「あなたは、変わっていますね。犯人を捕まえれば、あなたには安定した未来が約束されるのですよ? それなのに、雇い主のわたくしの気に障るようなことばかり言う。それではわたくしの気が変わってもおかしくはないでしょう。あなたはもっと、利己的で自分勝手な人間だと思っていましたが?」

 ラクトスは苦笑した。

「その通りだ。今も王宮の魔法使いって称号に目が眩んで、みっともないくらいギラギラしてやがる。だからなんとしてでも、この一件にカタをつけたいんだよ。秘密主義者の雇い主に嫌われてでもな」
「わたくしはまた、ティアラさんの安否を純粋に気遣っているのかと思いました」
「本当に気遣ってたら、こんな危ない橋を渡らせたりしねえ。あいつにはおれのためにも、あんたの影武者をしっかりと務めてもらう」

 それはおそらく本当のことだ。しかし、同時に彼女の安全を出来るだけ確保しようとも思っているはずだ。そうでなければ、わざわざ疑われる危険を冒してここまで来て、自分を尋問しているはずがない。彼は顔に似合わず、仲間思いなのかもしれなかった。
 そう考えて、シェリアはため息をついた。

「どうしておれを雇おうという気になったんだ?」

 それは裏表のない、純粋な質問だった。シェリアは小さく苦笑した。

「悪意を持った人間が、こんなに媚を売らないわけがないでしょう。それだけに、あなたに、あなたがたに賭けてみようと思ったのです」
「裏をかいて、そういう作戦かもしれないぜ」
「そうしたら、もう、わたくしは何を信じたらよいかわからなくなるのでしょうね」

 シェリアは呟いた。その言葉に対して、ラクトスは何も言わなかった。
 ラクトスは帰ろうと踵を返す。

「こんなところに長居はやめたほうがいいぜ。いつ狙われるか、わかったもんじゃない」
「そうね、もう戻ります。あなたも、見張りに見咎められる前に戻りなさい」
「言われなくても。じゃあな」

 素直に返事は出来ないのだろうかと、シェリアは思った。いちいち突っかかってくる物言いだ。これは仮に王宮に召し上げたとしても、相当な数の敵を作るだろう。最初からだめになるのなら、妙な期待を持たせるのはかえって可哀相かもしれない。
 シェリアは頭を振った。今はそれよりも、考えなければならないことがある。脅迫文の文面を思い出し、シェリアは瞳を不安に揺らめかせ、憎き敵の名を呟いた。

「闇に潜む、漆黒の、竜…」

 その声はひっそりと、暗闇の中へと消えていった。





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