小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第7章(前編)】
【第四話 槍使いの青年】

 四人はチルルを担いで逃げてしまったセバスチャンを追って走った。暗い通路に、バタバタとせわしない足音が反響する。

「あのじじぃの体、いったいどうなってんだ!」

 ラクトスは悪態をついた。腰は曲がっておらず背の高い老人であったが、十の子供を抱えて走るほどの体力があることには驚きだった。

「それだけ力を貸して欲しいということですわ!」
「それは嫌ってほどわかるんだけど!」

 走りながらティアラが言って、フリッツが答えた。

「この隠し通路がものすごく都合よく出来てたら、このまま敵の中心へ一直線かもね!」

 ルーウィンがそう言い、フリッツは身震いした。そんなことになる前に、なんとしてでもセバスチャンに追いつき、チルルを奪還しなければならない。
 しかし四人はセバスチャンに追いつくことなく、かなりの距離を走り続けた。この通路はそのまま外に抜けるのか、あるいはヒトラス邸のどこかに通じているのか。前者であることを願いつつ、フリッツたちはひたすら駆ける。

「出口だ!」

 薄暗い通路の先に光が見えた。
 四人は通路の終わりに辿り着き、息を整えた。そして、外の様子を伺う。
 残念ながら、その先は外ではなく、室内だった。白い大理石の敷き詰められた床の上に、足首まで埋まってしまいそうなほどの真紅の絨毯。骨董品や絵画が上品に飾られていた。天井は吹き抜けで、贅を尽くしたシャンデリアが輝いている。部屋の中央には大理石で出来た階段があり、踊り場で二手に分かれて階上へと続いていた。
 どうやら漆黒竜団はいないようだ。しかし、部屋の中央には人影がある。フリッツは声を上げた。

「セバスチャンさん!」

 セバスチャンは階段の前で立ち止まっている。チルルは絨毯の上に立ち、セバスチャンからは開放されていた。

「おい、じじぃ! やっと追いついたぜ」

 ラクトスがセバスチャンにずかずかと近寄る。フリッツたちも通路から部屋へと足を踏み入れた。チルルは無事なようで、きょとんとした様子で大人しく立っている。

「あらら、出てきちゃったんだね。だめじゃないか」

 上から声が降ってきて、フリッツたちはそれぞれ身構えた。
 セバスチャンが立ち止まっていた理由は、『彼』だった。部屋の中央から伸びる階段の踊り場に、先ほどまで執事の皮を被っていた青年が悠々と立っている。

「困った時の隠し通路だ。さすが執事長、このヒトラス邸を隅々まで知っていらっしゃる。新参者のおれとは違うね」

 青年は執事のシャツの上から黒い上着を羽織っている。ここにこうして居るからには漆黒竜団の一味で間違いないのだが、彼はどこか雰囲気が違っていた。
 蒼銀色の髪に、整った顔立ち。上背もあり、手足はすらりと長い。そしてその手に握られているのは、身の丈ほどの長さの槍だ。青年は槍使いだった。
 青年が悪びれもせず立ちはだかっているのを見て、セバスチャンは大声を上げる。

「よく私の前にのこのこと顔を見せられるものだな。そこを通せ! 旦那様は無事だろうな!」

 セバスチャンの言葉に、青年は眉一つ動かさず飄々と答えた。

「多分無事だと思うよ。おれたちの狙いはヒトラスが条件を飲むことであって、ヒトラスを潰すことじゃない。きっと今頃直談判でもしているだろうさ。ただし、おれたちはあくまで悪者だ。ある程度までは紳士的な対応をさせてもらうけれど、その一線を超えたらヒトラス氏がどうなるかの保証はないよ」
「…貴様!」
「セバスチャンさん、落ち着いてください!」

 噛み付きそうな勢いで怒るセバスチャンを、ティアラは思わず制止した。その様子を見て、青年はふっと笑う。

「見ての通り、ここにはおれしか見張りが居ない。でも、ヒトラス氏の部屋には何人か精鋭が控えている。どうだろう、取引しないかい?」

 その言葉に、ルーウィンとラクトスはいぶかしげに眉をひそめた。青年は朗々と言葉を続ける。

「今この場では、確かにおれは多勢に無勢だ。きみたちが力を併せておれを狙えば、あっという間に勝負はついてしまうだろう。でも、それでは騒ぎに感づいてヒトラス氏の部屋から援護が駆けつける。そうすればきみたちはここで終わってしまう。そこで」

 青年は刃先を天に向けて持っていた槍を少し持ち上げ、トンと軽く床についた。
そして爽やかに微笑む。

「ここでおれと、一対一の勝負をしないかい? おれが負ければ、きみたちはおれを踏み越えてこの先に進む。きみたちが負ければ、犠牲は一人で済み、他のみんなは大人しく引き上げる。これでどうだろう?」
「そんなもん誰が飲むか」

 ラクトスがすぐに反対し、青年はおやと首を傾げる。ラクトスは青年を見上げて言った。

「こっちには何のメリットもねえ。結局ここで全員で暴れても、お前を一人で静かに倒しても、会長の部屋にいる精鋭とやらと戦うことに変わりはない」
「あはは、その通り。バレちゃったね」

 青年は声を立てて笑った。

「でも、ここで変に暴れたらヒトラス側が抵抗したと見なされるかもしれないね。そうなればヒトラス氏も危なくなるかも。おれたちとしては、ヒトラス氏の首を縦に振らせ、書類にサインが出来る状態にしておければ、それでいいんだ。それ以外は、どうだっていい。耳がちょん切れても、片目がなくなっても、脚がどこかへ行っちゃっても、おれたちには関係が無いんだよ」

 彼はどこか雰囲気が違うと思っていたが、それは勘違いだった。そんなことを平気で口にするような人間は、根っからの悪人で、漆黒竜団に違いない。

「おれの言い方が悪かったね。これは取引なんかじゃない。脅迫だ」

 そう言った青年の顔には、今までの爽やかさは隠れ、薄ら寒い残忍さが見え隠れしていた。
 その表情に、フリッツは息を呑む。
 この青年と戦えば、かなりの痛手になるだろう。それは容易に予想がついた。できることなら、このまま回れ右して通路に戻り、戦わないで通り抜けるのが一番賢いやり方だ。そんなフリッツの心中を知ってか知らずか、ルーウィンは堂々と青年を見返した。

「いいじゃない、望むところよ」
「ルーウィン!」

 フリッツは声を上げた。青年は威勢のいいルーウィンを見て微笑む。

「そうこなくっちゃ。ただ、おれはちょっと強いよ。この屋敷は広いから、これを振り回すのにも丁度いい」

 青年は階段をゆっくりと数段下りた。そして槍の刃先を、フリッツの鼻先に突きつける。

「え、え? ぼく?」

 フリッツはきょろきょろと辺りを見回す。ルーウィンとラクトスは、どう考えてもお前だろという冷めた眼差しを向け、ティアラは困ったような微笑を浮かべている。

「だってこのパーティ、前衛きみしかいないじゃないか。一戦手合わせ願うよ。フリッツ=ロズベラーくん」

 フリッツははっと顔を上げる。なぜフリッツの名前を知っているのか。
しかし、青年は言葉を続けた。

「おれは漆黒竜団のしがない平団員。一応、名乗っておこうか。マティオスっていうんだ、よろしく頼むよ」
「はあ、どうも」

 悠長に自己紹介をされて、フリッツは眉を八の字に下げて困惑する。

「さあ、まずはおれの懐に入ってこられるかどうかだね」

 マティオスは右手を掲げ、手首を捻って槍を軽く回す。頭の上で美しい円が幾度も描かれ、素早く一振りして残像を断ち切った。細く長い、槍ならではのパフォーマンスだ。自由自在に、槍を操ることが出来る。本人が言うように、かなりの槍の手練だということが伺える。
 フリッツは槍と戦うのは初めてだった。剣とは勝手が違い、相手のリーチのほうが長い。その分フリッツのほうが不利だ。マティオスの言っているとおり、彼の懐の中に飛び込めるか否かが勝負のカギになる。しかし考えていても仕方がない。
 フリッツは木製の剣を手にとって、構えた。それを見てマティオスが口を開く。

「その構え、アーノルド流なんだね。てっきりロズベラー流だと思ってたよ。しかもウッドブレードときたか」

 マティオスは余裕を持ってフリッツを一瞥する。フリッツはこんな時でも迷わず、木製の剣の方に手をかけた。ルーウィンやラクトスも、もう何も言わなくなっていた。真剣よりも、こちらの方がフリッツの本領が発揮できるからだ。しかし木製の剣での戦いにも関わらず、マティオスは逆上することはなかった。

「じゃあ、始めるよ」

 マティオスは槍を構える。
 言うや否や、繰り出される斬撃。

(……速い!)

 フリッツはそれらを剣で払い落とす。長い柄を持て余すことなく、マティオスは確実に攻めてきた。彼の攻撃範囲は、フリッツの倍ほどもある。リーチが長く、かつ素早い。これを潜り抜けるには、かなりの技術と思い切りが必要だ。
 マティオスが突き技を繰り出した。左右の斬撃を必死に避けていたフリッツは、突然のリズムの狂いに対応しきれない。

「危ない!」

 思わずティアラが叫ぶ。しかしフリッツはなんとか腹部への一撃を避けた。あと少しタイミングがずれていたら腹に風穴が開いていたと思うと、恐ろしさに悪寒が走る。
槍での攻撃の何が恐ろしいと言えば、それは「突き」だった。左右の斬撃ならば、動きが若干大きいためなんとか攻撃の軌道を読むことは出来る。しかし、真正面に突き出す「突き」は、そのシンプルさ故に素早く、威力も高い。腹を突かれては確実に命を落とす。
 フリッツが飛び退き、マティオスもそこで一旦槍を引き、体勢を整える。

 フリッツ焦っていた。アーノルド流は小回りを利かせ、相手の懐に入り込むことを得意とする流派。旅に出てからは、その長所を実感していたところだった。
 しかし、槍では少々勝手が違う。
 警戒しながら剣を構えるフリッツとは対象に、マティオスはまだまだ余裕がある様子だ。

「その様子だと、槍を相手にするのは初めてかな。大剣や長剣とはまた違う持ち味があって面白いだろう?」

 それにこのマティオスは、見た目によらずなかなかの使い手だった。その顔にはうっすらと微笑みすら浮かんでおり、息もまったく乱れてはいない。流れるかのような動きで、迷うことなく次々と斬撃を繰り出す。かなりの実戦経験があると踏んでいい。そしてそれは、フリッツとはまるで比べ物にならない。

「さあ、行くよ!」

 マティオスは再び斬りかかった。
 しかしマティオスの動きに、僅かに隙が出来る。ここだとばかりに、フリッツは攻撃に入る。しかし斬っても斬っても、マティオスは余裕を持って軽く柄で受け止めてみせる。カンカンと、フリッツの木の刀身を槍の柄で受け止める子気味良い音が響く。

(……これは!)

 フリッツは剣での攻撃を続けながら、目を見開いた。
 ティアラとルーウィンの声が聞こえる。

「フリッツさんが押しています!」
「違う。そうじゃないわ」

 一見、フリッツが優位に立っているように見える。しかし、それは違った。
 フリッツこそがマティオスに踊らされている。
 青年は、フリッツにわざと踏み込んでくる隙を与えたのだ。いつもは相手がフリッツをなめてかかってくることが多く、フリッツ自身もそれを承知の上で逆手に取り、序盤は相手の動きと攻撃パターンを見極めるという戦法だった。

(見られてる!)

 しかし、今日は違う。自分は逆に、相手にじっくりと分析されている。
 目の前の青年は実力があり、かつ、フリッツをなめてかかっていない。彼の中に慢心はない。かといって気負いもない。こうして刃を交えることが、もはや習慣になっているのだ。

「動きは、悪くないね。でも」

 マティオスは微笑む。そして、一瞬の溜め。
 次の瞬間、フリッツは弾き飛ばされた。
 何が起こったのか、すぐにはわからなかった。

「良くもない」

 フリッツは壁にぶち当たる。そして動きが止まったところを、青年は容赦なく槍を構えた。間髪いれず青年の槍がフリッツの腹部に突き刺さる。
 ラクトスが目を見開き、ティアラが息を呑み、チルルは驚きと恐怖で後ずさった。
 ルーウィンが声を上げる。

「フリッツ!」

 フリッツは壁に背中を預けたまま、ずるずるとその場に崩れ落ちた。
 ティアラが小さく悲鳴を上げる。

「だい……じょうぶ」

 槍はフリッツに刺さっていない。横から見ていたルーウィンたちには、あまりの勢いで本当に刺されたように見えたのだ。
 しかし、槍の刃先はフリッツのシャツを貫通し、壁に突き刺さっている。偶然ではなく、計算だ。この狂いのない攻撃は、全てマティオスの思うままに運ばれている。
 刺されていない、自分は死んでいないという安堵と共に、フリッツの中にある感情が駆け巡った。
 歯痒さ。そして悔しさ。
 死の恐怖に囚われてしまわなかったのは、マティオスの瞳の中に殺意が映りこんでいないためだ。彼には、今のところ殺意はない。
 彼は今ここで、自分を殺すことはないだろう。気が変わるか、手元が狂うかしなければ。

 広間の中に、緊張した空気が流れる。
 勝負は完全にマティオスのものだった。











「パパぁ。お久しぶり」

 肩にかかる短い黒髪を手で払い、ルビアスは机の隅に腰掛けた。横の椅子にはヒトラス氏が大人しく座っている。天下のヒトラス商会会長の事務机に腰掛けるなどと、常人ならば畏れ多い行為だった。そしてルビアスが座る反対側には、漆黒竜団の男たちが控えている。

「……今更何をしにきた」

 ヒトラス氏は低い声で唸った。ルビアスは両手を合わせて腰をくねらせ、一見すると媚びた態度をとってみせる。

「やぁん、相変わらず渋い声。久しぶりに会ったカワイイあたしにそんなこと言うの? 冷たいじゃない」
「あの話なら断ると、何度も言っているだろう! それよりも」

 ヒトラス氏は感情的になり机に自ら拳を叩き付けた。ドン、と机が僅かに揺れる。

「わたしの娘を……返せ」

 腹の底から搾り出した、苦く、苦しい声だった。
 その言葉を聞くと同時に、ルビアスの表情から笑みが消えた。机から降り、ヒールの音を響かせながらルビアスはヒトラス氏の正面に回る。腕を組み、そして低い声音で言った。

「残念ながらあなたの娘はもうこの世のどこにもいないわ。諦めなさい、彼女は死んだの。遺品ならもう送ってあげたじゃない」
「なぜだ! なぜこんなことをする!」
「さぁ、なんでかしら」

 ルビアスは再びゆっくりとヒトラス氏の隣へと歩み寄る。そしておもむろに跪き、両手を胸の前で組んで、上目遣いにヒトラス氏を見上げた。
 ルビアスは自分の姿がヒトラス氏の瞳の中に映し出されているのを見た。そして、なんとも言えず儚げな、切なげな表情を浮かべる。

「ねえ、お父様。ルビィの一生のお願いです。どうか漆黒竜団の言うとおりにして。悪いやつらに捕えられて、言いなりになるしかできない、ルビィを助けて」
「ルビィ……」

 ヒトラス氏は息を呑んだ。ヒトラス氏の瞳に、長く艶やかな黒髪を流した、我が娘の姿が映りこんだ。先立たれた妻に瓜二つの、美しい娘だった。その見た目とは裏腹に、勝気でお転婆な、剣の腕の立つ娘だった。
 しかしその幻想も、長くは続かない。

「そんなに似てた?」

 ルビアスが口の端を歪ませると、一瞬にして、ルビアスの中に映されたルビィは掻き消えた。

「似ているも何も、お前は……う、ぐあああっ!」

 ヒトラス氏は苦痛に顔を歪めた。ルビアスに剣で肩を突かれたのだ。事務机に縫いとめられるような形で、ヒトラス氏はうめき声をあげる。

「ごめんなさい。手が滑っちゃった。だってパパったら、なかなかうんって言ってくれないんだもん」

 ルビアスはヒトラス氏の肩から、剣を引き抜いた。開放されると同時に、ヒトラス氏の肩から鮮血があふれ出す。ヒトラス氏は苦悶に顔を歪めながらも、ルビアスを睨みつけて叫んだ。

「誰がお前たちのような悪党に手を貸すか!」
「あらやだ、早くも交渉決裂?」

 ヒトラス氏が痛みに抗う姿を見て、ルビアスは無表情のまま言い放った。






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