小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


【第7章(前編)】
【第三話 狙われた屋敷】

 寝返りをうとうとして、硬いものに頭をぶつける。
 じわりと広がる痛みを感じて、フリッツは目を覚ました。

「…ここは」
「大丈夫かい?」

 まだ視界もおぼろげな状態で、フリッツの目に飛び込んできたのは一人の青年の姿だった。フリッツが目を覚ましたのを確認すると、青年は優しく微笑む。フリッツは思い出した。青年はフリッツたちに紅茶を用意してくれた執事だった。
 フリッツはゆっくりと身を起こす。

「だいじょうぶ、です。ここは一体」
「ヒトラス邸の地下室だよ。悪趣味だと思うだろうけど、ここには牢屋があってね。昔から企業スパイが絶えなかったものだから」

 執事とフリッツの間は鉄の格子で隔てられていた。おそらく執事はフリッツの隣の牢屋に捕えられているのだろう。しかし、どうにも腑に落ちない。どうしてこんなことに、とでも言いたそうなフリッツの表情を見て、執事は答えた。

「賊が入ったんだよ。きみたちは、捕えられた被害者なんだ」

 フリッツは痛む頭で記憶を掘り起こした。
 ここは閑静な住宅街ロマシュのヒトラス邸。自分たちは暖かな日差しの中、お茶を飲みくつろいでいたはずだ。そこに突然激しい睡魔に襲われ、フリッツは倒れたのだった。
 執事の言葉をぼんやりと聞いていたフリッツだったが、大切なことに気がつく。フリッツはそこで初めて目が覚めたかのように声を上げた。

「そうだ! みんなは」
「安心して。きみの仲間ならそこにいるよ。みんな眠っているだけだ」

 執事が指差した先、フリッツの後ろにはルーウィン、ラクトス、ティアラ、チルル、そしてセバスチャンが倒れていた。皆同じ牢に入れられたのは幸いだったのかもしれない。フリッツは安堵の息をついた。 
 フリッツは執事に向き合い、鉄格子を強く掴んだ。

「あなたは別の牢屋なんだね。でも一緒に、なんとか脱出する方法を考えましょう」

 執事は、その言葉に目をぱちぱちとさせる。

「おれもかい? おれはこっち側にいるんだけどなあ」

 その言葉に、フリッツは耳を疑った。
 執事は隣の牢にいるのではない。牢の外側にいるのだ。そして自分たちは、内側にいる。
 状況を把握して、フリッツは執事から飛び退いた。

「……さっきはよくもやってくれたわね」

 ルーウィンが低く呻きながら、上半身だけを起こした。そして牢の向こうの執事を睨みつける。
 執事の青年は余裕を持った笑みを浮かべた。

「別にきみが倒れるのを待っていても良かったんだけれど、女性に傷がつくのを黙って見ていられない性分でね。あれは予想外だったよ、もっと自分の身体を大切にしなきゃ」
「マティオス、これはいったい…!」

 セバスチャンも目を覚まし、驚いたように執事を見つめる。

「おっと。大人しくしてくださいね、執事長殿。一応元部下としてあなたのことは尊敬しているんです。おかしな動きをされると、おれも対応せざるを得ない」
「一体、ヒトラス邸になにが起こっている!」

 セバスチャンは叫んだ。
 マティオスと呼ばれた、つい先ほどまで執事であった青年は、捕えられた上司を目の前にして涼しい顔をしている。彼はシャツの一番上のボタンを外し、黒いタイも解いた。そして白い手袋も脱ぎ捨て袖をまくりあげると、手首に嵌められた腕輪が見える。ドラゴンの黒翼をモチーフにした、鉱物製の腕輪だった。

「ちょっとした交渉をしに。あなたなら、多分なにか知っているんじゃないかな」

 それは図星のようだった。セバスチャンは悔しそうに黙り込む。
 それを見て青年は満足げに微笑んだ。

「しばらくゆっくり休んでいるといい。ここにいる分には、うちの団員も手を出さないだろうから」
「団員って、まさか」

 フリッツが息を呑むと、その答えはすぐに返ってきた。

「…おのれ! 忌々しい漆黒竜団(ブラックドラゴン)め!」

 セバスチャンが罵倒した。石造りの狭い牢屋にその声は反芻し、おかしな調子に響き渡る。青年はくすりと笑って、牢の外へと続く階段を上がっていった。そして、姿を消した。
 あっけにとられていたフリッツだったが、青年が行ってしまうと倒れている仲間のほうへと駆け寄った。今のやりとりでラクトスも気がついたらしく、頭を抑えながら身体を起こす。

「おいおいおい、また漆黒竜団かよ。カンベンしてくれ」
「みんな、大丈夫?」

 フリッツは声を掛けた。みんなまだ座り込んだり寝転がったままでいるが、怪我もなく顔色も悪くない様子だ。

「大丈夫よ。ただの睡眠薬だったみたいね。チルル起きて、寝てる場合じゃないのよ」

 ルーウィンは膝の上のチルルを揺さぶって起こしにかかった。チルルはぱちりと目覚めたが、まだ何が起こったのか理解できない様子で目をしばたかせている。

「おい、起きろよ。こんなところでもお前は最後か」

 ラクトスが呆れながら、すやすやと眠っているティアラに声を掛けた。しかし彼の堪忍袋の尾が切れる直前になって、なんとかティアラは目を覚ました。

「ふあぁ。おはよう、ございます。またわたくしが最後ですか? あれ、まだ暗い」
「ボケるのも大概にしろよ。目ぇ冷ませ、緊急事態だ」

 ラクトスに言われ、ティアラは目をこすりながら大きく伸びをした。地下牢が薄暗いので、普通に眠っていたのだと錯覚していたらしい。
 とりあえず全員が目を覚まし、無事を確認することができた。しかし、セバスチャンは応接間での朗らかさはなくなり、あまりのことにショックで黙り込んでしまった。フリッツは掛ける言葉が見つからなかった。
 ここに捕まったまま衰弱死するつもりは毛頭無いが、現時点では脱出する目処が一切立っていない。しかしセバスチャンが気落ちしているのとは対照的に、チルルも含め他の四人はあくまで冷静だった。

「こんなことになってるのに、意外とみんな落ちついてるね」
「みなさんが一緒ですもの、慌てることなんか何もないですわ。きっと何とかなります」

 ティアラはいつもの前向きさで微笑んだ。しかしその隣で、ルーウィンは頭を掻く。

「いや、単に捕まってる実感が湧いてないだけよ。牢に入ってはいるけど、手足は自由だし」
「おれらは漆黒竜団をまだこの目で見ていないしな。あの優男のガセじゃないのか?」
「……いや、おそらく本当です」

 ラクトスの言葉に、セバスチャンが重々しく口を開いた。

「以前から、漆黒竜団から旦那様に脅迫文が届いていたのです。旦那様は無論、ただの脅しだと言って屈することはありませんでした。この屋敷が狙われていたのは事実でしょう。それにあの執事は、マティオスは比較的最近この屋敷に来た男です。完璧に油断しておりました。ついに、恐れていた事態が起こってしまったのです」

 そう言ってセバスチャンは、再び牢屋の地面を見つめた。
 重い沈黙が流れる。まさかこんなにもすぐに漆黒竜団と関わることになるとは。緘口令を出されているため、フリッツやルーウィン、ラクトスは口に出すことはなかったが、皆同じことを考えているのは顔を見ればすぐにわかった。グラッセルを脅し、娘たちの誘拐、広場の襲撃、ゴーレムの暴走。それに飽き足らず、今度は大陸一の規模を誇るヒトラス商会にまで手を出している。
 そんな中、ティアラは首をかしげて言った。

「あの。さっきからおっしゃっている漆黒竜団(ブラックドラゴン)って、いったいなんですの?」

 その日二度目の問題発言だった。
 ティアラの可愛らしい声音とは裏腹に、その場の空気はさあっと一瞬にして凍りつく。ルーウィンやラクトスはもちろんのこと、チルルやセバスチャンまでティアラから身を引き遠ざかった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃありませんか。グラッセルの時は、わたくしに何の説明もなかったのですよ。捕まっていたら、突然漆黒竜団と戦えと言われて、わたくし誰にも聞けずにそのまま」
「そうだったね。ティアラが知らないのも無理はないよ!」

 ティアラが悲しい顔をするので、フリッツは慌ててフォローに回った。確かに、グラッセルが漆黒竜団に狙われている恐れがあるという話はティアラの居ない場でされたものであり、彼女には何の説明も無く事を進めざるを得ない状況だったのだ。
 それもそうかと、ルーウィンはため息をつく。

「漆黒竜団ってのは、最近名前が上がってきた盗賊団のことよ。もっとも、その組織自体は昔からあって、裏の世界では結構前から有名だったみたい。でも冒険者でもない、一般の人たちにも名前を知られるようになったのはつい最近。幹部がブラックドラゴンに乗って現れることから、そういう呼び名がついたって話よ」
「ルーウィン、詳しいね」
「だてに冒険者長くやってるわけじゃないわ」

 ルーウィンの説明に、フリッツが感心した。ティアラは話を聞きながらうんうんと頷いている。
ラクトスが口を挟んだ。

「でもよ、あの規模と統率力はただの賊じゃないだろ。盗賊団、ってのは語弊がある。だっせえ言葉で表現するとしたら、謎の組織ってところか。秘密結社、ってのも表現としてはしっくりくると思う」

 確かに言われてみれば、盗賊という雰囲気ではなかった。それは敵地に身を投じたフリッツ自身も感じていたことだ。組織という呼び方がより相応しい。
 ティアラが手を挙げて尋ねた。

「では、何を目的とした組織なのですか?」

 ルーウィンは鼻を鳴らして言い放った。

「ああいうやつらが何をしたいかなんて、考えるだけ時間の無駄よ。どうせ悪ぶりたい小悪党の集団なんだから。大きな傘に隠れて、その後ろ盾ありきで悪事を働きたいって小心者ばかりでしょうよ。まともに相手するだけバカらしいわ」
「同感だな。考えるだけ時間の浪費だ」
「そういうものなのでしょうか?」

 ティアラ腑に落ちないようで首をかしげた。
 納得のいっていない様子のティアラを見て、ラクトスが言う。

「まあ、なんにせよ。そんなこと考えてるヒマがあったら、置かれたこの状況をどうにかする手立てを考えた方が利口だとは思うぜ」

 その意見には、その場に居る全員が同意した。フリッツは檻の錠に目をやった。非常に頑丈そうなもので、素手では到底壊せそうに無い代物だ。フリッツはラクトスに尋ねる。

「ラクトスの魔法で、この錠壊せない?」
「出来なくもないが、爆発させるしかないから吹っ飛ぶぞ。でもな、あのいけ好かない優男の言うとおりだとすれば、でかい音を立てれば漆黒竜団がやってくるかもしれない。あとこれは致命的なんだが、杖がない」
「そうだよね、武器皆取られてるんだよね」

 フリッツは項垂れた。投獄された時点で武器は皆取り上げられてしまっている。剣を取り上げられたフリッツなどただの臆病者で、弓を持たないルーウィンなどただの大飯食らいで、杖の無いラクトスなど目つきが悪いだけの人間だ。自然に、三人の視線はティアラに注がれる。

「わたくし、ですか? たしかに召喚具である笛は取られていませんけれども。ロートルちゃんを呼び出したところで、どうしてもらったらいいのか考えつかなくて」
「まあ、それもそうよね。あの湿った尾ひれみたいな手でこの鍵が開けられるわけないし」

 ルーウィンが言い、一同は深くため息をついた。
 しかし、静まり返った牢屋にガチャリと硬質な音が響く。一同はその音に、思わず目を丸くして振り返った。見ると錠が外れ、ぶらぶらと下がっている。そこには針金を持ったチルルが、してやったりの笑みを浮かべている。

「開いた!」
「すごいじゃない。よくやったわね、チルル」

 ルーウィンに頭を撫でられ、チルルは嬉しそうにした。ラクトスが言った。

「さあ、とっとと出るぞ」

 一同は満場一致で牢から脱出した。武器は隣の物置部屋にあり、案外あっさりと取り戻すことができた。ルーウィンは自分の弓を見つけて、我知らず安堵の息を吐いた。階段を上って明るい廊下へ出ようとしていたフリッツは、突然その足をとめた。

「待って。誰かいる」

 フリッツは壁に隠れてそっと部屋の外の様子を伺った。
 本当に、いた。漆黒竜団だ。
 腕に黒い腕輪を嵌め、黒い服に身を包んでいる。団員たちは一定の間隔で配置され、ヒトラスの屋敷を蹂躙していた。少し争った痕跡があった。廊下に置かれていた高価な壷は無残にも割れ、紅い上質な絨毯にも乱れがあった。しかし団員たちは現時点では規律正しく、勝手に物色したり破壊活動をする者は居なかった。
 廊下の奥のほうで一箇所にまとめられ、震え上がっている使用人たちの姿が見えた。武器を突きつけられているかどうかはわからないが、そうでなくともこの異常事態にはかなり緊迫したものがある。

「やはり、本当だったか!」

 セバスチャンは口惜しさに唇を噛んだ。ティアラは振り返って言った。

「このまま放っておくことなんてできません。今捕まっている、お屋敷の方たちはどうなるのです?」
「それはそうだけど……」

 フリッツはすぐに答えることができなかった。
 確かにこの状況の中で武器を持ち、戦うことが出来るのは自分たちだけだ。しかし、ついさっき自分たちは捕まっていたのだ。屋敷の中に漆黒竜団がひしめく中、自分たちが最後まで戦い、追い払えるとは到底思えない。向こうは計画性もあり、多勢である。ここで出て行くのは、あまりにも無謀すぎた。
 セバスチャンが腰を折って頭を下げる。

「無理な依頼と承知でお願いいたします。どうか旦那様と、このヒトラスを助けていただけませんか? お礼はいくらでも差し上げます」
「だめだ」

 ラクトスは即答した。
 セバスチャンは絶望的な目でラクトスを見た。しかし、ラクトスは表情をぴくりとも動かさない。

「相手が悪すぎる。もともとおれたちはチルルを連れ戻すためにここに来たんだ。目的は果たした」
「あら。ラクトスさんはクリーヴさんの持ち出した碑文を探しているのでしょう? ここで漆黒竜団の方と接触して手がかりを掴まなくてもよろしいのですか?」

 ティアラが言うと、ラクトスは口の端を歪ませる。

「状況を考えろ。多勢に無勢だ。こっちはさっきまで捕まってた身だぞ。ここで欲出したら元も子もないだろうが。今度こそ殺されたっておかしくない」
「あの人たちには関わらないほうが身のためだよ。ぼくも、このまま逃げるのに賛成だ」

 ティアラの悲しげな視線を感じながら、フリッツは彼女と目を合わせないように言った。

「決まりだな。じゃあ退くぞ」
「それでいいよね、ルーウィン」

 ラクトスが言い、フリッツは同意を求めるつもりでルーウィンの顔を伺った。そしてフリッツはおや、と思う。ルーウィンはすぐに退却を唱えるとおもっていたのに、彼女はまだ意見を出していない。ルーウィンの性格からして、助けてあげようなどとは言い出さないはずだ。
 しかし、ルーウィンは口を閉ざしている。

「……あたしは」

「隙あり!」

 ルーウィンが言いよどんでいるところへ、セバスチャンが突然動いた。
 セバスチャンはチルルを小脇に抱えている。どこに女の子一人を担ぐ力があったのか、これが火事場の馬鹿力というものなのだろうか。 フリッツには一体何が起こったのかわからなかったが、ラクトスは間髪いれずに叫んだ。

「じじぃ! てめぇ」
「この子がいなければ、あなたたちは戻らないのですよね? それならば連れて行くまで!」

 フリッツたちにヒトラスを助ける気がないとわかると、なんとセバスチャンはチルルを人質にとったのだ。
 チルルはきょとんとした表情のまま、大人しくセバスチャンに担がれている。セバスチャンはたった今牢から出てきた階段を少し引き返し、そこから明かりのついていない真っ暗な通路を走っていった。四人があっけにとられているうちに、セバスチャンはチルルを連れ去ってしまった。

「追いますよね?」

 有無を言わせぬ笑みを貼り付けて、ティアラはフリッツとラクトスを交互に見た。

「「……追います」」

 二人はそう返事をせざるを得なかった。



-86-
Copyright ©としよし All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える