小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第7章(後編)】
【第一話 再会】

 山間の小さな村に夕日が差し込む。フリッツの顔はオレンジ色に染まり、目の前に立つ青年の顔は陰になっていた。その表情を見極めるために、フリッツは目を細める。
 兄とはもうかなり長い間会っていない。自分が知っているのは、まだ少年と呼べる頃の兄の姿だけだ。目の前の青年は、体つきも、髪の長さも、思い出の中の兄の姿とは違う。それなのに、どうして自分は一目見て兄だと思い、後先考えずに駆け出したのだろう。

 フリッツは青年を見上げた。ずいぶんと落ち着いている様子だが、おそらく二十代半ばか後編ほど。通った鼻筋に、引き結ばれた意志の強そうな口元。そして涼しげな、かつ力強い瞳。フリッツはその顔の中に兄の面影を見たが、よくよく見つめるとわからなくなってきた。
 最初は、兄で間違いないと思った。しかし、兄はこんなにも無機質な印象を抱かせる人物だったろうか? なにを考えているのか、読み取れない人物だったろうか?
 フリッツは困惑していた。そしてだんだん不安になる。自分はとんだ人違いをしたのではないか? 他人の空似で、この人物は兄とは全くの別人なのでは?
 フリッツの心は、短時間に目まぐるしく変化していた。喜び、戸惑い、不安。なんでもいいから、なんとか言って欲しいと、フリッツは気まずさに涙ぐみそうになりながら祈った。
 青年の端正な唇が、動く。

「フリッツか」

 目の前の人物が発した言葉は、自分の名前。

「久しいな。元気にしていたか?」

 そう言って、アーサーは笑った。
 フリッツは安堵する。そして、喜びが湧き上がった。
 間違いない。フリッツの兄、アーサーだった。確証を得、フリッツはみるみるうちに顔を輝かせた。気持ちが高ぶり、声が弾む。

「本当に? 本当に、兄さんなんだね」

 嬉しいやら驚いたやらで、フリッツは言うべき言葉が見つからなかった。舌が絡まりそうになってもどかしい。フリッツの顔は上気していて、まるで大好きなヒーローを目の前にした子供のようだった。
 アーサーはふっと息を吐き出して笑った。端正な顔に表情が生まれ、雰囲気が一気に和らぐ。困ったように微笑んで、アーサーは言った。

「私はアーサー、正真正銘お前の兄だ。しばらく顔を見ないうちに、忘れてしまったのか? ずいぶんと寂しいことを言うんだな」

 フリッツは勢い良くぶんぶんと首を横に振る。

「ううん、そんなわけない! 遠くから見て、一目でわかったんだ。兄さんのこと、忘れるわけないよ!」

 優しい兄の顔を見て安心した。昔のままだ、とフリッツは思った。
 フリッツの兄、アーサーは相変わらずの凛々しい姿だった。フリッツがアーサーと最後に会ったときより、ずいぶんと背が伸び、体つきもがっしりしている。昔は短かった髪を伸ばしたようで、深緑の長髪を後ろで一つに留めていた。簡単なシャツの上から簡単な装備をし、簡素なマントを身に着けている。腰に長めのソードを下げ、一目で冒険者だとわかる姿をしているが、旅で汚れてはおらず小奇麗な様子だ。

「それにしても、どうしてこんなところに居るんだ?」

 アーサーは尋ねた。ここは辺鄙な山間の村で、そう聞くのも無理はなかった。

「兄さんを捜しにきたんだよ! いままでどこに居たの? なにしてたの? 元気にしてた? なんでここにいるの?」

 一気にまくしたてる弟を前にして、アーサーは快活に笑った。
 フリッツは笑われて顔を赤くしたが、自分も笑った。
 今まで思い描いていたどんな再会とも違っていた。アーサーの気さくさは相変わらずで、以前よりこんなにもたくましくなっている。心配することなど何一つなかった。
 
 アーサーはアーサーのままで、フリッツとの関係は何も変わっていない。どれだけ離れていようとも、結局は家族なのだ。お互い一人きりしかいない、唯一の兄弟なのだ。
 フリッツの心は安らいだ。どうしてもっと早くに兄さんに会いに来なかったのだろうと、今までの自分をばかばかしく思った。
 ひとしきり笑って、落ち着いたアーサーは不意に優しい表情を浮かべた。

「大きくなったな、フリッツ」
「兄さん……」

 アーサーがフリッツの頭に手を置いた。大きな手だ。こんなふうに誰かに頭を撫でられたのは久しぶりだった。こうして兄が変わらずに目の前に現れてくれたことが、ここまで嬉しいことだとは思ってもみなかった。
 本当は嬉しくてじっとしていられなかったが、落ち着きがないと思われたくなかったのでぐっと押さえた。思わず顔が緩んでしまいそうだったが、それもなんとか持ちこたえた。
 聞きたいことがたくさんある。何から話せばいいだろう。どこから訊けばいいのだろう。

「今は何をしてるの? 王宮に行ってもいなかったから心配したよ」
「なんだ、都まで来てくれたのか? お前に連絡を遣さなかったのは悪かったと思っていたんだ。あそこは平和すぎてわたしの性には合わなくてな。腕がなまってしまいそうだったから思い切って辞めて、今は傭兵の仕事をしている」
「へぇ、そうなんだね」

 兄の近況を知って、フリッツはほっとした。

「悪いがフリッツ、今は忙しい。お前がここに留まるのなら夜に時間を取りたいと思うが、どうだろう」
「もちろん! 今日はここに宿を取るつもりなんだ」

 歯を見せて笑うフリッツに、アーサーは微笑んだ。

「では町の酒場に。一軒しかないからすぐにわかると思う」
「酒場で?」

 フリッツは未成年だ。街によっては、酒場に入ればつまみ出されかねない。フリッツの心配に気づいたアーサーは言った。

「大丈夫、入り口まで迎えに行く。そこにお前に見せたいものもある」
「見せたいもの? それってなんだろう」

 フリッツが目を輝かせた時、遠くでルーウィンが呼ぶ声がした。声からしてかなりご立腹のようだが、今のフリッツにはそんなのは些細なことだった。しかし疲れている仲間を立ちっぱなしにさせるのは忍びない。

「今行くー!」

 首だけ向けて返事をして、フリッツはまたアーサーに向き直った。

「皆が待ってるんだ。ぼくも、もう行くね。でも今日は二人きりで話そう。兄さんと話したいことが、たくさんあるんだ! 皆のことはまた明日紹介するよ」
「仲間も一緒か。賑やかな旅をしてきたんだな」

 うん、とフリッツは満面の笑みを浮かべて首を縦に振る。

「みんな良いひとたちだよ。きっとすぐに仲良くなれる。じゃあまた後でね、兄さん!」

 フリッツはそう言い、振りかえり振りかえりながらアーサーに手を振って駆けて行った。
 アーサーもしばらくその場に留まり、フリッツに向かってにこやかに手を振り返していた。








 息を切らして仲間の元に戻ったフリッツを迎えたのは、ルーウィンの仏頂面だった。

「一体誰とくっちゃべってたのよ。疲れてるんだから、寄り道しないで」

 ルーウィンはイライラした様子だ。しかし、フリッツはそんなことはお構いなしだった。走ってやってきたのと興奮しているのとで、息が上がり、声が上ずるほど弾んでいる。

「ごめんごめん! だって兄さんがいたんだ! やっと会えたんだよ!」

 それを聞いて、疲れた顔をしていたティアラの表情が一気に明るくなった。

「お兄様が? 本当ですか、フリッツさん!」
「うん! うわぁ、本当に会えたんだ。何年ぶりかなあ、十年ぶりだ!」

 フリッツは兄と会えなかった年月を頭の中で指折り数えた。ティアラがフリッツの手を取って、まるで自分のことのように喜んだ。

「良かったですわ! こんなところでばったりお兄様にお会いできるなんて。これもきっと天のお導きですね!」

 フリッツは兄が居た場所をぼうっと眺めた。先ほど二人で話した場所に、すでにアーサーは居なかった。見事な夕焼けで、村全体がとろけてしまいそうだ。こんなに突然、こんなところでアーサーに会えるとは夢にも思わなかった。

「ラクトス、ちょっとつねってみて」

 言われた通りにラクトスはフリッツの頬をつねった。痛いから夢じゃない。

「お前と違ってずいぶん上背のある兄貴だったな。兄貴はデコ広いのか?」
「ええっと。ぼくよりは、広くないかも」
「そりゃそうか」

 ラクトスは少し笑って、やったなと言ってフリッツの肩をこづいた。フリッツは嬉しそうに笑った。一方、ルーウィンだけは落ち着いた様子で立っていた。それを見て、ラクトスはルーウィンに小さく囁く。

「そういえばフリッツの旅の目的だったもんな、兄貴探しって」
「そうね」
「これであいつの旅は終わりになるんだろうな」

 ルーウィンは返事をしなかった。ラクトスは苦笑いを浮かべた。
 アーサーとの再会を思わぬ場面で果たしたことによって、フリッツは自分の旅の目的をすっかり忘れてしまっていた。兄と再会して喜ぶだけでなく、兄がいかにして手紙一枚で二人の両親を落胆させ、あのような抜け殻の状態に追い込んだかを知るための旅だということ。そして兄を説得し、両親のもとに連れ帰るということ。そのために、最悪の再会のシナリオをいくつも考えていた。そして不安だった。
 
 しかし違った。久しぶりに会った兄は、フリッツが知っていたかつての兄よりもたくましく、あの頃のまま優しかった。昔のままのアーサーだった。
 やっと会えた。それが嬉しくて、宿屋までの道中で始終口元が緩んでいた。ティアラの疲れも一緒に吹き飛んだようで、彼女もつられて声を弾ませる。

「では、この後フリッツさんはお兄様とお会いになるんですね」
「うん。でも夕食はみんなと一緒にとるよ。夜に出かけるね」
「本当によかったですね。なんだかわたくしまで嬉しくなってきました!」

 フリッツは上機嫌で路を歩いた。急な山道を登ってきた身体の疲れも吹き飛んでしまった。いつもならば街に入る頃には漬物石を背負っているかと思うほど重たい荷物が、今はないも同然だった。棒になっていた脚はすっかり気力を取り戻し、軽やかな足取りで皆の前を歩くほどだった。

「酒場で待ち合わせしたんだ。兄さんがぼくに見せたいものってなにかな?」

 顔を夕日に染めながら、フリッツは微笑んだ。









 村に一つしかない小さな宿屋に着き、皆と食事を取って、フリッツはその晩出掛けた。
 月の満ちている夜だった。白く輝く月だけで、道は明るい。大きな町のようにガス灯などはなかったが、その明かりだけで十分だ。山間の町は静かなもので、ホウホウと夜の鳥の声が響く。
 この時間、村で唯一明かりの漏れる場所が待ち合わせの酒場だった。フリッツはそこを目指して歩いていた。たった一人の夜道だが、心細くなどなかった。むしろスキップでもしてしまいそうなほど、心は躍っている。
 何を訊こう? 何から話そう?
 訊きたいことがたくさんある。聞いてもらいたいことがいっぱいある。
 
 そしてアーサーはロズベラー流の使い手だ。きっとその腕前は、以前とは比べ物にならないだろう。まだ幼かったフリッツは、アーサーと手合わせなどしたことがなかった。まだまだ兄の足元になど到底及ばないことはわかっているが、時間があれば剣を交えたいと思っていた。
 しかし、不意にある不安が頭をよぎった。
 アーサーは自分の木製の剣を笑うだろうか?

(……兄さんは、どう考えてるのかな)

 ヒトラス邸で戦った、槍使いの青年の言葉が蘇った。

 剣術を学ぶ若者は多い。最もシンプルで、スタンダードな武器として多く広まっている。嗜みに、護身用にと剣を手に取り、剣術修練所へ通う子供や若者はいつの世にもいるものだ。しかし、選ぶ時がやってくる。剣の道か、あるいは別の道か。家業を継ぐなどの理由で、剣から離れる若者が多いのもまた事実であった。
 そして、剣の道を選んだ者はぶち当たる。武器を持つ者の前にそそり立つ、大きな壁に。
 
 相手の命を奪う可能性。自分の命が奪われる可能性。そして自分の愛する者や大事なものを失う可能性。
 本気で、人が斬れるか。
 本気で人が、殺せるか。
 
 しかし、フリッツは信じている。剣はいたずらに人を傷つけるものではない。大切なものを守り、道を切り拓くものであるはずだ。剣は人殺しの道具ではない。それを、どうやって自分の中で折り合いをつけるか。それが武器を手に取った者の、剣の道を志した者の宿命なのだ。

(兄さんは、何のために剣を振るっているのかな)

 思えばアーサーもフリッツと同じように、生まれた時から身近に剣があり、触れてきたのだった。最初は二人とも、同じだったはずだ。おもちゃの代わりに棒切れを振り回し、物心つく頃には木製の剣でカカシに打ち込んでいた。
 一緒だったはずだ。剣を握る理由など、二人とも無かったはずだった。

(それなのに、この違いはどこから来るんだろう)

 フリッツは一瞬、歩みを止めた。突然、かすかな寂しさが湧き上がった。アーサーとフリッツは同じ両親から生まれた兄弟であるはずだ。それなのに、どうしてこんなにも違ってしまったのか。月がぽつりと立ったフリッツを照らし出した。
 フリッツは勢い良く首を横に振った。そして考えを打ち消し、パンパンと軽く頬を叩いた。
 今はそんな暗いことを考えている場合じゃない。もうすぐ、兄さんと久しぶりに話ができるんだから!

(聞きたいことは、聞けばいい。だって兄さんなんだから。話せばきっと、相談に乗ってくれるはずだ)

 幼い頃、フリッツはいつもアーサーに助けてもらっていた。アーサーは困っているフリッツを見ると、いつも必ず力を貸してくれた。もちろん、フリッツだってマルクスに師事している剣士のはしくれだ。いずれ答えは自分で見つけるつもりだが、その突破口となるものを兄から見出せればと思ったのだ。
 しかし、そんなものは最後でいい。もっと大事なことがある。
 別々に過ごしてきた互いの十年を共有する。フリッツはアーサーを知り、アーサーはフリッツを知る。いや、なにも難しく考える必要はなかった。要は、兄弟水入らず、積もる話がしたいだけなのだ。

 もうすぐ兄に会える。兄と話せる。そう思うと、フリッツの心は再び浮上した。
 そして鼻歌を歌いながら、フリッツは足早に酒場へと歩みを進めた。



 その一歩一歩が、自分とアーサーの運命を狂わせていくものだとも知らずに。






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