小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第8章】
【第一話 灼け落ちたあと】

 人の動く気配で、フリッツの意識は浮上した。
 重い瞼が開かれる。目の前には、明るい琥珀色の大きな瞳があった。フリッツが目覚めるのを今か今かと待ち侘びていたようだ。

「フリッツさん!」
「……ティアラ」

 フリッツはかすれた声で名前を呼んだ。ティアラはほっとした様子で、満面の笑みを浮かべる。それにつられて、フリッツも少し笑う。

「ふふ。今日はわたくしのほうが少しだけ早かったみたいですね」

 ティアラは低血圧で朝に弱く、いつもはなかなか起き出してこない。得意げにそう言う彼女だが、目を覚ましているだけでその身体は横になったままだった。それを見て、フリッツは可笑しく思った。

「でもきみ、まだ寝転んだままだよ」
「あら。でもフリッツさんだって、そうですよ」

 フリッツは痛む身体をゆっくりと起こす。
 そこで、気がついた。
 自分たちが、屋根も無い空の下、薄っぺらい布を敷いただけの地面に寝かされているということ。そしてその周りには、火傷や負傷をした村人たちが、呻きながら、あるいは死んだように眠りながら、かろうじて息をしているということを。
 フリッツは目を見開いた。そして、内臓がぎゅっと音を立てて縮むのを感じた。
身を起こしたティアラ目掛けて、一人の少年が駆けて来た。ティアラは首を傾げ、無邪気に少年に向かって微笑みかける。
 しかし、少年は甲高い声で叫んだ。

「どうしてもっと早く助けてくれなかったの!」

 一瞬にして、ティアラの表情は凍りついた。フリッツも、その隣で同じように動けなくなる。
 少年の顔は煤だらけだった。

「あんなにすごい魔法が使えるのに、どうしてもっと早く火を消せなかったの? もっと早く来てくれていたら、今頃、お、おじいちゃんは……!」

 少年はぼろぼろと涙をこぼし始めた。母親らしき女性が慌ててやってきて、噛み付きそうな勢いの少年を力づくでティアラから遠ざける。小さな身体で必死に抵抗しながら、少年は引きずられていった。
 少年がその場から居なくなっても、ティアラは眉一つ動かさない。フリッツはそれを、ただ横で見つめることしかできなかった。

「どうか許してやってくれませんか。あの子は昨日の火事で祖父を亡くしたのです。それを火の中から救い出そうとした父親も、酷い火傷で体調が思わしくないようで」

 少年の顔見知りらしい村人がそう言い、ティアラは視線を伏せた。

「……お力になれず、申し訳ありません」

 するとまた別の村人がやってきて、ティアラに声を掛けた。

「気になさるな。あなたは死力を尽くしてこのスフレ村を救おうとしてくださった。あなたのお陰で救われた者もおる。なんとお礼を申し上げてよいやら」

 実際ティアラは、村人たちが桶でリレーをしながら地道な消火活動をしている際に現れた希望だった。
 ロートルを呼び出したティアラは、その圧倒的な力で水を操り、村の消火に大いに貢献した。火の回りが予想以上に早く、かなりの建物が燃えてしまったが、それでも山や森に火が燃え広がることを防ぐことが出来たのはティアラの尽力のためだ。
 おそらく、ティアラがそんなにも召喚術を長く使ったのは初めてだった。ティアラはその反動で今まで横になっていたのだ。
 しかし、ティアラは黙り込んでしまった。掛ける言葉もなく、フリッツもそのまま口を閉ざす。
 
 不意に、フリッツは自分の枕元に、何かの焦げたような塊を見つけた。それは鉄くずだった。
 なぜ自分の元に、こんな粗大ごみが置いてあるのだろう。フリッツは棒状の鉄くずに手を伸ばす。
 触れた瞬間、フリッツは雷に打たれたかのような錯覚に襲われる。
 そして、直感的に理解した。

「……ぼくの、剣」

 それはかつて、フリッツの木製の剣であったものだった。
 中身の芯がむき出しになり、外身の木の部分は全て燃えてしまっていた。フリッツの思考は止まった。
 道導を失ったようだった。
 暗闇の中放り出されたような。古くからの友を失ったような。不安と寂しさの入り混じった心細さがフリッツを襲った。

「そうそう、それあんたのなんだろう? お連れさんが煤だらけになって探してたみたいだけど、何か大事なものだったのかい?」

 答えることなく、フリッツはゆらりと立ち上がった。
 それと同時に、何人ものケガ人が寝かせられている間のわずかな通路を通り、ルーウィンとラクトスがやって来た。フリッツとティアラが身を起こしているのを見て、ルーウィンもラクトスもほっとした表情を浮かべる。

「二人とも、目が覚めたのね」

 現れたルーウィンは顔や肩に煤をつけていた。フリッツの様子を見、怪訝そうに眉をひそめる。そしてフリッツの枕元に置かれたままの鉄くずに目を走らせ、ルーウィンは表情を曇らせた。

「あんなところに置いたままで、ごめん。無神経だったわ。まだまだ起きないだろうって」
「余計なお世話だよ」

 ルーウィンの言葉を遮って、フリッツは小さく吐き捨てた。

「あんな鉄くず、あっても何の役にも立たないのに」
「フリッツ、お前!」

 ラクトスは声を荒くし、フリッツの肩を強く掴んだ。しかし、ルーウィンはラクトスの腕に手をかける。

「いいの。あたしが勝手にやったことよ。確かにお節介だった」

 ルーウィンが首を横に振って、ラクトスは顔をしかめる。そして、その手をフリッツから離した。
 フリッツは、ふらふらとした足取りでケガ人たちの間を縫っていった。

「あいつ……」

 ラクトスはフリッツの背中を苦々しく見つめた。
 ルーウィンは夜明けと同時に動き出し、たった一人で酒場の跡を煤まみれになって、フリッツの木製の剣の亡骸を探し出した。それを知っていただけに、ラクトスはフリッツの物言いに腹が立ったのだ。しかしフリッツの様子を見ていると、一概に怒鳴ることも出来なかった。
 しばらく躊躇った後、舌打ちをして、ラクトスはフリッツを追っていった。
 
 そしてその場には、ルーウィンとティアラだけが取り残される。ラクトスが居なくなって、ルーウィンは呟いた。

「あたしが殺ってればよかった」

 それは、低く小さな声。その言葉に、ティアラは不安げに顔を上げる。
 ルーウィンの顔は、あくまで平静だった。しかし、その瞳は確かに傷ついている。ルーウィンの拳がぎりりと強く握られるのを、ティアラは見た。

「あたしが。あたしが面倒くさがらずに最後まで仕留めていたら、あんなことにはならなかった。もっと別の結果が待ってたかもしれない。そうすれば、フリッツがあいつらを手にかけることもなかった」
「……ルーウィンさん」

 それは違うと、ティアラは思ったが、口には出せなかった。今のルーウィンには、ティアラの慰めの言葉など聞こえる余地がない。
 そしてティアラもまた、少年の放った言葉が頭の中で反芻されるのだった。










 フリッツは立っていた。
 朝日に照らされたその光景は、炭の塊以外の何ものでもなかった。未だにくすぶっている家々の柱は、黒い鱗がびっしりと生えたような焼け方をしている。フリッツが一歩進むと、足元の瓦礫が崩れ落ちた。
 
 混乱と恐怖の一夜が明けた。人々は生き残った。しかしそこにあるのは途方もない不安と絶望だ。
 夜露を凌ぐ屋根すら、今はもう無い。人々が細々と築いてきた財産も、一夜にして灰となった。
 理不尽に襲い掛かった不幸は人々をどん底に落とす。失ったものを嘆く声があちこちで聞こえる。皆一様に煤に汚れ、顔から足までこっけいなほどに真っ黒だった。しかし笑うものは誰もいない。
 煤が黒い蝶のように舞い、フリッツの頬を汚していく。しばらく呆然としてその光景を眺めていた。
 
 悪魔のような兄の姿が、脳裏から焼きついて離れない。
 夢であって欲しいと願い続けたが、それも虚しい結果に終わった。信じたくはなかった。しかし事実は、無常にもフリッツの目の前に広がっていた。

 兄さんのこと。
 アーサーはもう、フリッツの知るかつての兄ではなかった。それどころか、大変な悪魔だった。変わり果てた兄を連れ戻したところで、果たして両親の状況は良くなるだろうか? もっと悪化するだけではないのか? 一体今まで、自分は何のために旅をしてきたのだろう?

 そして、自分のこと。
 フリッツは自分の手を見つめた。一瞬、真っ赤に染まっているかのような錯覚に襲われる。フリッツは小さく悲鳴を上げ、後ずさった。そして何かに足をとられて転び、灰の中に膝をつく。
 恐る恐る、自分の両手を開いた。しかしそこには、赤い血などついていない。代わりに、煤で真っ黒になってしまった手を見つめた。

 悪魔になったのは、自分じゃないか。
 こんな手、切り落としてしまおうか。

 灰の中に座り込んだフリッツは、自分の腰にあの真剣が下がっていることに気がついた。
 木製の剣が無くなってしまい、空いたホルダーを見て知らない誰かが親切心でフリッツの腰に付けたのだろう。フリッツは真剣を手にした。そして、唇を噛み締める。

 こんなもの。
 こんなものを持っていたから、ぼくは。
 
 フリッツは筋違いだと知りながら、この真剣を無理に持たせたマルクスを恨んだ。そして。

「人殺しめ!!」

 フリッツはビクリと肩を震わせた。
 恐る恐る後ろを振り返ると、そこには泣いている女性がいた。彼女を追いかけてきたらしい村人が、女性の肩を掴んで戻ろうと促す。
 まるで死刑宣告をされたような顔をして灰の中に座り込んでいるフリッツを見て、村人は怪訝そうに眉をひそめた。

「悪いね。この人、酒場で旦那が殺されたんだよ。さあ、こんなところへは来るもんじゃない」

 女性を無理に立たせて、村人は戻っていった。
 それと入れ違いに、ラクトスが追いついてきた。フリッツが煤の中に座り込んでいる光景は、あまりにも異常だった。
 そして、その隣には、真剣。
 ラクトスはその痛々しい様子に目を細める。フリッツがこの焼け焦げた瓦礫の山を見、何を考え、何を思っているか。それを完璧に理解することはできないが、ある程度の想像はつく。

「正直、何て言ったらいいかわからないが」

 ラクトスは瓦礫に足を踏み入れた。そしてフリッツを立たせようと、手を差し出す。

「お前があの場であいつらを倒したことで、少なくともルーウィンは助かった。それに、あいつらは他の村人にも害を与えていた。だから、お前のしたことは」
「ラクトス、違うんだ」

 フリッツは俯いたままだった。ラクトスから、その表情は読み取れない。

「倒したんじゃ、ないんだ」

 フリッツの声は震え、今にも消え入りそうだった。

「殺したんだよ、ぼくは」

 ラクトスは黙り込んだ。
 しばらくそうして手を差し出していた。しかし、フリッツは座り込んだままだった。
 ラクトスは、彼にしては根気強く待ったが。しかしフリッツがまだ立ち上がる気がないことを悟ると、やがてその手を静かに下げた。

 空は晴天。風は良好。炭と化した家々。焼け焦げた村。
 蒼と黒とのコントラストの中で、フリッツは身もこころも疲弊しきっていた。
 虚しい静寂が、灼け落ちたあとに広がっていった。
 








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