小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第7章(後編)】
【第五話 ぼくが汚れた日】

 フリッツは小さく呻いた。
 体中が重く、痛み、喉がカラカラだった。うっすらと開けた瞼に、ぼやけた景色が映る。

「気がついたか?」

 声でラクトスだとすぐにわかった。普段吊り上がってばかりいる彼の目元は、この時ばかりは下げられていた。フリッツは口を開ける。しかし、あまり動かせず声も出ない。かすれた音がフリッツの喉から搾り出されているのに気がつき、ラクトスは頷いた。

「水か? 待ってろ、今持ってくる」

 ラクトスはそう言って、その場を離れた。
 仰向けになったフリッツは、そのまま天を仰いでいた。何が起こっているのか、わからない。目の前には闇と月。どうやら今は夜で、ここは外。
 フリッツの目は、再び閉じられようとしていた。視界からの情報がなくなり、残された嗅覚と聴覚がフリッツの意識に触れようとやってくる。焼ける、焦げ付いた臭い。パチパチと、あるいは激しく何かが燃える音。
 だめだ、何も考えたくない。
 ぼくは、もう。
 フリッツの意識は、再び暗い闇の中に飲まれていった。
  







 男の右肩に二本、左腕に一本、胸部に一本、右腿に三本。
 そしてルーウィンの左肩に、一撃。
 両者のダメージは、お互いに大きかった。男はその巨体に、計七本の矢を打ち込まれている。それでも、胸や首や目などの急所を狙ってきたものは全力で避けた。額に脂汗が浮かび、息が荒い。
 一方ルーウィンは、左肩の深い傷に手を当てていた。右肩を庇った結果が、この有様だ。数回は痛みをこらえ、歯を食いしばって騙し騙し打っていたが、それももうもたない。止血をする暇もなく、じわじわと鮮血が広がっていく。

 口にこそ出さないが、お互いがお互いの健闘に驚いていた。しかしそれは賞賛などではなく、こうして対峙している今でも、「とっととくたばれ」と両者が思っている類のものだ。お互いが身体を負傷し、荒い呼吸を繰り返す。
 男は弓使いの少女がここまで出来る相手だとは思っていなかった。一方ルーウィンも、これだけ矢を打ち込んでまだ立っていられる男の体力と精神とに驚いていた。
 ルーウィンはぼろぼろになりながら、それでも矢筒に手を伸ばす。男もそれを見て、三日月刀を握り直す。 
 その時、突如としてルーウィンの背後の木々が燃え始めた。ルーウィンは驚いて後ろを振り返る。
 油でも撒かれたのか、火は草や木にあっというまに燃え広がる。その向こうに、男の姿が二人ほどあった。

「遅かったな、お前たち!」

 三日月刀の男は大きなダミ声を上げる。
 油断した。敵はもうこの男だけだと思っていたが、そうではなかった。
 おそらく先ほどルーウィンが遠くから打った残党が彼女の背後に火を放ったのだろう。やはり仕留めておくんだったと、ルーウィンは自分の詰めの甘さに唇を噛み締める。どうして自分とこの男との、一対一の勝負だと思い込んでしまったのだろう。
 それはおそらく、頭に血が上っていたから。いつも通り、あくまで冷静に、あくまで確実に仕事をしたつもりだった。しかし、それは「つもり」でしかなかったのだ。

 ルーウィンは更に目を見張った。男は身体に刺さっていた矢を引き抜いたのだ。
 そして今までのダメージなど、なんでもないように立っている。やけに気に障る満面の笑みからは、たった今治癒魔法の援助を受けたことがありありと見て取れた。火を放った者以外にも別に治癒師が残っていたかと、ルーウィンは悔しげに目を細める。
 多勢や回復を卑怯とは思わない。これは正々堂々の「試合」ではなく、殺るか殺られるかの「闘い」だ。生き残った方が勝ち。例え、どんな手段を使ったとしても。ルーウィンもそれは重々承知していた。

 背後には炎。前には全回復した男。
 握られた三日月刀が、獲物に飢えているかのようにぎらつく。
 こちらが火責めに遭うのなら、先にファイアテイルを打っておけばよかったと、ルーウィンは後悔する。しかしこれだけの大火事の中、無意識のうちに炎の技を避けようとしたのも、また事実だった。どうしても使う気分になれなかった。甘かったのだ。

 男はじりじりとルーウィンとの距離を詰めて来る。ルーウィンは後ずさる。
 しかし、もう後退は出来ない。待っているのは火の海。その中を駆け抜けることなど想像がつかないほどに、炎は燃え広がっている。
 このまま、攻撃を続けるしかない。しかし、今の自分の体力でそれが出来るか? 果たして相手の攻撃を避けきれるか?

 不意に、ルーウィンの身体は傾く。後退しながら、不安定な石の上に足をかけてしまったのだ。
 初歩的なミス。そして身体の限界。
 バランスが保てない。膝から崩れ落ちる。無様に地面に手をつく。

(しまった!)

 それを相手は見逃さない。今まで散々痛めつけられた恨みを晴らそうと、男は腹の底から叫びながら三日月刀を振り上げる。

「よくも好き放題やってくれたな、このアマァ!!!」

 ルーウィンの頭上に、容赦なく刃が振り下ろされる。
 だめだ、終わりだ。
 ルーウィンは反射的に目を閉じた。










 やっとの思いで飲み水を汲んできたラクトスは、その場で凍りついた。フリッツにかけていたはずの自分の黒いローブだけが、その場に残されている。
 フリッツが、消えている。
 確かにフリッツはここにいた。その証拠に、血の跡も地面についている。ラクトスは悪態をついた。目を見開き、辺りを見回す。しかしそこにあるのは、燃える建物と夜の闇だ。

「あいつ、どこに行きやがった!」

 そしてラクトスは思い直す。
 フリッツはとても、自分の脚で動けるような状態ではないはずだ。嫌な予感がした。フリッツを連れてきた女は、怪しかった。おそらくフリッツは酒場で、何かに巻き込まれていたのだ。そして今も、その何かに巻き込まれているとしたら。
 フリッツが自らこの場を離れたのではなく、何者かに連れて行かれた可能性が、ラクトスの頭をよぎる。
 ラクトスは水の桶をその場に置き、ローブを羽織って、杖を握り締めた。

「クソっ!」

 ラクトスは頭の中に手を突っ込んで掻き毟ると、道を引き返した。しばらく走ると、先ほど水を汲んで戻ってきた時には判らなかった、血の跡に気がついた。ここまで歩いてきた、または歩かされたフリッツの傷口が開き、滴ったものだろうか。
 その血痕がフリッツのものでもそうでなくても、ラクトスはその痕を頼りに走るしかなかった。気持ちが焦る。村は火の海、悪夢だ。もう何が起こっても不思議ではない。
 フリッツの無事を信じて、ラクトスは走る。
 そして、ラクトスは奇妙なものを見つける。思わず足を止めた。

 それは人の山だった。
 数人の男が、折り重なって倒れている。近くには弓矢が落ちていた。それを拾い上げ、ルーウィンのものだと確認する。しかし、矢による傷は致命傷ではない。

 彼らは、斬られていた。黒い腕輪を嵌めた男たちは、皆すでに事切れている。
 ラクトスは一番上の男の傷を、目を細めて見た。
 一撃。何の迷いも躊躇いも無い、その潔さ。
 しかし、見ていて気持ちの良いものではない。ラクトスはすぐに視線を外す。そして地面を見た。追って来た血痕は、一旦この場に留まっていたようだ。山積みの死体の周りに、転々と赤が振りまかれている。
 そしてその痕は、さらにその先へと続いていた。
 これをどう考えたら良いのか。
 ラクトスは、考えるのを止めた。そして、再び走り出した。










 いくら待っても、最期の痛みは襲ってこなかった。
 恐る恐る目を開け、ルーウィンは自分の首が繋がっていることを確かめる。
 そして、目を疑った。

「……フリッツ?」

 そこに居たのはフリッツだった。
 シャツを真っ赤に染め、いつ倒れてもおかしくはない状態のはずだ。現にさっきは、気を失っていたところを運ばれてきたのだ。立てるはずがない。
 しかし確かにフリッツはそこにいて、男の刃を抜き身の剣で防いでいる。
 使っているのはいつもは背中に挿している、錆びた真剣のほうだ。力のこめられた腕、沈み込む足元、微動だにしない背中。身体の全ての力を使って、フリッツはルーウィンの盾になっている。

「ばか! あんたどうして」

 フリッツは答えない。否、そんな余裕など無い。
 
 男は驚いていた。酒場で叩きのめされたはずの少年の出現と、自分の刃が受け止めてられている事実、その両方に。男はむきになって剣に力を入れる。剣の重みは、さらに増した。
 フリッツの顔を見、男は目を見開いた。
 酒場での様子とは、まるで別人だ。
 その顔は苦痛に歪んでいるが、それだけではない。髪が逆立ち、額に青筋が浮かんでいる。食いしばる奥歯、歪む口元。その口元から漏れる息は、さながら獲物に飛び掛る獣のようだ。低く唸って、隠した牙で相手の喉笛に噛み付くのを、今か今かと狙っている。

 そしてその目を見て、男は思わずぞっとする。
 少年の目は血走っていた。瞳の底は、ぐらぐらと煮えている。その色は、怒りか恐怖か。ぎらつく、「生」への執着。向けられるその視線は、刃の切っ先の如く鋭い。男は思わず目玉を刺されたかのような錯覚に陥る。
 そして悟る。
 この少年は、今、自分を殺したくてたまらないのだと。

「ボウズ。退きな、斬られたいか」

 男は唸った。刃はわずかに振動し、それでもお互いに引く気配はない。
 ルーウィンにはわかった。男のほうも身動きが取れないのだ。退けば斬られ、かといって押し切ることも出来ない。しかしフリッツの腹部からは今も血が滲み出している。まだ傷口は、完全に塞がってはいない。
 時間の問題だ。ルーウィンは立ちあがろうとし、反射的に小さな悲鳴を上げる。脚を酷く痛めたらしく、力が入らない。ルーウィンは自分の腫上がった脚を睨み、唇を強く噛んだ。左腕も、もう使い物にならない。弓を支えられる力は残っていなかった。

 どちらかの体力が尽きるまでの、長期戦になる。男の方もフリッツに剣を受け止められていることで内心慌てているに違いない。しかしこの勝負、時間が経つほどにフリッツの劣勢になるのは明らかだ。フリッツはもう、ぼろぼろだった。全て気力だけで身体を動かしている。
 男もそのことを悟り、口元に歪んだ笑みを浮かべる。
 フリッツの視線が、それを捉えた。
 
 不意に男の視界からフリッツが消えた。刃は支えをなくし、男はバランスを崩す。
 懐には、フリッツ。胴は、ガラ空き。
 男は驚愕に目を見開く。

 一閃。

「そんな」

 深い斬り込み。男の身体が派手に血しぶきを上げる。
 そして、深く突き刺す。容赦なく。左胸を、深く、深く。
 刀身は男の肉体へと捩じ込まれ、飲み込まれる。男は痙攣し、動かない。
 フリッツは男の腹に足をかける。力をこめて、一気に引き抜く。肉から刃が抜ける、生っぽい音。
 反動で、足蹴にされた男の身体は地面へと崩れ落ちる。
 ビチャッと嫌な音を立てて、無感動なフリッツの顔に鮮血が飛び散る。

「バカ……な……」

 三下のセリフを吐いて、男は倒れた。
 主を失った三日月刃が虚しい音を立てて落ちる。ルーウィンは今見ている光景が信じられずにいた。そして、声を掛けることも出来なかった。

 怖いと思った。

 目の前に居る返り血を浴びた少年は、本当にあのフリッツだろうか。虚ろな瞳で突っ立っている彼は、少し前に微笑んでいた彼だろうか。
 男は完全に絶命していた。
 そしてフリッツは立ち尽くす。

「フリッツ」

 ルーウィンは乾いた喉から声を絞り出す。少年を呼ぶ。
 お願い、帰ってきて。この言葉で、戻ってきて。すがるような思いで、ルーウィンは名前を呼ぶ。
 フリッツは、ゆっくりと声の方を振り返る。地面に座り込んでいるルーウィンの瞳と、目が合う。

「……ルーウィン」

 フリッツは呟いた。そして真剣を取り落とす。
 自分の空いた手を恐る恐る頬に持っていく。そしてその手を、見る。手は真っ赤に染まっていた。
 飛び散った、男の返り血。
 汚れてしまった手を見て、フリッツはただ呆然とした。

 あかい。赤い。
 それは炎。それは血液。生き物が、死に際に流す色。
 フリッツは、頭を抑えた。
 割れるほどの、痛み。揺さぶり。




 真っ赤な酒場。血だらけの窓ガラス。転がる死体。握ったジョッキ。男の。女の。打ち捨てられた子供。チョウ。目玉。割れた酒瓶。タバコの煙。揺れるランプ。マント。真っ赤な酒場。ずり堕ちた男。床の上の死体。座ったまま。男の。女の。額を割られた子供。チョウみたいな。驚いた目玉。割れた酒瓶。タバコの煙。消える灯火。黒いマント。真っ赤な酒場。窓の下の血溜まり。転がる死体。座ったまま、死んでる。男の。女の。痛めつけられた。可哀相な子供。標本みたいな。驚いた目玉。割れた酒瓶。タバコの煙。消える命。黒いマントの。




 黒い、マントの。
 兄さん。

「……ぁ……ぅ……あ」

 フリッツは頭を抱える。喉を逸らす。目を見開く。

 殺した。殺した。兄さんが殺した。
 でも。

 殺した。殺した。
 お前も、殺した。
 ぼくが、殺した。











 ……ぼくが、殺した?



 ――お前が、殺した!




「―――――――――――――――ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」




 喉が裂けんばかりの、咆哮。悲鳴。
 頭が割れる。爪が食い込む。血が遡る。

 こころが、裂ける。



 酒場で二人、路上で六人、林で二人と、一人。計十人と、ちょっと。
 燃える闇夜。
 錆付いていたはずの真剣は、刺客の血と、踊る炎で紅く染まった。






                                        【第7章(後編)】







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