小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第8章】
【第三話 荒れ果てた道】

薄暗い森の中を通る山道。モンスターが一声鳴き、絶命した。
森の主という異名をとるモンスター、ビッグテディ。その鋭い牙と爪にかかればあっという間に切り裂かれ、どんな生物もたちどころに肉塊と化す。
そうならないためには、遠距離からの攻撃が有効。かと思いきや、その体は立派な毛皮に覆われており、弓矢などという小さな得物では到底太刀打ち出来るものではない。

ファイアテイル、スターダスト、他にも様々な技を駆使して全力で戦い、辛くもルーウィンは森の主に勝利した。
負傷こそしなかったものの、それだけの大物を倒せばさすがのルーウィンも疲れ切っていた。息は荒く、呼吸するたびに肩が上下する。額から玉のような汗が転げ落ちた。

ルーウィンの二回り以上もある大きな身体は、低い音を立て地面に倒れ、木々をなぎ倒す。羽を休めていた小鳥が慌しく鳴いて飛び立つ。ビッグテディが倒れると、あたりにズシンと振動が走った。立ちこめる砂埃を吸わないよう、口を腕で覆い、目を細めて様子を覗う。

モンスターはぴくりとも動かない。
完全に沈黙したことを確認して、ルーウィンはモンスターに近寄った。
体に刺さった矢を引き抜く。頬に血が飛んで、顔をしかめた。矢をボロ布で拭き、そしてまた矢筒に収める。モンスターの油で鏃が酸化して状態は悪いが、こうするより他なかった。ここまでの道中でかなりの矢を使ってしまったためだ。

何年も使われていない道だと村長は言っていた。しかし、こんなにも手間取る予定ではなかった。
道は散々な荒れ果てようだった。大木が邪魔をして、ぐるっと迂回しなければならないことも多々あり、足元も石や岩がごろごろしている状態で、とても道とは呼べないようなものだった。
しかもモコバニーのような小型のモンスターではなく、ワルモーンのような中型のモンスターばかりがうようよと湧いて出る。立て続けに何匹も退けるのは、正直つらい。おまけに巨大なビッグテディまで出現し、ルーウィンはかなりの体力を消費した。

ラクトスとティアラは村に残り、フリッツとルーウィンはグラッセルに向かうため、こうして別行動をしている。そもそも戦力は半分の状態で、ラクトスの攻撃魔法の援護もなければ、ティアラの回復魔法もない。
持っていた回復薬や食糧も村人に分けてしまったことで、そこまでたくさん蓄えを持っているわけではなかった。
その上、実質ルーウィンは一人で戦っていた。

「終わったわよ、フリッツ」

ルーウィンは岩に向かって声をかけた。
影にはぐったりとしたフリッツがもたれかかっている。森に入ってから間も無く、フリッツは体調を崩した。そのためこの三日間ほど、ルーウィンは一人で闘っていたのだ。
ルーウィンはしゃがみこみ、フリッツの様子を伺う。

「ちょっと大丈夫? 昨日よりもなんか辛そうよ」
「ごめんね。戦力にならなくて」

 フリッツは弱々しい声で謝った。

「あんたが元気でもそうでなくても、大して変わらないわよ。ほら、立って」

ルーウィンはフリッツの脇から首の後ろに手を回し、身体を下から持ち上げて支えてやった。歯を食いしばって、ルーウィンはフリッツの重たい体を持ち上げる。いくらフリッツが小柄だとはいっても、同様に小柄なルーウィンが長時間一人で支えるのには無理があった。
ルーウィンは自分の体力も限界にあることを感じていた。

「さっきはああ言ったけど。あんたのへっぽこ剣術もないよりはマシってことね。ちょっと、ちゃんと聞こえてる?」

あまりにも反応がないので、ルーウィンは目を吊り上げる。しかし、返事はない。
ルーウィンはフリッツの顔を覗き込もうとして首を曲げる。しかしフリッツの身体が傾いてバランスを崩し、重みに耐えられなくなった彼女共々地面に倒れこんだ。フリッツの下敷きになってしまったルーウィンは、なんとか這い出して声を上げる。

「重いっ! あと、暑苦しい! あんた、いくら調子悪いからっていい加減にしないと」

フリッツの身体を乱暴に退かし、ルーウィンは違和感を覚えた。この様子はおかしい。ルーウィンはフリッツの額に手を当てた。
熱い。フリッツの額は尋常でないほど熱を帯びている。
呼吸も浅く速く、視線ももうろうと宙を彷徨っていた。今さっき始まった症状ではないだろう。
自分はこんなことにも気がつかなかったのかと、ルーウィンは唇を噛む。

「……解熱剤なんて残ってたかしら」

祈るような気持ちで荷物を探るが、代わりになりそうなものすら見当たらない。辺りには解熱の作用を果たす薬草もない。
早くも体力の切れ掛かっている自分と、動くことすらままならないフリッツ。絶望的とはいかずとも、かなり追い詰められた状況であることには違いなかった。
しかしここでもたもたしていてはモンスターに襲われてしまうし、なによりグラッセルへの報せが遅くなる。

「あぁ、もう! どうしろってのよ!」

ルーウィンはその場にあぐらをかいて座り、髪の中に手を突っ込んだ。そして苦しそうにしているフリッツを見つめた。
茂みの向こうから物音がした。それにすぐさま反応し、すぐに警戒態勢に入る。
またモンスターかと、ルーウィンは舌打ちする。考える時間すら与えてくれないとは。姿勢を低くし、弓を構える。
茂みの中から、何かが飛び出す。それは予想していたよりもやや低めの位置からの攻撃だった。

「ぶはっ!」

大砲の弾の如く飛び出してきたものは、狙い違わずルーウィンの腰目掛けて特攻を仕掛けた。腹部にもろに食らって、思わずルーウィンはよろめく。そして、彼女は目を丸くした。
そこにはおさげの少女がしがみつき、大きな瞳でこちらを見上げていた。

「チルル! ということは」
「こんにちは! どうしたんです、こんなところで」

 明るい声音と共に、続いてミチルとパタ坊とが現れた。パタ坊は奇妙な声でグエェと一鳴きする。
ルーウィンはそれを見て、深く息をついた。

「まさか、あんたに会えて良かったと思える日が来るなんてね」

 そう言いながらも、ルーウィンはこの偶然に感謝した。











ミチルは持っていた解熱剤をフリッツに飲ませ、パタ坊に載せた。薬もあり、さらにフリッツを運べるパタ坊もおり、ルーウィンがこの森の中でミチルとチルルに会えたことはかなりの幸運だった。フリッツは薬が回るとパタ坊の背中の上ですぐに眠りに落ちてしまった。
開けた場所を見つけ、日暮れも近づいていたので野営の準備を始める。薪を用意し火を灯し、鍋に湯を沸かす。フリッツは横になって眠っており、いつの間にかチルルも近くで寝息を立てていた。二人に毛布をかけ、薄暗くなった森の中、ルーウィンとミチルはようやく腰を落ち着かせた。

「はい、どうぞ」

そう言ってルーウィンがミチルから渡されたのは守護鉱石、別名ガーディアナイトだった。
モンスターを寄せ付けないとされ、人々に重宝されているアイテムの一つだ。ルーウィンの手の中にあるのは、宝石のようには加工されていないもので、原石をすこし削っただけのものだった。
白い石を包み込むように、麻紐が器用に網状に編んである。他の宝石のように豪奢に輝くことも、ガラスのように涼やかに透けることもしない、ただの白い石ころ。しかし、なんとなく聖なる気が滲み出ているような気がしないでもない。
ルーウィンはそれを手のひらに置いて、まじまじと眺めた。フリッツの分はすでに首から下げさせていた。

「御守りです。というか、実際すごいアイテムですよ、それ。本当に、ある程度はモンスターが寄って来なくなりますから。使ってください」
「ありがと。でも、今は持ち合わせが」

この道中、フリッツがいるためにモンスターを上手く回避することも出来ず、片っ端から片付けてきたルーウィンにはかなり有難い代物だった。ルーウィンは言われるまま、素直にガーディアナイトを首に掛けたが、あくまで貸してもらうだけのつもりだった。しかし、ミチルは微笑んだ。

「差し上げます。この前チルルをヒトラス邸に迎えに行ってもらったお礼を、まだしていなかったので」
「ということは、商談は上手くいったみたいね」

 ルーウィンは苦笑した。商売人のミチルがここまで気前がいいからには、自分たちはヒトラス邸の一件で、彼にとってそれなりの利益を生み出す働きをしたのだろう。
ラクトスの話では、ヒトラスとのコネクション欲しさに自分たちを送り込んだのではないかという推測だった。

「やだなあ、皆さんをダシになんて使っていませんよ。これでも悪かったと思っているんです。あの時予想外の騒動にも巻き込まれてしまったみたいですし」

予想外の騒動。それはヒトラス邸の漆黒竜団の奇襲のことであった。
ルーウィンは燃える薪を見つめた。
グラッセル、ヒトラス邸、そしてあの村での惨事。

「漆黒竜団……」

ルーウィンの呟きを、ミチルは聞き逃さなかった。

「最近動きがやたらと活発ですよね。グラッセルに、ロマシュのヒトラス邸ですか」
「実を言うと、あたしたち、またあいつらに遭遇したのよね」

ルーウィンはミチルに、村で起こったことを話して聞かせた。アーサーのことについては話すのを避けたが、漆黒竜団に襲われたこと、火事のこと、そしてフリッツの身に起こった出来事を話した。
一連の出来事を聞き終わると、ミチルは茶をすすって一息ついた。

「そうですか。大変な目に遭われたんですね」

ミチルは薪のすぐ近くで眠っているフリッツに視線をやった。薪の暖かな炎に照らされたその顔は、健やかな寝顔とは言えないが、特別苦しそうな表情でもない。薬が効いているようだった。

「心労からくる発熱といったところでしょうか。フリッツさん、予想以上に繊細でしたね」
「でもあの反応が、普通なのよね。本来は」

 ルーウィンも、フリッツを見つめた。眠っていた方がいいのかもしれない、と思った。悪夢に脅かされることがなければ、起きているときのように余計なことを考えなくとも済む。
黙ってフリッツを見ているルーウィンに、ミチルは単刀直入に訊ねた。

「ルーウィンさんはないんですか? 人を殺したこと」

 普通の人間ならぎくりとするか、逆に笑ってしまうような質問に、ルーウィンは動じなかった。

「わかんない。多分、あると思う」
「多分? それはまたずいぶんと曖昧ですね」

ルーウィンはカップに口をつけ、茶を一口飲んだ。

「矢打って、そのまんまだから。打ちっぱなし。あとはそいつがどうなったかなんて見ないことにしてる。だってもし死んでたら、ご飯がまずくなるでしょ? でも、ああ、こりゃ死んだなって思ったことは、何度かある。あんたは?」

 ミチルは肩をすくめてみせた。

「直接、この手にかけたことはないです。でも、ルーウィンさんみたいに、手榴ビン投げっぱなしの確認せず、というのはよくやります。ぼくも同じ理由です。ぐちゃぐちゃになった死体なんか見たら、気分悪いですからね。あと、チルルもいますし。精神衛生上、教育上よろしくないでしょう?」

ミチルは規則的な寝息を立てている妹に視線をやった。兄であるミチルとルーウィンがこのようなことを話しているとも知らずに、チルルは幸せそうに眠っている。それを見てミチルは満足そうに微笑んだ。
そしてルーウィンに向き直り、口を開いた。

「でも人を見殺しにしたことは、何度もあります。本当に、数えきれないほど」

ルーウィンは黙った。
ミチルは背格好も年齢も、まだ子供だ。それなのにすでに、人の命に対してこんなにも冷めた見方をしている。それは旅人にとって必要な要素であり、人として喜ばしくない要素であった。

人殺しは犯罪だ。命を奪えば、取り返しがつかない。何をどう贖っても、元通りにはならない。
国や街が法によって治めている範囲内では、当然人を殺せばそれなりの刑罰が待っている。殺人に手を染めた者が死刑になることも少なくない。

 しかし、例外もある。自分の命、または誰かの命を守るために行われた正当防衛がそうだ。
 村や街を一歩出れば悪人がうようよするこの世界では、それは当たり前のことだった。
 
 フリッツは漆黒竜団員を殺した。しかし、このことが果たして罪になるだろうか。
 恐らくは、ならない。罪になるどころか、多くの村人の命を奪った漆黒竜団を成敗したと見なされ、報告すれば褒章すら与えられるかもしれない。「悪者」を殺せば、それが「正義」で、時に「英雄」にさえなれる。
 旅人や冒険者が賊に襲われ、逆に賊を殺めてしまったとして、いったいそれを誰が責めるだろう。村を襲った賊を殺めたところで、一体誰がそれを悪と言うだろう。きっとそれは、「正義」になるのだ。

 人を殺してはいけない。そんなことは子供でも知っている。
 しかし悪者であれば殺しても良い。それは人を殺すことではなく、悪を滅ぼす行為になるからだ。
一つ条件がつけば、物事は見事にひっくり返る。世の中とは、なんとも都合よくできている。
 いや、局面に立たされた人間がその都度、自分たちに都合のいいように作り変えているだけなのかもしれない。

『あなたが殺したのは死んで当然の人間だった。気にすることはない。むしろ誇ってもいい』

 そんな無神経な慰めの言葉など、かけられるはずも無い。それがフリッツのこころに、届くこともない。
 フリッツは恐れ、慄いている。
 誰であろうと、人の命を奪ってしまったことに。その重さに、押し潰されそうになっている。

 しかしそれにいちいち構っていては、生きてはいけない。危険の伴う旅である以上、その覚悟はできていなければならない。それが当たり前で、大前提なのだ。
 それは覚悟か。
 それとも人間に必要な、大切な「何か」の概念の欠落か。

 覚悟なんてかっこいいものじゃないと、ルーウィンは思い直す。考えないこと。深く考えないことが、何よりも大事だった。
 しょうがなかった、ああするしかなかった。そうしなければ、死んでいるのは自分なのだ。命を失っていたのは、自分なのだ。自分がなくなれば、なにもかもがなくなる。それは、困る。
 だから、仕方がなかったのだと言って、相手の命を奪う。

 常套手段だ。何の文句があろうか。
 自分の命を脅かされて、黙って殺されるのを待つなんて、そんなおかしな話があるだろうか。この常識、「当たり前」の考え方が、フリッツにはまだ受け止められないのだった。
 
 本来ならおかしな話だ。しかしそれを多くの旅人や冒険者が受け入れている以上、イレギュラーなのはフリッツのほうだった。悪を滅ぼしたという建前を使わず、人を殺したという真実だけが残り、それを受け止めてはいるが消化は出来ずにいる。
 でもそれでは生きていけないから、人々はやめるのだ。深く考えることを。
 ルーウィンもミチルも、しっかりとそれが出来ていた。だからこうして、生きてこられた。
 物思いに耽っていたルーウィンを、ミチルの声が現実へと引き戻した。

「ところで、フリッツさんが人を殺めたというのは、あの錆付いた真剣のほうですよね。ちょっと見せてもらってもいいでしょうか」
「別にいいわよ」

 ルーウィンは腰を上げて、フリッツの真剣を取りに行った。そしてすぐにミチルに渡す。
 ミチルはそれを両手で受け取り、恭しく持ち上げ、色んな角度から覗き込んだ。それに満足すると、今度は剣をゆっくりと鞘から取り出した。錆付いた剣は、薪の炎をわずかに映して炎色に染まる。続いてミチルは鞘の方もじっくりと観察した。
 片目を瞑って細部まで確認しながら、ミチルは言った。

「やっぱり、なかなかの値打ちものですよ。あの時ぼくのものにしておきたかったなあ」
「ずいぶんと下手な嘘つくのね。こんな錆びた剣、なんの値打ちもないわよ」

 ルーウィンは頬杖をついて気だるそうにその様子を見ていた。彼女は弓矢以外の武器に興味はない。しかしミチルは、こんな錆付いたおんぼろ剣に夢中だった。さんざん触って満足した後、ミチルは静かに剣を置いた。

「ルーウィンさん。この錆付いた剣でフリッツさんが闘ってこられたことに、なにも疑問を感じないんですか? 普通こんなボロボロの刃が、人の命を奪えると思います?」
「どういう意味よ?」

 ルーウィンはいぶかしげに眉をひそめた。しかし、何かを思い直したようにミチルは首を横に振った。

「いいえ、なんでもありません。この剣がどうであろうと、結局フリッツさんが命を奪ったことに何も変わりはないですもんね」

 悪びれもなく、ミチルはそう言ってのけた。
 オレンジ色の炎が、黒い森に爆ぜる。
 炎とその影が踊る様を、ルーウィンは黙って見つめていた。




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