小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第8章】
【第四話 覚悟の不足】

夜、フリッツは身体を起こした。
頭に霞がかったように、ぼんやりとしている。最近はずっとこんな調子だった。体調や気分がいい時がない。自分は何かの病気にでもなってしまったのだろうかと、そんな情けないことを考えた。
フリッツの横にはチルル、そしてルーウィンが毛布に包まって眠っている。
ルーウィンにはかなり無理をさせてしまった。自分が無理を言ってついてきたのに、こんな結果は不甲斐ないことこの上ない。まったく戦力にならず、それどころか足手まといになっている。

ルーウィンとの二人きりの道中で、冴えない自分。それはフリッツに旅の最初を思い出させた。
あの頃はルーウィンに怒られてばかりいた。自分がここまで旅してくるとは露ほどにも思っていなかった。
そしてこんなことになるなんて、思ってもみなかった。
フリッツは人の気配を感じて、視線を向けた。薪の炎の向こうにミチルの姿が浮かび上がっていた。フリッツは重たい身体に鞭打って、腰を上げた。

「見張りしてくれてるの?」

フリッツの姿を認めると、ミチルは眺めていたフリッツの剣をこっそりと鞘に戻した。

「あ、いいえ。ちょっと今日のうちにしておきたいことがあって。明日は街道に出られそうですからね。すぐ商売のできる支度をしておかないと」

 街道に出られる。それを聞いてフリッツはほっとした。ようやくこの鬱蒼とした森の中から抜け出せる。
 しかしフリッツたちが同行したことで、きっとミチルたちの予定も大幅に狂わせているに違いない。そう思い申し訳なくなると同時に、ミチルに対して尊敬の気持ちが湧いた。

「ミチルは偉いね。その歳でもう独り立ちして、商人ができてるんだね」
「そんなことないですよ。必要に駆られてやっていることですし」

 謙遜ではなく、ミチルは本心でそう答えた。フリッツは疑問に思い、訊ねた。

「ミチルって今いくつなの?」
「十三です。街に行けば、商人の子供はたいてい親の手伝いをしています。そうとりたてて変わったことではないですよ」

ミチルはそう言ったが、フリッツにはまだ凄いことのように思えた。
自分が十三の時といえば、まだマルクスの修練所とフラン村とを行ったり来たりしながら、何事もなく過ごしていた。旅に出ようなどとは思ってもみなかった。
ミチルはフリッツの顔をじっと見つめた。

「……それに引き換えぼくは、って思いました?」
「えっ」

驚くフリッツに、ミチルは笑う。

「当たりですね。顔に色々と書いてありますよ」

 そんなに自分はわかりやすい人間だろうかと、フリッツは恥ずかしくなる。しかし事実であるから、仕方がない。フリッツは続けて訊ねた。

「ミチルはどうして旅をしてるの」
「大したことないんです。ちょっとした探し物があって」

ミチルは腰を上げてチルルの元へと歩いた。チルルが毛布をはねのけてしまったのを、そっと元に戻す。妹を見、そしてフリッツに背を向けたまま、彼は言った。

「フリッツさんは? フリッツさんはどうして旅をしているんですか?」
「えっと。ぼくは、兄さんを捜して……」

 フリッツの答えは尻すぼみになった。そしてしばし、黙り込む。

「どうかしましたか?」
「ルーウィンから聞いたかも知れないけど、その、……漆黒竜団のこと」
「はい。大変な事件だったそうですね。心中お察しします」

 ミチルの表情はあまり変わらなかったが、それでもフリッツを気遣うことはしてくれた。

「身体の具合はどうですか? 熱はだいぶ下がったみたいですが」
「あ、うん。もうすっかり下がったみたいだ。迷惑かけて、ごめんね」
「ぼくは何もしていません。お礼ならルーウィンさんに」

 そう言ってミチルはルーウィンの方を見た。二人が話していても、ルーウィンは目を覚ますことなく眠り続けている。普段の彼女は眠りが浅く、物音がすればすぐに飛び起きるはずだった。野営をしているにも関わらず、ぐっすりと眠りこけることなど有り得ない。
それほどまでに、ルーウィンは消耗している。

「しばらくは無理されない方がいいでしょう。ルーウィンさんも、そう言っていました。ぼくとパタ坊とルーウィンさんに任せて、フリッツさんはしばらく休んでいてください」

 それは確かに、フリッツの体調を気にかけての言葉だった。
しかし、フリッツには遠まわしな戦力外通告のように思えた。

「これ、お返ししますね。ルーウィンさんに言って、少し見せてもらっていたんです」

フリッツはミチルから、自分の錆びた真剣を受け取った。
なんなら、ずっと持っていてくれていていいのに。
その言葉を、フリッツはなんとか飲み込んだ。









森の中を進んで、数日。
だんだんと道の様子はましになり、道なき道から、獣道程度にはなってきていた。グラッセルにかなり近づいてきた証拠だ。ミチルの守護鉱石のお陰である程度弱いモンスターは出なくなったが、それでも強敵にはあまり効果がないという。聖なる石、守護鉱石加護も万能ではないということだ。
それを裏付けるかのように、モンスターはこの日もお構いなしに、一行に襲い掛かってきた。
そして、今相手をしているのは、その日一番の大物だ。

「森のくまさんも、大概しつこいですね!」

ミチルは手榴弾を投げ、すぐに岩陰に身を潜める。的が大きいため、狙い違わず直撃する。
ドッカン赤色君は見事に砕け散り、爆風と共にもうもうと煙が立ち込めた。

「やったの!」

ルーウィンが声を上げる。しかし、煙の中からはピンピンした様子のビッグテディが現れた。
ルーウィンは苦々しげに舌打ちし、ミチルは困ったように眉を下げる。

「うーん、どうしましょう。ぼくはもうお手上げです! ルーウィンさんは!」

ミチルはルーウィンに向かって叫んだ。ドッカン赤色君、スヤスヤ青色君、ビリビリ黄色君、どれも試してみたが効果はなかった。相手の体が大きすぎて、ダメージを与えられないのだ。
目の前のビックテディは、恐ろしく大物だった。ルーウィンが倒したもののゆうに二倍はあり、立ち上がれば、その体は森から突き出す。

「あたしも無理! ひとまず逃げるわよ! いいわね、フリッツ!」

矢が切れ掛かっているルーウィンも打つ手がない。目などの急所を狙って奮闘したが、届くまでに払いのけられてしまう。高さがありすぎて、重力によりどうしても速さが落ちてしまうのだ。
パタ坊の上にチルルが跳び乗り、手綱を握ったフリッツも走る。足元は下り坂。石や岩がごろごろし、木の根が飛び出し、少し間違えれば簡単に足をとられる。

「うわっ!」

そして案の定、体力の落ちているフリッツが躓いた。手綱を引かれたパタ坊は律儀にもぴたっと止まる。突然の急停止にチルルは振り落とされそうになった。

「チルル! フリッツさん、危ない!」

背後にはビックテディの牙が迫っている。
フリッツは反射的に真剣を手に取った。
考えることなどなかった。目を剥く。歯を食いしばる。足を踏ん張る。
本能のままに剣を抜き、本能のままに跳び退り、本能のままに剣を振る。
ビックテディの眉間に、深く深く、突き立てた。そして、抜いた。
そこまでは良かった。

「……う、……あ、ぁ」

肉に食い込む感触。剣先に飛び散る鮮血。
死、だ。
フリッツの手元は、狂った。一瞬にして、フリッツの全て、なにもかもが停止した。
痛みに吼える、赤々としたビックテディの口内が迫る。狡猾で獰猛な牙が、剥かれる。フリッツは動かない。

ルーウィンは舌打ちをして、ビックテディに矢を放つ。顔が低い位置にある、絶好のチャンスだった。
ビックテディの喉深く、矢が突き刺さる。いくら外側を上等な毛皮で覆われていようと、中の肉までは堅くは出来まい。内側の痛みに耐え兼ね、ビックテディは暴れ出した。
ルーウィンは駆け込む。フリッツの手を引いて、あっという間に踵を返す。
フリッツもそこで、我に返った。

「ルーウィンさん、しゃがんで!」

ミチルは手榴弾を投げる。ビンはモンスターの鼻先を掠めて、割れた。
そして、もうもうと煙が湧き始めた。

「黄色君を投げました。目と鼻に入ったようですから、しばらくはあのままでしょう。今のうちです!」

目が痛み、鼻も効かなくなったビックテディは暴れまわった。
屈強な腕は木々を圧し折り、なぎ倒される。それに巻き込まれないよう、一行は急いで走った。パタ坊がチルルを背に乗せ、驚くべき速さで障害物を避けながら勾配を下っていく。チルルは振り落とされまいと、必死になって捕まっていた。
その後に出来た道を、ルーウィン、ミチル、フリッツの三人が続く。

走って、走って、走って。
かなり走り続けて、一行は足を止めた。ビックテディの暴れまわる気配もかなり遠のき、今ではそれもわからないほど距離を稼いだ。周りに他のモンスターが居ないことも確かめ、ミチルはぐっとりとパタ坊の背にしなだれかかった。
息はすっかり上がり、額は汗でびっしょりだった。

「……ふう。一安心ですね、どうなることかと思いました。チルル、怪我はないね?」

まだ息が整わないまま、ミチルは騎乗しているチルルを見上げた。チルルは首を縦に振った。
フリッツも荒い息のまま、膝に手をついている姿勢で呼吸を整えていた。

「フリッツ」

ルーウィンは険しい顔つきで、つかつかと歩み寄った。

「邪魔するだけなら、手を出さないで」

雷に打たれたような衝撃が走った。

「ごめん、そんなつもりじゃ」
「言い訳無用。気持ちの整理が出来てないなら、剣を振るうことに抵抗があるなら、手助けはいらないわ。足手纏いよ」

足手纏い。
彼女の口から聞く、久々の言葉だった。フリッツのこころがきゅっと摘まれたように痛む。
項垂れるフリッツを見て、ミチルが言った。

「ルーウィンさん、ちょっと言いすぎじゃないですか?」
「いいえ、今日ははっきりと言わせてもらうわ。フリッツのためにも、あたしたちのためにもならないもの。中途半端に手出されちゃ、困るのよ。戦闘のリズムを乱さないで。あたしとミチルとパタ坊がいる。あんたはチルルを庇って、下がっててちょうだい」

フリッツにはわかっていた。ルーウィンは決して意地悪で言っているわけではない。
ただありのままの事実を述べているだけだ。

「……ごめん」

フリッツは地面を見つめることしか出来なかった。
しかしルーウィンはそんな様子にはお構いなく、フリッツの肩を掴んだ。

「剣を振るのが怖いの?」

 ルーウィンの、まっすぐな瞳。弱く醜いこころを射抜かれるような、その視線。
フリッツは痛かった。この瞳に見つめられると、嘘がつけない。自分の目を通して、こころの奥の奥の底まで、見透かされてしまう。
剣を振るのが怖いの?
それは今、フリッツが恐れている問いの幾つかのうちの一つだった。
フリッツは、恐る恐る口を開いた。声が出るまでに、少しかかった。

「あの時ぼくは、死にたくないと思った。殺されたくないと思って、身体が動いて、気がついたら……」

それはルーウィンの問いに対する直接の答えではないように思えて、そうではなかった。
答えは、怖い。
出すべき言葉は、たった二文字のはずだった。しかし、怖くて言えなかった。それを言ったら、何かが壊れてしまう。剣士で、いられなくなる。

剣を振るのが、怖い。
命を殺してしまうから。
ではなぜ命を奪ったのか。
それは死にたくないと思ったから。

フリッツの動揺は激しく、一瞬のうちに感情はそこまで遡った。
ルーウィンは眉を寄せたが、フリッツの言いたいことは、すぐにわかった。フリッツはまだ、引きずっているのだ。

「相手は漆黒竜団の連中よ。悪いやつだし、あの時やってなきゃ今頃死んでるのはあんたなの。あんたがそこまで気に病む必要はないわ」

ルーウィンの言葉に、死者に対しての弔いの気持ちは一切なかった。

「……ぼくはあの人たちの命を奪ってまで、生きている価値があるのかな」

その言葉は、逆鱗に触れた。
一瞬にしてルーウィンの頭に血を上らせた。
ルーウィンはフリッツを殴り飛ばす。感情に任せた、容赦のない拳。フリッツの身体は面白いように吹き飛んだ。

「知らないわよ、そんなこと!」

ルーウィンは叫んだ。身体は怒りに震えている。瞳孔は開き、口元は歪む。
フリッツは口元の血を拳で拭った。

「だから最初に言ったじゃない! あんたは剣士に向いてないって!」

 フリッツのこころが、また音を立てて軋む。
虚無感が、広がる。

「人を殺したら、確かにそれは罪よ。一生消えない。でも、あんたがやったのはただの人殺しじゃない。正当防衛で、自己防衛よ。誰もあんたを責めない、責められるはずがない。だってそうじゃなきゃあんたは死んでた。あたしだって死んでた!」

 フリッツは苦しそうに目を細めて、静かに頭を横に振った。

「じゃあきみは人を殺しても平気だっていうの。きみはおかしいよ、ルーウィン」
「おかしいのはあんたの方よ、この分からず屋! 目の前の敵が消えるか、自分が消えるか。闘うってのはそういうことよ! 命懸けてんのよお互い!」
「じゃああの時、ぼくはどうすれば良かったんだ!」
「だからああするしかなかったって言ってるじゃない! いい加減にしろ!」

最後に、ルーウィンはありったけの声で怒鳴った。
ルーウィンはフリッツを乱暴に離した。そして踵を返す。

「もう、聞きたくない」

とたんに辺りは静まり返った。
表情は読み取れない。

「こんなはずじゃなかったとか、こんなつもりじゃなかったとか、もううんざり。あんたには覚悟が足りなかった、なんにも考えてなかった。ただそれだけのことよ。あんたには剣を握る資格なんてない」
「覚悟が足りないだって? 何も考えていないのはきみの方だろ! 自分が先に進むことばかり考えて。先に進むためなら、目の前の邪魔なものを全て壊してもいいっていうのか!」

ルーウィンは静かな声音で言った。

「中途半端な気持ちで、旅になんて出るからよ」

その言葉が、残されたフリッツの耳元に、やけに鮮明に残った。
旅をするのに、人を殺す覚悟が必要だっただろうか。
家族を、両親を助けたいと思うのに、人を殺す覚悟が必要だっただろうか。
兄と再会するのに、人を殺す覚悟が必要だったろうか。

剣を。
剣を握るのに。人を殺す覚悟が。必要だった、だろうか。

いつも剣がすぐ近くにあった。棒を振り回しながら、育った。父の姿を見て、兄の姿に憧れて。マルクスの元へ弟子入りして。修行を続けて。
剣しか知らない、ぼくの人生。
ぼくはもしかすると、大変な間違いを犯していたのだろうか。
ぼくの今まではなんだったんだろうか。
フリッツは目の前が真っ暗になった。







「人の命を奪ったそうですね」

ミチルのその単刀直入な言葉に、フリッツはビクリと身を震わせた。
ミチルはその様子を、痛々しそうに見つめた。

「縁もゆかりもないただの悪党を手にかけた。それは正当防衛です。悩むほどのことじゃありません。でもフリッツさんは、覚悟が足りなかった。ただ、それだけです」
「覚悟……」

フリッツは呟いた。ルーウィンもミチルも、二人して同じことを言う。

「お兄さんを捜すことは、この大陸を旅することです。それは自ら危険な選択をしているということ。そしてフリッツさんは剣を持っている。他人を害し、自分を護る力を持っているということは、他人を傷つけても傷つけられても恨みっこなしということです」

他人を害し、自分を護る。
傷つけても傷つけられても、恨みっこなし。
フリッツの頭は、ミチルの言葉を反芻していた。

「フリッツさんが初めて剣を握ったのはいつですか? それが幼い頃だったからという言い訳は通用しませんよ。もう十年も剣士をやっているんでしょう? あなたの握る剣がどういうものか、どんな意味を持つのか。剣はもともと、なんのためにあるのか。その意味を考えず、延ばし延ばしにしてきた結果が今の状況なんじゃないですか。フリッツさんは怠けたんです。考えることをやめてしまったんですよ」
「……でも」

フリッツの口からつい出た言葉は、言い訳のための接続詞だった。ミチルの視線が冷めているのを見て、フリッツはその言葉を飲み込んだ。
人を傷つけたくないからこその木製の剣だった。そして錆付いた真剣だった。

まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。真剣のほうは、対モンスターのためだけに使うものだと。 自分が闘うべきものは目の前に立ちはだかる強い力で、必要なのはそれに屈しない勇気を奮い起こすことだと思っていた。
人の命など、奪う予定はなかった。
まさか、そう、まさかの結果。
しかしそれは、全くの想定外の話ではない。剣は刃物で、刃は肉を切り裂くためにあるのだから。
その「まさか」こそが、何も考えていなかった報いなのだ。

「少しきつい言葉を使ってしまいましたね。年下のくせに、生意気でした。でも、ぼくは謝りません」
「ミチルは、覚悟ができてるの」

 フリッツは力なく、そう訊ねた。ミチルは無邪気に微笑んだ。

「ぼくは目的のためなら、なんだってしますよ。本当に、なんだって」

浮かぶのは子供のならではの残忍さ。そして子供らしくない、物分りのよさ。
目的のためなら、ミチルは本当になんだってする。その言葉に嘘偽りはなかった。

「さあ、戻りましょう。明日中には街道へ出られるはずです。もうひと頑張りですよ」







ルーウィンは木の幹を思い切り殴った。唇を食いしばる。
違う。本当に言いたいのは、伝えたいのは、こんな言葉じゃない。
正当防衛で悪人を殺したフリッツが悪党だと言うのなら。

「あの時、あんたが生きていてくれて良かったと思ったあたしは、なんなのよ……」

ルーウィンは、声を絞り出した。


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