小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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五 エラドール 2

 ここと言われても、ここには家があるだけで、他に何も無い。
 「こことは…?」
 「この絨毯の下の床を外せば、エラドールへと続く道がある。ここはエラドールとこの地上をつなぐ出入り口なのだ。かつてはここからエラドールの住人が地上にやってきては、色々問題を起こしていたので、エラドールとアルノワの代表者と私の三人で話し合い、扉を塞いで結界を作った。私はその結界が破られないように、ここに庵を作って護っているのだ」
 「なるほど。それでこんな辺鄙なところに住んでおったのか」
 「そう言う事だ。だがここを降りるのは、相当の覚悟が要るぞ。道はゆるやかな坂道だが、真っ暗でほとんど何も見えないし、エラドールへ辿りつくだけで一日近くはかかる。エラドールに着いたとしても、そこには悪魔と呼ばれるほど凶悪な人間が多く住んでいて、どんな危険が降りかかるか分からない。それでも行くのか?」
 「行くとも。地上におっても天使が襲ってきて、命を奪おうとするんじゃ。エラドール人と何等変わりはない」
 「解った。止めても無駄のようだな。では結界を解き、道を開こう。壁際まで下がってくれ」
 エバールの言うまま、エルゥたちは壁際に移動した。
 エバールが絨毯を巻き上げて片付けると、床には黒くて丸い蓋があり、彼はそこに右手を翳してなにやら瞑想し始めた。
 「何してるのかな」
 エバールの行動が理解できないエルゥだったが、小声でイファが、
 「しっ…。静かに。邪魔しちゃだめだよ」
 と諌めた。
 「…ん」
 またイファに怒られたが、今度は自分が悪いとエルゥは反省した。
 やがて黒い蓋全体から蒸気が上がり始めた。
 (蓋が融けてるみたい)
 エルゥは何となくそう思った。
 蒸気はすぐに静まり、いつのまにか黒い蓋が無くなった。その向こうには暗い空間が覗いている。
 「道は開けた。だが扉は、できるだけ早く閉めなければならない。エラドールの住人をむやみに地上に出さないために、開けたままにはしておけないのだ。もし三日経っても君たちが戻ってこなければ、とりあえずいったん閉ざすことにする」
 「それでは、もしわしらが三日以内に戻らねば、エラドールに取り残されてしまうということか?」
 「一時的に閉ざすだけだ。だが一度閉ざした扉は、しっかり固定されるまで開くことが出来ない。最低二日は術が効かないのだよ。私が扉を開けたまま護り続けられるのは三日が限界だ。心苦しいが、解かってくれ」
 「う…む。つまり、もし三日以内に戻れなければ、次に開く二日後まで、そこで待っておるしかないのか」
 「そういうことだ」
 「三日で戻れば良いんだよ」
 そう言ったのはイファである。
 彼は明るい瞳をエバールに向けて、なおも続けた。
 「大丈夫。僕たちは絶対に三日以内に戻ってくるから。ここで待っていてね」
 「ああ。必ず戻ってきてくれ。心から祈っている」
 どうやら、取り残されるかもしれないという不安が頭を過ぎっているのは、自分だけらしい。きらきらした瞳のエルゥとイファに、ティム爺はそう感じた。
 「そうじゃの。必ず三日で戻って来よう」
 ぽっかりと開いた暗い空間は、覗きこんでも先が全く見えないほど不気味である。しかしもう、ティム爺の中に迷いは無かった。
 「では行こう。このまま入って大丈夫かの?」
 「ああ。すぐに地面に着く。屋根の上から飛び降りたような感覚だろう。帰りはこの扉は、恐らく満月が浮かんでいるように見えるはずだ。光が地面に落ちるところへ立てば、私を呼んでくれ。すぐに上に引き上げよう。少くて申し訳ないが食料を持って行ってくれ。それと、これも渡しておこう。エラドールは常に夜の闇に包まれているので、多少の役には立つだろう」
 エバールは袋に入った乾燥食と、エルゥたちが見たことも無い丸い物体をティム爺に手渡した。
 「おお。これはありがたい」
 「何?それ」
 「これはリンガムという明かりじゃよ。油を使うランプと違って、中の装置が働いて、この丸いところが明るくなるのじゃよ」
 「いつでもまた作れるので、良ければ、旅にも持って行ってくれ」
 「それはかたじけない。では世話になった。戻ってきたら、またよろしく頼むぞい」
 「十分気をつけて。無事を祈っている」
 ティム爺が先にその空間に飛び込んだ。その姿はすぐに見えなくなった。
 「さようなら!ありがとう!」
 「行ってきます!」
 続いてイファとエルゥ。最後にガライが軽い会釈を残して、穴に消えていった。
 「さて…、私も気を引き締めてここを護らねばな」
 エバールはそう呟いた。
 地上への扉が開くと、出ようとするものがここへやってくる可能性が大いにあるのである。
 エラドール人の中には善良な者もいるが、大半は心悪しき者ばかりなので、そんな族(やから)を地上に出すことはできないだろう。今から三日間、一睡もせずにここを護らねばならないのだ。
 エルゥたちの無事と同時に、悪しき存在がここに近づかないことを、エバールは祈った。
 
 「明かりつけているのに暗いね」
 あまりの暗さに、エルゥは思わずそう言った。
 エバールから渡された手明かりは、ランプよりも遥かに明るく、エルゥたちの行く先を煌々と照らしつけている。だが、明かりの当たっていないところは何も無い真っ暗な空間で、まるで闇に吸い込まれてしまいそうな錯覚さえするのだ。
 「こんな道が一日ぐらい続くのか。なかなか大変じゃの」
 「山道と違ってデコボコが無いし、寒くないから楽だよ。もう少し速く歩こうよ」
 三日の期限が気になるイファは、そう提案した。
 「そうじゃの。では少し速く歩くとするか」
 エルゥたちはゆるやかな坂道を、少し足を速めて先を急いだ。
 どこまでも続く、昼か夜かも判らない空間。
 ティム爺は、時折懐中時計を見ながらエルゥたちの先頭を歩き、ガライは四方八方に意識をめぐらせながら、一番後ろを歩いた。
 二人の間で並んで歩くエルゥとイファは口数も少なく、ただ、迫りくる闇に負けないように懸命に歩いた。
 何度か休憩を取り、短めの仮眠を取った後、再びしばらく歩いていくと、辺りの風景が少しずつ変化しているのに気がついた。
 「木だね」
 エルゥは、木々の匂いを感じながらそう言った。
 「うむ。森の中じゃの」
 ただ暗い道が続いているだけだと思っていたのに、いつの間にか森の中を歩いているようで、空気もどこか清清しいとすら感じられる。
 「知らないうちに、エラドールに入っていたのかな」
 「そのようじゃな。空が見えるのう」
 「もっと怖いところかと思ってた」
 エルゥたちは辺りを見回した。
 薄暗がりの中に、木々や遠くの山々の輪郭が浮かび、天は星も何も無い真っ黒の布のようである。
 「急ごう」
 イファの声に、再びエルゥたちは歩き始めた。
 「地の底の国と言うよりも、夜の森みたいだね。でもどこをどう探したら良いのかな」
 夜の森を進みながら、少し不安そうにエルゥは言った。
 「会う人に片っ端から聞いていこう。ちゃんと応えてくれるかどうか、解らんがのう」
 「セイドやラカイユ、こんなとこまで来れないよね」
 「そうじゃのう。確か浜辺でもそう言っておったのう。何としてもレシアを見つけんとな」
 「うん。そうだね。頑張ろう!」
 「…来た!」
 辺りに気をつけていたガライが、向こうの空を指差した。
 その方向から、背中に真っ黒な翼を生やした人影が三つこちらに向ってくる。
 ガライは弓を構えようとしたが、それをティム爺が止めた。
 「連中はアルノワ人と違って、エルゥの命を狙いに来たのではない。悪しき者かそうでないかは判らんし、レシアのことを教えてもらわねばならんから、とりあえず何とか仲良くなるように努力しよう」
 ガライは頷きながら、弓を納めた。
 やがて三人のエラドール人が、次々、エルゥたちの前に舞い降りた。
 真っ黒な長いローブに真っ黒な翼。髪も黒に近い深い色をしており、鋭い眼光にその眉は厳しくつりあがり、優しげなアルノワ人たちと違って、やはりどこか怖い雰囲気である。
 「地上の人間か」
 三人の中でも、ガライのような立派な体格をしたエラドール人が、低く落ち着いた声でそう訊いた。
 「そうじゃ」
 「何故こんなところに居る?ここがどこだか知っているのか?」
 「もちろんじゃ。わし等は人を捜しに来た。レシアという者じゃ。知らんかのう?」
 「何だと…。レシアの知り合いか?」
 「知り合いという訳ではないが、ある人に、レシアに会うように言われたのじゃ。だからここまで旅をしてきた」
 「事情がありそうだな。話してみろ」
 「う、うむ」
 男の様子に、ティム爺は意外に思った。
 見掛けは恐ろしげで悪魔とも呼ばれる人種であるが、その態度は穏やかで、しかもこんなに素直に話を聞いてもらえるとは、思っていなかったのである。それにレシアを知っているようなので、これは案外早く彼に会えるのではないだろうか。
 内心そう期待しながら、ティム爺は自分たちの事情を丁寧に語った。

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