小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


 〜 6 〜


「では、序列二十四位決定戦を行いますけれど……大丈夫ですか?」

「あ、ああ。何とか、な」

 マネキン教師の問いかけに、俺は頷く。
 しかし、教師の立場からそう問いたくなるのは分からなくはない。
 何しろ俺は、吉良光に対してはノーダメージ……いや、閃光ダメージが1ドットくらいはあったにしろ、ほぼ完勝している。
 ……だと言うのに、マネキン教師が心配そうに尋ねてくるほど、俺のダメージは深刻だった。
 膝は震え、視界が歪み、指先の感覚が少しばかり遠い。

 ──畜生、亜由美のヤツ。

 そのダメージは戦闘直後、油断して完全ノーガードのところに、胴回し回転蹴りという大技を延髄に喰らった所為である。

 ──敵を制した後でも心は常に戦場のまま残し置く。
 ──残心。

 それが、武道の要とは言うが……まだまだ俺は曾祖父のようにはいかないらしい。

「本当に、やるの〜?」

「ああ、大丈夫だ」

 次の対戦相手……序列二十五位・由布結の心配そうな問いかけに対し、俺は頷いて笑みを一つ返す。
 事実、コンディションは五分ほど……曾祖父との訓練時に山道を二十キロほど走らされた後の実戦訓練を受けたときよりは遥かにマシだ。

 ──今考えれば虐待寸前だよな、曾祖父の訓練って……。

 俺は内心で天国よりは地獄に近い場所にいるだろう曾祖父に愚痴をこぼすと、次の序列戦に向けて気合を入れ直す。
 何しろこれから戦う相手は由布結……B組のナンバー2、いや、一年でもナンバー2のC級を誇る少女なのだ。
 確かにちょいと体重も多めな彼女ではあるが、それでもCはC。
 である以上、少しばかりコンディションが悪かろうが、立ち向かう以外俺に選択肢が残されていよう筈もない。

「では、序列第二十五位決定戦、開始しますっ!」

 マネキンから発せられたその声に、俺は両腕を顔の高さまで上げて防御主体の構えを取る。
 いつもより防御重視なのは、ダメージが膝に少しだけ響いていて突進力が弱まっているのを自覚している所為だ。
 対する結の戦術は相変わらずリボンを手に、その布きれを上下左右に動かして一足飛びほどの距離内に制空圏を形成し、近づく敵を牽制するという徹底的な守りの構えだった。
 序列戦というか、争いごとそのものに消極的な彼女らしい構えではあるが……

 ──埒が明かない、な。

 二人で防御態勢を取ってお見合いをしていても仕方ない。
 俺は意を決すると一歩を踏み出し……彼女の制空圏に足を踏み入れる。

「ダメですよ〜」

「……ちっ」

 その瞬間、まるで生きているかのようにリボンが俺を捕えようと伸びて来て、俺は慌ててバックステップで制空圏から距離を取る。
 回り込んだりフェイントをかけたりと、二度三度と接近を試みてみるが、あの六メートルもあるリボンに阻まれて接近することすら叶わない。

「意外と、やるな、あの娘」

「……鶴来君も苦戦しそう?」

「いや、オレだったら剣で斬り拓くだけだし」

「ボクはきつそうだな〜。
 空へも届きそうだし、アレ」

 舞斗と亜由美の会話は耳に入るが、何の参考にもなりゃしない。

「なら、捕まえてしまえばっ!」

「おおっと〜」

 俺はリボンを掴む作戦に出るが、五度ほど挑戦したにも関わらず、その布切れに触れることすら出来やしない。
 相変わらずリボンはひらひら上下左右に変幻自在に輪を描き、リボンの端を捉えようにも……呼吸が全く掴めない。

 ──厄介、だな。

 専制防御の構えを取って攻めてこない上に、リボンをあの精度で自在に操り、しかもリーチが長く……

 ──近づくことも出来やしない。

「……相変わらず、凄い技術だな」

「褒めて貰えて〜、嬉しいです〜」

 賞賛半分苦情半分の俺の呟きを、素直に褒められたと理解したらしく、Cサイズの由布結は笑顔を返してくる。
 だが、その間もリボンは絶え間なく踊り続け、その腕の動きに応えるかのように彼女のCも揺れ弾み、俺の集中力を奪い続ける。

「師匠、苦戦しとるな〜
 見切るのは無理ちゃうか、あれ」

「確かに、アレを突破するのは難しそうですわ。
 幾ら殺傷力がないとは言え」

「……目が痛い」

 羽子・雫・レキの三人娘も自分ならどうするかという視点で戦い方を考えているようだった。

 ──待てよ?

 ……殺傷力がない?
 三人娘の声に、ようやくその事実に気付いた俺は、特に気負うこともなく彼女の制空圏へと足を踏み入れる。
 当然のように俺に向かってリボンが伸びてくるが、俺は身体の前に右腕を突き出してリボンを巻き付かせる。

「へっ。こうすりゃ良かったんだ!」

「……あっ?」

 ……そう。
 捕まえようとするから逃げられるのだ。

 ──なら、逆に捕まってしまえばっ!

 俺は右手に絡まったリボンを全力で引き寄せる。
 幾ら由布結の体重がちょっと多めとは言え、男である俺の全力に敵う訳もなく、あっさりと彼女は俺の方へと引き寄せられる。

「捕まえ、たっ!」

「あ〜、れ〜」

 後は簡単だった。
 俺は由布結の右前へ一歩踏み込みながら、引き寄せた彼女の肩を右手で掴むと、右足を彼女の踵の後ろへ差し入れ、そのまま上体の重みを加える。

「う、わ〜〜っ」

 格闘技の心得すらなかった彼女は、あっさりと床へと転がされる。
 ……勿論、俺も本気で投げたというよりは、ただ転がしただけなんだけど。

 ──チャンスっ!

 ただ、その体勢は格好の餌食でもあった。
 俺は起き上がり朦朧状態の狩人に食らいついていく轟龍のように倒れたままの彼女に向けて突進する。

「やっ、ちょっ、ええぇ?」

 そのまま、彼女の右上腕を右脇に抱えつつ、右手は彼女の首後ろを抱え、そのCの胸を自分の胸に押し付けるように圧し掛かる。

「あれは……横四方固め!」

「……ああ、あれが」

「有名な技なんで、ボクも名前を知ってるだけ、なんだけど」

 亜由美の叫び通り、この技は柔道ではそう珍しくもない。
 女子に圧し掛かるという体勢的に、周囲の視線は確かに気になるのだが。

「ちょ、師匠。
 女の子相手に寝技はっ!」

「幾らなんでも」

「……エロス」

 俺の危惧通り、この体勢を見たギャラリーが非難の叫びを上げるが、実際のところ、この技は地味な見た目ほど生易しいものじゃない。
 両腕を完璧に封じたまま、胸を体重で押し潰して体力と気力を根こそぎ奪う、相手を傷つけないように無力化する、れっきとした技なのだ。
 事実、重みに苦しんだ由布結が俺をどかそうと暴れるが、両腕を封じられ首を押さえられた彼女には抵抗の術もなく。

 ──勿論、Cの感触を味わえるのも利点なんだけどな。

 彼女が暴れれば暴れるほど、そのCの感触が俺の胸に押し付けられる形になる訳で、まぁ、これを狙ってなかったかと問われれば首を横へは振れないのだが。
 ……そして三十秒が過ぎた頃には、もう彼女はもがくことすら出来なくなっていた。

 ──まぁ、だから柔道ルールでは一本なんだけどな。

 たったの三十秒で息も絶え絶えという様子になるまで消耗し、寝転んだまま起き上がれない由布結を見下ろしながら、俺はため息を一つ吐く。

「由布さん、動けません?
 ……では、勝者佐藤和人っ!」

 ──マネキンが俺の手を上げながら勝利宣言をしてくれたのは、あの技も序列戦では有効と一年全員に知らしめるため、だろうか?

 そんなことを考えながら、俺は腕に巻き付いたままになっていたリボンをほどき始める。

 ──もしこれで首を狙われていたらヤバかった、かも、な。

 リボンをほどきながら、今さらながらに俺はそんなことを考えていた。
 尤も、肝心の対戦相手が慣れない投げ技と柔道技でパニックに陥っていたから、俺もああいう下心混じりの技を繰り出す余裕があったんだけど。

「……最低っ」

 そんな内心を読まれたらしく、俺に向けて冷たく放たれるおっぱい様の叱責。

 ──そんなことを言われても、アレは卑怯でも何でもなくて、その、ちゃんとした柔道技なんだし。

 俺が心の中でそんな言い訳をした……その時だった。
 たった一人で序列戦場に立つ俺に向けて、電撃を使う少女……稲本雷香がまっすぐに歩いてきたのは。

「……私も、やる」

-46-
Copyright ©馬頭鬼 All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える