小説『月隠-ツキゴモリ-』
作者:Kiss()

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言葉の意味を理解すべく、頭の中で花魁の声を反芻してみる。

月…触れられぬ遊女…違う春を売る者達…秘め事…月隠。

繋がるようでいて繋がらぬ言葉の羅列は、私の日常と大きくかけ離れた“何か”を指しているのだろう。
考え込むと口を噤んでしまうのは私の癖だ。
そんな私に合わせるように、花魁も口を閉ざした。

辺りの座敷から聴こえてくる賑やかさが此処にはない。
時が止まってしまったのではないかという錯覚さえ覚えるが、そうではないと
花魁の煙管から立ち上がる煙だけが教えてくれる。

そんな静まり返る水面のような此の場に雫を落とす小さな声。


『もうお気付きでしょう…?向かい側のあの通路に。』


通路。
確かに通路があった。

男が騒いでいた場所は丁度此の座敷の向かい側だ。
本来ならば此方と同じく座敷で繋がるべきだろうが、あちら側には一番奥の座敷と
其の隣の座敷との間に細い廊下のような物があった。

宵の闇の中営業する此の色街には明かりが溢れている。
故に華やかさがあり、其れは建物の中も同じ事。
どの廊下にも蝋が灯され、暗がりに足元を案ずる必要などはない。
此の花牢庵も同然だ。

…あの廊下を除いて。


『あそこは月隠への唯一の出入り口………に見せかけた偽物ですけれど。』

『え?』


信用しかけていた言葉を覆されて思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
すると花魁はさも可笑しそうにころころと喉を鳴らして笑った。


『いやですよ、旦那。まさか今の話、信じられたんですか?そんな事、ある筈がないでしょうに。』

『謀ったんですか…?』

『あい。こんないい女を横に、指一本触れずに帰ってしまういけずな男への
 ちょっとした仕返しに御座います。』

『なんと!此れは一本取られたものだ。』

堪らず私も笑い出す。
花魁は自らを花と表すが、此の美しい笑顔にはきっと本物の花も顔を背けてしまうのではないか?
其の後の酒は不思議と進んだように思う。
何時もならば木戸番の夜警に合わせて屋敷へ戻る私が、其の日は丑二ツとなってしまった。

帰り際に花魁が放った言葉は気に掛かるが、其れも手練手管のひとつなのだろう。
何処までが真実かは解らない。


『嘘をつくときは必ず幾ばくかの真を交ぜるもの。旦那ならどれが嘘でどれが真か…
 いずれ解る日が来るやも知れませんね。』


何にせよ、花牢庵に秘め事があるという事か。

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