小説『月隠-ツキゴモリ-』
作者:Kiss()

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其れから帝都は幾度か季節を変え、再び訪れようとする夏を前に
私は花牢庵の忘八から呼び出しを受けた。

何、特別珍しい事ではない。
大方先日注文を受けた帯の話であろう。
以前に仕立てた白い着物。其れに合わせる帯を、というものだ。
白無垢でもあるまいし…と思ったのは事実だが、用途は花嫁衣装でも、ましてや白装束でもない。
花魁の衣装だった。

花牢庵からの注文は女達への物が其の殆どを占める。
然しそういった物は全て、遊女本人達からの注文に他ならない。
其れ其れに好みというものがあろう。
廓内でも幾度となく、私が仕立てた着物を目にしてきた。

…此の忘八からの依頼を除いて、の話だが。


『ようこそおいで下さいました、古谷様。主は部屋でお待ちです。
 どうぞ、此方へ。』


見世の若い衆に通された部屋には既に部屋の主が待ち構えており、
私の来訪に其の唇をにんまりと吊り上げた。

帯の出来上がりまで未だ一月はかかる。
此度の品には私も其れなりの力を注いでいるのだ。
生涯一度の花嫁衣裳。
其れに引けを取らぬどころか、其れすらも凌ぐ仕事をしたと思う。
純白可憐なあの着物に相応しい帯。
其れに掛ける思いは商人のものというより、職人のものに近いだろう。

そんな私の心中を見抜いたか、忘八は先手の言葉を発した。


『本日お呼び立てしたのは、何も帯の事ではありません。』

『では、如何なる用件に?』


他に心当たりのなかった私は思わず問うた。
すると彼は小さな包みを懐から出し、後にこう続けた。



『此れを一月の間、肌身離さず持ち歩いて下さい。
 決して人目に触れさせてはなりませぬ。』

-7-
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