小説『フェンダー』
作者:あさひ()

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第一章 羊の血

とある夜のネオン街―
多くの若者がたむろする快楽の街。その一角で恐ろしいことが起こっていた。この街は細長い一つのビルにいくつもの店が入っていて、関係者以外は知らない団体の溜まり場となっている。警察は街をうろうろするだけで、各団体が何をしでかしているのかは調べない。調べないというより、路上の犯罪に振り回されて一つ一つ調べている暇がないのである。その街では、あるウイルスの蔓延が始まっていた。そのウイルスは日本ではまだ知られていないウイルス。早くも警察が察知し、このウイルスはhert-85Xと名付けられた。感染者は隔離幽閉され、犠牲となった警察官は三十二人、その他の犠牲者は百三十九人に及ぶ。


日本じゅうの警察署でこの事件の捜査計画が打ち立てられていたが、その街を包括していた府川署は他の署よりもこの件について厳重な捜査を行うことになっていた。
「ところで、このウイルスはどういったウイルスなのですか?」
今年刑事見習いになった緒方未央はこの件についてよく調査するように命令されている。未央はこの件について刑事に聞けることは今聞いておこうと思った。まだ見習いであるとはいえ邪魔者扱いされるのは御免だった。
「被害者の死体解剖の結果分かったことだが、このウイルスは心臓に作用してその人間の命を奪うらしい。」
未央の上司、山川明である。この事件を担当している刑事だ。
「そういえば君は、今年司法試験に通った未央くんだね。」
「はい、私も犯人逮捕に向けて頑張りますので、よろしくお願いします。」
「僕は山川あらただ。こちらこそよろしくね。僕は妻も子供もいるからそうそうたやすくウイルスで死ぬわけにいかんですから。」
「山川さん、私は命をかけてでも戦うつもりです。」
未央は心にもないことを言った。
「それは心強い。」
冗談を言ったつもりだった山川はへへっと苦笑いをした。
「ところで、どのようにこのウイルスは人の心臓に作用するのかご存じですか?」
「それが、心臓を委縮させて命を吸い取るらしい。」
「心臓・・・だけですか?」
「そうだ、まるで死神のようなウイルスだ。」
山川は渋い顔つきをしてそう言った。
「つかぬことお聞きしますが、なぜ心臓だけしか侵さないのでしょう?」
「まぁその返答としては・・・、僕の精神論になってしまうが、人間の心臓は勝手に動くが、その動かす何かを侵してしまうんじゃないかってね。」

未央はその夜、アパートに帰宅し、そのままソファーの上にごろっとなり天井を見上げて考えた。
(私、死神に殺されるかもしれないのか・・・)
すると未央は急に多大な恐怖に襲われて思わず立ち上がった。恐怖に打ち震える彼女の目に、ある写真立てが映った。
「佳奈・・・。」
彼女の妹の中学生の時の写真だ。制服を着た彼女はこちらに向かって満面の笑みを向けていた。未央は眼の端をきゅっと上げ、手を握り締めた。
「私は死なんか怖くないわ。いつか必ず真実を突き止めるから。」
そしてその場で崩れるように座り込んだ。そして膝を抱え込んで妹と過ごした日々の記憶をたどった。
 
未央は高校一年生の時に妹を失った。妹が中三年生の時であった。ある日忽然と姿を消し、そのまま失踪してしまった。妹が家を出た数日後、未央は妹の自分宛ての手紙を見た。
―私はこの家から去ります。探さないでください。
未央はその時は妹の冗談だと思っていた。昔の彼女の妹はやんちゃでいたずら好きだった。まだ中学生だから調子に乗ってただ単に自分に甘えたくなったのだと思っていた。自分を見捨てることはないと信じていた。でも違っていた。それから3日経っても一週間経っても妹が姿を見せることはなかった。未央の家族は機能家族とはいえなかった。

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