小説『フェンダー』
作者:あさひ()

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母親も父親も神経症で彼女を本当に愛してはいなかった。愛するほど心の成熟した人間ではなかった。葛藤を抱えていて自分のことしか考えられない人間であった。小さい頃は周りの親を同じように面倒を見てくれていたが、中学校に未央が入学するころ、彼らは二人の子供の自己実現を妨げるようになった。未央にも友達がいたが、彼女の心の痛みを分かろうとしてくれる人間は一人もいなかった。その場その場をじゃれ合うだけの人間しかいなかった。だから、彼女は自分と同じ境遇に耐える妹としか心を本当に通わせることはできなかった。彼女は両親を心底憎んでいた。でも、その憎しみを口に出すことはなかった。妹を失ってからは・・・。自己主張の強い未央は昔から両親によく反抗していた。妹はその逆だった。両親の言うことをよく聴き、いらだってもそれを抑圧していた。未央は高校生になってからは勉強に夢中になっていたため、両親のことはあまり気にならなくなっていた。気になるのは妹の行先。お陰で彼女はいろんな刑事と知り合いになっていた。山川はその中の一人であり、よく未央の一生懸命な姿を何度も目の当たりにして彼女のことを買っていたし、彼女の妹の事情を知っているのは家族以外では彼一人である。未央もそんな山川を信頼していたため、自分が刑事になる場所として山川のいる府川署を選んだ。山川は今の所属でなかなかの地位を確保していた。彼はすでに奥さんも子供もいる時に司法試験の勉強を始めた。未央はそれを別の刑事から聞いた時、山川に「別を探します。」と受験生の時に言っていたが、結局彼女は彼の部下になっていた。未央は「そんな男なんて信用できない!」と言い張っていたが、山川に今だにそのことをなじられると「忘れました。」と知らん顔をしている。他がなかったのである。

―翌日
ソファーにもたれかかって寝込んでしまった未央は朝日の光で目を覚まし飛び起きて時計に目をやった。
「ひゃっ、まずい、遅刻だ!!」

未央から連絡を受けた山川はにかにかして刑事課の入り口で待っていた。
「おい、恐怖に慄いてたな。」
「山川さんも。」
未央はぶすっとした顔を山川に向けた。
「二時間遅刻だ。罰として今日は午前中の調査一人で行ってこい。その代わり手抜かりは許さないぞ。周辺の人間に協力してもらいなさい。こっちには別にやることがある。ま、緊急のこともあって丁度良かったんだがな。」
「分かりました、今後気をつけます。」
未央は山川から車のキーをもらいうけ、少しいらいらしながら車のエンジンをかけた。そしてウイルスが見つかった場所へと赴いて行った。

未央に知らされた行先の住所はあの街のウイルスが蔓延し始めた場所だった。未央の時計の針はそのころ午前十一時を指していた。ビルの九階、と手渡された報告書に書いてあるがエレベータは止まっていて階段で上る始末だった。未央は配布されたマスクをして立ち入り禁止のテープをくぐりビルの階段を上って行った。ウイルスは消毒剤で完全に除去されているとのことであったが、念には念を入れた対策だった。ビルはところどころひびが入っていてほこりでかなりくろずんでいた。
九階は小さな病院になっていた。
(・・・病院でウイルスが蔓延ってことは医療ミスってこと?)
未央はうすぐらい病院の中に入って行った。病院のフロントで幾人かのマスクをした警察官が調査にあたっていた。
「府川署の刑事見習いです。あなたも府川署の・・・。」
「はい、私は市村といいます。見習いさんですか。」
警察官は互いに驚きの顔をして見合った。
「ここはどうやら病院のようですね。」
「うん、見ての通り、こじんまりとした病院だけど、どこを調べてもこんな病院は存在しない。おそらく不法経営の病院でしょう。カルテ一つ見当たりはしない。経営者はすっかり片づけてどこかに立ち失せてしまった。」
「とりあえず指紋を採った方がいいでしょうね。」
「ここ何日も指紋を調べているんだが、まだ誰も犯人を特定できていない。恐らくこの病院ははじめから犯罪のためにここに作られたんだろう。ビルの雑居地帯にこんな場所があったとは知らなかった。」
するともう一人の警察官が割って入ってきた。

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