『影』
「ググ……」
暗闇に唸り声が響く。
「ああ……そこにいたのか」
黒い『何か』がそこにいる。
それが何なのか知らない。ただ、それが『影』と呼ばれていることは知っていた。そして、『影』が人を喰らうことも。
「氏島静利を喰ったのはお前か?」
「ウググ……」
僕の問いに、『影』は答えない。だが、構わない。もとより答えなど期待していないから。
この『影』が氏島静利を喰らっていようがいるまいが、僕には関係ない。
「それじゃあ……」
そうだ。僕のやることは変わらない。
「いただきます」
自分のの身体から、黒い『何か』が滲み出る。目の前の『影』へと向かっていく。『影』は、必死に抵抗しているようだった。
「無駄だよ」
身体から湧き出す『何か』の量が増していく。やがて、『影』を覆い尽くす。
「ごちそうさまでした」
呟いて、『何か』が身体へと戻っていく。
食事は、終わった。
―――――
氏島静利の家に到着した。鍵を開けて扉に手をかける。
「こんな時間に何処に行ってたんですかぁ?」
どこか間の抜けた、男の声がした。
続いて、暗闇からぬうっと姿を現す。
「困りますねぇ。氏島静利君は、こんな時間に出歩くような悪い子じゃありませんよぉ」
男にこれといった特徴はない。どこにでもいそうな顔に髪型。ごく普通の黒いスーツを身に着けている。
「利賀山(とがやま)か」
利賀山が、どこにでもありそうな笑みを浮かべる。
「わざわざ『影』を減らしてやってるんだ。文句を言われる筋合いはない」
「駄目ですよぉ。『影』を狩るのは我々のお仕事。あなたのお仕事は氏島君として生きることです」
ベラベラと、どこにでもありそうな声で言う。
「ふざけるな」
「理解できませんねぇ。どうしてそこまでして化け物で在り続けようとするんです?」
化け物。そうだ。僕は化け物だ。
氏島静利と言う、『影』に喰われて消えた人間の、代替品。そういう役割を与えられた『影』。
「『影』は人を喰らい、そして『影』を喰らう。あなたが『影』を喰らう限りは、あなたは『影』のままですよ。それで構わないんですかぁ?」
「……構わないさ」
まだ何かを言おうとしている利賀山を放って、扉を開ける。
「構わない」
もう一度、繰り返して。それから家に入って扉を閉める。
僕は、氏島静利じゃない。