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戦いは、1時間にも及んだ。
無限にも思えた激闘の果てに、ついにボスモンスターを倒し、奴がその巨体を四散させた時も、誰1人として完成を上げる者はいなかった。
それほど余裕がなかったのだ。
皆倒れるように黒曜石の床に座り込み、ある者は仰向けに転がって荒い息を繰り返している。
ーー終わった、のか……?
不意に全身を重度の疲労感が襲い、膝が震えるのを必死に堪える。
まだ、終わりじゃない。
サイトは思った。
取り敢えず、4人とも生き残ることが出来た。
しかし、そう思っていても手放しでは喜べない。
原作ほどではないが、あまりにも、犠牲者が多すぎる。
最初の1人から始まり、ゆっくりとしたペースで禍々しいオブジェクト破砕音が響き続け、大体7人〜9人くらいの犠牲者が出ていた筈だ。
「何人ーーーやられた……?」
左の方でがっくりとしゃがみこんでいたクラインが、顔を上げてかすれた声を出す。
その隣で手足を投げ出して仰臥していたエギルも、顔だけをこちらに向けてきた。
キリトが右手を振ってマップを呼び出し、表示された緑の光点を数え始めた。
数え終わったキリトが、信じられないと言うふうに口を開く。
「ーーー9人、死んだ。」
「……うそだろ……」
エギルの声にも普段のような張りはまったく無い。
生存した者たちの上に暗鬱な空気が厚く垂れ込めた。
漸くこれで4分の3だ。
まだこの上に、25層もあるのだが……もう、上まで行く必要はないだろう。
なぜなら、この部屋に最終ボスが紛れているのだから。
キリトがヒースクリフに目を向ける
いよいよ、か。
キリトか奴の不自然さに気づいたのか、それを確かめる方法を模索していた。
そしてある一点に気がつき、己の剣を握り直すと、ダッシュの体制を取る。
しかし、サイトは動き出すつもりはない。
「キリト君!?」
アスナが驚いたような声をあげる。
紫の閃光が炸裂し、キリトとヒースクリフの間に同じく紫のシステムメッセージが表示された。
【Immortal Objekt】ーー不死存在。
プレイヤーにはあり得ない属性。
「キリト君、何をーーー」
キリトの突然の攻撃に、駆け寄ってきたアスナと、それについてきたアスハがそのメッセージを見てぴたりと動きを止めた。
サイトたちも、ヒースクリフも、クラインや他のプレイヤーたちも動かなかった。
静寂の中、ゆっくりとシステムメッセージが消滅する。
キリトは自分のエモノを引いて、軽く後ろに跳ぶとヒースクリフとの間に距離を取った。
数歩歩み出たアスナたちがキリトの隣に立つ。
アスナがゆっくりと口を開いた。
「システム的不死…?…って…どういうことですか…団長…?」
戸惑ったようなアスナの声に、ヒースクリフは答えない。
厳しい表情でじっとキリトを見据えている。
キリトが両手に剣を下げたまま、口を開いた。
「これが伝説の正体だ。この男のHPはどうあろうとイエローまで落ちないようシステムに保護されているのさ。
……不死属性を持つ可能性があるのは……NPCでなけりゃシステム管理者以外有り得ない。」
『このゲームに管理者はいない。
ーーただ1人を除いてはな。』
キリトが上空をちらりと見やる。
「……この世界に来てからずっと疑問に思っていたことがあった……。」
「えっ?!なに……?」
アスハとアスナはおそるおそる尋ねた。
『……茅場は今、何処から俺たちプレイヤーを観察し、世界を調整しているのかってことだ?』
サイトが後ろからぶっきらぼうに言った。
「そのとおりだ。でも俺は単純な真理を忘れていたよ。
どんな子供でも知ってることさ。」
キリトはヒースクリフにまっすぐな視線を据え、口を開く。
「。
………そうだろう、茅場晶彦。」
全てが凍りついたように静寂が周囲に満ちた。
ヒースクリフは無表情のままじっと此方に視線を向けている。
周りのプレイヤーたちは一切身動きしなかった。
いや、違うな。できないんだ。
この真実を受け入れることが。
当然と言えば当然だがな。
アスナの唇が微かに動き、乾いた声が漏れる。
「団長……本当……なんですか……?」
ヒースクリフはそれには答えず、小さく首を傾げるとキリトたちに向かって言った。
「……なぜ気付いたのか参考までに教えてもらえるかな……?」
その問いにキリトが答える。
「あんた、さっきのボス戦で1人だけHPバーがグリーンだったろ?
イエローに落ちていない。
団長さんあんたは最初1人でボスの鎌を相手にしていただろ?そん時にHPが削られてるのを見た。
それから微動だに変わってないんだよ。妙だと思わないか?
回復アイテムを使っていない。それに戦闘時回復のスキルもつけていない。
なのにHPが絶対にグリーンを割らない。
だから思ったのさ。」
ヒースクリフはゆっくりキリトに頷くと、唇の片端をゆがめ、仄かな苦笑の色を浮かべる。
そして、今度は俺を見た。
「ーーーさて、君はどうかな?サイト君。君も本当は気づいていたんだろ?」
俺はゆっくりと目を閉じ、呟く。
『……俺は最初から“知っていたよ。あんたが茅場晶彦だって。』
俺の言葉に、ヒースクリフが不思議そうに私を見た。
「知っていた……?」
「ああ。これ以上は言っても信じてもらえないから話すつもりはないがな。」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。
アスハたちにはかつて一度だけ話した。
自分がこの世界の本当の住人ではないことを。
本当は死者であることを。
けど、みんなはそんな俺を受け入れてくれた。
今までは友達もできなかった。
その頭脳と精神故にどう人と接していいか分からずこの世界では友達はいなかった。
しかし彼らは家族だと言ってくれた。
だからサイトも本当のことを話したのだ。
「ふむ……予定では攻略が95層に達するまでは明かさないつもりだったのだがな。」
ヒースクリフはゆっくりとプレイヤーたちを見回し、笑みの色合いを超然としたものに変えて堂々と宣言した。
「ーーー確かに私は茅場晶彦だ。
付け加えれば、最上層で君たちを待つはずだったこのゲームの最終ボスでもある。」
隣でアスナが小さくよろめいた気配がし、キリトがヒースクリフから視線を逸さずそれを左手で支えた。
「……趣味がいいとは言えないぜ。最強のプレイヤーが一転最悪のラスボスか。」
「なかなかいいシナリオだろう?
……君とサイト君はこの世界で最大の不確定因子だと思っていたが、ここまでとは。」
ヒースクリフ……いや、茅場晶彦は見覚えのある薄い笑みを浮かべながら肩を竦めた。
茅場のアバターであるヒースクリフは、現実世界での姿とは明らかに違う。
だが、その無機質で金属質な気配だけは、彼が最初の正式サービスで見せた時の無謀の姿と共通していた。
茅場は笑みをにじませたまま言葉を続ける。
「……最終的に私の前に立つのは君たちだと予想していた。
全10種存在するユニークスキルのうち、スキルは全てのプレイヤーの中で最大の反応速度を持つ者に与えられ、その者が魔王に対する勇者の役割を担うはずだった。勝つにせよ負けるにせよ。
だがまあ、例外はいたが。いったいどうしたら妖刀なんてスキルが手にはいるのだい?」
「ふっ…、秘密だ。」
ヒースクリフが俺を見たが、素知らぬ顔をし受け流した。
そして茅場は話しを続ける。
「だが君たち2人は私の予想を遥かに超える力を見せた。
攻撃速度といい、その洞察力といい、な。
まあ……この想定外の展開もネットワークRPGの醍醐味と言うべきかな……。」
その時だった。