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エギルが経営する喫茶店兼バーは、台東区御徒町のごみごみした裏通りにある。
煤けたような黒い木造の解りにくいその店を見分けるには、小さなドアの上に造り付けられた金属製の飾り看板だけだ。
2つのサイコロを模ったその看板にはという店名が刻み込まれている。
カラン、という乾いたベルの音を響かせて和人がドアを押し開けると、カウンターの向こうで禿頭の巨漢が顔を上げてニヤリと笑った。
どうやら客はひとりもいないようだ。
「よぉ、早かったな。」
「……相変わらず不景気な店だな。よく2年も潰れずに残ってたもんだ。」
『確かに。』
「うるせぇ、これでも夜は繁盛しているんだ。」
「あはは。2人とも失礼だよ。」
あの世界と同じようなやり取りをしながらサイトたちは丸いすに座った。
エギルーーーいや、本名アンドリュー・ギルバート・ミルズが、現実世界でも店を経営しているのだと知った時は2人揃ってなるほど、と納得してしまったものだ。
人種的には生粋のアフリカン・アメリカンらしく、それと同時に親の代からの江戸っ子でもあるのだとエギルは話してくれた。
住み慣れた御徒町にこの店を開いたのが25歳の時で、客にも恵まれ、美人な奥方も貰い、さあこれからだ!という時にSAOの虜囚となってしまった。
あの世界から帰還した時はもう店の事は諦めていたらしいが、奥方が細腕で暖簾を守り抜いたのだと嬉しそうに語っていた。
実際、固定の客も多いのだろう。
木造の店内は、行き届いた手入れによって全ての調度が見事なまでな艶をまとい、テーブル4つとカウンターだけの狭さもまた魅力だと思える居心地の良さを漂わせていた。
私はエギルに珈琲を3つ頼むと、和人が例の写真について問いただした。
「で、あれはどういうことなんだ。」
エギルは淹れたての珈琲を俺たちの前に出すと、カウンターの下に手をやり、長方形のパッケージを取り出した。
それをサイトたちの方に滑らせる。
和人が指先で受け止めた手の平サイズのパッケージを、サイトは横目で見ながら出された珈琲に口をつけた。
そのパッケージはゲームソフトで、プラットフォームはと右上に印刷されている。
「聞いたことないハードだな……」
「。オレたちが向こう側にいる間に発売されたんだ。
ナーヴギアの後継機だよ、そいつは。」
「…………」
複雑そうに2つのリングを模ったロゴマークを見つめる和人に、サイトは口を開いた。
『なぁ、和人。
確かに、ナーヴギアはあの事件を引き起こした悪魔の機械と言われていたけど、フルダイブ型ゲームマシンを求める声も多くて、それを押しとどめることが出来なかったんだ。
あの事件があってから約半年後、大手メーカーから「今度こそ安全だ」と銘打たれて発売されたのがで、俺たちが囚われてる間に従来の据置型ゲーム機とシェアを逆転させるまでになった。
SAOと同じジャンルのタイトルも結構リリースされてたよ。」
「じゃあ、これもVRMMO(仮想大規模オンライン)なのか?」
因みに、和人が眺めているパッケージのイラストは、深い森の中から見上げる巨大な満月と、その満月を背景に、少年と少女が剣を携えて飛翔している。
格好はオーソドックスなファンタジー風だが、2人の背中からは大きな透明の羽根が生えている。
その下には凝ったタイトルロゴーー
この中に彼女=明日奈は囚われている。
「アルフ……ヘイム・オンライン?……どういう意味だ?」
『アルヴヘイム・オンラインだ、和人。』
「なんでも、妖精の国、って意味なんだとさ。」
「妖精……。なんかほのぼのした感じだな。まったり系のMMOなのか?」
『いや、ある意味結構ハードだよ。』
「ハードって、どんなふうに?」
『確か……スキル制の、プレイヤースキル重視。PK推奨、だったか?』
「ああ。所謂は存在しないらしい。
各種スキルが反復使用で上昇するだけで、育ってもヒットポイントは大して上がらないそうだ。
戦闘もプレイヤーの運動能力依存で、ソードスキルなし、魔法ありのSAOってとこだな。
グラフィックや動きの精度もSAOに迫るスペックらしいぞ。」
「へぇ……そりゃ凄いな。」
和人は興味をそそられたのか、無音の口笛を吹く形に唇を窄めていた。
「PK推奨ってのは?」
『このゲームのプレイヤーはキャラメイクでいろんな妖精の種族を選ぶんだ。
だから、違う種族ならばPKすることができる。』
「そりゃ確かにハードだな。
でも、いくらハイスペックでも人気でないんじゃないか?そんなマニア向けの仕様じゃ。」
眉を寄せる和人に対し、サイトとエギルはニヤリと笑う。
「そう思ったんだけどな、今大人気なんだと。
理由は、からだそうだ。」
「飛べる……?」
『妖精だから羽根があるだろう?
フライト・エンジンを搭載して、慣れるとコントローラ無しで自由に飛びまわることができるらしいんだ。』
「飛べるなんて素敵!」
今まで黙って会話を聞いていた明日葉が感嘆をあげた。
それに和人が思わずと言った感じでへぇっと声を上げた。
まぁ、それも当然か。
プレイヤーが生身でそのまま飛行するものは今までなかった。何故なら、仮想世界であっても現実の人間に不可能なことは同じく不可能だからだ。
例え背中に羽根が生えていても、何処の筋肉で動かしていいのかわからない。
因みにSAO内では、サイトたちも超絶的なジャンプ力によって擬似的になら飛ぶことも可能だ。だが、それはあくまで跳躍の延長線のものであって、自由に飛びまわることはできない。
「飛べるってのは凄いな。羽根をどう制御するんだ?」
「さあな。だが相当難しいらしい。
初心者は、スティック型のコントローラを片手で操るんだとさ。」
『それで?送ってきた写真……もしかしなくてもこの中で撮られたものだろう。』
「やはり解るか。
ゲーム内のスクリーンショットだから解像度が足りないんだが。」
エギルがカウンターの下から一枚の紙を取り出し、私たちの前に置いた。プリンタ用の光沢フィルムで、そこには問題の写真が印刷されている。
『2人ともどう思う?』
「十中八九、アスナだろうな……」
「間違いなわ、お姉ちゃんよ!」
アスハはパッケージを裏返した。
そこにはゲームの内容や画面写真が細かく配置され、その中央には世界の俯瞰図と思われるイラストが載っている。
円形の世界が、幾つもある種族の領土として放射状に分割され、その中央に1本の巨大樹が聳えていた。
「ーー世界樹、と言うんだとさ。」
『ん?』
「その樹。
プレイヤーの当面の目標は、この木の上の方にある城に他の種族に先駆けて到着することなんだと。」
「到着って、飛んでいけばいいじゃないか。」
『それができたらゲームにならないだろう。
確か、滞空時間があって無限に飛べないんだ。
多分、この世界樹の1番下にある枝にもたどり着けないんじゃないか?』
「ああ。
でもどこにも馬鹿なことを考える奴がいるもんで、体格順に5人が肩車して、多段ロケット方式で樹の枝を目指したらしい。」
「ははは、なるほどね。馬鹿だけど頭いいな。」
「うむ。目論見は成功して、枝にかなり肉薄した。
ぎりぎりで到達はできなかったそうだが、5人目が到達高度の証拠にしようと写真を何枚も撮ったんだ。
その一枚に、奇妙なものが写り込んでいたらしい。
枝からぶら下がる、巨大な鳥籠がな。」
『鳥籠、ね……』
それを見た和人たちが顔を引きつらせる。
「そ、そいつをぎりぎりまで引き伸ばしたのが、この写真ってわけだ。」
「なあエギル、他の写真はないのか?
アスナ以外のが、こので同じように幽閉されてた、みたいな。」
その和人の質問に、エギルは分厚い眉丘にシワを寄せると首を振った。
「いや、そういう話は聞いてねぇ……というか、そんな写真があったらもう確定だろうが。
おめぇらじゃなくて警察に電話してるさ。」
「ああ、そりゃそうだな……」
和人は頷きながらも、考えを巡らせているようで眉間にシワを寄せている。
やがて、考えがまとまった和人が、顔を上げエギルを見やる。
「エギルーーこのソフト、貰っていいか。」
「構わんが……行く気なのか。」
サイトはカップをソーサーに戻した。
「ああ。この眼で確かめる。」
和人は決意の表情を表す。
「そういやあ、キリトは兎も角、サイトとアスハは持ってんのか?ソフト。」
「大丈夫だ。俺が2人分揃える。」
「揃える、って……因みに一体その金はどこからきてるんだ?」
とエギルが小さな声で囁く。
「内緒だ。」
俺はニヤリと笑ながら言った。
「3人ともあんまり無茶はするなよ。」
話を聞いていたのであろう和人はニッと笑い、言った。
「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ。
……そうと決まればゲーム機を買わなくちゃな。」
『それならナーヴギアデ動くぞ。
アミュスフィアは単なるセキュリティ強化版でしかないからな。』
「そりゃ助かる。」
サイトはポケットから3人分のコインを摘み出すと、カウンターにパチリと置いた。
「じゃあ、俺たちは帰るよ。」
『ご馳走様。珈琲おいしかった。
また情報あったら頼むよ。』
「絶対にアスナを助け出せよ。
そうしなきゃ、俺たちのあの事件は終わらねぇ。」
『ああ。もちろんだ。』
「いつかここでオフをやろう。」
和人とエギルがお互いの拳をごつんと打ち合わせる。
そして、サイトたちは振り向いてドアを押し開けると店を後にした。