小説『私と○○』
作者:粉屋 るい粉(こな屋さん@本店)

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―― 私と駄菓子 ――



 子供の頃の百円というのは、今と比べるととても大きかったように思う。
 バイトにしろ、仕事にしろ、自分の稼ぎがある今では百円といえば、「自販機でジュース買ってくるか」とか「コンビニで菓子買ってくるか」など気軽に使えるが、子供の頃はそうではなかった。
 私の幼い頃は近所の駄菓子屋に行って、山積みされた何百種類ものお菓子に目を輝かせながら、右手に握り締めた百円で買える物を選んでいた。
 中でも好きだったのが、一本十円の当たり付ききな粉棒。そして、小さなプラスチックのカップに入ったヨーグルトのようなお菓子。確か、名前はヨーグルだったと思う。
 私が買っていたきな粉棒は爪楊枝にきな粉を蜜で棒状に固めたものがささっているだけの安っぽいものだった。しかし安っぽいながらも、食べてみて爪楊枝の先が赤色に塗ってあれば当たりでもう一本というシステムはお小遣いの少ない小学生にとっては嬉しいもの。
 運が良い日なんかは、一本買ってその後は当たりの連続で十数本もらったこともあった。
 もう一つのヨーグルというお菓子は当たりは無く、一つ二十円ときな粉棒よりは高く、一見きな粉棒よりはお得感が少ないように思える。
 が、二十円で一口とはいえ、ヨーグルトを食べられるのだから「超お得だ」と当時の私は考えていた。
 実際は、ヨーグルトとは程遠い砂糖菓子なのだが――
 そしてもう一つ。
 忘れてはならないのが、金券チョコ。
 私の行っていた駄菓子屋では、一つ五十円で売ってあり、箱の中には小さなチョコと買ったお店だけで使える金券が入ってあった。
 金券は、十円、三十円、五十円、百円、五百円と五段階あり、最低でも十円の金券は必ず入っていた。
 百円や五百円の金券が出れば儲けだが、これはきな粉棒のように高確率で当たるなんて事は無く、せっかくの小遣いである百円の半分を費やしては、惨敗していた。
 子供ながらに「なんて阿漕な商売だ。潰れてしまえばいいのに……」なんて思っていたのが懐かしい。
 
 そんな思い出深い駄菓子屋も、昨年実家に帰った際には無くなっていた。
 当然といえば、当然。
 私が通っていた頃、店に立っていたのは七十は過ぎているであろうおばあちゃんだったのだから。
 あれから十年以上経っている。
 おばあちゃんは元気だろうか。
 あのおばあちゃんが生きていても、店を開けるだけの元気が無いのかもしれない。
 古ぼけた木造の店を前にして、私は寂しさに似た思いを廻らせる。
 そもそも店を開けても、もう誰も来ないのかもしれない。
 近所にはコンビニができていて、スーパーもあって、駄菓子屋なんて使わない。
「なんて阿漕な商売だ。潰れてしまえばいいのに……」
 そう思っていたけれど、いざ潰れると寂しいものだ。
 百円を握り締め、暑い中坂を駆け上がって訪れた駄菓子屋。
 コンビニのように冷房が効いているなんてことは無く、とても蒸し暑い店内。
 けれど、目を爛々と輝かせ、乱雑に並べられた宝の山を見上げながら、時折右手と相談する。
 何気ない日常の、何気ない一齣。
 その思い出も、駄菓子屋のように忘れ去られていくのだとしたら、それはとても寂しい事だと私は思う。
 コンビニで綺麗に陳列された駄菓子を見るたび、たった十数年、けれど遠い昔のような記憶の中にある駄菓子屋のおばあちゃんを思い出す。
「昔は良かった」
 なんて言葉を使うにはまだまだ若造な私だが、口にしてみれば案外しっくりきてしまう。

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