―― 私と恋心 ――
「消火器で遊んでみたい」
給食後の昼休憩のことだった。
夏の茹だるような暑さの中、冷房というには少し物足りない扇風機にあたっていた私にケンちゃんがそう言ったのを今でも憶えている。
なんで消火器?
そう訊こうかと思ったが、どうせロクでもない答えしか返ってこないことを私は知っていたから黙って聞くことにした。
「なあ、消火器ってどんな仕組みなんだろうな。やってみようぜ」
ケンちゃんは、そのくりっとして可愛らしい瞳を爛々と輝かせ言う。
やれやれ。
こういうことさえ言い出さなければ、私が悩むことも無いのだろうな。
幼少の頃から仲の良かったケンちゃんとは、家庭の事情で祖母の住む村の中学校に転校した時に同じクラスになった。
相変わらず、ケンちゃんはやんちゃ坊主という感じだったが、見た目は少しかっこよくなっていてビックリした。
クラスの女子からの”顔に関する”評判も悪くないようで、彼女くらいはいるのだろうな、と思って当初は寂しい思いをした。
しかし、それは全くの杞憂。
度々アホな騒ぎを起こすケンちゃんはモテるといったこととは無縁で、「顔はいいのに」と女子から半ば陰口のような噂を囁かれていることを私は知っている。
私が転校してきて、一番の大騒ぎは『毒ガス事件』だった。
用具室へ忍び込んだケンちゃんは、家庭科室で使う洗剤とトイレで使う洗剤をちょろまかし、あろうことか学校のトイレでバケツに両方を全部ぶちこんだのだった。
トイレには異臭がたちこめ、それに気づいた教師が大慌てで掃除していたのは今でも鮮明に憶えている。ケンちゃんはといえば、調合中に「これはヤバイ」と思ったらしく、バケツを持って学校横の山にぶちまけたらしい。
騒ぎの数分後、ケンちゃんと合流した私は呆れてものが言えなかった。
「コーラの、臭いがしたと、っ……思ったら、息が……」
苦しそうに息をしながら、そう言ったケンちゃんは美術部であった私について来て、終わるまでずっと横になっていた。
幸い、なのかは分からないが、ケンちゃんがバケツごと山にぶちまけたことによって犯人は不明。被害を被ったのも、犯人であるケンちゃんだけだったので事件は迷宮入りした。
後日、体調が回復したケンちゃんに何であんなことをしたのかと訊けば、
「いや、混ぜるなって言われると混ぜたくなるじゃん」
ならないよ、バカ。
呆れ果て、クラスの女子が言っていた意味をようやく理解した私だった。
それでもケンちゃんとは関わり続けた。
幼馴染というのもあるが、私が見ていないとケンちゃんが何をしでかすか不安だったからでもある。
なにより、私はケンちゃんが大好きだったから。
アホなことをするケンちゃんは考えものだが、私に優しかったり、思春期特有の「男が女と遊ぶなんて」見たいなこともなかったからだ。まあ、それは私のことを女として見てもらえてなかっただけなのかもしれないが。
もう少し大人しければ。
きっと、クラスの女子からモテていただろう。
きっと、隣にいる私は羨望の眼差しで見られていただろう。
そんなことを思いながら、ケンちゃんの悪巧みに耳を傾ける。
「あそこの教室の消火器なら絶対バレない。うし、そうと決まれば早速決行だぜ」
やる気満々のご様子。
はあ……やれやれ。最近、溜息が増えたような気がする。
「ホントにやるの?」
「あったりめえよ。善は急げって言うじゃん」
今からやるのは決して善行ではない。
心の中で呟き、溜息だけ吐き出す。
「――! まずは消火器回収だ」
名前を呼ばれ、仕方無しに立ち上がる。
扇風機から離れたくない。
こんな暑い中、何が悲しくて騒ぎを起こさねばいけないのだ。
しかし――
騒がないケンちゃんなんて、ケンちゃんじゃない、よなぁ。
悪事に巻き込まれても、ケンちゃんを思う気持ちは変わらない。
恋の病とは、なかなか厄介だ。
そんなことを思いながら、扇風機を別れを告げる私だった。
結果から言うと、見事にバレて怒られた。
お天道様は見ているとか、悪事は必ずバレるとか、そういうことではない。
何故かケンちゃんは、バレることなく回収した消火器を学校のトイレで使ったのだ。
「ちょっと試し撃ちしてみるだけだって。すぐにレバー戻せば大丈夫」
そう言って、安全栓を引き抜き、レバーをめいっぱい握ったケンちゃんの姿は数秒後にはピンクの煙につつまれて見えなくなっていた。
「うお! レバー戻しても止まらねえええええ」
煙の向こうからケンちゃんの叫び声が聞こえる。
私は咽ながらトイレを後にする。ケンちゃんに構っている場合じゃない。
しかし、時すでに遅し。
外はトイレの窓から出ている正体不明のピンク色の煙で大騒ぎ。
目の前には走ってくる教師が見えた。ピンク色に染まっている私を見て、教師は大声で私の名前を呼ぶ。
これではまるで私がやったみたいではないか。
騒ぎを聞きつけて、他の教師が来た頃には煙は止まっていた。トイレは消火器から出たピンクの粉で目も当てならない状況だった。
その場で怒られた私たち二人は、粉まみれのまま掃除をし、その後は指導室送りとなった。私にとっては人生初の指導室だったが、ケンちゃんは慣れっこのようで、自分の部屋のように勝手に椅子に座っていた。
その後は本当に大変だった。
保護者を呼んでのお説教。反省文の嵐。そして消火器の入れ替え代、確か四千四百円を弁償することになった。
それだけなら良かったのだが、騒ぎの時に教師が私の名前を叫んだことで生徒の間では、事件の首謀者が私ということになってしまっていた。
ケンちゃんとよく行動していることから”お騒がせカップル”なんて称号を得ることにもなった。
カップルと呼ばれても、これでは喜ぶに喜べない。
「ははっ、自他共に認める最高のコンビってか」
ケンちゃんは”お騒がせカップル”の噂を否定せず、笑っている。
ほんと、喜ぶに喜べない。