小説『ヴァレンタインから一週間』
作者:黒猫大ちゃん()

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第17話 西宮の休日?


「でも、あんたもいい加減、暇よね」

 俺の正面に陣取った壊れたスピーカーが、とてもでは有りませんが、静かなはずの図書館では許容されるはずのないレベルの音をまき散らせて居ました。
 もっとも、何故か、耳障りは悪くはなかったのですが。

 但し、何故か、そんな事を考えて仕舞う自分が少し腹立たしく、読んでいた和漢に因り綴られた書籍から視線を上げて、目の前に座る少女を視界の中央に納める俺。
 挑むような視線で、そんな俺を見つめ返すその気の強そうな少女。

「あのなぁ。俺はヒマやなくて忙しいの。そもそも、俺は、少々事情が有って、こんなトコロで大人しく本を読んでいるんやからな」

 俺は、喉元まで出かかった、暇な受験生のお前にだけは言われたくない、と言う、ネタバレ的な台詞を辛うじて呑み込んでから、そう、当たり障りのない台詞を口にする。
 そして、俺の方の声も、この周囲に他の来館者や司書たちの姿が存在しない場所で有ったとしても、ここが図書館内で有る事を考慮したのならば、多少、大き過ぎる声での答えで有った事は間違い有りませんでした。

 その台詞を俺が口にした瞬間、先ほどの俺の【言葉】が気に成ったのか、俺から離れた図書館入り口に近い書架の間に存在する少女(有希)の元から、何か【念話】に成っていない気のようなモノが流れて来たのですが。
 いや、流石にそんなに気にしなくても、俺は別に、俺の方の事情を、この目の前の邪神の因子を植え付けられた少女に話すようなマネを為す心算は有りませんから。

 尚、現在の俺は、現実の言葉ではハルヒと会話を交わしながら、同時に、ハルヒに対して語った内容を有希に送ると言う行動を行っています。
 その理由は、この会話は、流石に、邪神の因子を植え付けられた少女との会話に成る可能性が高い状況ですから。何処に、どんなトリガーが用意されていて、ハルヒに植え付けられた可能性の高い邪神の因子が活性化するとも限りません。

 そう。そもそも、この目の前で、挑むような視線で俺を睨み付けている少女、涼宮ハルヒに植え付けられた邪神の因子がどのような切っ掛けで発動するのか判らない以上、ウカツに刺激するようなマネを為す訳は有りません。
 そして、彼女に邪神の因子を植え付けた存在が俺の考えて居る存在ならば、ヤツの目的は、世界を混乱させる事が目的。そして俺達が混乱して右往左往する様を神の視点から眺めながら、ヤツに相応しい薄ら笑いを口角に浮かべるのが目的ですから、その結果、世界が滅びようとも、逆に邪神(ハルヒ)が封じられようとも関係はないはずです。

 もう、現状でヤツの目的は既に達せられているはずですからね。

「何よ、その事情って」

 少し不機嫌な、……と取られかねない口調で問い掛けて来るハルヒ。但し、彼女自身がこの台詞に関しては、そう不機嫌な雰囲気を発して居る訳では有りませんでした。……と言う事は、この対応が、デフォルトの彼女の対応だと言う事なのでしょう。
 どうも、彼女、この涼宮ハルヒと言う名前の少女に関しても、有希と同じように人付き合いが苦手な人間で有る事は間違いないようです。

 ベクトルはかなり違うとは思うのですが。

「事情と言う部分に関しては、詳しい内容を明かす事は出来へん。但し、忙しい理由なら説明出来るな」

 流石に、アンタに邪神の因子を植え付けられた、……と言う過去の書き換えが行われる為に何らかの意味が有って、異世界から俺が呼びつけられて、ラゴウ星を相手に戦わされる準備をする必要が有る、と正直に答える訳には行きませんか。
 もっとも、例え正直に話したとしても、このへそ曲がりに真面に信じて貰える訳はないので、問題ないとも思うのですけどね。

「じゃあ、どう見ても暇そうに本を読んでいるあんたが、忙しい理由とやらを話してみなさいよ」

 かなり、悪意……と言うほどの物でもないのですが、嫌味たっぷりの台詞で俺を追い詰めて来るハルヒ。
 確かに正直に言うと、この図書館に居る間は暇なんですけどね。それでも……。

「俺、こう見えても受験生ですから、結構、忙しいんですよ。今月の二十六日までには志望校に願書を出さなくちゃならないし、勉強に関しても最後の総仕上げをする必要が有るからね」

 そう、ハルヒに答える俺。そして、この部分は事実です。虚偽の報告は存在しては居ません。

「一応、俺の住んで居る徳島は総合選抜制やから、ある程度の学力が有ればそれなりの高校には入学出来るんやけど、流石に来月の十二日には高校の受験が有るから追い込みの勉強する必要が有るのですよね、残念ながら」

 少し世の無常を噛みしめるような口調で、そうハルヒに対して説明する俺。
 そして、これも事実です。特に、俺の場合の学科試験は少し問題が有りますから。

 俺の言葉を聞いて、ハルヒが少しの驚きと、かなり呆れたような雰囲気の顔を見せる。
 そうして、

「あんた、受験生で、しかも、受験直前の二月に、隣の県のこんな所に居るなんて、かなり余裕があるじゃないの」

 ……と、ほぼ予想通りの言葉を掛けて来た。
 確かに、余裕が有るように見えて当然でしょう。しかし、実際は帰りたくても、元の世界に帰る事が出来ないので。
 まして、仮に帰る事が出来たとしても、有希に刻まれたルーンが指し示す暗い未来を払拭出来ない限りは帰る心算はないのですが。

 何故ならば、彼女に刻まれた人魚姫と言う意味のルーンについては、俺との契約に因って起きた事態の可能性が高いと思いますから。
 それに、彼女を元々製造した情報統合思念体と言う存在自体が、どうやら、かなり胡散臭い存在のようなので、そいつ等の元に彼女を戻す事自体が、かなり危険な行いのような気がして仕方が有りませんからね。

「余裕が有る訳やなしに、事情に関しては説明出来ないけど、複雑な家庭の事情と言うヤツで、しばらくの間この西宮に居る必要が有るんや」

 それでも、そんな答えを返す訳も行きませんし、有希に対して、俺がそんな事を考えて居ると言う事も知られたくはないので、ここは当たり障りのない台詞を口にして置く。
 そして、更に続けて、

「そんなに出来のよろしくない、その上、根気もない俺に取っては、この時間は休憩タイム。所謂、西宮の休日、と言う感じかな」

 ……と、そう言ったのでした。
 そして、その台詞の後に続く奇妙な空白。その空白の最中に、少し意味あり気にハルヒを見つめる俺。

「なによ」

 その俺の視線に対して、即座に反応したハルヒが、そう問い掛けて来る。昨日もそうでしたが、彼女の持って居る間と言うのは、非常に相手のし易い相手だとは思いますね。
 この空白は、当然、ツッコミ待ちの空白で有る事は言うまでも有りません。

 そのハルヒの問い掛けに、ひとつ意味あり気に首肯いて見せた後、

「こうやって、()()()()()()()()()()()のお姫様に捕まって仕舞ったトコロからも、あの話に何となく通じるトコロが有るな」

 ワザと我が儘でヒステリー持ちの部分を強調するような言葉使いでそう言った俺が、かなりエラそうな顔でハルヒを見つめた。
 やや胸を張ったような姿勢付きで。

「誰が、ヒステリー持ちで我が儘だって言うのよ」

 ドヤ顔で彼女を見つめて居る俺に対して、そう答える(ツッコミを返した)ハルヒ。当然、お約束の表情付きで。
 つまり、それまでの彼女とは違い、口を尖らせ、かなり不満げな表情を俺に見せながら。
 そして、

「大体、あんたの何処を見たらグレゴリー・ペックに見えるって言うのよ」

 ……と、十人並みの外見しか持たない俺を睨み付ける美少女。

 むう。世界はかくも無情だと言う事ですか。
 少し、天井を恨めし気に見上げた後に、わざとらしくため息をひとつ吐く俺。そう言えば、昨夜は有希にイケメンにしてくれ、と頼んだ時にも冷たい瞳で一瞥された挙句、首を横に振られたのでしたか。

 折角、イケメンに付き物の設定、オッド・アイを手に入れたって言うのに……。

「仕方がないな。それやったら、グレゴリー・ペック張りにベスパの後ろにオマエさんを乗せて西宮市内を爆走した挙句に、夜中の校舎に潜り込んで、訳もなく窓ガラスを叩き壊して回るしかないのか」

 取り敢えず、この鬱陶しい視線を送って来るデバガメ野郎どもが全て悪い。そう、思い込む事によって精神の安定を図った後に、そう言うクダラナイ台詞を口にする俺。
 しかし、

「そんな、無軌道で、その上、間違った自由への逃亡劇はアンタ一人でやりなさい」

 非常に冷たい視線で俺を()め付けながら、視線に等しい台詞を口にするハルヒ。
 そして、更に続けて、

「そもそも、ベスパに乗って市内を走るのは間違ってはいないけど、その後が違い過ぎるじゃないの。それに、アン王女はベスパの後ろになんて乗っていないわよ」

 ……と言って来た。
 ただ、先ほどの冷たい視線の時も、そして、今の台詞に関しても、そう不機嫌と言う雰囲気では有りませんでしたが。



 さて、そうしたら……。

 少し、左腕に巻かれた腕時計の文字盤に視線を送る俺。時刻はそろそろ午後の四時を回り、窓から見える外の様子も、冬の日特有のやや低い雲に覆われた、見る者を陰鬱な気持ちをもたらせる蒼穹(そら)が存在し、そして、冷たい夜を予感させる氷空(そら)が広がっていた。

 そろそろ頃合いかな。

 そう考えながら立ち上がる俺。これから、沈黙の姫(有希)を連れて、再び麻生探偵事務所に転移しなければ成らないので、何時までもこの目の前の我が儘王女(ハルヒ)の相手をしている訳には行きません。
 まして、今夜から、天魔ラゴウ悪大星君の能力を封じる為の晴明桔梗印を画く準備に取り掛かる必要が有りますから。

 もっとも……。

 図書館に設えられた座り心地の悪いイスから立ち上がった俺が、さり気ない雰囲気でひとつ伸びをした後、涼宮ハルヒ……。三年前の七夕の夜に邪神の因子。何らかの魔術の生け贄となり、黒き豊穣の女神の因子を植え付けられた可能性の高い少女を、改めて見つめ直す。

「何よ?」

 視線を逸らす事もなく、真っ直ぐに見つめ返して来る少女。その仕草や雰囲気からは何処からどう見ても普通の少女で、何ら不審な点を感じる事は有りません。
 いや、確かに、何らかの霊気のような物は感じますが、邪悪な存在と言う連中が、世界に与える違和感のようなモノを彼女の傍に居ても覚える事はない、……と言うべきですか。

「別に」

 彼女から少し視線を外しながら、短く、簡潔に答える俺。但し、これは意図した物ではなく、正面から彼女の視線を受け止める事に耐え切れなかったから為した行為。
 どうも、俺自身が他人と視線を絡ませ合う事は苦手としていますから。

 もっとも、先ほどの行為事態が既に、少し挙動不審な行為だった可能性は有りますが。

「アンタ、今年高校受験だったら……」

 そんな、俺の挙動不審な行為に対して気付く事もなく、彼女にしては珍しく少し言い淀むような雰囲気で、何かを伝えようとして来るハルヒ。
 こう言う場合、空気を読まない人は助かるのですが、などと言うクダラナイ事を考えながら、再び、彼女に視線を戻す俺。

 そして、俺が外した視線を再び彼女に戻したのを確認した後に、

「こっちの高校を受験する心算はないの?」

 ……と、問い掛けて来た。言い淀んだ割には、かなり思い切った内容の台詞を。
 そして、その言葉を聞いた瞬間、俺と【霊道】で繋がっている有希からも、少し驚いたような気が伝わって来る。
 これは、純粋な驚き。その他には感じる雰囲気は有りません。
 う〜む。良く判りませんが、有希の任務から推測すると、今のハルヒの台詞は、普段の彼女が発する台詞とは違う種類の台詞だったと言う事なのでしょう。

「それは、多分、難しいな」

 俺は、少し考えるふりをした後に、そう答えた。
 確かに、向こうの世界の受験日までに帰る事が出来ない場合は、ハルヒの言った内容も選択肢の内のひとつと成るのは確実ですし、水晶宮と渡りが付けられた今は、日本国籍などは簡単に融通が付くのですが……。

 それでも、この段階から既に、帰る事の出来ない前提での布石は問題が有ります。

「前にも言ったけど、俺にはもう両親は居なくて、後見人が存在しているだけなんや。
 それで、前々から言って有ったのなら未だしも、こんな願書を出す直前に成ってから急に西宮の高校に進学したいなんて言ったとして、受け入れて貰えるかどうか判らないからな」

 先ずは当たり障りのない答えを返して置く俺。但し、これは表向きの理由。
 本当の理由は、もしかすると、この世界にも俺が存在している可能性が有るから。

 もし、この世界に俺の異世界同位体が居て、そいつが、俺と同じタイミングで何処か別の世界に移動して居た場合、俺が元居た世界に帰還した瞬間に、この世界に元々存在していた俺の異世界同位体も帰還する可能性が高い。
 いくら、俺の異世界同位体とは言え、そいつは、現在の俺とはまったくの別人。俺が、この世界でやった仕事の結果をそいつに押し付けて帰る訳には行きませんから。

 そして、更に続けて、

「まして、俺の去年一年の英語の最高得点が百点満点で九点やからな。ちょいとドコロか、かなり厳しい可能性も有る」

 少し、ドコロか、かなり問題が有る発言を行う俺。その俺の発言を聞いた異なった二人から、まったく同じ気が発せられた。
 もっとも、ハルヒが驚くのは判るけど、有希さんまで驚きますか。結構、俺がこの世界に流されている状況を気にしてくれて居ると言う事なのでしょうね。

「あんた、そんな状態で大丈夫なの?」

 そして、目の前に居る少女の方が、当然の質問を問い掛けて来た。そして、それと同時に、【霊道】で繋がった少女からも、同意を示す気が流れて来る。
 それに、そんなブッチャケ話を聞いて、現在、勉強をしている雰囲気をまったく感じさせない人間を前にしたのなら、心配して問い掛けて来たとしても不思議では有りませんか。まして、有希の方は、俺が一切の試験勉強を行っていない事は知って居ますから。

「担任の話では大丈夫だと言っていたで。中学三年間で、俺の国語、理科、社会の最低点は八十二点。この三教科だけならば、定期テストでは学年で三百人中十番以内の常連やったからな」

 一応、現在、余裕の表情で隣の県の図書館にやって来て、本を読んでいられる理由についての種明かしを行う俺。
 それに、ついこの間行われた実力テストの結果は、社会と理科は九十点オーバーでしたから。

 そう。俺は、得意教科と不得意教科が天と地ほど差が有る人間なんですよ。担任からも、その辺りについては中学三年間ずっと指摘されていたけど、一切、変わる事は無かったのですけどね。
 どうも根が怠惰で、一回聞いたら覚える得意教科と、繰り返し聞いても一向に覚える事の出来ない不得意教科と言う物を作り出したみたいなのです。

 もっとも、仙術を使用したら、一時的な記憶の強化ぐらい訳はないので、何とか出来なくもないのですが。

 そして、完全に呆れ果てた、と言う表情で俺を見つめていた少女と、更に、【霊道】の先に繋がっている少女に対して、

「どうやら、俺の事を心配してくれたみたいやけど、俺は大丈夫やから」

 ……と、伝えて置いた。
 特に、有希の方が俺の高校受験が目前で、結構、ヤバそうな雰囲気だと言う風に思われると、どんな対応に出て来るか判りませんから。
 先ほど、彼女……有希が発した雰囲気は、そう言う類の雰囲気でしたから。

「それでも、心配してくれてありがとうな」

 しかし、有希にしても、そしてハルヒにしても、俺の事を心配してくれた事には代わりないでしょう。そう思い、二人に対して同時に感謝の言葉を告げて置く俺。

 その言葉を聞いたハルヒから、一瞬、微妙な気が発生した。そして、

「べ、別にあんたの事なんか、心配なんかしてはいないわよ!」

 まるでツンデレ少女の如き雰囲気の台詞を口にするハルヒ。どうやら、不意を突かれた際に発した微妙な雰囲気が彼女の御気に召さなかったらしい。
 もっとも、気を読む事が出来る俺に取っては、多少、表面を取り繕ったとしてもあまり意味はないのですけどね。

「そうか。それならそう言う事でええ。それに、オマエさんが俺を心配して言った訳では無くても、俺の方は、さっきの言葉は俺の事を心配してくれたように感じたからな」

 珍しく俺から視線を逸らして、在らぬ方向に視線を泳がせているハルヒに対してそう話した後、読んでいた本を書架に戻す為に、有希が居るはずの場所に向かって歩み始めた。
 そして、俺の座っていた席から五歩ほど進んだ後、

「本当に、世界は不思議で溢れているモンなんやで」

 俺は、背中の先に居るはずの少女に聞こえるか、聞こえないかの微妙なボリュームでそう独り言を呟く。

 その瞬間に、周囲の雰囲気が変わった。
 図書館らしい静寂に包まれた空間で有りながらも、人の動く静かな音。微かに聞こえる空調の発する低音。そして、誰かが本を閉じる微かな物音が復活する。

 そう。それまでは、ハルヒの声と俺の声以外存在しなかった閉じられた世界から、急に現実感を伴った世界への帰還を果たしたかのような奇妙な違和感。

「あんたって、時々意味不明な事を言い出すわね」

 そんな、立ち止まった俺の背中に対して声を掛けて来るハルヒ。どうやら、一時的な失調からは回復はしたような雰囲気。少なくとも、先ほどまでの挙動不審な様子は納まったようです。
 ただ、おそらくは、先ほどの不思議と言う言葉に過剰に反応しただけでしょうが。

 それにしても……。

「今、この図書館でも、後で考えたら少し不思議だと思う事が起きていた。その事に俺は気付いて、美人の姉ちゃんは気付かなかった。ただ、それだけ」

 少し振り返ってから、最初のように挑むような強い瞳で俺を見つめて居る少女に対して、そう話し掛ける俺。
 そう。彼女の声のボリュームで、図書館内での会話を続ける事は流石に問題が有ると思いましたから、自らの周りにシルフの音声結界を施して置いたのですから。

 もっとも、そんな細かい俺の気配りのような物に、彼女が気付く事は無かったようですけどね。
 まして、彼女と俺の居る空間内には、昨日と同じように他の図書館への来館者が近付いて来る事は無かったので、声の大きさに関しては気にする必要は初めから無かったようなのですが。

 そして、ほんの少しの空白。その空白の間、少女の瞳にほんの少しの逡巡に似た色が浮かぶ。
 そうして、

「ねぇ」

 それまでの挑むような視線から、少し探るような視線を俺に向けながら、

「明日の予定は?」

 ……と問い掛けて来た。それまでの、雰囲気と比べるとかなり消極的な雰囲気で。
 いや、こう言い直すべきですか。普段、彼女がそう装っている傲岸不遜、唯我独尊的な仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨てて、まるで普通の少女のような雰囲気を纏って、と……。

 そして、明日の日曜の予定。当然、俺に明確な日曜の予定など存在しては居ません。しかし、彼女、涼宮ハルヒの方にも、日曜日に付き合う相手が……。
 まして、俺相手に、そんな仮面を脱ぎ捨てるようなマネをしても、大して意味はないと思うのですが。

 この出会いは、所詮は一週間にも満たない出会い。銀幕の向こう側で、王女と新聞記者が共にした一昼夜と同じ物。
 この世界に取って俺は、かりそめの客に過ぎないのですから。

 其処まで考えた俺が、少し生暖かい視線でハルヒを見つめる。
 尚、当然、ワザと彼女に判り易いような仕草付きで。

「何よ、その意味あり気な視線は!」

 案の定、いともあっさり、俺の挑発に乗って来るハルヒ。この辺りも、非常に判り易いキャラで助かっている、と言う感じですか。

「いや、何も」

 相変わらず、生暖かい、と言うか、残念な子を見つめる視線付きでそう答える俺。
 しかし、更に続けて、

「姉ちゃん、旅人に惚れたらアカンで」

 ……と、かなり冗談のキツイ台詞を口にする俺。
 しかし……。

 しかし、その台詞を聞いたハルヒは、普段のくるくると良く変わる猫の目の様なその瞳に、ドライアイスの如き冷たさを乗せて俺を見つめながら、

「誰が、誰に、惚れたって言うの?」

 そう、普段の抑揚に富んだ彼女の口調とは百八十度違う口調で問い掛けて来る。
 そう、これは、普段の生気のみなぎった、生き生きとした表情を浮かべる彼女が、有希のような透明な表情を浮かべた瞬間に発する凄愴な気と言う物は、十分に人を威圧出来る物で有る事を確信させて貰えた瞬間。

 もっとも、二度と、そんな物を確信したくは有りませんが。
 まして、ここで彼女に気圧されて簡単に怯んで降伏をして仕舞っては漢が廃ります。少し、無駄な足掻きを講じてみるべきでしょう。

「……って、ここは、普通、視線を外しながら、少し挙動不審と成った上でのその台詞がお約束やないのですか?」

 ツンデレ少女の王道と言うべき対応を口にする俺。もっとも、現実世界で、相手の対応がそんなお約束通りの展開に進むには、相手と俺との間に阿吽の呼吸と言う物が存在していない限り、難しいとは思いますけどね。
 まして、よくよく考えてみたら、無駄な足掻きだと自分で理解している辺り、既に無条件降伏前提の無駄口に等しい試みのような気がするのですが。

「なんで、あんたを相手に、お約束の台詞を口にしなくちゃいけないのよ」

 流石に氷点下の視線と言うのは送る方も疲れるのか、それまでの挑むような視線へと戻したハルヒが、そう答える。
 確かに、その通り。お約束の台詞だからと言って、必ずしも、彼女がそう言う受け答えを為さなければならない法律も決まり事も有りません。

 まして、この目の前の少女のように普通ではない少女に、そんなお約束の受け答えを要求する事の方が、そもそも、理不尽な事でしたか。

「それで、あんたの明日の予定を聞いて上げて居るんだから、さっさと答えなさい」

 そして、再び同じ問いを繰り返すハルヒ。但し、その態度は、先ほど同じ台詞を口にした時の態度とは百八十度違う態度。傲岸不遜、唯我独尊的な態度そのもので。
 もしも、ここで俺が明日の予定を口にしたとしても、一蹴の元に却下される事は間違いない、と言う雰囲気を纏って居ますから。

「明日の俺は忙しいで。なんせ、ここに来て本を読んで居なければアカンからな」

 昨日と同じ内容の台詞を口にする俺。それに、昼間の内は出来る事が限られているのも事実ですし、まして、結界材を打ち込むような怪しい作業を行っているトコロを、このハルヒに発見される訳には行きませんから。
 一般人の目も有りますから、少なくとも、今日と明日の狭間ぐらいの時間帯に成るまでは、怪しげな行動は慎むべきですからね。

「昨日も教えて上げたと思うけど、正しい日本語の表現方法で、さっきあんたの言ったそれは、暇って言うのよ」

 先ほど、俺の事を非常に冷たい視線で見つめた事など忘れたかのような雰囲気で、そう言って来るハルヒ。御丁寧な事に胸の前で腕を組んだ形で、右手の人差し指が、何かのリズムを刻むように動かしながら。
 もう大丈夫。昨日出会ってから、先ほどの問い掛けが行われるまでの彼女に戻って居ますから。

 何故か満足そうに首肯いた後、

「そう。あたしも暇だったら、来て上げても良いわよ」

 矢張り、少しツンデレっぽい台詞を口にするハルヒ。どうも、コイツは、多少、ツンデレ体質を持って居る人間で有る事だけは間違いなさそうですね。
 但し、へそ曲がりの気質も多めに持って居るようですから、ツンデレお約束の対応を期待する事も難しい相手のようなのですが。

 それに、別に俺相手にツンデレ体質を発揮しなければならない訳でも有りませんし。

「それなら、明日も当てにせずに待っているわ」

 俺がやる気を感じさせない答えを返した後に、書架に向けて歩み始めた。
 その際に、昨日と同じように手の平を軽薄そうにひらひらと後ろに向けて振る事によって、別れの挨拶と為す。

 そして、後、二歩進めば書架に辿り着く、其処でふと何かを思い付いたように立ち止まる俺。
 そして其処で振り返り、俺の背中を見つめていたハルヒと、再び視線が絡み合った。

 そうして、

「べ、別に、あんたの事なんか待っていないんだからね!」

 突如、発せられる意味不明の言葉。
 その言葉は、何事かと思い振り返った俺を見つめていた少女の表情を、呆れ果てた表情に変えるには十分な破壊力を備えている言葉では有った。

「これが正しい、ツンデレの対応と言うヤツやで」

 呆れた顔を俺に見せ続けて居るハルヒを見つめて、何故か小さく首肯きながら、何かをやり遂げた人間のみが許される表情を浮かべる俺。
 そして、今度は正面から右手を軽く上げるような仕草で別れの挨拶を行った後、

「そうしたら、明日もここに来て待っているから」

 ……と、軽く伝えたのでした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あとがき

 さて。以前、涼宮ハルヒの憂鬱原作小説は、クトゥルフ系の幻想小説じゃないか、と言った事が有りましたが……。
 まして、SFとしてはお約束の設定が踏襲されていない部分が有るように言いましたが。

 実は、重要な部分で踏襲されている部分も存在しています。

 それは、朝比奈みくるが語った言葉。
 情報フレアが起きた時点から、其処から過去への時間移動が出来なくなったと言う部分。
 これは、歴史の変換が行われた際に起きる次元断層のような物だと考えると、非常に判り易くなるのですよねぇ。

 それで、私が思う流れは……。

 通常の過去 ⇒ 情報爆発が起こらない過去 ⇒ 情報爆発が起きなかった現在 ⇒ 未来

 この流れが、

 通常の過去 ⇒ 情報爆発(次元断層発生) ⇒ 現在 ⇒ みくる達が存在する未来

 ……の流れに乗り換えられた可能性が有ると言う事。

 つまり、朝比奈みくるに代表される未来人も、涼宮ハルヒの妄想から生み出されたキャラだと言う可能性が有ると言う事です。

 その仮説を証明するかのように、この情報爆発以外が起こした歴史変更は、すべて次元断層のような物。つまり、平行世界を発生させる事は有りませんでしたから。
 みくる(大)自らが歴史に介入しても、時間移動は可能みたいですし、終わらない八月をモノともしていませんし、消失事件の最中も、時間移動を繰り返していますから。

 つまり、通常のSF的設定が通用する『情報爆発』以前と、通用しなくなる『情報爆発』以後、と言う形が出来上がっているように思って居るのです。

 こう言う部分を私は、原作小説の伏線だと思って居るのですが……。
 考え過ぎで、単なる思い付きを積み重ね、作者が御都合主義を繰り返した結果出来上がった偶然の産物なのでしょうか?
 それでも、どう考えても、そうは思えないのですがねぇ。

 それでは、次回タイトルは『長門有希のお引越し』です。

 追記。
 これで、ゼロ魔5巻の内容は終了。『蒼き夢の果てに』第60話からは第6巻に突入です。
 意味不明の情報ですね、これは。

 追記2。

 次の更新は5月4日。『蒼き夢の果てに』第60話。
 タイトルは、『秋風の吹く魔法学院にて』です。

 そして、その次の更新は、5月8日。『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか』第3話。
 タイトルは、『湯上りのフルーツ牛乳は基本だそうですよ?』です。

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