小説『ヴァレンタインから一週間』
作者:黒猫大ちゃん()

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第16話 彼女の和室で眠るのは?


「わたしが手伝う」

 俺の右隣に座る少女から、普段の彼女そのままの口調で発せられた一言は、少しばかり古いタイプのエアコンが発する送風に乗って、この流行っていない探偵事務所内に広がって行った。

 確かに彼女なら、伝承に登場している()()()()()と重なる部分が大きい。つまり、この事件が何らかの神話的追体験の可能性が高い以上、本来ならば絶対に必要な登場人物だと言う事です。
 確実に、そして、出来るだけ安全にラゴウ星を封じる心算なら。
 そして、間違いなく彼女自身の未来の為にも、ラゴウ星が顕われる異界化空間に連れて行くのが、一番正しい判断だと思います。

 しかし……。

「それは危険」

 俺は、有希を身体の正面に成るように自らの身体を動かしながら、そう言った。
 少し冷たい、と取られかねない口調で……。

 そう。確かにこの作戦は流石にあまりにも危険過ぎます。成功する確率。俺が無事に戻って来られる確率は、今のままならばかなり低いはずですから。
 更に、

「それに、有希には、俺が前に言った言葉の答えを貰っていない」

 俺に取って、今の長門有希と言う少女はこの世界と等価。この言葉を聞いた上で、彼女がラゴウ星と戦う現場に付いて来る事を、俺に納得させる程の理由が無ければ、彼女を死地に連れ得て行く事は出来ません。

「最後は未来を託す相手がいなくなる」

 俺の最後の言葉に対して、有希から少し訝しげな気が発せられた。
 確かに、これでは意味不明が過ぎますか。ならば、

「もし、この作戦が失敗して俺と有希、二人が虚空に消えたとする。すると、俺の代わりは居る。せやけど、有希の代わりはいない」

 そう有希に対して告げる俺。しかし、

「わたしの代わりは存在する。わたしには、思念体に情報のバックアップが存在している。むしろ、代わりが存在していないのは貴方の方」

 普段通り、抑揚の少ない平坦な話し方で、俺の言葉に対して、間髪入れずに否定の答えを返して来る有希。
 但し、彼女から感じる雰囲気は、話し方、そして、その表情とは全く違う感情を指し示していたのは間違い有りません。
 そう。多分、彼女は未だ、自分は造られた存在だと思い込んでいると言う事だと思います。
 確かに、和田さんの話からもそれは事実です。しかし同時に、俺に取っては彼女の代わりが出来る存在は、この世界の何処を探したとしても存在していない、……と言う事もまた事実なのですが。

「判っていないのは、オマエさんの方やで、有希」

 俺は、感情を表に現さず、そして出来るだけ穏やかな雰囲気で、ゆっくりと有希に対してそう言った。
 彼女を、自らの瞳の中心に捉えながら。

「俺の代わり。……俺とほぼ同じ考え方で行動し、俺の意志を継いでくれる存在は、ここ水晶宮には何人もいてくれる」

 まして、俺には家族は居ません。向こうの世界でも既に天涯孤独の身。
 更に、仙術(魔法)と言う異常な技術を身に付けた、龍種と言う人類に取っては異種と言う存在で、異界からの侵食に対処をするような生業をここ三年の間は続けて来て居る人間でも有ります。

 もしもの際の覚悟は、三年前の地脈の龍事件の際に、既に済ませて有りますから。

「せやけどな、有希。今度の事件を経験し、情報統合思念体の思惑に疑問を持ち、ヒトとしての感情や心を芽生えさせ始めた長門有希は、後にも、先にもオマエ一人しかいない」

 普通に考えると、被創造物が造物主を疑うようには設計されていないでしょう。まして、この世界に俺が放り出された時の彼女は、自らの存在が消える直前でした。
 これは、おそらく被創造物。つまり、長門有希が何らかの形で造物主。情報統合思念体と呼称されて居る高次精神体からのバックアップが消滅した為に、彼女の個体を維持し続ける為の精力。俺の言葉で説明すると霊気の補充が途絶えたからだと推測出来ます。

 つまり、思念体に対して疑念を抱けば、彼女は思念体からの霊気の補充が途絶えて、俺と出会った直後のような状態。生体を維持し続ける事さえ出来なく成ると言う事です。
 確かに、有希は情報操作が得意だと言いましたが、その能力を与えたのは、他ならぬ情報統合思念体。彼女がいくら、その思念体に対する疑念を隠そうとしても、そんな物を隠し通せる訳はないと思いますから。

 自らに反乱を企てる可能性の有る壊れた(狂った)人工知能を、そのまま放置するようなマヌケは、映画や小説の中にしか存在しません。
 そしてここは、現実に存在している世界ですから。

 今の彼女は一時的にその情報統合思念体との交信が途絶えて、別のエネルギー供給(生体維持)方法が為されている事により、個人的な感情で行動出来ているに過ぎない状況。……と言えると思いますね。

 それで、彼女、長門有希が個人的感情で行動出来るようになった理由は、この事件の始まった段階から、彼女がスタンドアローン状態で行動している事が理由の内のひとつ。
 それと、現在、暫定的に彼女の主人格となっている俺の意向が、有希自らの判断で行動する事を強く推奨している事も大きいと思います。

 俺は、そんな事を同時に考えながら、更に言葉を続ける。
 有希を連れて行けない理由を、彼女に納得させる為に。
 そして、同時に、自分自身も納得させる為に。

「はっきり言うが、今のままなら涼宮ハルヒは、この世界から消滅させられる可能性が非常に高い」

 かなり厳しい現実を有希に対して告げる俺。尚、この台詞に関しても、和田亮や、神代万結たち、この世界の水晶宮の関係者たちは、口を挟んで来る事は有りませんでした。
 その理由は、おそらく俺の推測が、彼らの考えと合致しているから。

 そして、涼宮ハルヒと言う名前の少女の運命が、現状では非常に微妙な状況へと追いやられている、と言う事でも有ります。

 有希から、涼宮ハルヒの名前が出た瞬間に、少し陰に近い気が発せられる。確か、有希の任務は、ハルヒとキョン。二人の監視だと言っていましたし、この二人。特にキョンの方が無窮なる痴神。吠え猛る風の邪神。もしくは、門にして鍵。すべてにして、ひとつのものの能力を持って居る存在ならば、高次生命体と思しき情報統合思念体とやらに危険視されていたとしても不思議では有りませんか。

 いや。そう言えば、有希はハルヒに関しては判りませんが、少なくともキョンに関しては、一般人だと知らされていたはずですか。
 更に、昨日出会った術師の少女、相馬さつきは、その情報統合思念体の事を、邪神と言って、その被創造物で有る有希の事を邪神の眷属として排除しようとしていましたか。

「有希が情報統合思念体のどのような意図の為に、ハルヒやキョンの監視を命令されているのかは判らないけど、俺達地球に住む生命体に取って、名づけざれし者や、千の仔羊を孕みし森の黒山羊の因子を植え付けられた少女など、危険なだけで、生かして置いたとしても何の得にも成りはしない」

 有希には魔法の説明が為されていないトコロから、彼女に与えられた命令は、おそらく、本当に監視するだけだったとは思うのですが……。

 ただ、情報統合思念体が、相馬さつきに邪神と呼ばれた理由ならば、何となく想像は付きます。
 それは、有希が未来を知って居るらしいから。

 もし、彼女が未来を知って居たのなら、それは、三年前にキョンと言う魔法を帯びた存在と涼宮ハルヒと言う少女が接触する事に因り起きた歴史改竄を知り得た事と成ります。
 つまり、それは、地球に住む全ての生ける物に取って災厄と成り得る『黙示録』に至る道を再び引き起こす可能性の有る事件を、彼らの興味に因り見過ごす事です。

 地球に住む生命体で、更に術者と言うのは、異界からの侵食に対する能力を有する者。そのような人間に取っては、キョンの行いを知りながら見過ごした思念体は邪神で有り、キョンを連れて未来から訪れた未来人と共に、討伐しなければならない対象で有る事は間違いないでしょう。

「俺も和田さんが言うように、今回の事件を経過すれば、一九九九年七月七日に起きる涼宮ハルヒとキョンの接触と言う事件自体が起きなくなる可能性が出て来る事と成ると思っている。
 つまり、キョンは未だしも、ハルヒに関しては、経過観察を続けるだけで充分だと思っていると言う事」

 先ほど、和田さんが語った内容に、独自の推測を付け加えて、有希に伝える俺。但し、この内容では、ハルヒの身に迫る危険の説明には到達してはいない。

「但し、それは、飽くまでも俺の意見で有り、世間一般の意見と言う訳では無い。
 特に、クトゥルフの邪神の因子を継ぐ存在など、非常に危険な存在で有るのは間違いない。そんな人間は危険度が低い内に早急に排除すべきとして、ハルヒの排除に動く連中(神族)も間違いなく存在している」

 いや、過去に置いて邪神の因子を植え付けられなく成る涼宮ハルヒだからこそ、排除される可能性は高い。
 今、ハルヒが経過観察だけで、無事に暮らして居られるのは、彼女の中に邪神シュブ=ニグラスの因子が存在している可能性が有るから。
 もし、過去が改変されて、彼女に邪神の因子が植え付けられなかったとしたら、現在の彼女は、普通とは少し違うけど危険度の低い存在へと変わるはず。

 しかし、別の世界……つまり、平行世界では、ハルヒは邪神の因子を宿した存在に成ったと言う事実は残る。そして、クトゥルフの邪神の因子を宿す可能性の有る人間をそのまま、現在は危険ではないから、と言う理由で見逃してくれる連中ばかりではない、と言う事です。

 この世界は多数の神界に繋がる世界。そして、その神や悪魔の微妙なバランスの上に成り立っている世界で有る以上、俺達、水晶宮の意見が、世界全ての共通意見とは成り得ないのですから。

「もし、俺と共に過ごした有希が異界に消えて、この騒動が終わった後に交信が復活した情報統合思念体から、新たな長門有希が派遣されて来たとしても、新しい長門有希の目的は、涼宮ハルヒの監視。決して、彼女の身を護ってやろうとはしないはず」

 そう、有希に対して告げる俺。
 但し、この言葉の大前提は、俺が元々暮らして居た異世界に去った後も、有希は思念体の手の中には戻さないと言う意味の言葉でも有ります。その事について彼女が気付いているかどうかは判りませんが、彼女に刻まれたルーンや、彼女の置かれている状況。それに、情報統合思念体の胡散臭い動きなどから推測すると、彼女を思念体の元に帰した時の方が、彼女を危険に晒す可能性の方が高いと、俺は考えて居ますから。

 しかし、

「それは、彼らに頼めば……」

 有希が和田さんや万結の方を見つめながらそう言った。
 確かに、昨夜の万結の行動や、和田さん、そして、瑞希さんとの会話などから、彼ら……水晶宮の存在理由と言う物を、有希がそう感じ取ったとしても不思議ではないのですが。

 もしかすると、最初の段階で俺が示した彼女への態度が、そう言う風。つまり、正義の味方風の無償の愛をばら撒く組織だと思われた可能性は有りますか。

「それは違う。確かに俺は、和田さん達水晶宮の関係者に有希の事を頼んでから異世界。元々俺が暮らしていた世界に去る心算や。せやけど、俺の頼みを了承して貰えるのは、有希。オマエさんが俺の関係者……身内やからや。
 涼宮ハルヒにしても、新しく思念体に派遣される長門有希にしても、彼らには縁も所縁もない相手。そないなヤツ等を手助けするほど、水晶宮と言うトコロは善意に溢れた連中やない」

 まして、自分勝手な理由で歴史を改竄して行く未来人や、邪神の因子を宿した事の有る少女など水晶宮に取っても危険な存在。もし、自分達に取って害となると判断したならば、水晶宮自体が涼宮ハルヒ関係者の排除に動き出す可能性が低くは有りません。
 それにあの年、一九九九年の歴史を、これ以上、勝手な理由で改竄され続けると……。

「何故、有希自身が、それほどまでに、この危険な戦いに関わりたいのか、その明確な理由を俺に教えてくれ。
 それがどんなに拙い話術であっても良い。何らかの方法でも構わない。その理由が俺から見て、もっともな理由だと納得出来たなら、俺はオマエさんの意志を尊重する」

 未だ、俺が彼女の生命に対して抱いている重要性を理解していない少女に対して、そう語り掛ける俺。確かに、水晶宮がこの世界に存在している今と成っては、俺の事を覚えて居てくれる人物たちの頭数は増えましたが、それでも、彼女、長門有希が俺と縁を結んだ相手で有る事に変わりは有りませんから。

 そして、実際の言葉とほぼ同時に、

【長史】

 俺は、実際の言葉で有希との会話を行いながら、【念話】の回線を和田さんに繋いだ。
 そして、

【有希に仙骨は存在して居ますか】

 ……と問い掛けたのでした。

 尚、この仙骨と言うのは、仙術を行使する為に必要な才能の事であって、普通の生物に存在している(セン)(コツ)(シン)(ケイ)(ソウ)の事を指した言葉では有りません。
 もっとも、意味も無く同じ名前が付けられている訳ではないので、人間に存在している仙骨を傷付けられると、仙術行使に必要な才能の仙骨にも害を与える事が出来ます。故に、イコールで繋いだとしても大きな問題が有る訳でもないのですが。

【存在していますよ。おそらく、少しの修行で、仙術が行使可能となるでしょう】

 少し、瞳で首肯くような仕草を行った後、【言葉】にして、そう答えてくれる和田さん。

 成るほど。流石は宇宙誕生と同時に発生したと言う存在ですか。まさか、有希に仙術を行使させる為に造ったとは思えませんが、彼女のスペックを人類最高のスペックとして設計しているのならば、この仙骨。つまり、魔法の才能と言う部分も必要と成って来るものですから。
 尚、当然の如くに、俺の言う仙骨と言うモノは人間以外……それが例え、箸や茶碗で有ったとしても存在する物です。

【そうしたら、体内の気の循環を妨げるような宝貝が、確か存在していたと記憶しているのですが……】

 そして、更に続ける【念話】での問い掛け。それに、この部分も重要。
 確かに、一時的に仙骨を傷付ける事は可能ですが、相手は不死の存在。その持って居る神話的な裏付けに因り、見ている目の前で、どんどんと回復して行く事は間違い有りません。

 但し、これは俺が元々暮らして居た世界での話。こちらの世界に存在するかどうかは判らないのですが。

【その類の宝貝ならば、確かに存在して居ます。ですが、貴方には必要ないでしょう】

 少し意地の悪い聞き方をして来る水晶宮の長史。
 そして、それは当たらずと雖も遠からず。その宝貝が必要なのは俺ではなく……。

【有希に必要です。多分、私は折れます。そしてその方が、より詳しい伝承の再現と成るのですから、安全にラゴウ星の封印が成功する可能性も高く成ります】

 それに今まで、この手の舌戦に勝てた記憶が俺には有りません。まず間違いなく、俺は折れる。……と言うか、彼女に説得されますから。

 そう考えながら、俺は和田さんの、少し人の悪い【問い掛け】に対しての答えを返した。

 ただ、何故、そんな事を、この目の前の青年が知って居るのかが謎なのですが……。
 まさか、目の前に座る青年が、水晶宮に所属している人間のすべての性格を知り抜いている、などと言う事は考えられませんし、そもそも、瑞希さんやソノが俺の事を知らなかった以上、この世界には俺の異世界同位体はいないと思うのですが……。

「判りました」

 俺の思考が明後日の方向に向かい掛けた事に気付いた訳ではないのでしょうが、今度は実際の言葉で答えてくれる和田さん。
 そして、更に続けて、

「忍くんの依頼に関しては直ぐに用意する必要は有りませんが、有希さんの部屋に関しては、早急に手を打つ必要が有りますね」

 ……と、ひとつ首肯いて見せた後にそう告げて来ました。
 有希の部屋に関して、早急に……。

 和田さんの言葉の意味を一瞬、考える俺。そう言えば、最初の段階で……。

「確か、有希の部屋には、時間凍結されたキョンと、誰かが存在しているとか言っていたような……」

 あまりにも色々な情報が提示されて仕舞った為に、最初の方で伝えられた情報が少し曖昧に成っているのですが、確かに、そんな事を聞いたような気がします。
 俺の問い掛けに対して、有希が微かに首を縦に動かした。そして、

「一九九九年七月七日の夜。当時の涼宮ハルヒとの接触を果たした、二〇〇二年七月七日より来訪した彼と朝比奈みくるが、彼女の持つTPDDを紛失した事に因り未来への帰還が困難と成りわたしに対して救助を依頼。
 その際に未来のわたしと同期を行い、情報統合思念体の判断にて、緊急事態発生に伴う避難的処置として、当該対象二名の時間凍結作業を現在実行中」

 有希により、何か、かなりややこしい状況を一気に説明されましたが、

「つまり、あの和室には、有希が未来から訪れたと思い込んだ、実は異世界からの来訪者のキョンと、朝比奈みくると言う人物が、有希の時間凍結能力で今年の七月七日までの間、時間を止められた状態で存在している、と言う事なのか?」

 確か、最初に和田さんが、和室に眠る、と言っていたと思うから、そう聞いてみたのですが……。
 更に、未来の自分と同期……。おそらく、この部分が、彼女が未来を知っている原因ですか。

 俺の問い掛けに対して、有希は静かに首肯いて答えた。
 成るほど。そう言えば、最初に彼女の蓄えていた霊力の総量にしては、消費して行く霊力の量が多いトコロから、有希が何か巨大な術式を行使している最中ではないかと思ったのでしたか。
 但し、今の今まで、すっぱり、忘れて仕舞っていましたが……。

「流石に、異世界からの来訪者で有る可能性の高い、まして、その正体がはっきりしない存在を野放しにする訳には行きません。あの部屋は、我々が完全に封印を施し、今年の七月七日以降の状況によって後の判断を行いたいと思っています」

 和田さんが、水晶宮長史としての顔でそう言った。
 おそらく、今年の七月七日に、キョンと朝比奈みくると言う人物が、この時間の直接の未来から、過去へ旅立つ事は出来ないでしょう。多分、その兆候が感じられた瞬間、この世界の主流派。ヘブライ神族と、この国の主流派。天津神によって、その二人は世界を混乱に導く悪魔やさばえなす悪神として処分されるはずです。
 そして、例え、異世界から訪れる存在が居たとしても、時間旅行は彼らの専売特許と言う訳では有りません。今の人類の科学力では不可能ですが、特殊能力として、時間跳躍能力者と言う者たちは存在していますから。

 そう、時間跳躍能力者に因って、この世界の直接の過去も、もう一度、元の時間の流れに書き換えられる可能性が出て来たから、俺がこの世界に召喚され、未来を知って居るはずの長門有希が知らない事件が起きつつ有ると言う事ですから。

「代わりの部屋は我々の方で準備しますから、すみませんがあの部屋を、我々に明け渡しては貰えませんか?
 今年の七月七日までは我々の手で、和室に眠る御二人については確実に現在の状況を維持します。そして、当然その後は貴女の立ち会いの元、部屋の封印と時間凍結を解除します」

 そんな和田さん。いや、水晶宮の現在の代表の申し出に、あっさりと首肯いて答える有希。確かに、彼女があの部屋に固執する理由は有りませんから、この答えは当然ですか。
 まして、今年の七月七日まで厳重に封印して、管理を水晶宮が行うと言う事です。その後に付いても、有希の立ち会いの元、時間凍結の解除を行うのなら、有希自身が管理するのも、水晶宮が管理するのも、大きな違いは有りませんから。

 但し、交信が回復した後の情報統合思念体が、どう言う態度で出て来るか判りませんけどね。
 もっとも、現在の状況。情報統合思念体と有希の交信が途絶えて、二十四時間以上経っているはずです。それまでの間に、彼女と思念体の間の交信が回復していない以上、そのキョンと朝比奈みくるに施された時間凍結は、俺が現れなければ既に解除され、事態はもっと厄介な方向へと流れていたはずです。
 つまり、既に思念体が、そのキョンと朝比奈みくるの身柄を拘束し続ける根拠と成って居る、彼ら自身が庇護を求めて来た、と言う部分も白紙に戻されているはずです。

 それでも尚、和田さんの申し出は、この和室に眠る二人の身柄を預かった上に、更に、彼らが覚醒するまでの間、自分たちも一切の手出しをしない事を約束した上で、彼ら二人が覚醒する時に、思念体サイドの代表の長門有希に立ち会う事を約束したのです。

 ここまで譲歩した提案を却下するだけの権限は、今の有希にはないでしょう。

 この時間凍結された二人に関しては、その正体が何者で有ろうとも、水晶宮及び、思念体が管理し続ける限りは、今年の七月七日までは現状を維持され続けるのですから、彼らの目的が本当にハルヒやキョンの監視だけならば、何も仕掛けて来ない可能性の方が高いはずですし、現状が維持され続ける限り、無理に奪還しようとするとも思えませんから。


 その有希の答えの後に続く沈黙と言う名前の空白。そして、その空白の時をまるで埋めるかのように漂って来る良い匂い。
 この食欲を刺激する香りは、この探偵事務所の奥に有るキッチンから漂って来る、昼食を作っている……。

 成るほど。もう、そんな時間ですか。ならば、そろそろ御暇する時間でしょう。
 ……いや、別にこの探偵事務所の奥に有るキッチンから漂って来ていた良い匂いに、腹の虫が反応した訳ではないとは思いますが。
 多分……。

 それに、そろそろ頃合いでしょう。今日は昼からも忙しいですから。

 俺は、昨日の図書館で出会った少女の挑むような瞳を思い出しながら、少し苦笑のような形で口を歪めた。
 彼女が森の黒山羊の因子を植え付けられているかどうかは判りませんが、会う約束を交わした以上、彼女の顔を見に行く必要は有りますから。

「それでは、私と有希はそろそろ御暇させて頂きます」

 俺は、水晶宮の長史と、万結。そして、有希の膝の上で眠る黒猫のソノにそう挨拶をする。
 それに、事務所の奥に消えたまま、顔を出そうとしない瑞希さんが居たのですから、この昼食の準備をしているのは、彼女と、彼女の式神たちなのでしょう。

 式神の能力とは、別に戦闘に特化した物ばかりでは有りませんからね。

 しかし、

「本当に、貴方一人で天魔二星を相手に戦う心算」

 ……と、まるで最後の確認をするかのように、俺達のやり取りを黙って見つめていた神代万結が問い掛けて来ました。
 但し、これは確認を行う……と言う意味よりは、おそらく、俺の覚悟を問い掛けて来た、と言う雰囲気ですか。

 そう考えながら、万結と、そして、その問いに対する答えを待つ水晶宮長史和田亮を見つめる俺。

 切れ長の双眸に理性と知性の色を浮かべながら、俺の答えを待つ水晶宮長史。
 そして、片や、紅玉の瞳には何の感情を浮かべる事もなく、ただ、正面に座る俺を見つめる神代万結と言う名の少女。

 ただ、何故だかこの二人。妙に、俺の何処か深い場所に引っ掛かりのような物を感じて居るのも事実なのですが……。
 しかし、今は、そんなあやふやな感覚のような物に囚われている暇は有りませんか。

 そして、

「これは、間違いなく俺の仕事」

 俺は、気負う事なく自然な雰囲気でそう答えた。
 そう。この事件は、何らかの神話的追体験を何モノかが俺に求めている結果、起きた事件である可能性が非常に高いと思います。それに西宮に残っていた伝承内では、ラゴウ星は、間違いなく八百比丘尼と一目連に倒されています。

 まして、全部、水晶宮の能力の高い存在たちに仕事を丸投げして、俺は有希とふたりで後方の安全な場所でコタツに入ってミカンを食べる、などと言う行為を続けて行く訳にも行きませんから。

 天は自ら助くる者を助く。人事を尽くして天命を待つ。俺が出来る限りの事を為さない限り、有希に刻まれたルーンがもたらせる暗い未来を払拭する事はおろか、俺自身が元々、暮らしていた世界に帰還する事さえ叶わなく成りますから。

 真っ直ぐにその紅玉の瞳に俺を映してから、微かに首肯く万結。先ほどから、彼女が投げ掛けて来る問いは、俺の覚悟や、考えを問うものばかりのような気もしますが……。
 そう思い、改めて神代万結と名乗った少女を見つめる俺。

 すっと、と言う表現が一番しっくり来るような、真っ直ぐに背筋を伸ばし、凛とした姿で浅くソファーに座る姿は、何処か硬質の雰囲気を彼女に帯びさせ、それが可憐な、そして同時に作り物めいた美しさと冷たさを与えている。
 神代万結と言う名前の少女から感じるのは、矢張り、有希と同じ雰囲気。

 確かに、昨夜の出会いの瞬間も、俺は彼女に生命を救って貰ったのですから、彼女からして見ると、俺は非常に危なっかしい人間に見えたとしても不思議では有りませんか。
 本当は、あの場の俺には神明帰鏡符により、一度だけ物理攻撃は完全に反射出来たので、あの程度の攻撃などで俺自身が傷付く事など有り得なかったのですが。

 そして現在、俺を見つめる万結からは、否定的な雰囲気を感じる事は有りませんから、先ほどまでの俺の受け答えは、彼女を納得させるには十分な答えを返す事が出来たと言う事なのでしょう。

 それならば、

【長史。私は、有希の為に資金を残してやりたいのですが……。思念体ごときに情報操作されない口座を用意しては貰えないでしょうか】

 未だ、俺が帰った後に、有希が思念体の元に戻らないと決まった訳でもないのですが、それでも、その時に成って慌てるよりは、その前に策を施して置くべきでしょう。
 そう考えて、和田さんに【念話】で問い掛ける俺。

【簡単ですが、資金に関してまでは、用意する訳には行きませんよ】

 当然と言えば当然の【答え】を返して来る和田さん。流石に、そんなに世界は甘くは有りませんか。
 もっとも、これも想定内。

【私の式神に現在、貴金属を錬金して貰って居ます。更に、大地の精霊にも宝石の類の収集を依頼して貰って居ます。それでも足りないのなら、水の精霊に真珠やサンゴなどを集めて来て貰っても構いません】

 俺は、和田さんに対してそう【答え】た。
 但し、ハゲンチに貴金属の錬成を依頼したのも、ノームに宝石の収集の類を依頼したのも、ラゴウ星に対する結界の構築用の結界材と為すための材料用と、有希の身を護る為の護符(タリスマン)作成用の材料の為だったのですが。

 それでも、宝石や貴金属を簡単に流せる場所が有るのなら、そちらに流して、この世界の現金を手に入れて置いた方が何かと都合が良いでしょう。
 何故ならば、ハルファスから手に入れるよりも、細々とした物なら、現金を使って手に入れた方が容易いですからね、現代社会と言う世界は。

【判りました。忍くんの式神たちが集めた貴金属や宝石類を、我々が適正価格で買い上げた金額を振り込む口座を用意して置きましょう】

 これで商談成立。水の精霊にも仕事の依頼を行う事に成ったけど、それでも俺が向こうの世界に帰るまでには、最低でも一週間ほどは有りますから、かなりの資金を集める事は可能だと思いますね。

 ソロモン七十二の魔将の一柱。第二十四席ハゲンチの錬金術とは、ソロモン王の巨万の富を影から支え、バビロニア帝国に仕え、大英帝国の繁栄に関与した存在です。
 そして、大地の精霊ノームとは、全ての地下から産出される鉱物や資源を司る存在。彼らに集められない大地より産出される宝石など存在しては居ません。
 最後の水の精霊ウィンディーネに関しても同じ。水に関する産物。海の幸に関してなら、彼女に集められない物は存在してはいませんから。



 この世界の水晶宮側から要求は、おそらく有希の部屋の封印。この目的は達した以上、俺と有希に関しては、これ以上、ここに留め置かれる理由はなし。
 そして、俺は未だしも、有希に取ってここは敵地……とまでは言いませんが、それでも自らのホームグラウンドではない以上、ここに留まって居ては余計なストレスを感じさせる結果と成る可能性もゼロではない。

 ならば……。
 俺は、少し、左腕に巻かれた腕時計に視線を向けた後に、有希に対して右手を差し出し、

「そしたら、帰るか」

 ……と短く告げました。それに、流石に昼食まで御馳走に預かる訳にも行きませんからね。

 何故ならば、俺は、俺が元の世界に帰った後の事を、ここ水晶宮に依頼してから帰る心算ですから。当然、彼女自身に、その情報統合思念体の元に戻るか、それとも、それ以外の道を模索するかの選択肢を選んで貰ってから。
 そして、もし、ここで昼食まで御馳走に成って仕舞い、その結果、以後の長門有希が水晶宮にメンテナンスや、生きて行く上で必要な生計(たつき)の道を得る事に成ったとしたら、まるで、彼女を食事などに誘って接待したように思えて来ますから。

 もっとも、それを言うのなら、俺が彼女と出会ってから続けて来ている食事すべてが、彼女に対する供応に当たるような気もするのですが。
 食事の際に彼女が発して居る雰囲気は、非常に明るい、陽に分類される雰囲気で有る事は間違い有りませんから……。

 有希が、差し出された俺の手を握りながら、来客用のソファーより立ち上がる。
 そして、その手は……温かかった。

「おや、昼食は食べて行かれないのですか。今、(ゲン)(シン)(スイ)(セイ)と瑞希さんが準備をしていると思うのですが」

 何故か意味不明な理由で、和田さんが、そんな俺達を引き止めた。

 しかし、玄辰水星?
 玄辰水星とは五曜星の一人。空に浮かぶ水星を神格化した存在だったと思います。確かに俺が暮らして居た世界でも、水晶宮の関係者の中に居た可能性は有りますが、俺のような下っ端には縁のない相手ですから、この場で、そんな人物の名前が出て来る事自体が不思議なのですが。
 それに……。

「それに、午後からも有る人物と逢う約束が有りますから」

 何か、ちょいと弁解じみた台詞を口にする俺。
 但し、その際に、何故か俺と右手を繋いだ少女から、非常に残念そうな気が発せられたような気がしたのですが……。

「そうしたら、一応、もう帰るけど、有希はそれで構わないな」

 俺は有希に、そう念を押すように聞く。それに、もし、ここで少しでも否定的な雰囲気を感じたら、その時は水晶宮の方で昼食を御馳走になってから帰ったら良いだけですから。別に、どうしてもここで食べたらマズイ理由が有る訳では有りません。

 しかし、有希は少し名残惜しそうでは有りましたが、それでも俺の言葉にコクリとひとつ首肯いてくれました。

「そうしたら、用事が終わってから、帰りにここに寄らせて貰います」

 そう和田さんに挨拶を行う俺。
 おそらく、今日中には、有希の代替の新しい部屋と言うのが準備されると思いますから。

「ええ。お待ちして居りますよ。多分、私以外の皆もね」

 今度は引き止める事も無く、和田さんがそう答えた。
 そして、その言葉に対して肯定するかのように、彼の右隣に腰掛けていた少女がコクリと小さく首肯く。

「それでは、行って来ます」

 そう、別れの挨拶……いや、まるで出掛ける際の挨拶を行った次の瞬間、
 俺と有希の姿は、その場からは消え去っていたのでした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あとがき

 尚、今回のあとがきはかなりキツイ表現、及びネタバレが飛び出します。

 少々前に書いた部分ですが……。
 原作小説でキョンが長門に最初に呼び出された時の考察を行って見ましょうか。

 最初の呼び出しは何日もすっぽかした挙句、その事を謝りもせず、あまつさえ、原作長門の言葉を頭から否定して、信用する素振りさえ見せない。
 貴方ならどうします?
 普通の人ならば、如何に荒唐無稽の話でも、一応、証拠を示して見せろ、と問い掛けませんか?
 それが、円滑な人間関係を生み出す物ですからね。

 まして、その後に、生命を救われた後の対応もかなり問題が有ると言うのは以前にも書きましたが、その後に、彼女の語った言葉が真実だった場合、あなたならどうします?
 普通の人ならば、間違いなく、以前の取り着く島もない態度に対する謝罪の言葉から入る物だと思うのですけどねぇ。

 まるで、原作長門に対して何をしても心が傷付く事がない事が判っているかのような雰囲気だと思ったのですよね。
 言葉や表面上の態度では長門の言葉を完全に否定しながら、何故か……。

 この辺りから、キョンの正体が怪しいな、と思い始めたのです。
 これが、もし、作者が仕込んだ伏線で、最後にドンデン返しを用意しているとしたら、如何なるのだろう……と言う風に。
 そして、決定的だったのは……。

 これは、考え過ぎなのでしょうか。
 それでも、普通に考えると、作者が御都合主義の結果、こう言う状況を作り出した、とするよりは、余程マシだと思ったのですが。

 それでは、次回タイトルは『西宮の休日?』です。

 追記。タグの輪廻転生に関して。
 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』内で説明して居ます。

 追記2。次回の更新について。
 次回更新は、『蒼き夢の果てに』第59話を4月22日に。
 そして、『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第2話を4月26日に行います。

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