小説『ヴァレンタインから一週間』
作者:黒猫大ちゃん()

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第5話 紅き瞳


「わたしが全力で抗ったとしても、自らの身すらも護る事が出来ないのなら、貴方が何処で就寝しようとも意味はない」

 先ほどまでと同じ口調、同じ透明な表情で、そう告げて来る長門。
 但し、怒り、と言うか、かなりの不満に彩られた雰囲気を発しながら。

 ……少し、彼女自身が意固地に成っているような気がしないでも有りませんが、しかし、正論で有るのは事実。確かに、俺がその気になったのなら、部屋の違いなどに意味は有りません。

 ……う〜む。ならば、俺の方に足枷を付けたら問題は無くなりますか。
 少し強い視線で長門に射すくめられながら、そう考える俺。但し、はっきりと言うのなら、ヘタレで、こんな小市民的な思考の人間に、女の子を襲うようなマネは出来ないだろうと言う雰囲気なのは間違いないのですが……。

「サラマンダー」

 シルフ。ハルファス。ノーム。ハゲンチに続く本日五柱目の召喚に成るので、長門の方も珍しさも薄れたのか、彼女に相応しい視線で俺の行動を見つめ、俺の答えを待つ。

 空中に描き出された召喚円に集まる小さな炎の精霊達。明滅する光と、発生する炎。その小さき精霊達が異世界。……サラマンダーが存在する魔界への扉を開いた。
 そして、その一瞬の後。

 俺と、長門有希の目の前に顕われ出でし、炎の精霊サラマンダー。但し、俺の式神のサラマンダーは、一般的な火トカゲの姿で出現するサラマンダーなどではなく、より高位のサラマンダーで有り、西洋風の紅い炎を連想させるドレスに身を包み、紅玉に彩られた貴婦人……と言うには少し幼い雰囲気なのですが、人型。更に少女姿のサラマンダーで有りました。
 そう。伝承に語られるサラマンダー族の女性は美しい。……と表現される姿そのままの美少女で有るのは間違い有りませんでした。

「長門さん。彼女が俺の式神、炎の精霊サラマンダー」

 俺の紹介に、ロココ様式の衣装に相応しい優雅な貴婦人風の礼を行う炎の精霊(サラマンダー)
 対して、目礼のみで挨拶を行う長門有希。

「サラマンダー。ハルファスと二柱(ふたり)で、俺と長門さんを今夜一晩、護衛を頼む」

 何の事はない。それならば見張りの数を増やせば良いだけ、と言う事です。まして、俺の学んだ仙術は心気を清浄、平静に保ち、激しい感情に乱される事を戒めています。もし、この戒律に違反すれば、道を外した事……つまり、外道と成り、徳を失う結果と成りますから。

 外道に堕ちる。これはつまり、自らの能力の行使が出来なく成ると言う事です。

 まして、俺の式神は、友誼に基づく式神契約で有り、俺の命令に絶対服従と言う訳では有りません。つまり、俺に魔が差したとしても、彼女らが正気に戻してくれますから。

 俺の依頼にひとつ首肯き、同意を示すサラマンダー。彼女と、ハルファスやハゲンチが召喚されている現場で、俺が暴挙に及ぶ事はないでしょう。

「これで、長門さんと同じ部屋で眠ったとしても問題はない。但し、俺の他にサラマンダーやハルファスにも同じ部屋に居て貰うけど。それぐらいは問題ないやろう?」

 俺の問いに、無言で首肯く長門。何か良く判らないけど、不機嫌な雰囲気は大分マシに成ったから大丈夫だと思いますが。
 しかし、俺が眠る場所など、そう拘る必要はないのに、何故、彼女は、俺が彼女の寝室に眠る事に拘ったのでしょうか。

 ……俺は、少し不機嫌な状態から回復し、その吸い込まれそうな双眸に俺を映す少女を見つめた。

 相変わらず、感情を表す事のない透明な表情で俺を見つめる長門。
 ……う〜む。彼女の可視範囲内に俺を置いて置きたい。考えられる理由としてはこの程度ですか。

 いくら、自らの生命を救って貰った相手だと言っても、すべてを信用出来る訳は有りません。まして、彼女の造物主の情報を調べられる事は、流石に彼女に取っては禁忌に当たるはず。
 いや、彼女自身が許すとか許さない以前に、造物主がそれを許さない。普通は、一時的にでも、こうやって、別の主人格が存在する事さえ出来る訳がないのですから。

 但し、彼女の探知能力がどの程度有るのかが判らないけど、その探知能力を躱す方法なら有るのですが……。

 そう考えながら、彼女を見つめる。
 同じように、俺の顔を見つめ返す長門。表情は透明な表情のまま。但し、彼女が発して居る雰囲気は疑問符。
 そして、俺に対する悪意を、彼女から感じる事はなかった。

「そうしたら、改めて言わせて貰うな」

 詮索の必要はない。まして、彼女を信じたのは俺。一度、信用したのなら、最後まで信用しろ、と言う事ですか。

「俺の事を信用してくれて、ありがとうな」

 俺の言葉に、少し首肯いて答える長門有希。但し、今回は、驚いたような気を発する事は有りませんでした。


☆★☆★☆


「起きて」

 …………優しく、ゆっくりと揺り起こされる。

「朝」

 …………女性の声なのですが、朝に俺を起こしてくれる相手などいません。

「……おはよう、さん」

 まったく働かない頭を、無理矢理たたき起こし、寝ぼけた雰囲気のままで朝の挨拶を行う俺。
 女の子の極度の低血圧なら可愛げも有るのですが、俺のような平均的な男子高校生では、朝から全開の方が、笑いの神も微笑んでくれるのでしょうが……。俺には無理です。

「おはよう」

 俺の朝の挨拶に対して、感情の籠らない女声(こえ)で、そう答えが返される。

 上半身のみを起こしながら、両の掌底で目をこすり、無理にでも眠気を飛ばそうとする。但し、この程度の事で俺の眠気が飛ぶ訳がない。
 まして、この女声(ジョセイ)は、長門有希と名乗った少女型人工生命体が俺を起こしてくれている、と言う事なのでしょう。

 そうして、二、三度、そう言う事を繰り返した後、寝ぼけたままの雰囲気でも、ようやく瞳を開く事に成功する。其処まで要した時間は、おそらく十分ほど。
 ……そして、その瞬間。メガネ越しの暖かなとは表現し辛い瞳で、真っ直ぐに俺を見つめる整い過ぎた容貌を持つ少女と、その視線が絡み合った。

「……あ、え〜と、あのな。朝飯は何が食べたい?」

 少し視線をずらし、在らぬ方向に焦点を移しながら、そう聞く俺。
 そう。寝惚けていても、流石に彼女に真っ直ぐ見つめられると、怯みますよ。
 尚、当然の事ながら朝食の事を問い掛けはしましたが、俺自身は、後、二時間ほどは何も食べたくはないのですが。

 しかし……。

「必要ない」

 何故か、長門がそう答える。相変わらず、俺の顔をそのやや冷たい、しかし、とても綺麗な瞳に映しながら。

 これは、朝食は取らない主義だと言う事なのでしょうか。
 そう思い、更に長門に問い掛けようとした俺なのですが、

「朝食はわたしが作る」

 ……と、俺の問い掛けの前に彼女はそう続けました。
 成るほど。昨日の夕食は俺の方が準備したので、朝食は彼女が準備する、と言う訳ですか。それならば、

「そうか。なら、何か手伝おうか?」

 大分、頭のはっきりして来た俺が、そう問い掛ける。しかし、首を二度横に振る長門。
 そして、

「必要ない」

 ……と答え、タオルと、新しい歯ブラシ。それに、こちらも新しいカップを差し出して来た。
 うむ。意外に世話焼きさんの側面を見せている長門さん。後は歯間ブラシかフロスが欲しいトコロですが、それは贅沢と言う話ですか。

 いや、今までの彼女が発して居る雰囲気から、少々無愛想で、他人の事などに頓着しないタイプの性格設定のように思っていたけど、彼女に心が発生しているのだとしたら、それは付喪神などに代表される使役される事に喜びを感じるタイプの心の可能性も有りましたか。
 彼女が何者に造られた存在で、何の目的の為に存在しているのかは判りませんが、それでも、元々使役する為に造られた存在で有る事は間違いないと思います。それならば、その存在に自然発生的に心が宿ったとするのなら、使役される事に喜びを感じる付喪神系の心が宿る可能性が一番高いはずですからね。

「そうか。そうしたら、さっさと顔でも洗って来ますか」

 長門が差しだして来ていた洗面道具一式を受け取る俺。
 そんな俺を見つめながら、ひとつ首肯く長門。

 尚、その約五分後。長門の部屋の洗面所に、俺の驚きの声が響くのですが。


☆★☆★☆


 ひんやりとした彼女の指先を目蓋に感じながら、強制的に長門を見つめる事となった俺。
 少なくとも、彼女が傍に居るのは心地良いのですが、どうも、彼女を見つめるのは、慣れないのですが。

 ただ、これは、俺が頼んだ事なので、仕方がない事なのですが。

 しかし、左の目蓋と目の下に触れていた長門の指先が離される。
 そして、首をゆっくりと横に振る長門。

「原因不明、と言う訳か」

 少し顔をしかめながら、頭を掻く俺。確かに、俺は強制的に次元移動をさせられていますし、更に、長門と契約した後に、この左目は血涙を流すような事態に陥っているのです。今更、左目だけが血の色に染まったとしても不思議では有りませんか。

 俺の、ため息とも、独り言とも付かないその呟きに、律儀に首肯いて答えてくれる長門。
 但し、少しの陰気を放っていたのですが……。

 そう。現状の俺は、右目はそれまで通りの少し薄いこげ茶色の瞳だったのですが、左目は淡い血の色へと変わっていたのです。

 しかし、左目だけが急に先天性色素欠乏症(アルビノ)に成る訳はないですし、まして、俺は、コンタクトなど嫌いなので入れた事は有りません。
 本来なら、俺の裸眼視力はメガネが必要なぐらいには悪いのですが、メガネを掛けた際の異物感に我慢が出来ない為に、メガネを掛ける事もなく、すべて仙術で補っている人間です。
 そんな人間が、コンタクトレンズを使用する訳はないでしょう。

「しかし、妙なオッド・アイの少年と化したと言う事ですか」

 かなり呆れたと言う雰囲気で、大きく息を吐き出しながら、そう呟く俺。
 普通、虹彩異色症と言う特徴には、絶世の美少年とか言う設定の付属として付いて来るものなのですが、俺は非常に平均的な外見しか持ち得ない人間なので……。
 似合わない事この上ない、と言う感じですか。

 俺を、少し陰気の籠った瞳で見つめる長門。これは、俺にオッド・アイと言う追加の設定が似合っていない、と思っている訳では無く、彼女と交わした契約が、この変わって仕舞った瞳の原因だと思っていると言う事。

「心配する事はないで。確かに、この瞳の原因が長門さんとの契約に有ったとしても、それは、今、起きている異常事態を解決したらこんな状況は即座に解決するから」

 それに、その結果、俺がこの世界に島流しに成っている原因も判ると思います。更に、長門の造物主やバックアップとの連絡が途絶えている原因にも到達する事が出来るでしょう。
 すべてが偶然同時に起きた、別々の事態とは思えませんから。

「未だ、オマエさんの造物主やバックアップとの連絡は途絶えたままなのだろう?」

 俺の問い掛けに、無言で首肯く長門。ただ、陰陽入り交じった気を発して居る理由は良く判らないのですが。
 それならば……。

「取り敢えず、有力な土地神に状況を聞くトコロから始めるべきですか」

 そんな俺の独り言に、先ほどまで陰の気を発して居た長門が、少しの陽に分類される雰囲気を発した。これは、おそらく興味。
 多分、有力な土地神、と言う存在に興味を持ったのでしょう。

「土地神。西洋風に言うと土地に憑いている精霊や守護天使に当たる存在。天使の階級で言うなら、プリンシパリティ。その土地で起きている霊的な厄介事ならば、こいつらに尋ねたら大体の事は判るから、最初に情報収集を行う相手としたら、こいつらが正しい」

 一応、事態を楽観視した台詞を口にする俺。
 ただ、ここが西宮だとすると、この街の有力な土地神は、それなりに神格を持った土地神の可能性が高いから、こちらもそれ相当の態度で相対す必要が有るのですが。

 まして、事態がもう一段階、先に進んでいる可能性もゼロではないのですが。

「……と言う訳やから、長門さんには、ここから近い。そして、大きな神社かお寺に案内して貰いたいんやけど。頼めるかな」


☆★☆★☆


 静謐な、と表現すべき金曜日の神社は、本当に人の気配のしない、少し不気味な空間となっていた。
 確かに、平日。更に、真冬の真っただ中と言う二月十五日では、神社を拝観する人間が少ないのは当たり前だとは思うのですが、それでも……。

 まるで、世界自体に迫りつつ有る異常事態を人々が察知して、出来るだけ行動を控え、これから起きる可能性の有る災厄に備えようとしているかのように、俺には感じられた。

 いや。それでも、これは好都合と考えるべきですか。
 少し、頭を振った後、陰の気を振り払ってポジティブな思考でそう考える俺。

 人影の存在しない神社の境内から、更に人が訪れる可能性の低い鎮守の森に移動する俺と長門。

 その場に召喚用の簡易結界を施した後、つま先を二度踏み鳴らすような仕草を行い、口訣を唱え、導引を結ぶ。
 呼び寄せるのはこの神社に祭られた産土神。国生みの夫婦神の最初の子供で有りながらも、葦の舟によって流された神。

 ………………。

 奇妙な空白。その空白を支配していたのは、少し曇った弱めの陽光と、現在の季節に相応しい長門の視線のみで有りました。

 この場所で土地神を召喚する仙術を行使しても何の反応も示さない。俺の口訣が間違っていたのか。それとも、俺の呼び掛けが届かなかったのか。
 それとも……。

 いや。同じ水に関係するモノ同士。まして、共に天津神よりまつろわぬ者と指定された神性を帯びる存在でも有るはず。そんな、俺……龍種の呼び掛けを、恵比須神(えびすしん)が聞き遂げないはずはないのですが……。

「これは、想定していた中では一番厄介な事態の可能性が出て来たと言う事か……」

 真っ直ぐに俺を見つめる長門。彼女の発して居る雰囲気は疑問。成るほど。現在の状況では、流石に訳が判らない、と言う事ですか。
 そう思い、説明を開始する俺。そして、

「今、俺が唱えた呪文は、土地神を召喚するのに必要な呪文。しかし、ここの神社の祭神たる恵比須神は顕われる事は無かった。其処までは理解出来たかな」

 一応、最初にそう聞いて置く俺。その俺の問いに対して、それまでと同じ透明な表情を浮かべたまま、彼女はコクリとひとつ首肯いた。
 うむ。それに彼女の発して居る雰囲気も、疑問の色を浮かべる事は有りませんので、ここまでの説明に関しては、問題はないでしょう。

「この場合の可能性としては三つ。俺の呼び掛けが、ここの神社に祭られている祭神に届かなかった可能性。もうひとつは、この神社に、元から祭神が居なかった可能性」

 但し、同時にこのふたつの可能性については非常に低いとも思っているのですが。そもそも、恵比須神に俺の呼び掛けが届かない可能性は低いでしょう。次に、もうひとつの方。ここの神社が空き家の可能性は更に低いですし、仮に恵比須神が居なかったとしても、傍には豊玉姫。つまり、乙姫様が祭られている神社が存在しています。
 そして、俺が呼び出そうとしたのは恵比須神限定の術では有りませんでした。近隣に存在する土地神の内、呼び掛けに答えてくれる相手を呼び出す種類の術でしたから。

 近隣の土地神すべてが俺の呼び掛けに答えない。この異常事態の答えは……。

「最後の可能性は、今、何が起きているのか判らないけど、土地神を倒すか、封じる事の出来る存在が関わった事件が起きている、と言う可能性が有ると言う事」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あとがき

 それで、主人公の瞳の色が変わった理由は、この『ヴァレンタインより一週間』の方ではなく、『蒼き夢の果てに』の方の本文中で説明して有ります。
 もっとも、さらっと流すように書いて有りますから、難しいとは思いますが。

 次。長門有希の様子が変なのですが……。
 彼女は、読書を趣味としています。そして主人公は、それまでの……。一周目から続けている長門有希と言うペルソナを演技し続けなければいけない相手では有りません。
 故に、少々、原作小説に登場する彼女よりは、人当りが良いような対応を取るように設定して有ります。

 それに、ここは原作世界ではなく、平行世界ですから……。

 それでは、次回タイトルは『謎の美少女登場?』です。

 追記。紅き瞳に変わった理由に関して。

 『蒼き夢の果てに』の第51話にて詳しい説明を行います。この部分は、両方の物語の関係性を表す部分で有り、この『ヴァレンタインから一週間』内では大きな意味を持つモノでは有りません。

 追記2。外道に堕ちる。
 主人公は仙人です。そして、私の世界観での仙人の仕事は、世界のバランスを維持する事。
 陰にも。そして、陽にも傾き過ぎないように、世界のバランスを取る事です。
 もっとも、陽に傾き過ぎる事はあまりないのですが。日照りぐらいですか。

 それで、主人公は普通の。つまり、良い事を行って徳を高める事に因って仙術を行使出来るように成って居る仙人ですから、それなりの戒律を守る必要が有るのです。
 後は、智を貴び、剣を振るい、自らを高める事を忘れる事なかれ。とか、
 仁を貴び、己が信じる善を為すべし、ぐらいですか。

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