小説『とある賢妹愚兄の物語 第2章』
作者:夜草()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

正教闘争編 聖母の祈り



イタリア ローマ



イギリス清教との会合を行うため、その本拠地へと出向いた時の話

旧教の三大宗派の一角であるイギリス清教を束ねる<最大主教>ローラ=スチュアートという10年以上も前から変わらない年齢不詳の女傑。

その胸の内の真意や本音を悟らせず、議題を己の有利な方向へ誘導し、気付いた時にはもう遅い。

彼女と交渉のテーブルにつけばどんな条約を取りつけられるか分かったものではなく、その巧みな言葉遣いに翻弄され、ローマ教皇と同席していた書記の3名のうち2名は緊張に耐えかねて途中で医務室に運ばれてしまった。

金髪碧眼の見目麗しい外見に関わらず、その内面は権謀術数の才に長けたかなりの策士である。

しかし、それでも年齢や地位を重ねているにも拘らず、力による上下関係、信仰による威光と威厳などなく、彼女の周囲にいる者はみな平等に笑顔を浮かべている。

それは十字教の教義から圧倒的に外れているようなものとは思えず、そう、あらゆる信徒を見守る父は確かにこう言った。



『隣人を愛せ、人類は皆兄弟であり主の前では平等である』



それに今の自分は本当に外れていないのだろうか。

バチカンを離れ、聖ゴスティーノ教会で軽く講演を終え、バチカンへの帰還途中、送迎車を使わずに徒歩で移動―――かつて、まだ教皇ではなかった頃、単純に健康面への軽い運動でもあるが、ローマ市内の空気を好んでいるからでもあり、何より市井の者と少しでも多くの接点を作りたいから―――していたが、観光客はすれ違っただけでカメラを慌てて仕舞い、建物の窓には信心深い中年の女性が祈りを捧げている。


「……残念ですね」


傍らにいた書記であり側近が、ローマ教皇にだけ聞こえる声で告げる。

書記という肩書を持つが、彼の体調を気遣う専属医であり、武闘派の護衛官でもある。

肩書を変える事で『武力を持つ者の入れない場所』でも教皇の側にいる権利を得ているのである。


「なるべく護衛の配置を減らしてみたのですが、中々向こうから声をかけ、手を差し伸べてくれない限り、教皇様の思い通りにいきそうにない。一応、こちらから声をかける手もありますが、それでは、また体裁について文句を言われてしまう」


「分かっているよ、これ以上はわがままなのだろう」


徒歩でのリスクは高い。

故に移動の際には術的加護を施した車両団を編成すべきである、と他の側近の意見が出ている。

『十字教は皆に平等である』という宣伝ならば、こんな街中を歩くよりも他にも効率の良い方法はあり、適切な寄付を行った後、児童養護施設や医療施設を訪問する方が好感度の調整には適している、と意見も出されている。


「いえ、掛かり付けの医者としてはこうして徒歩でも軽い運動をこなしてくれている方が心身ともに健全になります。全く意味がないという訳ではありません」


「そうか」


『神意は生命に宿りし』とかかげし、この男は暇を見つければ、街に出て、教会までとても来れなさそうな老人達の家に赴き、訪問医としてその身体を診たり、神父として祈りを与える。

書記連中の中でも、市井からの人気と教皇自らの推薦により異例の出世を果たしたこの男は、他とは違い、この心情を察してくれる真の腹心とも言えるかもしれない。

しかし、そんな彼が傍にいても、通行人や観光客は驚きや尊敬のまなざしこそ向けてくるが、話しかけてはくれはいない。


「お」


と、狭い路地から薄汚れた、おそらく子供向けに作られた直径30cmほどのビニールのようなゴム素材のボールが転がってきた。

書記がそのボールを取ろうと、だが、それより前にローマ教皇が身を屈めてボールへ―――その時、路地からボールを追って、薄汚れた10歳ぐらいの女の子、この辺りでは珍しいストリートチルドレンが飛び出してきた。

彼女はローマ教皇が泥に汚れたボールを取ろうとしたのを見て、叫び声を上げるように、


「やめて」


その鋭い言葉に、冷たい響きに、教皇は雷撃を浴びたかのように固まってしまう。


「そんな大層な服を汚したら、どんな目に遭うか分からないから」


そして、女の子はボールを拾うと、まるで暴漢を警戒するようにジリジリと警戒しながら、元来た狭い路地へ逃げていってしまった。


「教皇様……」


呆然とするしかない。

『隣人を愛せ、人類は皆兄弟であり、主の前においては全ては平等である』

だが、今のローマ教皇はあの女の子1人にすら教えを説く事ができず、深く深く奥歯を噛み締めるしかできない。


「問題だな……」


20億人もの信徒を一手に束ねるローマ教皇へのぶしつけな言葉遣いにではない。

一体いつからこんなにも距離が離れてしまったのだろうか。


「……これは老人の気まぐれな独り言だと聞き逃してもくれて良い」


「お聴き致します」


「この現状は、もはやローマ教皇である私の手には負えない、『聖母』でもない限り変えられぬものだ。ローマ教皇である前に1人の神の教えを説く者として、お主に頼みたい事がある」





フランス アビニョン



『フランスアビニョンに宗教団体が国際法に抵触する特別破壊兵器の製造していると判明。ただちに学園都市の特殊技術関連のエキスパートによる制圧掃討作戦を開始する』



学園都市の非公式編成機甲部隊によるアビニョン旧市街への侵攻。

主要兵装は『HsPS-15』学園都市の技術の粋を集めて作られた『駆動鎧』で、通称は『ラージウェポン』。

その全長は2.5m、施されている特殊な迷彩は青と灰色で、頭に当たる部分が巨大かつ、胸部が膨らんでいるため、ドラム缶型の警備ロボットを被っているようにも見える。

装備は、銃身が異様に太く、俗にアンチマテリアルと呼ばれる一発で戦車を撃ち抜き、核シェルターでも至近距離からの数発で破壊できる特殊弾丸が装填され、シリンダー内で偶数発と奇数発に分けた二種類の弾頭を使い分ける事が出来るリボルバー式のショットガン。

火薬の種類と詰め込む配置を繊細に調節する事で、爆発力の方向操作を可能にし、必要最低限の銃身負荷で最大の威力を発揮できる。

また、新型の駆動補助装置が搭載されておりどんな悪路でも機械の側が最適化して侵攻することができる。

故に、このアビニョンが城塞迷宮だろうと関係無しに、数百年も人の出入りを制限した石の壁をものの一瞬で紙くずのように破壊し、突然の事態にパニックになっている暴動を空砲を炸裂させただけで沈黙させる。

そして、携帯している小型バルーンで気を失った人間を放りこみ、たんぽぽの綿毛のように風に乗せ、機械任せで作戦行動領域外へ追い出す。

狭い路地裏の中を闊歩する暴徒達は作戦に支障をきたすので、本命の前にまず彼らから黙らせているのだ。


(……どうなってんだ? 土御門の話じゃ、学園都市は動かないって話じゃなかったのかよ。動くにしても、どうしてこんな滅茶苦茶なやり方に―――いや、どうしてこんなにタイミング良く!?)


上条当麻は、戦闘後の余韻に浸る間も与えずに、空から降ってくる駆動鎧集団を見上げ、唇を噛み締める。

学園都市の上層部はアビニョンの問題を敢えて手を出さない事で、今の混乱を激化させようとしている―――それが『統括理事会』の親船最中の意見だ

機は塾した、という事か。

混乱による必要分の損害額を達成したから、ここで終わらせるという事か。

いや、だとしてもタイミングが良すぎる。

こんな相手主力であった『後方のアックア』と『ガウェイン』が倒された直後にやってきたという事は機を図っていた。


(俺達は利用されてたって言うのかよ! 自分達の行動を優先したいってだけで、暴力を使って街の人々を屈服しようとするやり方なんて認められねぇ!!)


自分達は単にローマ正教を憎んでいるのではない。

学園都市の敵を倒そうとしていたのではない。

全てはこの状況、何もかもを破壊していく『争い』そのものを失くそうとしていたのだ。

だが、このデモや暴動と比べ物にならない軍事行動が生み出す崩壊の渦は、今、全てを出し切った当麻や神裂火織ら天草式十字凄教は止められない。


「さて、都合良く<幻想投影>は『教皇庁宮殿』に落ちて、おそらく今頃騎士団の連中に捕まっているでしょうしー、<C文書>を操っているのは『普通の術者』ですしねー。これで幕引きとしましょう」


『左方のテッラ』はそういうとふらりと背を向ける。

<光の処刑>がある限り、『駆動鎧』など何機いようと相手になるはずがなく、またこの状況もまた天運に恵まれていると信じている。

そう、彼からすれば、あれは飛んで火に入る夏の虫。



「神意の下に、『左方のテッラ』が“<天壌落陽>による『教皇庁宮殿』を除くアビニョン市街一帯に天罰を降す”を命ず―――煉獄に墜して裁きましょう、我らローマ正教の神敵を」


 

 


「御意……」


その一言でジェラーリの目から光が消える。

既にその身体は、抜け殻も同然だった。

大剣一つも持ち上げられず、魔力の欠片も練ることはできない。

だが、どんな大げさな身振り手振りも、どんな大掛かりな『霊装』も必要ない。

準備は昨日のうちに済ませてある。

魔導書の<原典>の1つ<抱朴子>にある東洋の魔術、<禹歩>。

中国古代の天子・禹王は、その歩いたその足跡でさえも神秘となる。


「前日から、このアビニョンに敵対勢力がいると知っていて、何もしていないはずがないじゃないですかー。ちゃんと、いざという時の為にこの人形のとっておきの自爆術式くらいは用意してますよー」


「な……っ!」


『聖人』の血を引き、『聖者』の数字を刻み、『太陽』を象徴とする白騎士は、あの『教皇庁宮殿』を除き、このアビニョン旧市街を歩き回り、一足に収束していた。

だから、どんな術式だとか、どんな儀式だとか、そんな些細なことはどうでも良く、心さえも必要ない、この存在さえあればいい。

ガッ、と空間が不気味な軋みを上げて重くなり、街全体が、その足跡に引っ張られ、無理矢理に地脈を捻じ曲げられた。

強過ぎる重力の結果、空間までも歪曲させるブラックホールのように、その街を一足の下に烙印した存在は世界を捻ったのである。

<神僕騎士>とは地形すら変える力を秘めている。

このままだと上条当麻、天草式十字凄教、<聖人>の神裂火織、駆動鎧部隊は、アビニョンごと殲滅される。


「貴方は、一体どこまで外道になり果てれば気が済むんですか!?」


「ははっ、暴動も自爆も全ては学園都市とそこにいる<幻想殺し>を殺す為にやっていた事なんですよー。第一、このままでは学園都市がアビニョンを占領するでしょう。それに死とは真の救いの過程でしかありません。この街にいる信徒が犠牲になるのは心苦しいですが、私が『神上』になれば最終的に『神聖の国』へとその魂を迎え入れて、救いが与えられるでしょう」


この街にも住人が、ローマ正教徒がいるだろうが、テッラからすれば死んでも問題はない。

死ねば、その貴き犠牲の魂は『神聖の国』へと導かれるはずなのだから。


「味方に自爆を命ずるなど……っ!」


「あれは人形は別です。騎士とは、主の剣となって生きるものです。道具に同情するなんて馬鹿馬鹿しい」


言いながら、戦闘中に着々と張り巡らせていた小麦粉の紐を引き、


「優先する。地面を下位に、小麦粉を上位に」


どんっ、と当麻、神裂、五和ら天草式が立っていた地面一面が沈下し、それから小麦粉の白い線に連動して地盤が閉じていく。


「くっそ、テメェ!!」


「異教のサルはこうして見下ろされるのがお似合いですねー。いやぁ、面白い。じゃあ、そこでこの街と一緒に滅んでくださいねー」


そう言い残し、テッラは去った。


「待て!! くそっ!! また逃げやがっ―――ぐっ!?」


全員で地盤を押さえる。

だが、緩慢に、しかし確実に空間は狭まっていく。

息苦しさが増していき、身体の骨が軋む。

戦闘後で性も根も尽き果てている。

いつしか僅かな空間は完全に消滅し、当麻も、神裂も、五和も、建宮も、天草式全員が圧縮されて混ざり合い潰れ死ぬ。


「女教皇様、上条当麻を連れて、上に。その右手の力なら自爆を止められるかもしれません」


「しかし、それではあなた達が!!」


神裂の声も上擦っている。

彼女も早くこの自爆術式を止めなければ、街が終わる、と理解しているのだろう。

神裂ならば1人の男子高校生をかつぎながら、この壁を飛び越える事もできよう。

だが、ここでほとんど地盤を支えている<聖人>の力が抜けてしまえば、残された者達は一気に芥子粒のように潰される。


「この身を使ってでも女教皇様が脱出する時間を稼ぎます」


天草式50名は、皆笑っていた。

最後に泥を塗られてしまったが、それでも、共に戦えたのだ。

この戦いに悔いはない。

だから、自分達を生かそうとしてくれた彼女達を、文字通り身を粉にしてでも生かしてみせる。


「どの道このままでも、我々は死んでしまいます。ですから、ご決断を」


神裂は血が出るほど、唇を噛み締める。

このまま死ぬことになろうと、仲間を置いて生きるなどもう二度としたくない

何の為に、己は、<魔法名>に懸けてまで、『|救われぬ者に救いの手を(Salvare000)』を誓ったのだ。


「いや、まだだ!」


愚兄は、吠えた。

まだ、彼は諦めていなかった。

全員が笑えるハッピーエンドを。


「まだ―――」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



(あ……)


暴動の1人は異変に気がついた。

上を見上げれば、そこに見えていたはずの、綿のような雲が消えていた。

中央の『教皇庁宮殿』だけをくり抜いたようにこのアビニョン旧市街の真上を中心に、ぽっかりと穴が開いていた。

その場所だけは夕焼けの朱に染まりつつある空ではなく、青き星空が見えていた。

彼らは突如振り落ち、街を侵略してきた巨大な駆動鎧よりも、その光景に寒気を覚える。

それは本能からくるもの。

気付けば誰もが空を見上げている。

誰も彼もが、感じた事もない。

得体の知れない怖気に身の毛をよだたせた。

そして、誰かが呟く。


「太陽が……落ちてくる……」


その中心に見えたのは日輪。

光が降り。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



学園都市からの鎮圧部隊は、直径数十kmクラスの光輝の柱が降り注ぐのを確認した。

それはもう直視できるような光ではなく、遠くからでも暴徒鎮圧用の閃光弾のような、一瞬さえも瞼を上げられぬ輝き。


「遮光! 何が起きたっ!」


全ての窓にシャッターが下ろされ、通話機能にノイズ、カメラが一瞬で焼き切れるほどの光量。

まだ前兆だというのに、駆動鎧に備え付けられた環境自動調整機能がエラーを起こす。


「……地点から黄道……太陽に向かって空間が短絡した模様!! 太陽光です! プロミネンスかコロナか……不明! 温度が高過ぎて計測できません!! プラズマが発生しています!! まさかこのままでは―――なっ!?」


太陽の間近にまで空間を直通。

常軌を逸した強さだが、それはそう。

あの『最悪の人造兵器』の作成者である『世界最悪の魔導師』が生み出した『神の名の下に僕する』に相応しい<|人造聖人(ホムンクルス)>―――『|太陽の騎士(ガウェイン)』。

その身を犠牲にして放つのは、その地に太陽神を顕現させる天罰<天壌落陽>。

地上の一切を焼き払う。





教皇庁宮殿



平日は観光地として利用される教皇庁宮殿。

何も物がない、壁紙すらない剥き出しの石の壁に囲まれた広大な空間には、天井を支える柱が等間隔に立っている他には、何も置かれていない。

財宝を全て持ち出されたあとのピラミッドのよう。

しかし、この外はそれ以上に何もなくなっているだろう。

何せその地表に太陽を落としたようなものだ。


(さて、このパイプラインを利用したバチカンへの移動術式の準備は整っているでしょうし、『天罰』のあとは<C文書>と<幻想投影>を持ち帰り……)


テッラはうっすらと微笑む。

この戦いを勝利したからといって、戦争が終わるわけではない。

<神の右席>の『後方のアックア』とローマ十三騎士団副団長の『ガウェイン』を失ってしまったのは手痛い出費だった。

だが。

今日、このアビニョンの地に、イギリス清教と学園都市が同時に介入してきた。

これは双方が認める認めないにかかわらず、今回の<C文書>の一件で、両者が秘密裏に手を組んでいたと考えられるだろう。

そして、それをローマ正教、イギリス清教と同じ三大宗派の最後の一角であるロシア成教が知れば、どう思うか。

すでにイギリス清教と学園都市との間にはある種のパイプが築かれており、そこへロシア成教が協力を申し出ようにも新参者扱いだろうし、何より一『魔術』サイドの勢力として、『科学』サイドを勝たせたくない、勝った所で勝利者の利益という甘い蜜など吸えはしない。

だから、おそらくロシア成教はローマ正教と同盟を組もうとするはずだ。

現在の学園都市とローマ正教の戦力は拮抗していると考えるのならば、重要になるのはイギリス清教やロシア成教などの第三勢力の動向。

イギリス清教については、既に学園都市との繋がりもあり、また法の書事件や使徒十字事件、アドリア海の女王事件でローマ正教徒は深刻な溝ができてしまったのは明らか。

従って、イギリス清教の事は諦める。

そして、最悪の展開―――ロシア成教までも学園都市側につくのを回避するために、何としてでもロシア成教の目をこちらへ引き付けておく必要があった。

その為に利用したのが<C文書>。

結果的に有能な人材を何人か失ってしまったが、それ以上の人材――素材が釣れたわけだし、イギリス清教の切り札ともいえる<聖人>1人を抹消できたのだから損失以上の成果を達成できた。


「これで『ローマ正教・ロシア成教』組と『学園都市・イギリス清教』組という構図が出来上がりましたねー。ま、学園都市とイギリス清教はそれぞれ違う世界の組織ですし、必ずそこに綻びが生じると思いますねー」


さらに、ロシアとの協力も得られれば、日本へ侵攻するための足がかりは強固になり、その喉元に刃を突きつけられる。

『右方のフィアンマ』とも相談し、今後の兵の動かし方についていも決めておいた方が良いだろうし、『マーリン』にも働いてもらって、<聖騎士王>、『ガウェイン』に代わる新たなる魔道兵器も準備してもらわなければ――――と、そこまで考えて、気付く。

いくらなんでも静か過ぎる、と。

副団長を失ったとはいえど、ここにはまだその腹心だった騎士団が控えていたはずなのに……


「おや……? これは……」


そこにいたのは外の騒ぎにも気付かぬほど深い眠りにつく騎士。

この砦が眠っているかのよう。

別に魔術で眠り自体は、特に珍しい現象ではない。

あの眠れる森の美女で有名な『茨姫』の伝承を基にした術式ならば、その針の一刺しで人を何年もの眠りにつかせる事ができる。

だが、彼らは全員、このあらゆる災いから使用者の体を護る防御加護のある鎧を身に付けている。


「関節の挟間だ」


その声の正体は問うまでもない。

相手もまた隠すつもりはないのだろう。

ゆっくりと身を潜めていた柱の影から歩み出て、テッラの前に身を晒した。

いつにない威圧感を漂わせる長身の男。

影そのものが厚みを得て立ち上がったかのような、漆黒の僧衣服。

その顔は、テッラにとって見知らぬものではない


「『介者剣法』という重装相手と戦うために考案された我が祖国の武術の1つでね。戦場での兵士の手術の際、身体に付けた邪魔な防具をメス一本で剥ぎ取るうちに上手くなったよ。私から見れば、彼らの鎧にも付け込める隙間はいくらでもある」


その手にはガラスの短剣が握られており、近くに転がっている騎士の姿を見れば、確かに関節部の薄い部分が丁寧に切られていた。


「おやー? やはり、ローマ教皇の側近の真浄書記じゃありませんかー? でも、あなた、医者じゃなかったんですかー」


「武器と治療器具もおおむね似ているものだよ。妻や娘のような特異な血統ではないが、私はローマ教皇の側近として、それなりの自覚はあるつもりだ。アックアやジェラーリには流石に勝てはしないがな。だから、私は今貴様が思っている通りに、あの2人が外へ出て行った隙を狙って、<C文書>が探していた」


最も重要な警護でもある教皇の守りにつく側近だ。

如何に戦闘に特化しているとはいえ騎士団の兵を倒せないくらいではお話にならない。

書記という肩書だが、実質的にはどんな場所であろうと教皇の身を守るSPのようなもので、道具が限られた条件の中でも戦える。

そして、どうやら、この真浄衛という男も、掛かり付けの医者である事から、手術道具でもあり、武器でもある道具を常に携帯しているようだ。

が、しかし、


「で、ゴロツキと人形の名前は出したようですが、まさか私には勝てるつもりでしょうかー? 言っておきますが、この<光の処刑>にナイフがさせるような隙間はありませんよー」


「そうだな。だが、医者の忠告は重要だ。もし前夜に私が言った事を忘れているのなら、今すぐ思い出すのをお勧めしよう」


生意気だ。

この<神の右席>を前にして、たかが教皇の側近が泰然としているのが気に喰わない。

一応は、十字教徒であるから、手を出されるまでは、こちらも小麦粉のギロチンは出さないでおくつもりだが、これからの返答次第では、その制約を破ることに躊躇ない。


「それで、ローマ正教の書記さんが<C文書>を手に入れて一体どうするおつもりで?」


その経歴と思想から他の書記に嫌われ、教皇の下から引き離そうと半ば無理やりこのアビニョンへ送られてきたのだが、テッラからすれば、この真浄衛というのは余計であった。

<C文書>は他のローマ正教の人間の目には触れさせたくはなく、テッラが選抜したローマ十三騎士団と少数精鋭の個人的な範疇に収めたかったのだ。

ローマ教皇の地位を脅かすような命を飛ばさせないようにと保険に送られてきた監視役の真浄を殺せば、ここでもバチカンのような<C文書>が行使できない事態になりかねない。

だが、この神父の目は、<C文書>を狙っている、明らかに面倒事を押し付けられ、監視役を任された者の目ではなかった。



「『隣人を愛せ、人類は皆兄妹であり、主の前において全ては平等―――その身分に差別はなく、十字教に縛られる事なかれ』」



それは十字教の教えの1つ。

しかし、その後に続いた文句が問題だ。


「まさか、あなた、いや、ローマ教皇は“ローマ正教を潰すつもりですか”」


「潰すのではない。真にローマ正教に救いを見出したものなら、また戻ってくる」


その身分に差別なく、十字教に縛られる事なかれ。

その言葉を<C文書>を使って、ローマ正教徒に流してしまったら、テッラが積み上げようとしてきた、ローマ正教の全てが消え去ってしまうかもしれない。


「憂いておられたのだ、教皇様は。この凝り固まった、小さな子に主の愛を与えられぬ、ローマ正教の現状にな。だから一度壊して、また作り直すと言うのだ。言うなれば、解散選挙だ」


テッラの余裕が消えた。

そこにあるのは怒り。


「私達は兄妹。家族なのだ。親子でも兄妹でも、家族が殺し合いなんてしたなどと聞けば、どう思うか? そんなの誰であっても、惨めったらしく哀れまれるだけのアホだと断言するに決まっている。然るに、主から頂いたたった1つの生命を尊重せずこんな扇動させ、子供を平気で傷つけ、実験台にする貴様は、絶対に、『神聖の国』などには呼ばれない……」


しかし、対峙する男もまたその瞳に怒りを湛えていた。


「いや、言い換えよう。『神聖の国』など私が呼ばせない」


「それはあなたが決める事ではなく、神が決める事なのですよ」


「だとしたら、貴様は間違いなく地獄行きだ。神は全てを知っている。自信があるなら今すぐ『最後の審判』を受けに行くがいい。まあ、ローマ正教を解体すると言った時の顔を鏡で見れば、考え直すと思うがな。実は己の行いが罪であると自覚―――」


瞬間、テッラは右腕を振るう―――が、


「お……ぁ……?」


そのまま腕の勢いに持っていかれて、床を滑る。

小麦粉のギロチンも発動せず、霧散してしまう。

視界が回る。

何が起きたか分からない、という表情でこちらを見上げてくるテッラ。

どうやら<光の処刑>を使おうとしているのだが、頭の方が術式を組むことに失敗してしまう。


「酒の飲み過ぎは体に障る」


思考はできているのだが、うまく考えをまとめることができない。


「アルコールは適量なら問題ないが、毒だ。酒のは厳密にはエチルアルコールだがな。しかし、ここに捲かれているのは無味無臭だが純粋なアルコールだ。吸い過ぎれば、死すら招く恐れがある」


予め、貴様がここへ来るのを待っていた、と。


「流石に、私もナイフ一つで騎士団を相手できるはずがない。こうして、悪酔いさせてから1人1人潰させてもらったよ」


<光の処刑>は任意発動であり、テッラの判断能力は人間のものと大差なく、安酒の大量飲みでその舌と鼻はその手の感覚に麻痺しており、使わせる前に終わらせてしまえばいい。

こうして、長々と会話していたのは、半分は時間稼ぎ。

神の血として処理できる葡萄酒ではない、純粋なアルコール。

<神の右席>はその体は<天使>に近いといえど、神様でさえ酒には酔う。


「……だが、“こっちも<C文書>を持っていなかった”とすると、いったい誰が?」





フランス アビニョン



「―――まだ詩歌がいる」


その声は、届いた。


「はい、当麻さん―――」


不幸にも負けない愚兄の想いが、幸せを招く賢妹を呼び込んだ。

彼が天草式と共に戦った時間は決して無駄ではない。

この|絡み合いすぎた(ゴルディアス)結び目を斬らずに解けるだけの時間を稼いだのだ。

完成したのだ。

この全てを止める力が。


「イメージは<|生命の樹(セフィロト)>。|根(マルクト)から|頂(ケテル)へ向かって、生命力を伝播」


右手に絡みつく<幻想宿木>。

いや、今度は右手だけに収まらず、その手の甲から手首、二の腕、肘へ、と右腕に一体化するように<幻想宿木>が絡みつき、鮮やかな彩色が溢れ、紋様から多大な生命力が迸るように輝いている。

右肩にレモン色、オリーブ色、小豆色、黒色の4色の交点――<|王国(マルクト)>。

二の腕に紫色の交点――<|基礎(イェソド)>。

肘の関節部を挟むように2つ、橙色の交点――<|栄光(ホド)>と緑色の交点――<|勝利(ネツァク)>。

手首に黄色の交点――<|調和(ティファレント)>。

親指に赤色の交点――<|剛毅(ゲブラー)>。

小指に青色の交点――<|慈悲(ケセド)>。

人差し指に黒色の交点――<|理解(ビナー)>。

薬指に灰色の交点――<|智慧(コクマー)>。

中指には白色の交点――<|王冠(ケテル)>。

手の甲には無色の交点――<|知識(ダアト)>。

それらが計22個の|小径(パス)で結ばれている。





「この|現実(ルール)に――――」





空に太陽光が降り注ぐ刹那。

上条詩歌が、一切の音も気配も伏せて、<天壌落陽>の核である『|太陽の騎士(ガウェイン)』―――太陽神として顕現したイポグリジア=ジェネラーリの眼前に出現。

古い羊皮紙<C文書>を握った手を振りかざす。

弓を振り絞るように限界までひいた右手を、全身を使って一気。

天罰の光が地表に届くか否か。

<生命の樹>全ての回路がオーバーロードし、結晶化された生命力を全て解体、開放、さらにそれらの全てを<幻想宿木>内へ封入し、二段階目のオーバーロードを開始する。

音速より速く、遠く。

光速より速く、遠く。

神速より速く、遠く。

『木行崩拳』、『火行砲拳』、『土行横拳』、『金行劈拳』、『水行鑚拳』の<五行拳>。

<幻想投影>の裡に秘められ、育てられた全ての力―――<聖母崇拝>を解放する。

3段目のオーバーロード。

すなわち、その右手は時空を超えて、神にすら干渉する。



ッパァン!!



音が、一つに。

五連撃が、一撃へ強制接続。

その体に<五芒星>――『聖母マリアの星』を打ち込み、『聖母の祈り』は奇跡を起こす。

『最後の審判』すら歪め『神の罪』さえも打ち消す『慈悲の力』、『神の子』のルール、『世界』すらも変える。

制御の一本の柱を作る<生命の樹>で整えられ、相生の理に基づく流れの<五行拳>で増幅され、念を込めた<五芒星>でまとめる。

3つの神秘の融合を不干渉することなく、いかなる『色』も受け入れる<幻想投影>。

今、『聖母』は『神上』に達した。





「―――私の|幻想(ルール)を投影する」





空に大輪を飾る花火のように一瞬で終わるも見た者の心に深く幻想を刻む、天を突き、街全体を覆う光の世界樹。

太陽神の天罰―――<天壌落陽>すら打ち消し、白騎士を『|太陽の騎士(ガウェイン)』から『|聖母の従士(ガウェイン)』に変え、

『神は絶対であり、学園都市は敵』の言葉―――暴動の原因であり全世界中に敷かれようとしている<C文書>の設定すれば変えられない絶大な効果さえも白紙に戻す。

そう。

これこそ本当の『聖母』の奇跡。



『聖母の慈悲は厳罰を和らげる。時に神に直訴するこの力。慈悲に包まれ天へと昇れ』



暴動の1人が見た光は、幸あれと望み、しがらみを外し、天罰から人々を守った上条詩歌の『聖母の祈り』





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「当麻さん、大丈夫ですか!?」


『ガウェイン』は倒れ、

侵攻していた『駆動鎧』は停止し、

暴動も正気に戻り、鎮まった。

天草式十字製協の全員が無事だ。


「ああ。助かった。にしても、すげーな、それ」


「ええ、その場の即興凌ぎに作ったものですが、上手くいきました」


地表から救出された当麻の右手を握り、<幻想宿木>、そして、<C文書>を<幻想殺し>で完全に破壊する。


「それよりよく敵陣から帰ってこれたな。確か、騎士団とかがいたんだろ?」


「落ちた場所に<C文書>を持った術者がいましたが、クッションになって気絶してしまい、なぜか警備も手薄だったんですぐに脱出できました」


それはそれは|幸運少女(ラッキーガール)だな、と当麻はそこでようやく息をつく。

とにかく、今度こそこれで終わりだ。

それで先にダウンしてしまうのは情けないが、張り詰めていた緊張が解けて、もう体は限界だ。


「何でもいいが、詩歌が無事で、よかっ…た……」


「はい、当麻さんも、……おっと」


当麻の体が崩れ落ち、人の字になるように詩歌は胸に抱き抱える。

気を失ってしまったのか、ほとんど力が抜け落ちている。


「おつかれさまです、お兄ちゃん」


その頭を労わるように微笑む―――と、上空を見上げ、


「火織さん、当麻さんのことお願いします!」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



(さて……これでこっちの戦いは終わった)


血を吐いた口元を拭い、土御門元春は思案する。

暴動は鎮まり、『駆動鎧』も停止。

上条兄妹がうまくやったのだろう。

あとは俺が学園都市のエージェントとして……といっても今回は上層部の思惑から外れて動いているのだが。

まったくこじつけられず、どう『交渉』のテーブルに持っていこうか……


(そういえば、いったい奴らはどうやってこのアビニョンに)


ふと、冷静になって思う。

このアビニョンに突如絶好のタイミングで現れた大量の『駆動鎧』は、一体どこからやってきたのだろうか。



その答えは、爆音と共に示された。



(なっ……あれは、学園都市謹製の『HsB−02』……超音速ステルス爆撃機か!?)


その特徴的なフォルムを見れば、すぐに分かる。

10機以上の編隊を組んで、青い大空を悠々と旋回する100mクラスの漆黒の爆撃機。

『HsB−02』

超音速飛行時に生じる摩擦熱に対応するため、冷却材である液体酸素と窒素を機体全体に張り巡らせる必要があり、更にそれらは燃料としても使用するため、飛べば飛ぶほど冷却効果が減少するという不便な一面もあるが、その性能は化物だ。

自分たちを学園都市からフランスまで時差の壁を突き抜けて1時間もかからず連れて来させた時速7000km超の速度を誇る超音速旅客機と同じ技術を利用したステルス爆撃機。

追尾ミサイルよりもはるかに速く飛べるため、チャフやフレアなどなくても、ただ直進するだけで敵の攻撃を振り切ることを可能にした機体。

近くの協力機関からではなく、あれに学園都市から積み込まれて『駆動鎧』はこのアビニョン近郊へ一斉投下されたのだ。

最新科学の精巧なテクノロジーにより実現された強引な力技。

そして、先遣隊の『駆動鎧』が<C文書>の捜索及び破壊の任務を達成すれば……


(くそっ……! まさか『あれ』を……!? あいつらの戦いを無駄にするつもりか!?)


土御門は上空を見上げながら、手近な『駆動鎧』の装甲を殴る。

あれは爆撃機。

本来の用途は輸送ではなく、『爆撃』にこそ。

機体の下部に搭載されている長大なブレードを用いて放つ<地殻破断(アースブレード)>は目標地点に対して大規模に、繊細に爆撃することができるのだ。

この超音速ステルス爆撃機に搭載された<地殻破断>は、引き裂いた大気の刃にわずか数gの砂鉄を混ぜ、時速1万kmオーバーという絶大な速度を乗せることで摂氏8000度を超える気体状のブレードを生み、上空数千mからだろうとオレンジ色の輝きと共に地球ごと目標点を爆撃切断する。

あまりの高熱に爆撃切断された地点はマグマと化し、3kgの砂鉄があれば1時間でユーラシア大陸を切ることも可能だ。

これが従来の空中戦の法則を力技で塗り替える超音速爆撃機だからこそできる、強攻高速爆撃戦術。

そう、あれは徹底的に敵勢力を殲滅させるために『教皇庁宮殿』を街ごと吹き飛ばすつもりなのか。


(何を考えている。アレイスター……!!)


『科学』のことだけしかほとんど知ってないような他の『統括理事会』とは違い、あの『人間』は『魔術』のことも熟知していたはずだ。

普通の軍事行動で全てが丸く収まるというのなら、<必要悪の教会>のような組織は世界に存在しないことは百も承知のはず。

それを承知の上でやるというのなら、


(……まさか、まだ隠し玉があるのか)





HsB−02



アビニョン上空9000mを走る11機の超音速ステルス爆撃機の連隊。

彼らは、

作戦行動A――『駆動鎧』による作戦に支障をきたす障害の事前排除。

作戦行動B――<地殻切断>による作戦行動領域の隔離、および旧市街の爆撃。

作戦行動C――逃げ道を失わせた後『教皇庁宮殿』への集中爆撃。

それが学園都市上層部から与えられた任務。

作戦行動Bに入る直前に突如出現した謎の幻影の大樹にパイロットたちは思わず呆けて中断してしまったが、この超音速ステルス爆撃機は燃費が悪く、帰りはUターンではなく、ロンドンへ補給の中継を挟むことになっており、余裕はない。

すぐさま隊列を立て直し、再び。


「作戦―――「変更だ」」


もうすぐ作戦開始の甲高い警報音が鳴っているが、その声は聞き逃してはいけない。

その中の1機、最後の『爆弾』として載せられ、同じく地表のモニターを見ていた『|超能力者(Level5)』は杖を支えに立ち上がる。


「は? それは一体」


「テメェらがビビりすぎて出遅たせいで。もう戦いは終わっちまってンだ。だったら、残るは後始末しかねェ。臨機応変に対応しろ。じぇねェと、ロンドンに辿り着けなくなるぞ」


だから、作戦行動Bは中止し、作戦行動Cに変更、敵本拠地である『教皇庁宮殿』を狙え、と超能力者は言う。


「いえ、しかし……一度決められた作戦行動を中止するのは。それに作戦行動Cの超能力者投下作戦はあくまで最後の―――「変更だ」」


全く音程の変わらないまま繰り返される一言。

それは彼らの言葉に揺るがされない証明。

別に、この超能力者はここからパラシュートなしでも降りられる。

もし、ここで無視して、作戦を続行しようとすれば、この超音速ステルス爆撃機を蹴り破り、燃料切れとは関係なしにロンドンに辿り着けなくなるだろう。

この超能力者は原爆や水爆と同じように『爆弾』として搭載されていることを思い出し、超能力者のメンテナンス要員の背筋が強張る。

迂闊に扱いを間違えば、自分たちの命が危うい。

手元にあった無線機を掴むと上層部のいる作戦本部へと連絡を取り始める。

そして、何度も何度も会話の応酬を繰り返すと、静かに無線機を戻して、メンテナンス要員は、


「……し、申請受理されました」


作戦行動Bを中止し、『教皇庁宮殿』への集中攻撃を開始する。

あの堅物の上司がここまで柔軟な対応を示した。

この超能力者は作戦を権限ではなく、その身に秘めた悪しき力で捩じ伏せる。


「それでいい」


しかし、一体なぜこの超能力者はこのような真似を……

そんな思いが顔に出ていたのか、超能力者はつまらなさそうに舌打ちしながら、


「オマエにゃみンな同じに見えるかもしれねェが、一口に悪っつっても種類や強弱ってのが存在する」


機内のあちこちから電子音が鳴り響きながら、隔壁が徐々に開いていく。


「一流の悪党ってのはな、カタギの命は狙わねェンだ」


飛び立つ直前に暴風に飛ばされそうな中で、誰に言うでもなく、


「そして、簡単にゃ馴れ合わねェ」


光が消せない泥は雨が払う。





教皇庁宮殿



ゴッ!! という莫大な轟音と共に、この『教皇庁宮殿』ごと直径3mものオレンジ色の閃光が飲み込んだ。



恐るべき爆風に、一瞬で両足を引き剥がされ、そのまま気絶している騎士団と何mも後方へ飛ばされ、床に叩きつけられる。

この防護術式を裏地に仕込んである修道服に守られた全身に激痛が走り、両腕に低度だが火傷を負う。

しかし、もろに食らった『左方のテッラ』よりはましなのだろう。

朦朧とした頭でテッラがいた場所を見れば、既にそこは溶岩の渦で、石材でできた建物の何もかもがオレンジ色に輝くドロドロとした沼地へと変わっている。

近づくだけでも、その熱気に肌を焼かれてしまいそうだ。


「因果応報というのは、あまり信じていないのだが、怠け者の主もたまには働くのか……」


医者として、神父として、戦場を渡り歩いた真浄衛は静かに十字を切る。

人の本質を最も顕著に表すのは、その死に様。

悲しい死か、

哀れむべき死か、

報いとしての死か。

傷一つない体で死んでも醜悪な死があり、指一本しか残らなくても胸を打つ死はある。

それからすると、あの男は、かなりのものである。

何せ、何が起きたのか理解する間もなく、死体の欠片もなく、消え去ったのだから。


(だが、のんびりもしていられない)


上を見上げれば、学園都市からの刺客。

青空に黒い染みを作るようにゆっくりと旋回している数機の下部に漆黒の金属製ブレードを取り付けた爆撃機。

生命は最も尊ぶべきもの。

ここは早く、騎士団の連中を回収し、用意されているバチカンへの移動術式で脱出しなければ、と。

複数の閃光の柱が落ちてくる前に、ローマ教皇の書記は決められたキーワードを十字架に呟き、この場から消え去る。

そして、<地殻切断>の波状攻撃で『教皇庁宮殿』の三分の一は消失し、壁も床も全て溶岩の海へと変わった時、とても人が降りられない地獄の底へと『悪魔』が堕ちてくる。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「チッ。面倒臭ェなァ」


立ち込める蒸気だけでも100度は超える、高温にドロドロと溶岩と化した通路を『|悪魔(兵器)』として降臨した超能力者の一方通行は無線で作戦本部の連中と会話しながら、ごく自然に歩く。

威力が高すぎるというのは考え物だ

おかげで対象を破壊できたかも確認できる証拠さえも抹消してしまったのだから。

そもそも大陸切断用ブレードを生身の人間に向ける前提からして間違っている。

これでは死体を確認すらもできない。

まあ、集中攻撃前に、もう事はすでに終わり、目標達成していて、今しているのはただの後始末にすぎないのだが。


「一応この辺を洗って死体を捜してみるけどよ。10分経って何も見つからなけりゃ俺は帰る」


機能停止した『駆動鎧』は近辺にあるフランスの学園都市協力派の組織や機関を雑用に使って回収させればいい。

毛髪でも、血痕でも、DNA鑑定に必要なものはこの溶岩が冷え切るまではできそうにない。

こうして、わざわざ飛んでやってきたわけだが、Level5としてやるべき仕事はない。

ベクトルの流れから不自然な気配を探ってみても建物内にはもう人気の欠片もなく、“代わりに新しい気配が数千度の溶岩が敷かれた建物へと飛び込んできた”。

チッ、と舌打ちすると一方通行は無線を切ると、ここで聴くはずのない声が耳朶を打つ。


「これは一体、どういうことですか?」


神裂火織から例え大気圏を突入しようと対応可能な<聖人>を投影させてもらい『教皇庁宮殿』に飛び込んできた上条詩歌。

何をしたのかは知らないが、このどういうわけかいつも中心にいて、事件を解決してしまうお人好しの彼女がこの一件を終わらせたと勘付いている一方通行は『やはり来た』と、色々と言いたいことを噛み砕いてから、


「さあな」


これは、彼女の戦いだったのだろう。

彼女が仲間と助け合った果てに、手にした勝利。

自分たちはそれを終わってから、その積み上げてきた成果を台無しにするように介入してきた。

これで暴動が治まったとしても、この圧倒的な軍事介入による侵攻が知れ渡れば、戦争の火種はさらに広がる。

普通に考えれば、非難されるのはこちらの方だ。

自分たちは間違っている。

だが、


「しっかし、これでテメェのしたことは台無しにだなァ。努力が水の泡だ」


せせら笑うように一方通行は言う。

場違いなのはそちらの方。

こちらの前提からして、彼女がいる世界はここではない。

彼女がなぜこの戦場にいるのかと怒鳴りつけたいのだ。


「これで懲りただろォ? テメェのワガママが通用するほど甘い世界じゃねェ。どんなに手を伸ばしたって届きはしねェ程世界が違ェンだ。……俺はテメェとは違ェンだ。面倒なことが起こらねェ内にとっとと帰って、ガキの面倒でも見てろ。もう二度とこっちには来ンな」


身を置く世界が違い、思想が違う。

もう自分は懲りたのだ。

ふん、と踵を返す一方通行に、しかし、詩歌は、


「私はあー君が『違う』なんて、思ってません。今も、そして、きっとこれから先も友達です」


「……っ」


その言葉に、息が詰まる。


「……本当はもっと酷かったはずです。あの『駆動鎧』が先に暴動を鎮圧し、避難させていたのを見ればわかります。本当はこのアビニョンごと焼き払うはずだったんです。それをあー君が最小限の被害に抑えようとしてくれたんじゃないんですか?」


彼女は、どうしようもなく自分の内側を刺し貫く。

本人が視界に入れるのを避けている柔らかな場所を、容赦なく引っ掻いてくる。

子猫の爪にやられたような、鈍い痛みがじんじんと離れない。


「……あの路地裏の時もそうでしたが、それが、今のあー君なんですね」


こちらの事情を把握した彼女は、やるせない、哀しい表情をしていたが、すぐにそれを振り払って、


「あー君、絶対に私の幻想を投影してみせる……!」


「……テメェ、それはどういう事だァ?」


「あー君が本当にそうしたいと望むのなら止めません。でも、学園都市があー君のような力を持つ人たちを戦争の為に使う兵器だと見なすのならば、私は戦う。もうこんな事起こさせないように、私が『学園都市統括生徒代表』になって、この戦争を高みから覗いている『上』の良いようにはさせないッ!!」


これもまた『聖母の祈り』。

そして、この『聖母』をこっちの世界へ堕としたくない『悪魔』への宣戦布告。


「……三度目はねェぞ」


そして、一方通行は溶岩に溶けかかった建物を突き破って外へ身を躍らせた。


 

 


「……詩歌、今のは」


凛とした声音に振り返ると、そこに神裂火織が立っていた。


「……私の友達です」


もうすぐ日が沈む空を仰ぐ。

蒼穹はどこまでも深く、何か間違えるとその色の中へ落ちてしまいそうなほどに。

その空に向かって詩を歌うように、


「力の恐ろしさを誰よりも知る、優しい人なんです」


「そうですか」


神裂は一度視線を伏せ、


「では、アビニョンを離れましょう。あなたも、お兄さんと同じく早く病院で診てもらうべきですし。土御門が飛行機を手配したようです。私も天草式の皆と一度学園都市に寄ってからイギリスへ戻るつもりです」


「はい、火織さん」


こうして、学園テロから続く見えない戦争、アビニョンでの正教闘争は終わった。


 

 


(あ、もしかして帰りもあの飛行機なのかな?)


こうして、愚兄は前回とは逆に気を失ったまま超音速旅客機を体験することになる。



つづく

-49-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える