小説『とある賢妹愚兄の物語 第2章』
作者:夜草()

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閑話 朝の来訪



チャット



Shika:え!? 本当に来るんですか?

Patricia:うん。前々から興味があって今度お姉さん達と一緒に日本に旅行に行くことになったの! それでお姉さんが少しだけなら学園都市に寄っても良いって!

Shika:良かったじゃないですか! でも、一体どうやって説得したんです? 留学を希望した際には猛烈に反対されたようですが……

Patricia:何故だか知らないけど、お姉さん達は学園都市が嫌いみたいで―――あ、でもでも、今回の旅行で印象を変えてみせるよ!

Shika:でしたら、私が現地案内を。学生寮は……駄目ですが、当麻さんの所なら準備ができますね。うん。お姉さんって、何か好き嫌いはありますか?

Patricia:え、辛い物全般が苦手かな。―――って、まさか!?

Shika:はい、美味しい物でお持て成そうかなって。私、料理が得意なんです。この時期でしたら、鍋でしょうか。色んな具を皆で楽しくつつき合う。

Patricia:うんうん美味しそうだなぁ。―――と駄目駄目。それは流石に悪いよ。詩歌も最近色々と忙しいんでしょ。

Shika:旅は道連れ世は情け。情けは人の為ならず。ってね。遠慮なんていいんですよ。それに学園都市は『外』とはルールが違いますから初めての方には大変です。

Patricia:う、う〜ん……

Shika:気にするようでしたら、今度私が英国に行く機会があれば、パトリシアさんに観光案内をお世話になります。それでチャラです。

Patricia:……うん、わかった。そういえば、お姉さんもこの前、写真見せた時、詩歌に会ってみたいって言ってたし……お願い、できるかな?

Shika:はい、もちろん!





???



とある雑木林の奥の空き地。

周囲に人目がない事を入念に確認してから、準備に取り掛かった儀式。

これが住処としている監視網の目を掻い潜るには骨が折れたが。

あのアビニョン闘争以降、消息を絶った父との知り合いであり、娘の君に内密に話したい伝言がある、とこちらの誘いにまんまと応じ、捕まえた『素体』は、それだけの価値のある、この街のどこかで堕ちているだろう己の種が持ち得なかった極めて貴重な資質を持つ。

この『素体』を、地面に紋様を刻んだ魔方陣の中央に横たえる。

召喚の『霊装』は使い捨てであり、手違いは許されない。

称号持ちのみが許される『盾の紋章』を『素体』に抱かせるように設置する。


「さあ、始めるか」


這い上がるには、力が必要だ。

称号も、武器も剥奪され、押収される前に全財産のほとんどを費やし、どうにかあの|商人(ビジネスマン)から、鎧こそ手に入れられなかったが、剣と槍を一振りずつ、そして、杯を手に入れた。

この力をひたすらに求める姿勢、何を犠牲にしても目標へ向けて止まらない不断の意志。

事そういう特質において言うならば、この男はまぎれもなく純粋であろう。

例え、どれほどの我欲に塗れていようと。


「―――我が配下で、忠誠を誓えし槍よ」


生命力から変換された魔力が全身から杯へと巡るのが感触で分かる。

およそ魔術を扱うものである限り逃れようのない、体内が蠕動する悪寒と苦痛。

暗くなる視界の中、繋がりつつある幽体と物質を1つに捻じるように念じる。

それに歯を喰いしばって耐えながら、さらに杯が満たされるまで注ぎ込み―――振りかける。


「―――<|量産聖杯(グラール・レプリカ)>に従い、此処に甦れ」


目も開けられないような風圧と光量の逆巻く風と稲光の中、陣の紋様と『盾の紋章』が燦然と輝きを放ち。

ついに、黄泉の淵よりその杯に汲み上げられた霊と『素体』に降ろされ……滔々と溢れる眩いばかりの光の奥から、現れたのは光る鋭い蒼氷眼と、銀の鎧を纏いし、懐かしき姿。

その容姿は以前と大分に異なるが、中身が同じであるのは、その背後に見える具現した幻影から分かる。


「成功した。……あとはもう一つの目的、<黒小人(ドヴェルク)>を果たすのみ」


込み上げる笑いを抑えきれず、うっとりとした陶酔した声が漏れる。

再び、配下を統べる資格を得た満足感に浸り切った彼には、たった今の主の教えに背き、騎士の誇りを地に落とした行為について、自らを責め苛む心は皆無であった。





道中



パトリシア=バードウェイ。

まだ12歳の女の子だが、学校での成績は首席クラスで、ネット上で発表した論文が複数の世界的な学者から高く評価されている。

そのため将来有望であることから複数の機関から注目され、今では英国の科学機関にゲスト研究員としての勧誘を受けている。

そんな彼女はもちろん科学における流行の発信地と言える最先端未来都市の学園都市には知的好奇心がビシバシと刺激されっ放しで、1年ぐらい前からそこの『五本の指』に入る最高教育機関の首席の学生と授業の一環である異国文化交流で知り合ったのをきっかけにチャット友達となって以来、さらにアンテナはビンビンである。

今あるコンピューターの基礎を作ったジョン=フォンノイレマンと相対性理論のアルバート=アインシュタイン、不完全性定理を見つけたクルト=ゲーテル達等の交流のように彼女との話は自分をまだ見ぬ世界をと駆り立ててくれる。

なので、今回の旅行はとっても楽しみにしていた………


「テオドシアさん!!?」


皆と逸れて、1人になった自分を助けてくれた人。

学園都市まで連れてきてくれた彼女が―――


「大丈夫! 早く逃げるのデス!!」


鶏の代わりに夜明けに響く騒音と共に、飛び出してきたのは40代くらいの女性。

長らくこういう荒事に晒され、傷んでしまった髪には金と銀が混じっており、服装はだぶついた黒い上着に、色を抜いて真っ白にしたジーンズ。

例えビルごと爆破されても何だかんだで平気な顔して出てくるような超人お姉さんや、サークルの人たちとときどきこういう不可思議な現象に巻き込まれたりするのを見ているけど、実際に遭遇すると、怖い。

もうここは学園都市だ。

チャット友達が言うには、こういう現象を鎮圧できるような最新鋭の装備に身を包んだ<警備員>とこういう現象を起こせる能力を使う<風紀委員>がいるはずだ。

だけど、あの自在に炎を操る男の相手になるだろうか?

いや、そもそも、どうしてここはこんなにも人が少ないのだろう。

学園都市の治安維持のレベルは『外』は比べ物にならないはずなのに。

それより待ちぼうけを食らっている彼女に連絡を……あ、携帯の電池は切れてるんだった―――じゃなくて、とにかく、お姉さんたちと合流しよう。


「―――チッ、また面倒な相手が来ましたデス。いや、こいつは逆に……」


その時、パトリシアの腕を引いていたテオドシア=エレクトラが悪戯を思いついたようなあくどい笑みを浮かべた。





ホーム



口には咥え赤の光点がつく煙草。

赤く染められた肩まで伸びる髪にピアスが耳に。

10本の指には銀の指輪がはめられ、右目の下にはバーコード柄の刺青。

おまけに嗜好品である香水と煙草の匂いにまみれたこの長身痩躯の男は、何と神父だ。

その証に、この身に纏う漆黒は法衣であり、カンペなしで聖書の中身を諳んじることができる。

ただし、この破壊僧が与えるのは慈悲ではない。



『―――|我が名が最強である理由をここに証明しろ(Fortis)



あの戦いの後に、久しぶりにこの地を踏んだからか、ふと、己と同じ誓いを刻んだ男の慟哭が甦り、脇腹に拳一個分の穴を開けられた箇所が疼く。

もうすでに傷は癒えており、痕もなく塞がっているが、あの全てを出し尽くしての敗北の痛みは、まだ残る。

<魔女狩りの王>でさえも断たれ、精も根も尽き果てて血の海に倒れ伏した時、もし、あそこで見逃されていなければ、死んでいた。

<魔法名>が司るのは組織も上司も関係ない個人の信条。

すなわち、自らが心中に秘める信念や思想を全うするために課したもの。

だが。

その一生を得た教訓からか、それとも完敗の悔恨からか。

それ以来、シベリアで『ただ生まれてきただけの人には希望がないのであり、本当の希望を得るには一度死んで生まれ変わるしかないのであり、可哀そうだから幼い子供たちを希望のある人間にしてあげよう』とほざいた19名の西洋魔術結社の人間を焼いた時にも、『殺し名』を口に出すことはしていない。

あの男は、間違いなく己と同じであるが故に、それに負けてしまった自分の名に、『最強』を証明できる理由が見出せなくなってしまったのかもしれない。

もうすでにあの男はこの世界から逝き、借りを返す事が出来ず、しばらくこの鎮火した後も残る熱のような傷心が消えるまでは、ここ学園都市、弔った死地に来るたびに、この調子だろう。


「さて……生憎、感傷に浸っている暇もない」


ステイル=マグネス。

彼の仕事は神の教えに従わない反教魔術師の討伐、ソフトな言い方に変えれば、人々を苦しめる悪の魔術師をやっつける事だ。

ステイルは、逆らったり、情状酌量の余地のない憎むべきクズな相手を“強制的に火葬してきた”。

彼の所属するイギリス清教内第零聖堂区に置かれ、所属メンバーは特殊な任務をこなせる高い能力を秘めた魔術師から成る<|必要悪の教会(ネセサリウス)>は魔女狩りに特化した組織で、異端尋問のためには最初から聞く耳など持たずに、嘘や策、拷問や暴力を全て駆使してでも、敵を討つ。

何としてでも社会に悪影響を及ぼす道の外れた魔術師を、主の慈悲である葬儀も供養も行えない死体にして、死んでも苦しめ、というのがこの魔術師を罰する魔術師達の論理。

なのだが、



ステイル=マグネスは女の子の前でコチコチに緊張していた。


 

 


東京西部にある、との三分の一を占める超能力開発機関、学園都市。

休日の朝とはいえ人の混み合う、その『外』からの玄関口とも言える第23学区のターミナル駅と繋がる地下鉄ホーム。

ステイルが突っ立っているのは、その改札口を出てすぐの開けた場所、人込みから避けられた脇に指定された喫煙スペース。

女の子も彼の前にいる。

というより、喫煙スペースへ一服していたステイルの腕を引っ張って、署名用の電子パットを差し出していた。

女の子は語る。


「………そういうわけで、その最後の一本で悔いを改め、説教に余計な時間を浪費した詩歌さんに感謝したいというのなら、この待ち合わせしている時間を有効利用しようと始めた署名運動に、どうかサインを。そう難しい事を考えず気楽に一筆どうぞ。未成年が喫煙するよりは、とっても健全です」


笑顔の似合う美少女は、その見かけによらず、大変活力にあふれていて、体格差のあるステイルを強引に片手で動かせるほど。

ステイルはため息を吐いて、懐から萎びたパッケージの煙草の箱を取り出す―――前にひょいっと抜き取られ、代わりに電子パット用のタッチペンを握らされる。


「一体いつから、この街はこんなに喫煙者に厳しくなってるんだ?」


「残念ですが、ステイルさんは確か私とお同年代ですよね。この国では未成年者の喫煙は認められていません。ついでに、イギリスでも16歳以上でなければ煙草は禁じられています。これも成長期の私達の健康を考えて施行された法律です」


そんなこんなで、ステイルは喫煙を邪魔されるわ署名に協力されるわ煙草を箱ごと没収されるわと散々なわけだが、しかし、彼女だ。

無邪気なあの子と同じように清純な笑みを浮かべ、あの間抜けな上司のように狡猾な頭脳も持つ、この少女にステイルは逆らえた例がない。

なんでこんな事になっているのだろう、とステイルは思わず額に手を当てる。

先程『一仕事』魔術師を裁いた直後に、次の『仕事』を入れられ、その足で学園都市に向かった。

飛行機に乗り、国境を超え、検閲を抜けられる出入りの許可証ももらい、次の指示がくるまでホテルに荷物を置いて、ちょっと人込みに揉まれて、不快な気分を切り替えようと、その前に一服しよう―――と、思ったわけなのだが……

そこで捕まった。

この前、<二重聖人>に真の天才だと称賛された常識外の怪物、上条詩歌に。


「はあぁー……」


「ふふふ、重苦しいため息をついてもダメです。ちゃんと長生きするためにも煙草は大人になってからです。ね、『青田坊』さん」


「ぅ……」


声が聞こえるかどうかの距離で詩歌の背後からこちらの様子を窺っていた、同世代で飛び抜けて長身のステイルと匹敵する高さに大柄な巨体で、正体を隠すようにぶかぶかの青いローブを纏う怪人のような大男は、同意を求められるも首をそらしてしまう。

10人いれば10人が見惚れるような魅力あふれる美少女の上条詩歌がこのような人込みで放置すればあっという間に野郎どもが群がっていただろう。

珍しくここにはいないが、いつもセットにいる過保護な愚兄の代わりに、その不気味で威圧的な容姿で野郎除けの役目を果たしていた『青田坊』とかいう男は、どうやら自分と同じように未成年のころから煙草をしていた口なのかあまり強くは言えないようだ。

聞こえない振りをして、ステイルに同情的な視線を送るように一瞥した後、そそくさと署名運動を名目に遠くへ行ってしまった。


「プレゼントを配るサンタ・クロースにはなれるのに、クネヒト・ループレヒトはだめだなんて。全く、子供好きなら、きちんと叱れる大人にならないと……」


ステイルは背丈は大人以上だが、女の子とそれほど手を繋いだ事のない14歳である。

時折、詩歌の手を振り解こうとするも、『本気を出せば頭蓋骨が割れる』とアイアンクローを誰よりも体感している愚兄が評する万力ハンドは、一度噛みつくと中々離れないすっぽんのようで、逃げられない。


(……くそ。年甲斐もなく僕は何をやっているんだ)


段々と、一目で恋に落ちるような笑みを浮かべている同年代の美少女に掴まれて、体温があがっているのは自然な流れであるが、こっそりと息を潜め機を窺いつつ『青田坊』の目を掻い潜り、署名でお近づきしようとしていた野郎から、ブスブス、とステイルに刺すような視線が送られる。

まあ、ここで妹に近づくオオカミは問答無用でフラグクラッシャーなあの愚兄がいないだけ全然マシだが。


「わかった。サインしてやる。だから、今すぐその手を離して、煙草を返すんだ」


「仕方ないですね。一本も吸うなとは言いませんから、喫煙を控えます、と約束するなら離しましょう」


袖をギュッと掴み、こちらをじっと動かず見上げてくる彼女の瞳は真っ直ぐで、吸い込まれてしまいそうなほど深くて澄んでいる。

1秒も保たずにステイルは顔をそらして、電子パットにサインすると、明るい笑顔で


「ご協力ありがとうございます」


(……こんなの断れるはずがないだろう。だから、彼女が苦手なんだ)


いつの間にやら満員電車で蓄積された不快な気分は一掃されたが、どっと心労が溜まる。

と、そこで携帯電話の振動音。

ステイルのものではない。

署名用の電子パットを仕舞うと、詩歌がごそごそと修道服のような白衣のような上着の下にある、携帯しているウェストポーチの中から電話を取り出し。


「はい。上条詩歌です」


会話が始まった。

どこか気持ちご機嫌な感じで電話口からの声とやり取りしていた詩歌は、


「ちゃんと買い物はできましたか? 一度見落としがないかメモを確認してください。―――はじめて買い物に一人で行く子供じゃない、って……ふふふ、ちゃんと分かってますよ。でも、大人でもきちんとミスはチェックするものです。だから、一度でいいから―――ほら、あったでしょう? ああ、今こっちにステイルさんがいます」


おいっ! とステイルは思わず真剣に携帯電話を取り上げようと考えた。

一応、ステイルは『仕事』、つまりは隠密作戦で学園都市に潜り込んでいる身である。

そんなことすぐに悟ってるだろう賢妹は微笑みながら携帯電話をスピーカーフォンに切り替えて、ステイルに手渡す。

電話から飛んできた声は少年のもので、やはり、


『だー。お前、ホントにこっちに来てたのか……』


「君の声を聞きたくないのはお互い様だ」


ステイルの声が平べったくなるのは、仕方がない。

ここにいる賢妹の方は、何だかんだ振り回されでも感謝しているが、こっちの愚兄には迷惑をかけずとも爆発しろと念を送っている。

けど、電話越しの愚兄は投げやりな調子で、


『なに、お前また物騒な『仕事』でも抱えてんのか。まぁ良いけどさ、今日は鍋だから』


「何が『まぁ良いけど』だ。別に君の許可をもらう必要は……―――と、鍋が何だって?」


うんざりしたように言い返そうとしたが、途中で気付く。


『最近、寒くなってきたし今日は皆で鍋にしようって話になってな。ほら、食卓を囲んで楽しくつついて身体も旧交も温めんだ』


何故、今夜の献立を紹介されるのだ。

その上、身体と旧交を温めるとは、一体何を考えている……というまでもない。


『あ、日帰りじゃないよな? 今日は、お前こっちで飯食っていくんだろ。だから、どうしても食えない物とか、何か要望があれば今のうちだぞ』


「ふざけるな。要望などある訳がないだろう」


『ああ、そりゃあ、詩歌の絶品料理にいちゃもんつける余地なんてねーよ。けどな、残念なことに量は限られてんだ。インデックスの食欲と詩歌の飯が揃うとマジで食卓が戦争だからな。好物なら多めに用意しとかなきゃ、一口も食えないなんて事があるぞ。とりあえず、肉は大量に用意してあるけど』


「そういう意味じゃない! おい、聞いているのか? 行かないぞ、僕は絶対に行かな、おい!」


『食いたかったら早く来いよー』と文句を言う前に一方的に切れてしまった。

しばし呆然としていると、横から詩歌が、


「皆さんで食べるご飯はおいしいです。ちゃんと、買い出し係の当麻さんに、ステイルさんを見つけた時に知り合い1人追加で買い物も増量とメールを送っておきましたので安心してください」


もう、彼女に出会ったのが運のつきと言うのか。

ステイル=マグネスは<必要悪の教会>の魔術師を罰する魔術師であり、その解決方法は7割以上が暗殺と言うほどの血みどろの人間で、昨日も19人もの魔術師を火葬し、その報告書をどうまとめようかと思案している最中だ。

なのに、ああいうやり取りを見ていると、そのような事実を全て忘れてしまいそうになる。

フィクションを眺めているようなもので、反抗期の子供であっても、家族愛をテーマにした物語を観れば涙を流す。

どんなに自分と正反対の状況であろうと、見るだけなら単純に感情移入が出来るものだ。

だからこそ、その反動で終わった後の虚脱感が強い。

一種の麻薬のようなもので自分が自分でない夢心地のような状況から、薬が切れて、改めて現実を直視する瞬間が、とても気だるい。


「あ、あの署名、の……お話聞かせてもらっても良いですか?」


「あ、はい―――」


彼女の注意が他に逸れた時、タイミングを計ったように今度はステイルの懐が振動し、何も言わずその場を去る。

人込みの波に紛れつつ、内容を確認すれば、それは<必要悪の教会>の同僚からのメール。



『仕事です。作戦行動書を添付します。その内容に従い『背信者』の処分をお願いします』



了解、とステイルは頷き、温かみの欠片もない冷酷な作戦行動書に目を通す。





路地裏



暗く迷路のように入り組んだ路地裏を、1人の少年が懸命に走る。

そうしながら、少年――上条当麻は酷く情けない顔をしていた。


「―――ああ、くそ!」


やけっぱちに呻くその口調も情けない。


『準備が整ったってよ』

『後は『ボス』の指示を待つだけだな』

『良いんですか? 誰かに聞かれでもしたら……』

『ああ、そりゃあまあ―――消すしかないだろ?』


当麻の両手には、いくつもの大きなビニール袋がぶら下がっている。

いや、両手と言うか、ほぼ指の数だけビニール袋はぶら下がっている。

その1つ1つの隙間からネギや大根や白菜が突き出し、底の方にはキノコや白滝が転がっていて、その中間を埋めるように大量の豚肉やあるブランドの牛乳などがビニール袋の形を歪めている。

1人暮らしにこの量は多過ぎではないかと思うが、彼の同居人が、“かなり”食うのだ。

正直言って、洒落にならないくらい。

彼の妹が付けている家計簿で、最も多くの割合を占めているのは食費である。

さらに、今日、その妹のイギリスにいる文通相手が学園都市へ来るらしく、その歓迎会を行う予定だ。

なので、文通相手を迎えに行っている手の離せない妹の代わりに当麻は、彼女の書いたメモに従い、『お、今日は鍋かぁ〜』と呟きながら1人でお買い物――開店セールの死闘に来た訳なのだ。

そうして、スーパーのドアが開くや否や、群がる学生達の波を掻い潜り、セールの最前線に突入し、形が悪いので粗悪品となった格安野菜を手にして、返す刀で同じく先っぽの欠けた激安キノコをもぎとり、半額シールの貼られた豚肉パックとついでに妹愛用の牛乳をゲットし、その他の品も籠に詰め込んで、レジへゴールイン。

理想通りの展開と戦果を見ながらホクホク顔でスーパーを出た―――所までは良かった。

ちょっと近道をしようとして、彼らに出会わなければ、


(いきなり|不幸っ(クライマックス)!!?)


買えば買うほど食材は枷にしかならない。

ああ、だから今日はこんなにももぎ取れたのかと思いつつも、買い物袋を手放そうとしないのは根性なのか、それともただのどケチなのか。


「待てコラァ!! 逃げるな!! クソ、中々距離が縮まらん!?」

「止まれッ!! って、何でアイツあんなに荷物持ってんのに!?」


黒い礼服にスカーフを巻いた外人さん達が怖い顔をしながら追いかけてくる。

涙を袖で拭う。

そういう星の元で生まれたからなのか、上条当麻は不幸なのである。

しかし、自慢じゃない、というか、自慢にしたくないが、こういった惨事はほぼ日常茶飯事。

この鍛え抜かれた逃げ足は、某RPGゲームの経験値をごっそりとくれるメ○ルス○ライ○並みだ。

大量のビニール袋と路地裏に置かれたポリバケツなどの障害物とが激突しかけるのを何とも器用に回避しながら疾駆―――


(―――女の子!!?)


これはまた不幸なのか。

アンティークの西洋人形みたいな華奢な女の子が目の前に。

見た目からして歳はおそらく当麻よりずっと下だろう。


「くそっ!!! 巻き込んじまった!?」


ひょいっ、とふっ飛ばさないように少女の体を救いあげる。

幸い、この12歳前後の見た目通りに体重は軽く、この程度の負担なら余裕で行ける。

少女に首を回される当麻は、新たな荷物を抱え、半泣きしつつも路地裏を駆ける。



だ が、



「ちくしょう!!」

「『ボス』を人質に―――!!?」



何故このような少女が、こんな物騒な路地裏にいたことについて、もう少し考えるべきだった、と……


 

 


「―――さて、見事にさらわれてしまった訳だけど」


その後の当麻は思った。


「私は<明け色の陽射し>のボスだよ?」


不幸だ。

一度不幸に遭遇してからの、二段落ちのジャンルな不幸です。

この運悪く居合わせたいたいけな少女は、あの怖い外人のお兄さん達のボス。

何があったかは割愛するが、戦利品である買い物袋は奪われ、当麻は地面に転がり、それをその辺に腰掛けながら、金髪少女のボスが見下す。

黒いストッキングに包まれた細い脚を組みかえながら、邪悪さ全開なスマイルで、


「逃がしはしない。『牙を剥いた者には然るべき報いを』。それが『|結社(われわれ)』のやり方なものでね」


ああ、なんだろうか。

この状況、魔王と化した、おそろ“しいか”わいい恐妹を前にしたのと同じ……

つまり、ボス戦に『逃げる』という選択肢は与えられないのである。


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!!?」


「うむ。手は、無くもないけど―――どうする?」


と、少女はどこからともなくロープを取り出して………





道中



輸送車を強襲。

<明け色の陽射し>の先遣隊、<|天体観測図(ホロスコープ)>の奪還に成功。

政治的にも戦力的にも面倒な<警備員>が至急駆けつけてきたが、その前に離脱。

と、ここまでは良かった。

後で予備戦力に来るだろう仲間達が無駄足を踏むどころから、他人の突いたハチの巣を覗きに行くように痛い目に遭うだろうが、まあ、ボスの考える事だから仕方ない。

しかし、


「―――さて、連絡しようにも通じませんし、パトリシアさんがなかなか来ないので、ちょっと捜してみれば、妙な気配が2つ3つ沢山と、大勢いましたね」


学生服を着た少女。

まさか<風紀委員>か―――でも、奴らを避けるために細心の注意を払っていたはずなのに。


「本来ならば黒子さん達に任せるべきでしょうが、相手は魔術師です。<風紀委員>の手に少し余ります。それに、どうやら『人払い』も張られていますし、ここには来られないでしょう」


歌うような軽い口調で告げる。

華奢な少女は淑やかに佇みながら微笑み、その表情に少しも怯えや興奮の色がなく、自分達が犯罪行為を働き、逃亡の最中だという事を忘れてしまいそうになる。


「き、貴様は、何者だ!? 一体どうやってここに!?」


「人に尋ねる時は自分から名乗るものですよ」


が、警戒を解いてはならない。

全員が武器を、アルカナのカードを取り出す。

それでも彼女はニコニコ、あくまで微笑みを崩さない。

そこに敵意は感じられず、妙に緊張感を持ちにくい、むしろ、親しみやすいフレンドリーな感じだが、笑顔のままでも人を撃てる人間を役一名知っている。


「まあ、運良く犯人と遭遇してしまう優“しいか”わいい少女だと思ってくれても良いですよ」


そう、見た目は穢れを知らぬ純情な乙女のようで、物理的に涅槃にまでぶっ飛ぶような、社会的に死刑にするような、お仕置きを嬉々としてする生粋のドSな悪魔のような清濁を併せ持つ邪悪にぶっ飛んだボスを……





路地裏



首をロープでぐるぐる巻きにして、ネギや白菜などで顔色をメイクして、それからゴミバケツの中身を被って、死んだふりをしてやり過ごせば、見過ごしてもらえ―――


「ぼ、ボス、あれは一体……」


「ああ、私の冗談を真に受けて、死んだふりを演じているつもりだが、全く隠れきれていないホームラン級の馬鹿だ」


―――るはずなどなく、当然騙された。


「全く、ローブで首を絞め落そうとしても、硬そうな野菜を頭にぶつけられても、ゴミバケツに身体を突っ込ませても、ピンピンしているとは、しぶとさだけは害虫並みに旺盛なようだ」


そりゃあ、ウチの妹に鍛えられてますから。


「おかげでこちらも害虫駆除に精が出るというものだ」


ああ、小動物な容姿をしているくせに、眼光はそれと似合わぬ肉食獣。

新しいおもちゃを見つけたような邪悪さ満点な笑みを浮かべているこの子、間違いなく、詩歌と同じ|生まれながらにして(ナチュラルボーンな)ドSだ。

全くもって安心できる要素がない(知人に良くドMかと思われがちだが、あれは兄妹のコミュニケーションの一種で他人からの折檻はお断りしたい。NO暴力)。

とても×る気満々である。


「では、そろそろこいつの出番かな?」


と、おもむろに取り出したのは一丁の――――銃ッ!?!?


「最近の銃は好きになれないんだが、どうやらこれだけは別腹のようでね」


それは『フリントロック』。

日本の火縄銃と同じように……



「こうして弾を込める時間を楽しめるなんて最高じゃないか―――なぁ?」



上条当麻の頭が真っ赤に染まった。



つづく

-54-
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