小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第一部》』
作者:wanari()

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 ――松明が静かに燃えている。
 ――豪奢で毛先の深い絨毯を踏みしめる感覚がいつもと違う。
「さあ陛下。こちらでございます」
「うむ。本当に苦労をかけたな。礼を言うぞ」
 実直で、かつ強靱な意志を感じさせる瞳を柔らかに細めながら、深紅のマントに身を包んだ男は給仕の女を労った。上品な微笑みを浮かべた初老の女は、そのまましとやかに腰を折り、男を先導して歩き出す。
 ――本当は駆け出したかった。一分一秒でも早く愛する者の元へと向かいたい。
 だが男は逸る気持ちをぐっと抑えた。大柄な自分が走ればそれだけ音と振動をまき散らす。それが『彼女』には良くないのだと口酸っぱく言われていたからだ。
 給仕の女に付きゆっくりと歩く。その姿は王者の威厳すら漂う。
 否。男は正真正銘の王だった。名をパパスという。
 深き森、険しき山に囲まれた天然の要塞、堅牢にして優美さをも兼ね備えた古城グランバニア――その頂点に立つ男である。
 はるか遠国にまでその勇名が響き渡るほどの猛者が、これほどまでに気もそぞろになる理由。それは――
「こちらです。中ではお静かに。マーサ様もご子息様もようやく落ち着いたところでございますゆえ」
「う、うむ……」
 そう。パパスとその妻マーサに、待望の男子が誕生したのだ。
 一国の王から一人の父親へ。魔物相手にも決してひるまないパパスだったが、今日ばかりはいつもどおりとはいかなかった。『自分に子ができた』という初めての経験の前には、持ち前の冷静さなど蝋燭の火のように吹き飛んでしまっていた。
 精緻な意匠の施された扉をゆっくりと開ける。かすかな熱と、そして溢れんばかりの聖なる気をパパスは感じた。
 中央の寝台に横たわる妻が、気配を感じて振り返る。
「あなた……」
「マーサ……! よく、よくやってくれた」
 つい小走りに駆け寄る。厳格な顔にわずかな赤みを浮かべたパパスを見て、マーサが柔らかく微笑んだ。疲れの余りか若干やつれていたが、その表情は常日頃目にする以上に美しく、神々しさすらあった。
 パパスの視線が、彼女の隣で毛布にくるまれた赤子へと行く。
「ほら。私たちの子よ。今は眠っているけど、とても元気な声を上げていたわ……」
「おお、おお! 下の階にも聞こえてきたぞ。そうか、男か! 元気そうだ! うむ、目元はお前にそっくりだ!」
 自分でも訳の分からないことを喋る。その様子に乳母がくすりと笑った。
 マーサが声をかける。
「ねえあなた……。この子に名前を付けてあげないと」
「うん? おお、そうだな。何がいいか」
 パパスはしばらく寝台の回りを歩いた。顎に手をあて、これまでにいくつも考えた候補の中から選んでいく。この感動を表現し、自分と愛する妻の宝となるに相応しい名を。
 しばらくの沈思黙考の後、パパスはマーサに向き直った。彼には珍しい、満面の笑みを浮かべて言う。
「よし。トンヌラというのはどうだろうか」
「まあ、素敵な名前……賢そうで、優しそうで」
「だろう?」
「ええ。……ねえ、あなた。私もこの子の名前を考えてみたの」
 遠慮がちな妻の申し出に、パパスは無言で先を促した。
「アラン……というのは、どうかしら?」
「アラン、か。いまいちぱっとしないが……お前が考えたのなら、そうしよう」
 妻に笑いかける。ばさり、と深紅のマントを翻し、パパスは赤子とそっと抱え上げた。
「アラン。今日からお前はアランだ!」
「まあ、あなたったら……ごほっ、ごほっ!」
「マーサ? どうした、しっかりしろ。マーサ!」



 ――声は次第に遠くなる。
 ――潮騒の音が、どこからか聞こえてきた。ざざん、ざざん……と。


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