ぎし……ぎし……
規則正しく響くその音に、アランは目を覚ました。
固い寝台に横になっていると、身体がゆっくりと上下に動いているのを感じる。揺りかごのように心地よいその揺れからアランは身体を起こした。
利発で優しそうな瞳が印象的な少年である。滑らかな肌は健康的に日焼けし、儚さよりはたくましさが目を引く。
アランは枕元に置いた帽子を手にとった。ざんばらで伸び放題の黒髪を、青い布を巻いて作った簡素な帽子で包み込んだ。
寝台の縁に腰掛けたとき、部屋の中心で読み物をしていた男が振り返った。
「おお、起きたか。アラン」
「お父さん」
口元に蓄えた髭も凛々しいこの男はパパスといった。アラン自慢の父親である。
「う〜……ん」と伸びをしてから、アラン少年は父の元へと駆け寄った。
まだたったの六歳ではあるが、父に連れられいくつかの旅を経験したアランは、寝坊という言葉とは無縁の生活を送っていた。これも長旅で鍛えられた結果である。
机の縁に顎を乗せ、しばらく父の横顔を眺めていたアランは、ふいに声をかけた。
「ねえお父さん」
「ん?」
「僕、ゆめを見たんだ。りっぱなお部屋で、お父さんがすごく格好いいマントをしているの。おうさまなんだって」
「王様? はっはっは。アラン、どうやらまだ寝ぼけているようだな」
嘘じゃないのにな、とアランは思ったが、それ以上何も言わなかった。ただ不満そうに頬を膨らませるだけである。
その様子を見たパパスは苦笑を浮かべながら、読んでいた分厚い書物を閉じた。アランは以前、興味本意でその中身を見てみたが、長い文章どころか文字も読めないアラン少年はすぐに頁をめくるのを諦めた。それ以降、父の本にはあまり触らないようにしている。
「もうすぐ港に到着する。それまで外で遊んでなさい。潮風に当たれば眠気も覚めるだろう」
「うん」
「だがあまり走り回るんじゃないぞ。甲板にいる人々の迷惑にならないようにな」
「はーい」
アランは駆け出し、すぐに何かを思い出して引き返す。部屋の隅に設えられたタンスから、薄紙に包んだ薬草を取り出す。
「これがあれば怪我をしてもだいじょうぶだよね?」
微笑むパパスに、アランは薬草を片手に元気よく言った。
「それじゃ、行ってきます!」
階段を上がり、扉をくぐる。
途端に頬を撫でる冷たい風に、アランは思わず眼を細めた。
澄み渡る蒼い空。
天高くどこまでも盛り上がる雲。
風を受けゆったりと飛ぶ鳥たち。
そして空よりもさらに深く濃い青に染まった大海原。
アランは巨大な船の上にいた。
数日前、アランたちはパパスの顔なじみの船長と偶然再会し、どこかのお金持ちが所有するこの船に便乗させてもらったのだ。目指すはサンタローズという村である。かつてパパスとアランが住んでいた長閑で平和な村だ。
そこはアランの記憶に残っている最初の故郷である。
サンタローズに帰れると思うと、自然と気持ちが高揚した。
陽光のまぶしさに目を細めながら、アランは口笛をくちずさむ。波に揺れる甲板上も何のその、軽やかな足取りで目当ての場所へと歩いて行く。やがて甲板の幅はぐっと狭くなり、揺れも大きくなった。船首の部分だ。
帽子と同じ青色の、粗末な布の服を海風にはためかせながら、アランは鋭く突き出た舳先部分へと進む。下を見れば目もくらむような高さだが、アランは取り立てて恐怖を感じた様子もなく、「うわぁ!」と感嘆の声を上げた。
海。空。水平線だ。
世界はどこまでも広い。
いつか自分が大きくなったら、父とともに世界中を旅して回りたい。それが幼いアランの大きな夢であった。
「おぉいっ! 坊主、危ないぞ! 戻ってこい!」
ふと背後から船員の呼ぶ声がした。気がつくと舳先のかなり先の方まで進んでいたようだ。慌てて戻り、船員の前に立つ。全身真っ黒に日焼けした船員の男は大げさなため息をついた。
「ああびっくりした。まったく、坊主の身に何かあったら俺が船長にどやされるんだぜ?」
「ごめんなさい」
アランは素直に頭を下げた。船員は怒ったような、困ったような表情を浮かべていたが、やおら豪快に笑い始めた。
「ま、危ない危なくないは抜きにしてだ。坊主、お前よくあそこまで行けたな? 怖くなかったのか?」
「ううん。とっても楽しかったよ。海って、すごく広いんだね」
「そうかそうか。さすがパパスの旦那の息子さんだ。勇気がある」
ばんばんばん、と頭を叩かれる。おそらく本人は撫でているつもりなのだろうが、アランとしてはたまったものではない。小さく「おじさん……いたい」とつぶやく。
だが船員の男は気にした風もなく、嬉しそうに語り始めた。
「いいか坊主。坊主が立ってた舳先の部分はな、俺たちの船乗りの中じゃ『勇気を試す場』になっているのさ。新米のヒヨッコどもは、まず大抵あそこに立つと怖じ気づく」
「え? ふなのりさんなのに?」
「そうさ。坊主は勇気がある。新米ヒヨッコの半分も生きちゃいないにもかかわらずだ。きっと大人になったらどえらいことをやってのけるぞ、坊主!」
「どえらいことって?」
「どえらいことは、その……どえらいことだよ。ま、まあそのうちわかるって」
ばんばんばん、と相変わらず容赦なく叩かれる。それが親愛の表れだと子どもながらに察したアランは、目の端に小さく涙を浮かべながらも笑顔でうなずいていた。