がこん、という妙な音が響いたのはそのときだ。
アランが振り返ると同時に、細かく砕けた石が高速で頬をかすめる。
「……っ」
緊張で身体が硬くなった。それはアランにとって、初めて出会うモンスターだった。
身の丈はアランより低く、しかしその小さな手に持つのは巨大な木の鎚。どこか愛くるしい容姿とは裏腹に、闘争本能をみなぎらせた目をしている。足元には、鎚で抉られた痕がくっきりと残っている。
『おおきづち』だ。
その小さな迫力に思わず唾を飲み込むアラン。たじろいだ一瞬の隙を突き、おおきづちはいきなり襲いかかってきた。
力任せに、大上段から木鎚を振り下ろす。
再び、がこん、という異音が響く。地面を叩いた音だ。
横っ飛びで攻撃をかわしたアランは、その威力に冷たい汗をかく。だがこれまで戦ったスライムや、こうもりの姿をした『ドラキー』などと比べれば、攻撃が大味な分かわしやすかった。
地面にめり込んだ木鎚を引き抜くのに手間取っている間に、アランは横合いから『ひのきの棒』を振り抜いた。
「いやあぁっ!」
手首から肘、肩、そして身体全体に伝わる確かな手応え。アランの攻撃を受け、おおきづちは吹っ飛んだ。
よし、やった――そうアランが思ったとき、おもむろにおおきづちが起き上がった。そして何事もなかったかのように再び木鎚を振り上げる。その動きにはまるで変化がない。
効いてないのか。アランはたじろぎながらも、再び攻撃をかわした隙を狙って武器を叩き付ける。
だがおおきづちは、まだ倒れない。
「……いたっ!」
手首に違和感。無理矢理叩き付けたせいで少しひねったようだ。
思わず、手首を押さえる。
おおきづちから視線を外した、その刹那。
「あっ」
気がついたときには目の前に木鎚が迫っていた。とっさに『ひのきの棒』を構え、攻撃を受け止める。
武器が、おおきづちの攻撃を受け止める衝撃。
直後、『ひのきの棒』は真ん中から粉砕された。
木鎚の勢いは止まらない。そのまま振り抜かれた――腹に直撃。
「……かふっ」
ふわ、と身体が浮いた。
ぐるん、と世界が反転して。
息も吸えないまま地面に叩き付けられた。
――痛恨の一撃。
「げほっ、げほっ。ごほっ!」
まともに息ができない。苦しさから手に力が入る。折れて使い物にならなくなった『ひのきの棒』が手の中にあった。
「げほげほっ、……っ!」
――その攻撃を前転でかわせたのは、ほとんど偶然に近い。
アランは苦しさから逃れようと無理矢理息をするが、うまくいかない。涙がにじんだ。
おおきづちの動きには、やはり変化がない。
手にした木鎚をぎゅっと握りしめたのがわかった。
アランの頭はその瞬間、真っ白になった。
「う、うわあああぁぁぁぁっ!」
逃走。全力で走った。
ずきん、ずきんと腹が痛む。実際はアランが思うほど足は動いていなかったのだが、必死のアランはそのことにも気付かない。
とにかく、立ち止まったらやられてしまうと思った。
――どれくらい走っただろう。
ついに身体の方が音を上げて、アランは座り込んだ。そこがちょうど湧き水の湧いているところだったから、アランは無我夢中で水を口にする。爽やかで、微かに甘みのある水の味に混じり、何とも言えない苦い味が口の中に広がる。それが血の味だとアランは初めて知った。
岩に背を預ける。
そして思い出したかのように、自らが走ってきた通路を見た。
おおきづちは、追ってこなかった。やぶれかぶれの逃走は、何とか成功したようだった。
「ふぅぅ……」
腹の底からため息をつく。そして攻撃を受けたお腹をさすった。わずかに痛みが残るが、思ったよりひどくない。さっき水を飲んだおかげか、気持ちの方はかなり楽になっていた。
ホイミをかける。だが呪文を唱えたのも束の間、傷が癒えきる前に癒しの光は消えてしまった。どうやら精神力の方が切れかけているらしい。
おそるおそる、手を見る。そこにはまだしっかりと、折れた『ひのきの棒』が握られていた。
武器もない。
呪文もしばらく使えない。
いや、それより。戦闘から逃げた自分を、パパスはどう思うだろうか。そのことの方が心配だった。
憧れの父なら、こんなときどうするだろう。
アランはじっと、天井を見つめていた。
そのときだ。アランの身体が再び固まる。聞こえたのだ、あの甲高い声が。
「キュイッ!?」
間違いない。スライムだ!
アランは唾を飲み込んだ。血の味は、まだ消えていなかった。