小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第一部》』
作者:wanari()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>



「アラン」
 ドワーフの洞窟を奥へ奥へと進んでいたとき、ふと、ベラが声を掛けてきた。
「この先は、できるだけ戦闘は避けるようにしましょう。もしモンスターと出くわしても、可能な限り逃げましょ」
「どうして?」
「今はまだ元気だからいいけど、帰りのことを考えないといけないでしょ? ましてや、奥のモンスターはかなり強力よ」
 落ち着いた口調だが、よく見るとベラの額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 確かに、ここに来てモンスターの強さが格段に上がった。かつてパパスとともに対峙したイタチ型のモンスターと出逢ったが、段違いの強さだった。同じ種でも、棲息地が違うとこんなにも強さに差が出るものなのだなと、アランは初めて知った。それに『ラーバキング』の群れと戦ったときなど、『親分ゴースト』戦もかくやと思われるほど全力の戦闘を強いられている。
 最奥部に辿り着き、そこでカギの技法を手に入れて終わり――というわけではないのだ。同じ道を辿って帰らなければならない。それはすなわち、帰りの道中でも同じようにモンスターと出くわすというわけだ。
「ここのモンスターから逃げるのはかなり骨が折れるけど、だからといって全力で戦いっぱなしだと、すぐに体力が尽きてしまうわ」
「そうだね」
「ま、世の中には洞窟の奥深くから一瞬で地上に戻れる呪文があるらしいけど……やっぱり使える者は限られてくるでしょうね。私には無理」
 アランは感心しながら聞いていた。そんな便利な呪文があるのかと驚くと同時に、やっぱりベラは物知りだと純粋に尊敬したのだ。
 羨望の眼差しに気づいたのか、ベラがふふんと胸を張っている。得意げに顔を上向かせた彼女は、足元をろくに見ないまま歩を進め、そのまま白い何かを踏んづけた。
 ぱきん、と軽い音を立てて壊れる。
 無造作に打ち棄てられた人骨だった。
「〜〜〜〜〜〜ッ!」
 言葉になっていない絶叫にチロルがぴょんと跳ねる。何事かと周囲を見回す彼女を余所に、ベラは完全に混乱した様子で叫び続けていた。
「ベラ、ベラ! 落ち着いて。だいじょうぶだよ!」
「〜〜〜〜!? 〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
「なぁー! なぁぁぁっ!」
 あろうことかチロルまで鳴き始めた。アランの服の裾を噛み、しきりに引っ張る。尻尾をぴんと立て、背中の毛を逆立てていた。
 振り返ったアランは「う……」と呻いた。
 メラリザード、スカンカー、そしてラーバキング……この階で出会ったモンスターが勢揃いして迫ってきたのだ。反射的にアランは剣を構えるが、ベラがこの状態で果たして戦えるのかどうか、とても不安だった。
 こういう場こそ逃げるべきなんだろう、そう思ったアランは、ベラの意見を聞こうと振り返る。が、
「………………あれ?」
 そこには誰もいなかった。
 耳を澄ませれば通路の奥から足音が聞こえてくる。その意味をようやく理解したアランは、慌ててチロルに言った。
「に、逃げるよチロル!」
「なー……」
 背中を向けて一目散に退散する。何となく不満そうながらも、チロルもしっかりついてきた。逃走の道すがら、アランはぼんやりと思った。
 そうか、逃げるときはああやって逃げるんだね……。
 何と言うか、やっぱりすごいですベラ。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
 ようやくベラに追いつき、アランは肩で息をした。すでに階段を完全に下りきって、下の階にまで辿り着いてしまっている。通路の端で頭を抱えているベラが獣みたいなうなり声を上げていた。
「ううう……よ、妖精族のベラともあろう者が、こんな小さな子の前で……うう」
 どうやら先ほどの醜態をひどく後悔しているらしい。それでも息切れしていないあたり、実は彼女はアラン以上に体力があるのかもしれなかった。
 苦笑していると、またチロルが裾を引いてきた。注意を惹くように、控えめな力でアランを引っ張ろうとする。
「どうしたの、チロル」
 怪訝の声を出すと、ベラも顔を上げた。二人でチロルの視線の先を見る。緩やかに曲がった道の先に、小さな小部屋らしき空間が見えた。入り口には壁と天井をぐるりと縁取るように文字が刻まれていた。
 近づいて目を細めるも、筆跡の違う文字が入り乱れていて判読できない。ほとんど文字が読めないアランはなおさらだった。すると、後ろに立って同じように文字を覗き込んでいたベラが驚きの声を上げた。
「これ、古い妖精族の文字だわ」
「え? そうなの?」
「ええ。しかもこれは、ドワーフたちが使っていた文字と一緒に刻んである。どういうことなのかしら……?」
 アランは首を傾げた。妖精族とドワーフ族が一緒に文字を書くのがそんなに不思議なことなのだろうか。
 チロルが、なぁお、と鳴いた。とてとて、と部屋の奥に歩いて行く彼女をアランは抱き上げた。その姿勢のまま、固まる。
「ねえベラ。これって」
「そうね。きっと間違いないわ」
 ベラがうなずく。
 彼らの前には、無骨で大きな宝箱がひとつ、台座の形に均(なら)された地面の上に置かれていた。土色に白地の縁取りがされていて、一目で頑丈であることがわかる。だがよく目を凝らすと、蓋のつまみ部分に小さなカギがつけてあった。その表面には精緻な文様が刻まれている。
 カギはつまみに引っかかっているだけで、施錠はされていないようだ。
「私が開けましょうか?」
「ううん、僕がやるよ」
「わかった。安心して、何かあったらすぐに対応するから」
 ベラが一歩下がる。アランは宝箱の前に立ち、深呼吸をひとつ、した。これまでにも何度か宝箱を開けた経験はあるが、今回は緊張感が違った。
 手を掛ける。少しだけ持ち上げた。重厚な見た目に反し、蓋はとても軽かった。留め金がかかるまで、一気に蓋を開け放つ。がこん、という音が響き、宝箱は完全にその中身をさらした。
「……」
 ふたり、しばらく無言で立ち尽くす。彼らの顔に、宝箱から漏れ出た微かな光が反射した。
 中に入っていたのはカギの技法を記した書物――ではなかった。
「きれい……」
 思わずつぶやく。
 宝箱の中身――それはなみなみと注がれた薄青に輝く『水』であった。

-46-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える