ようやく落ち着きを取り戻したアランたちは、慎重に辺りの様子を窺った。剣先で床を叩くアラン。
「すごく硬い。チロルの爪もだめだったし、何かを支えにしながら進むのはむずかしいかも」
「ええ。ただの氷ではないみたいね、これ。かといって、炎の呪文で溶かしながらすすんでいたら、ザイルの元まで辿り着くまでに精神力が尽きてしまうわ。となると」
何を思ったか、ベラが一歩を踏み出す。途端に前へと滑り出した彼女は、そのまま滑るに任せていた。彼女の進行方向には一本の柱がある。両手をばたばたさせて、何とかその柱にすがりつこうとして、
「きゃう!」
こけた。
突っ伏したその姿勢のまま、彼女は柱にごつんとぶつかって止まった。
「そ、そうか。止まらないことを使って進むんだね!」
気まずい空気に敢えて触れないようにしてアランは言った。ベラが無言のままうなずく。耳まで真っ赤になっている様子がアランのところからでもわかった。
ベラが立ち上がったことを確認してから、アランはゆっくりと一歩を踏み出した。どうやら足を置いただけでは滑らないようだが、一度体重をかけて踏み出すと簡単に体は前へと進んでいく。上半身で姿勢を保ちながら、アランは何とか転ばずにベラの待つ柱までたどりついた。
大きく息をつく。するとその後ろからとことことチロルが歩いてついてきた。
「チロル、君はだいじょうぶなの? この氷」
首を傾げられた。「体が軽いと違うのかしら」とベラはつぶやいた。
それからアランたちは、柱から柱へ、壁から壁へと氷の上を滑りながら移動した。最初は難儀したこの移動法も、慣れてくればかなりの速さで移動できるようになる。次第に楽しくなってきたアランは、鼻歌を歌いながら移動していた。
「こら。ここは相手の本拠地なのよ。遊び場じゃないんだから」
ベラが叱った。こちらはなかなか慣れることができないらしく(どうやらベラは運動が苦手のようだ)、アランが通ってきた柱のひとつに掴まって足を震わせていた。
「ごめんなさい。ベラ、だいじょうぶ?」
「へ、平気よこれくらい。よっ、と……わ! わわわっ!」
すてーん、と勢い良く転び、突っ伏したままアランのところまで滑ってきた。苦笑しながら手を貸す。いい加減腹に据えかねたのか、ベラの表情はどんよりとしていた。
「ううー、もう。まったく恐ろしい罠だわ!」
「そ、そうだね」
「でも」
ふと、彼女の表情が険しくなる。
「この状況でモンスターの群れに出会ったら、とても厄介だわ。西の洞窟以上かも」
アランとベラは周囲を見回す。いくつもの柱が床と天井を貫いているため、建物の内部は見通しがよくない。鏡面のように反射する氷たちは、明るさは申し分ないものの、壁や柱の合間にある通路をわかりづらくさせている。
主たちの緊張を悟ったのか、チロルがしきりに匂いをかぎ始めた。だがすぐに「なぁ……」と言って髭を垂らす。
「チロルも、よくわからないみたいだね」
「アラン、ちょっといい?」
言うなり、ベラがアランに抱きついてきた。アランはきょとんとして尋ねる。
「ベラ? どうしたの?」
「こうしてくっついて行けば、いざというとき離ればなれになることがないでしょう?」
「そっか。……あれ?」
ふと思いついた懸念をアランは素直に口にした。
「でも、そうするとベラが転ぶと僕も転んじゃう――」
「努力するわ!」
力説され、アランは口をつぐんだ。暗に「置いていくな」と言われたような気がしたのだ。
大人しく抱きつかれたままでいる。すると何故か、ベラが小さくため息をついた。
「人間のことは私もよく知らないけど、こうしているとやっぱりアランはまだ子どもなんだと思うわ」
「え? なに? どういうこと?」
「何でもない。気にしないで。さ、行きましょ。慎重にね」
ベラがより強く抱きついてくる。アランはうなずいて、一歩を踏み出した。